アモン神殿と死者の山(シワ)
Temple of Amun and Gabal al-Mawta, 1996, 2001シワ・オアシスはアレクサンダー大王が遥々アモン神に神託を受けに来た土地です。古くから人々の営みがあり、エジプト王朝時代からローマにかけてのアモン神殿に関わる遺跡や古代の墓が残っています。
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* エジプト情景素写 *
シワオアシスの町の中心部から東に1.7km、クレオパトラ鉱泉の北、アグルミの南にアモンにささげられた神殿の一つウム・ウバイダ神殿(Temple of Umm Ubayd, or Temple of Om Obaidah)があります。
小さな丘の上にはかつてあった建物の面影はなく、記念碑のような形で壁に使われていたレリーフと幾つかの石材が置いてあります。
アモン神殿へはアレクサンダー大王が神託を授かるために訪問したとされていますが、このウム・ウバイダ神殿だったのか、北にあるアグルミにあるオラクル神殿だったのか、両方だったのか、確かではありません。
神殿の歴史に関してもあまりはっきりしていなく、碑文の象形文字からウェナメンと呼ばれるシワンの小王と第30王朝のネクタネボ2世に関連付けられています。
かつての神殿は、前庭に列柱が並び、建物の壁面はきれいに彩色された浮き彫りと象形文字で装飾された立派な建物だったと推測されています。
現在残されている壁は聖域に続く部屋の東壁で、彫刻には王のカルトゥーシュを守っている女神ネクベトや数々の神々、そして口開けの儀式の様子が象形文字で描かれています。
口開けの儀式は埋葬に関連するもので、遺体安置所の寺院や墓の壁などに描かれていることが多く、この場所は埋葬に関連付けられた施設として、或いはウェナムンの葬儀の記念として建てられたのかもしれません。
アモン寺院の北の馬蹄形をした高さ30mの石灰岩の台地がアグルミです。アグルミとはシワ語(ベルベル語)で小さな村の意味です。
アグルミの丘には放棄され、崩れかかった土と石で造られた民家が並んでいますが、そういった民家に交じるようにアモン神に捧げられたオラクル(神託)の神殿があります。
この神殿だけ大きな石材が使われ、壁の石組も正確なので、他の建物と区別は容易にできますが、外観、内部ともに崩壊が酷く、神殿だったという格や趣きはあまり残っていません。
オラクルの神殿は、様々な説がありますが、第26王朝時代にアフモス2世によって建てられ、丘の上に王宮も建てられていました。
紀元前331年にアレキサンダー大王がアモン神の神託を受けるために訪問したことが歴史的に有名です。ここで大祭司に歓迎され、無事に神託を授かりました。そういった話で拍が付いたのか、その後のギリシャ、ローマの時代にも栄えました。
キリスト教が広まるにつれてこのアモン神殿は廃れていきました。そしていつしか周囲にある12世紀から19世紀までの建物と同様に住居として使われていたようです。おそらく神殿としてよりも住居として存在していたほうが長かったのではないでしょうか。
現在では修復に力が入れられていて、前庭やホールや聖域が整備されていますが、神殿らしい面影はあるけど・・・といった感じです。
町の中心から北に1kmに「死者の山(MOUNTAIN OF THE DEAD)」と呼ばれるジャバル・アル・マウタ(Gabal al-Mawta)があります。
ここは岩山全体が古代の人々の墓地になっていて、沢山の石窟が掘られています。死者の山と呼ばれるだけあって、その数は相当数です。
最も古い墓は第26王朝およびプトレマイオス朝時代のもので、グレコローマン時代にかけての墓があります。シワには多くの古代墓地がありますが、適切に発掘されているのはここだけです。もちろん目立つ場所なので多くが盗掘されていたようですが。
岩山の側面に多くの石窟が彫られているのが確認できますが、丘の地面にも多くの墓が掘られていて、地下迷宮のようになっています。実際、シワの人々は、第一次世界大戦および第二次世界大戦中にここに隠れていたようです。
シワの中心から南西に約5kmに2つの岩山が並んでいるアル・ダクルル山があります。この山から採石した石でアモン神殿が造られたとされています。山の上部にはローマ時代のものらしい墓や石窟もあります。
この山には伝説が残っていて、なんでも古代シワ王である「イブリック」王の宝物が山のどこかに埋めて隠されているそうです。また毎年10月の満月の夜に大きな祭りが行われ、シワの人々が祈るためにアル・タクルル山に向かうそうです。
* 感想など *陸の孤島のようなシワ・オアシスにエジプト王朝時代の遺跡が残っていることに驚きました。
訪れる前までは、アレクサンダー大王がわざわざアモン神殿に神託を受けるためにこのような辺境の土地に来るわけがないよな。などと思っていましたが、実際に訪れてみると立派な神殿があった痕跡があり、まんざら伝説ではないのかなと思うようになりました。
ただ砂漠の地にある遺跡。風化が進んでいました。朽ち加減が素敵というか、味があるというか。砂漠にある遺跡らしくてよかったのですが、そのうち痕跡もなく消滅してしまいそうでした。
アモン神殿と死者の山(シワ)
Temple of Amun and Gabal al-Mawta, 1996, 2001 -風の旅人- (2020年1月更新)