ボスラ遺跡
The Ruins of Bosra, 2001ダマスカスの南、ヨルダンとの国境付近にボスラの町があります。ボスラの町の起源は定かではありませんが、紀元前14世紀に古代エジプト文明18王朝のファラオ、トトメス3世とアケナテンの文書に書かれていることから、古くからこの地に存在していたのは確かなようです。
紀元前2世紀にはヨルダンのペトラを中心に栄えたナバテア王国の都市となり、交易で繁栄していきます。紀元後の106年には、ローマ帝国によってナバテア王国が滅ぼされ、ボスラもローマの支配下になります。
ローマ支配下では、都市名はノヴァ・トラヤナ・ボストラに変更され、アラビア州の州都となります。ボスラはダマスカスから紅海へ向かうローマ街道、メッカへ向かう古代キャラバンルートなどの交易路が交差し、8万人が暮らす大都会として繁栄しました。
7世紀になるとアラブ勢力が町を支配します。その後十字軍の時代になると劇場が要塞として改造されますが、このころには交易ルートから外れ、町は衰退していました。
その後は集落のなかでひっそりと遺跡が住民とともにありましたが、ナバテアとローマのモニュメント、キリスト教の教会、モスク、マドラサなど、様々な時代の遺跡が残ることから1980年に世界遺産に指定されました。
ボスラで一番目を引くのが巨大なローマ円形劇場を改造した城砦ですが、それ以外にもローマ風呂跡、教会跡など様々な遺跡が周囲一帯にあります。また遺跡は黒い玄武岩で作られているので、他の遺跡にと比べて黒い建物が多かったり、遺跡の中に遺跡を再利用した民家があるのもここの特徴です。
広告
* シリア情景素写 *

Nabatean Arch
紀元前2世紀のナバテア王国時代のもの。
反対側には彫刻が施されているので、
向こう側から見るほうが見栄えがいいです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

ボスラの中でも大きな建物の一つです。
初期の教会建築の観点からも重要な遺構です。
バヒラは修道士で、
イスラム教を広めたムハンマドが訪れた際に、
預言者となることを告げたことで知られています。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

外観は比較的よい状態ですが、ドームの部分がないのが残念です。

かつてはドームで覆われていたのでしょう。
少しだけドームの痕跡が残っていました。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

バヒラ修道院のすぐそばにあります。
しっかりした感じの建物です。
元は教会だったのでしょうか。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

ファーティマ・モスクの壁にありました。
受胎告知を描いているようです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

左側の白い屋根が特徴の大きなモスクです。
オリジナルは7世紀に建てられました。
ダマスカスのウマイヤドモスクとともに世界最古のモスクの一つと言われています。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

オマールのモスクは
1950年に修復されたので、
周囲の遺構に比べて形が整っています。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

モスクの手前が市場跡です。
大きな市場があった事がうかがえます。
ただ市場ではなく、浴場だったという説もあります。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

上部が取れていますが、白い柱はここでは珍しいです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

洗い場が人型になっているとちょっと不気味に感じます。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

ここは修復がなされています。
比較的新しい時代まで使用されていたのでしょうか。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

屋根を付ければ今でも使えそうな感じです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

面白い形だなと目に止まったので。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

手前のコリント式の4本の真っ黒い大きな柱がニンファエウム(神殿)跡の柱です。
大きく、柱頭部分の装飾も素晴らしいです。
奥の屋根がついていて片方の柱が円柱で、もう片方が壁なのが、
カリベ(Kalybe)と呼ばれる門です。
2世紀頃にボスラ王が娘を死なせないように願いをかけて建設したとか言われています。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

東西を横切る道から見た様子です。
奥がナバテア門になります。
交差点には噴水が設置されていたそうです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

かつては主要な建物が並ぶメイン通りの一つだったのでしょう。
黒い列柱が並んでいた様子は壮観だったと思われます。
柱のパーツが沢山転がっていますが、家屋等に再利用されているので、
ちゃんと復元できるほどパーツが多くありません。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

卵形のドームが目立っていました。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

何教の墓地になるのでしょうか。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

重厚な感じの遺構で、大きめの石が使われいます。
どの遺構だったのか忘れました。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

劇場前のローマ遺跡です。
よくボスラ遺跡の写真に登場する図です。
手前が浴場と関連施設で、奥の柱がニンファエウムとカリベです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

左は浴場です。
真ん中の柱が並ぶ場所は浴場の中庭でした。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

浴場です。
二つのアーチが美しいです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

ローマ風呂の遺構です。
こまごまとした土台が沢山残っています。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

遺跡を改造した住居も混じっていて変な遺跡の図です。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

排水システムでしょうか。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

ボスラ城砦(円形劇場)が少し高い場所に立地しているのがわかります。
ここから見ると、民家がないほうがいいような感じです。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)

ボスラの生活を支えていた貯水池。
現在では使用されていなく、中途半端に汚い水が溜まっていました。
(In Bosra, 3 Apr. 2001)
ローマ円形劇場の素晴らしさは写真で知り、出会う旅行者からよく聞いていていましたが、遺跡の方は人が暮らしていて遺跡らしくないとか、雰囲気が台無しとか、民家に改造するとはけしからんとか、あまりいい評判を聞くことがありませんでした。
でも実際に訪れてみると、遺跡が多く残っている様子やナバテア、ローマ等の様々な年代の遺跡があること、玄武岩の黒っぽい遺跡が並ぶ様子に感動しました。さすがに全盛期に8万人暮らしていた時の面影はありませんでしたが、十分満足できる状態でした。
シリアではよくあることですが、ここでも遺跡内に遺跡を利用した民家が多くありました。知らない人が見たら驚く光景で、専門家が見たら悲鳴を上げる光景となるでしょうか。現在は移住が推奨されているので、そういった光景は残っていないかもしれませんが、人の生活と遺跡が調和している様子も面白く感じました。
ボスラ遺跡
The Ruins of Bosra, 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)