アパメア遺跡(アファミア)
Apamea roman ruins (Afamya), 2001ハマの北西部55キロにある都市遺跡で、城砦跡のマディエックと、列柱通りを中心とした遺構とに分かれています。
アパメアは紀元前3世紀、アレキサンダー大王の部下だったセレウコス1世により建設されました。戦略拠点として、また交易路として重要な役割を果たし、セレウコス朝の四大都市(テトラポリス)の一つに数えられるほどの大都市になっていきました。
紀元前1世紀には、古代ローマ帝国に併合され、その後も都市は発展し続け、ローマ時代の初めには10万人もの人が暮らしていたとされています。
ローマ時代には大きな円形劇場、神殿、大聖堂などがこの地に建造されました。マルクス‐アウレリウス帝時代にはアパミアの特徴である全長1850メートルにおよぶ列柱通り(グレートコロネード)が建設されました。北門から始まって南門まで途切れることなく柱が並び、ローマ世界で最も長い列柱通りとなるようです。
列柱は南北のメイン通りの両側に配置されました。柱の高さは9m、直径は90㎝で、通り沿いにはローマ風呂、アゴラ、タイチェ神殿、ニンファウム、円形の建物ロタンダ、アトリウム教会、バシリカなどといった重要な建物がありました。
7世紀になると、サーサーン朝ペルシャによって征服されます。町は破壊されましたが、部分的に修復され、アラビア語でファミアと呼ばれるようになります。現在でも「アパメア」「アファミア」と二つの呼び方がされています。
1152年の地震で町は壊滅的な状態となります。町は再建されませんでしたが、十字軍の拠点としては重要な場所で、マディク城砦をアンティオキア公国のタンクレードが占領していました。
その後は放置され、現在のアパミアは完全な廃墟となっています。広大な草原にかつての列柱が並んでいるだけの遺跡ですが、柱だけが草原にずらっと並んでいる様子は現実離れした浮世の光景となり、人気の遺跡となっています。
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* シリア情景素写 *
* 感想など *だだっ広い中に柱だけがずらっと並ぶ光景には驚きました。とても感動的で、世界的にも凄く変わった景観をもつ遺跡だと言えます。
このだだっ広い中に、かつてはこの柱が並ぶ通りを中心に建物が一面に並び、町が形成されていたと思うと身震いします。歩きながら凄まじい足の疲れと、よくぞこの状態で残してくれたという感動を感じました。
残念ながら内戦が起きてから盗掘が横行しているようです。グーグルマップで確認すると、列柱は無事のような感じですが、辺り一面が穴だらけになっていました。どうやら金属探知機や重機を使って大がかりに盗掘しているようです。
これだけ広い場所に大きな町があり、しかも地震で町が倒壊したのだから色んなものが埋まっていておかしくないですね。早く秩序のある社会に戻ってほしいものです。
アパメア遺跡(アファミア)
Apamea roman ruins (Afamya), 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)