ドゥラ・エウロポス遺跡
Dura-Europos, 2001デリゾールの南東90キロ、ユーフラテス川の崖の上にドゥラ・エウロポス遺跡があります。
ドゥラ・エウロポスはアレキサンダー大王の武将セレウコスが興こしたセレウコス朝によって紀元前3世紀に築かれた町で、後にパルティアに征服され、軍事要塞および交易都市として発展しました。
116年にトラヤヌス帝の遠征でローマ帝国に編入され、ローマの植民都市となります。その後、3世紀半にササン朝ペルシアのシャープール1世に征服され、町は廃墟となりました。
現在では広い遺跡の割にはあまり多くのものが残っていませんが、ユーフラテス川沿いの高い崖上に城壁が残る様子からは「エウロポスの砦」と呼ばれているのも納得です。
ユダヤ教のシナゴーグで発見された旧約聖書の場面を描いたフレスコ画は、最古のキリスト教美術として知られています。
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* シリア情景素写 *

幹線道路から歩くと見えてきます。
遺跡の入り口になります。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

長い年月をかけて砂を被り、城壁が砂に埋まっていました。
かつては立派な城壁が続き、圧倒されるような光景だったのでしょう。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

砂漠の中に朽ちた城壁があるといった風景です。
長い年月をかけて風化した佇まいが美しく感じました。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

だだっ広く、所々に何かがあるといった感じの遺跡です。
地平線まで見え、雄大な眺めの中に悠久の歴史を感じます。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

この辺は建物が密集していたようです。
昔の建売住宅といった感じでしょうか。
それともスーク(商店街)だったのでしょうか。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

不思議な建物です。
集会とかに使われたのでしょうか。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

北側は川側の入り口に繋がっています。
この辺は城壁が埋まって丘と一体化しています。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

丘の端にあります。
まともに残っている数少ない遺構です。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

川沿いには城壁のような堅牢な建物が残っています。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

斜めから見ると厚さのある建物です。
どうやら川の浸食で、川側の部分が崩れてしまったようです。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

現在の状況では、通用門と番所といった感じでしょうか。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

好きな風景なので、ちょっと角度を変えて。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

崩壊してしまっています。
風化なのか、それとも攻城兵器で壊されたのでしょうか。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

岩を削って造った城壁が風化してミルフィーユ状態です。
バームクーヘンみたいでおいしそう・・・。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

岩盤を削り、その上に城壁が造られています。
が、今にも崩壊しそうです。
それにしても眺めがいいです。
そして雄大です。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

見事なほど川の浸食が進んでいます。
そのうち大きく崩れそうです。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)

悠久の歴史を感じます。
千年後にはどういった風景になっているでしょうか。
(Dura-Europos, 16 May. 2001)
遺跡が好きなので遺跡の見学も楽しみにしていましたが、それ以上にユーフラテスの眺めが楽しみで訪れました。
この遺跡の素晴らしいところは、4大文明発祥のユーフラテス川の流れを上から眺められることです。しかも眺めている場所が古代の都市遺跡。悠久のロマンを感じるには最高の場所です。
ドゥラ・エウロポス遺跡
Dura-Europos, 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)