ラタキアの町で
Cityscape of Latakia, 2001ラタキアはシリアの地中海岸沿岸にある最大都市で、港湾都市としてもシリアで一番です。近郊の海岸にビーチも多く、ビーチリゾート地としての地位もシリアで一番です。スカーフをしていない女の人の姿も多く目にし、他の都市に比べて少し明るい雰囲気を感じました。
ラタキアには紀元前2千年紀のフェニキアの時代から町があり、紀元前4世紀のセレウコス朝の時代に港湾都市として大きく町が整備されました。
その後は、ローマ、東ローマ帝国、アラブ人やファティマ人、セルジューク朝と目まぐるしく支配者が変わります。そして1097年に派遣された第1回十字軍によってアンティオキア公国の一部となり、その後はアイユーブ朝のサラディン、マムルーク朝、オスマン帝国と再び目まぐるしく支配者が変わっていきます。
第一次世界大戦後はフランスに割り当てられ、アラウィ人の自治領となり、1930年から1936年までフランスが統治する名目上の独立国・ラタキア国の首都となっていました。1944年にはシリアに再統合され、現在に至ります。とんでもなく波乱に満ちた歴史を持つ町です。
支配者が変われば町が壊されるのが世の常。歴史が多すぎる分、町には歴史的な遺跡はほとんど残っていません。またアサド大統領の出身地であるというのも町の歴史に付け加えるべきでしょうか。
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* シリア情景素写 *

町の中に柱が立っていました。
ローマ時代のバッカス神殿の遺跡です。
この他には同じくローマ時代の凱旋門が市内にあります。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)

旧市街になるのでしょうか。
この付近には古そうな建物が並んでいました。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)

市場内では野菜が沢山売られていました。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)

時間帯のせいでしょうか。男の人ばっか・・・。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)

やっぱりラタキアでは魚です。
内陸とは違って新鮮な魚を売っている店が多いです。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)

市場の外の方が活気がある感じでした。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)

アラビア語ばかりなので目的のバスを探すのが大変です。
でもシリアでは困っていると、すぐ誰かが助けてくれます。
(In Latakia, 30 Mar. 2001)

シリアでは北部の方が町に看板が多い気がします。
(In Latakia, 28 Mar. 2001)

大きなクレーンがあり、大型船が停泊していました。
ラタキアにはシリアで一番の港があります。
(In Latakia, 28 Mar. 2001)

像を見ると全てアサド大統領に見えてしまいます。
(In Latakia, 28 Mar. 2001)

水タバコ屋さんです。
ラタキアタバコの名があるように、
ラタキアではタバコが盛んで、町中でもよくたばこ屋を見かけます。
(In Latakia, 28 Mar. 2001)

夜も雰囲気があって良かったです。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)

アサド大統領はラタキアが出身地です。
巨大な像が建てられていました。
内戦後はピカピカになっているのか、
それとも倒されてしまうのか・・・。
(In Latakia, 29 Mar. 2001)
複雑な歴史を持っているためか、町中には遺跡みたいなものは少なく、シリアの中でもラタキアだけ少し違った雰囲気を感じました。海岸の雰囲気などはベイルートと被る部分が多かったです。
ラタキアの町で
Cityscape of Latakia, 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)