サラディン城
Qal'at Salah El-Din, 2001ラタキア市から北東へ25km、深い山の中にサラディン城があります。
ラタキアとアンティオキアの間のルートを守っていた城は、2つの深い峡谷の間にある約700メートルの尾根に建てられていて、周囲は森に囲まれています。
紀元前の古代フェニキア時代からこの地には城砦があったようですが、12世紀に十字軍の手に落ちたときに今のような大きな城に改修されました。そして1188年にアイユーブ朝のサラディン(サラーフッディーン)の軍勢がこの強固な城壁を破り、この地を征服しました。その勝利にちなんでソーヌ城からサラディン城(Qal'at Salah El-Din)と名が改められました。
現在の城内は廃墟と化していますが、丘にそびえるような城壁と崖を削って造った豪の素晴らしさは健在で、まるでシリアの岡城です。
ビザンチン帝国、フランク王国、アイユーブ朝時代の諸様式が混在している点、中世要塞建築の顕著な例などから2006年にクラック・デ・シュヴァリエとともに世界遺産に指定されました。
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* シリア情景素写 *

丘の上、そして山の中に城があります。
クラック・デ・シュヴァリエやマルガット城とは少し趣が違います。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

丘にある城の様子です。
空のシミはネガについてしまったシミです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

Qal'at Salah El-Din
一番有名な部分です。
垂直に切り立っています。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

凄まじい切り通しです。
防御力を高めるために造られました。
上部には跳ね橋が架けられていました。
城に入る前にハイライト部分を見ることになります。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

内部入って切り通しを上から見た様子です。
普通に高くて、足がすくみます。
掛けられていた橋が簡素なものだと渡るのに度胸が入りそうです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

この辺はしっかりと補修されているので絵になります。
これぞシリアの岡城といった風景です。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

同じ場所から横で。周りは森だらけです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

森の中の塔といった感じです。
美女が捕らわれていても助けに行けないです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

アンコールワットとか、マヤ遺跡と言っても通じそうです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

上部の状態はあまり良くありません。
自然と同化しつつあるといった感じです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

この付近は比較的よく修復してあります。
若干マチュピチュのような雰囲気も感じられます。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

日干し煉瓦で造られたものは年月を重ねているだけあってボロボロです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

何かの建物のようですが、かろうじて残っている感じです。
徐々に自然と一体化が始まっています。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

この辺りは修復がよく行われています。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

ここは瓦礫で埋まっていました。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

何の建物かわかりませんが、水が溜まっていました。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

どうしてこうなったのか、柱がずれていました。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

給水、あるいは排水溝なのでしょう。
真ん中に何かの装置が取り付けられていたような感じです。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

城壁が長く続いています。
向こうの崖の穴の部分が気になります。
気になるけど行ったら帰ってこれなさそうなので断念。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

結構奥の方まで遺跡が続いていますが、
道なき道を進む気力がありませんでした。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)

切り通しの反対側は石がゴロゴロしている草原になっていました。
(Qal'at Salah El-Din , 29 Mar. 2001)
クラック・デ・シュヴァリエはラピュタのモデルで、サラディン城は中東のマチュピチュ。中東を旅しているときに実際に訪れた旅人が訪れたことに自慢を込めて言うセリフですが、サラディン城は想像以上に人里離れた山の上にあり、周囲は森に囲まれ、マチュピチュの例えもまんざらではありませんでした。
ただマチュピチュと同じで遺跡自体よりも環境によって素晴らしく感じる遺跡となり、城内部に関してはあまりいい状態ではありませんでした。
サラディン城
Qal'at Salah El-Din, 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)