ペラ遺跡
Pella, 2001ペラ遺跡は、アンマンの北西65km、ヨルダン川東岸沿いに位置するタバカット・ファヒル村にあります。
ここには約6000年前から人が定住していた痕跡も残っていて、古くから町があったのではないかと推測されていますが、イスラエル人がカナン入りする前に滅ぼされた為に、旧約聖書にはその名が残っていません。
歴史に登場するのは紀元前14世紀頃のことで、エジプトの文献に「ファヒルの王」という名で頻繁に登場しています。
時代は流れ、アレクサンダー大王の遠征後、この地に入植したギリシャ人によって町は再建されました。その時に名前もアレクサンダー生誕の地にちなんでペラと名付けられたそうです。
紀元66年にはローマ・ユダヤ戦争が起こり、エルサレムに住むユダヤ人キリスト教徒がエルサレムから逃れ、この町に移住してきました。その指導者は、イエス・キリストの兄弟ヤコブの従兄弟シメオンとされていて、ユダヤ人にとっては歴史的に重要な場所となっています。
ローマ時代にはデカポリスの一つとなり、ギリシャ風の都市として大きく発展しました。その後のビザンチン時代には約25000人もの人口を擁し、キリスト教が大いに栄えました。しかし747年の大地震で大被害を受けてから、都市は衰退していきました。
現在のペラ遺跡はヨルダン渓谷沿いにあるマーシャラから少し登った高台にあります。遺跡は多くの遺構が残っていませんが、谷間にひっそりとした感じである雰囲気は素敵です。またこの付近からのヨルダン渓谷の眺めもよく、散策にもお勧めの場所です。
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* ヨルダン情景素写 *
* 感想など *ヨルダン渓谷沿いの谷間にひっそりとした感じで遺跡がありました。町からは少し登らなければならなかったので、しんどい道のりでしたが、荒涼とした大地があり、砂漠のオアシスのような風景があり、畑が広がる風景がありと、渓谷の風景が素晴らしく、あまり苦になりませんでした。
遺跡自体はまだまだ発掘途中といった感じで、訪れたときはほとんど整備もされていませんでした。ただ多くの遺構が土砂に埋まっている感じなので、今後もっと大きな発見があるかもしれません。
ペラ遺跡
Pella, 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)