アレクサンドリアの町並み
Cityscape of Alexandria, 1996, 2001地中海沿岸にあるアレクサンドリアは、カイロに次ぐエジプト第2の大都市です。町中にヨーロッパ調の建物が多く、エジプトの中でも雰囲気のいい町として知られています。特に町の北側の地中海岸、弧を描くようにした海岸線沿いに建物が並んでいる様子はアレクサンドリアらしい美しい風景です。
町の名も町並みのように響きがいいと感じますが、アレクサンドリアという地名は、その名の通りアレクサンダー大王が基礎を造った町になります。
マケドニアのアレクサンダー大王は、当時中近東一帯を支配した程の実力の持ち主。その彼が造ったアレクサンドリアという町は数多くあります。その中でも一番有名なのが、このエジプトの地中海岸にあるアレクサンドリアです。実のところ順調に発展し続けたのは、ここだけみたいです。
アレクサンダー大王がここを訪れたのは紀元前331年のこと。当時はラホティスという名の小さな漁村でした。シーワオアシスにあるアンモン神殿へ神託を授かりに訪れる際に通りかかり、絶好の立地条件に目を付け、町の建設を始めたと言われています。
アレクサンダー大王の死後はプトレマイオスがアレクサンドリアを引継ぎ、プトレマイオスがマケドニアから独立してからは地中海世界で1、2を争うほど文化の発達した町になりました。
中でも古代世界七不思議の一つであるファロス島の大灯台、古代世界の三大図書館の一つであるアレクサンドリア図書館は有名です。古代のロマンといえば、アレクサンダー大王の遺体をプトレマイオスがこのアレクサンドリアの何処かに埋葬したとされているのですが、未だ見つかっていなく、現在も考古学者達が一生懸命捜しているそうです。
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* エジプト情景素写 *
アレクサンドリアの東湾の付け根にカイト・ベイ要塞があります。15世紀にマムルーク朝のスルタン、カーイト・ベイによって建てられたものです。3層構造の堅固な要塞で、現在は海軍博物館になっています。
繁華街の海岸からも見える要塞ですが、この場所には古代世界七不思議の一つに数えられていたファロスの灯台(アレクサンドリアの大灯台)があったとされています。
この灯台は紀元前3世紀にアレクサンダー大王が発案して、プトレマイオス2世によって建てられました。高さが120mもあり、56キロ先からも灯台の明かりが見えたと言われているから凄い大きさです。
1層部分は4角形、2層部は8角形、最上部は円形の形をした塔だったと言われています。何度も改修され、使い続けていたみたいですが、14世紀の地震で崩壊し、使われなくなったそうです。
* 感想など *アレクサンドリア・・・、日本人的にはアレキサンドリアの方が言いやすく、響きがよく感じるでしょうか。町中にはヨーロッパ的な建物が多く、海岸の雰囲気も良く、エジプトらしいかというのは別として、響きの良い名の通りにとても雰囲気のいい町でした。
アレクサンドリアには2回訪れましたが、いずれもトランジットでの滞在で、あまり観光をしていません。歴史ある町らしく「カイト・ベイの城塞」(ファロス島の大灯台跡)や、「グレコ・ローマン博物館」(プトレマイオス朝の遺物の展示)や、「ポンペイの柱」や「カタコンベ」などといった見所が多いのを後で知って失敗したかなと思ったのですが、海岸沿いで地元の人に交じって地中海の風を受けながら夕涼みして過ごすのも楽しかったです。
アレクサンドリアの町並み
Cityscape of Alexandria, 1996, 2001 -風の旅人- (2020年1月更新)