マダバのモザイク画
Mosaics of Madaba, 2001アンマンからキングスハイウェイを30km南下すると、マダバの町に到着します。聖書の時代には水の多い流れという意味のメデバと呼ばれていました。
この町を有名にしているのは、数多く残るビザンチン時代のモザイク画です。質、量ともに申し分なく、世界的にも「モザイク画の町」として知れています。
日本でモザイク画というのはあまり馴染みがなく、エッチな映像などに使われるモザイクを連想してしまう人も多いかと思いますが、小さな石のタイルで絵を描いたものです。
モザイク画が盛んに作られたのは、マダバの最盛期だったと言われる5~6世紀のビザンチン時代。当時はモザイク職人を育成するモザイク学校もあったそうです。
マダバはキリスト教の中心地として栄え、町には数多くの教会が建てられ、多くのモザイク画が描かれました。今尚残る聖ジョージ教会、聖処女教会、12使徒教会などをはじめ、10もの教会が発掘されています。
ビザンチンの後はイスラム勢力による支配、そして大地震と町は衰退していき、歴史から消えていきます。
1880年になるとキリスト教徒によって町が再建され、徐々にモザイクの町として脚光を浴びていくこととなります。
マダバのモザイク画の中で一番有名なのが、聖ジョージ教会にあるパレスチナのモザイク地図です。これは紀元560年のパレスチナやキリスト教の聖地を描いたもので、地図の中心は城塞都市エルサレム。細部に渡って細かく作られていて、遠くはエジプトのナイル川も載っています。
オリジナルの大きさは25×5mだったとされ、製作には230万個の石が使われたというから気が遠くなります。計算上では11500時間はかかったとされていますが、どうなのでしょう。そういえばピラミッドもちょうど同じ数の石を使っていることも興味深いです。
その他には、聖処女教会を中心にした考古学公園があります。敷地内にはローマ道路の跡があり、多くのモザイク画が展示されています。少し離れた場所には12使徒教会もあり、ここのモザイクは大規模です。
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* ヨルダン情景素写 *
* 感想など *町中にモザイク画があり、町全体が博物館のようでした。生き生きと描かれている人物や動物、とても見ごたえがありました。絵を見ながら今も昔も人間はあまり変わらないのかなと思ってしまいました。
旅人としてはやはりマダバ地図にとてもロマンを感じました。細かく描かれているので、製作者がどんなことに興味があったのか、当時はどんなことに興味があったのか、何を目印にしていたのかなどを想像でき、見ていて面白かったです。
マダバのモザイク画
Mosaics of Madaba, 2001 -風の旅人- (2020年1月更新)