デッド・シティー遺跡群(Jerada)
Ruins of Jerada(The Dead Cities), 2001北部の都市アレッポと水車で有名なハマの間には多くの遺跡があります。これらはビザンチン時代のもので、集落ごと廃墟となっているものが多く、廃墟の町という意味でデッド・シティー(The Dead Cities)と呼ばれています。
こういった遺跡はアレッポの北西部に多く、カラート・サマーン(シオン教会跡)を含めて40の遺跡がまとめて2011年に世界遺産に登録されています。
Jerada遺跡はRuweiha遺跡と双子遺跡のような関係になっていて、Jerada遺跡は規模からすると弟といった感じでしょうか。
遺跡自体はRuweiha遺跡と同じような感じで、4~6世紀のビザンチン時代の遺構が大半を占めています。部分的にはよく今までこの状態で保たれていたなと思う箇所もありますが、多くは崩れていたり、住居や石垣等に再構築されています。
広告
* シリア情景素写 *

Ruweiha遺跡からJerada遺跡に移動。
交通手段がないので歩いての移動です。
トラックでも通ればヒッチハイクをと思ったのですが、
全く車が通りませんでした・・・。
歩いてみても周辺は石ばかりで何もない土地です。
(In The Dead Cities, 3 Mar. 2001)

結構日が傾いての到着。
Ruweiha遺跡に比べると全体的に小規模です。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)

所々にアーチや柱が残っていたりします。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)

今にも崩れそうですが、ここの象徴的な建物です。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)

地下室の入り口を発見。
貯蔵庫にしていたのでしょうか。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)

中を覗いてみましたが、何もありませんでした。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)

夕日に染まる石の簡易アーチ。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)

ビザンチンの紋章の入った入り口。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)

近くの村の家屋の石材として、
形のいい石の多くが持ち去られてしまったような感じです。
(In The Dead Cities [Jerada], 3 Mar. 2001)
おまけ

毛並みがよさそうでした。
(In The Dead Cities, 3 Mar. 2001)

ちゃんと並んで寝ていました。
(In The Dead Cities, 3 Mar. 2001)

円陣のような、ラグビーのスクラムのような感じで、円形になって食事をしていました。
(In The Dead Cities, 3 Mar. 2001)

気持ち悪いのに写真を撮ってしまいました。
乾燥しているので東南アジアなどと違って虫が少ないです。
(In The Dead Cities, 3 Mar. 2001)
ガイドブックには数行の説明しか載っていませんでしたが、デッド・シティーという名の響きに惹かれ、Ruweiha遺跡の後に訪れました。
2つの遺跡を長い距離を歩いて訪れてみて思ったのが、この周辺の土地は本当に石ばかりで、ここに人力で畑を造ろうと思うと気が遠くなりそうです。本当に厳しい土地です。
遺跡内で暮らしている人もいましたが、水を得るのも大変なはずです。デッド・シティーとなってしまったのもなんとなくわかるような気がしました。
デッド・シティー遺跡群(Jerada)
Ruins of Jerada(The Dead Cities), 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)