ヨルダンの情景#5
ウム・エル・ジマル遺跡
Umm el-Jimal, 2001
アンマンの北東にあるマフラクから、更に東へ20km入ったところにウム・エル・ジマルの遺跡があります。
ここからシリアとの国境は10kmほど。近くに空軍の空港があり、遺跡見学中に頭上を戦闘機が低空で飛んでいて、少し落ち着かない立地でした。
この地に町が造られたのは紀元前1世紀のこと。ナバテア王国のラベル2世によって町の建設が進められていきました。この地は古代の交易ルートの要所にあたり、大規模な隊商宿が造られ、町の名もウム・エル・ジマル(ラクダの母の意)と付けられました。
黒い玄武岩を使って町が建造されているのもここの特徴で、かつては「黒い砂漠の宝石」と呼ばれていたそうです。とはいえ、同じナバテア人が建設したバラ色の都市と呼ばれるペトラに比べると、この町は黒一色で派手さはなく、魅力的な装飾もあまり見られません。
玄武岩が硬すぎて細かい細工には向かない為です。ただ建築素材としては石の密度が高く、遮熱性や蓄熱性に優れているようです。
ナバテア人の時代が終わり、次のローマ人による支配下でもこの町の重要性は同じでした。その後ビザンチン、ウマイヤ朝と支配者が変わった後、747年の大地震で町は壊滅的な打撃を受け衰退していきました。
現在、広大な遺跡には、15ほどの教会や聖堂の跡を始め、地下室、貯水槽、倉庫、通路など色々と残っています。見るべき物は多いのですが、ほとんどが崩れたままの状態です。
* ヨルダン情景素写 *
* 感想など *
あまり知名度のない遺跡でしたが、「黒い砂漠の宝石」と呼ばれていたというフレーズに惹かれて訪れてみました。
訪れてみると、黒い遺跡というのは独特で、砂漠っぽい荒れ地にあるのもあってなかなかワイルドな遺跡でした。
ここで一番驚いたのが、辺り一面に散らばっている岩の量。これだけ岩が無造作に転がっている遺跡は初めてです。これだけパーツが沢山残っていることは、頑張れば色々と復元できそうです。石の山を見てそう思ってしまうのは遺跡好きだからでしょうか。
ヨルダンの情景#5
ウム・エル・ジマル遺跡
Umm el-Jimal, 2001
-風の旅人- (2019年12月更新)