クネイトラ
Quneitra, 2001クネイトラはダマスカスの南西にあるゴラン高原の谷間に位置するクネイトラ県の県都です。
ゴラン高原といえば・・・・、中東戦争をすぐに思い浮かべるのはおじさん世代でしょうが、1967年の第三次中東戦争と1973年第四次中東戦争でシリアとイスラエルによって攻防が行われました。
クネイトラは戦闘の末にイスラエルに占領されましたが、1974年にイスラエル軍が撤退したことでシリアに戻りました。ただ町は激しく破壊されました。
その後ゴラン高原には中立地帯として国連平和維持活動(PKO)が行われ、日本の自衛隊も派遣されました。
クネイトラの町はプロパガンダとして利用するために町を再建をせずに破壊されたまま保存し、許可制ではありますが、観光客も訪れることができました。
見学は兵士の付き添いで行われます。少し前に訪れた女性の旅行者の話では国境が見渡せる場所まで案内してもらったと聞きましたが、私の時は規定通り。その辺のさじ加減はシリアらしいというべきでしょうか。
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* シリア情景素写 *
* 感想など *中東戦争やゴラン高原の名は子どもの頃のニュースで知っていました。中東というのはなんと物騒なところだと。そういった過去の痕跡を見ておこうかなと訪れました。不謹慎ながら許可制で普通は訪れられない場所というのも好奇心をくすぐりました。
でも実際に訪れてみると、楽しい場所ではありませんでした。ここで人が死んだんだろうかとか、どういう思いで戦っていたんだろうとか、様々な思考が頭の中に入ってきて、気分が悪くなります。
実はここを訪れる前、パルミラ遺跡を訪れた時にPKOで派遣されている自衛隊の人たちに出会いました。視察と休暇を兼ねて遺跡を訪れたとのこと。私がただの観光客だと聞いて、非常に驚いていました。彼らにすれば命を懸けてシリアに来ているわけで、のんきに旅をしている日本人がシリアに来ているとは思っていなかったようです。
その時はなんて大袈裟な人達だろう。自衛隊大丈夫か。などと思ってしまったのですが、こういった風景の中で、少なからず命の危険も覚悟して働いていたらそう思うのも当たり前なんだろうなと、実際に訪れた後は考え直しました。
クネイトラ
Quneitra, 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)