宇都宮餃子ツーリング
#2 足利の観光
<2008年2月>
2月の寒い中、後輩とバイクに乗って宇都宮まで餃子を食べに行ってきた旅行記です。(全5話)
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2、足利の観光
当日は道の駅で後輩と集合し、足利市へ向かった。足利市といえば鎌倉幕府を滅ぼした後に上洛し、京都に室町幕府を開いた足利氏のふるさとです。
足利氏といえば、戦乱を収め室町幕府を開いた足利尊氏、京都の金閣寺や一休さんで知られる三代将軍の足利義満、同じく銀閣寺で知られる八代将軍の足利義政が有名だ。
京都で幕府を開いたので、京都の方に色々と栄華を感じるものが残っているけど、足利市にも足利一族にまつわる歴史的な物がいくつか残っている。
足利に到着すると、早速その足利氏のゆかりの地の一つ、鑁阿寺に向かった。鑁阿寺は少々変わった雰囲気を持つ寺で、なんと寺域はほぼ正方形。その周囲を土塁と堀がめぐらされている。
これはこの場所が鎌倉時代に築かれた足利氏の居館跡であった名残りで、水掘や土塁は当時の武家屋敷の面影をよく残しているとかなんとか。
要は足利氏の本拠地の城として利用されていた場所だったようで、お寺でありながら日本名城100選にも指定されている。
境内にある本堂や多宝塔などといった建物も古く、寺域全体が国指定史跡に指定されている。由緒があることはもちろん、建築に文化、そして歴史的価値を兼ね備えた凄いお寺だ。
境内を散策してみると、本堂などの建物も素敵だったが、楼門の前の堀にかけられている屋根付きの太鼓橋に一番趣きを感じた。この太鼓橋と楼門が組み合わさった景観がこの寺での一番の見所ではないだろうか。私的にはそう思ってしまった。
鑁阿寺の後に向かったのが、山門から参道を歩いた少し先にある足利学校だ。
足利にある学校なので足利学校・・・。って、名前からすると普通の学校っぽいのだが、ここはなんと日本で最も古い学校と言われている。
ここは入場料が必要だったが、重要文化財とか、国宝とか、日本で一番って宣伝文句に弱いので、まあしょうがないと払って中に入った。
中に入ってみると、さすがに古すぎて、今ではすっかりきれいになっていた・・・。といった表現がふさわしいように建物が新しかった。ちょうど大がかりに修復されたばかりのようだ。
この足利学校の創設は、奈良時代の国学の遺制説。平安時代の小野篁説。鎌倉時代の足利義兼説などがあり、日本一古いと言いながらもその起源がはっきりとわかっていない。
歴史的にはっきりしているのは室町時代になってからで、関東管領上杉憲実が現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主(校長)とし、学校の再興を行っている。
戦国時代になるとイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されている。
ザビエルが日本一と紹介しているのなら、やっぱりとんでもなく凄い学校だったのだろう。解説版にあったこの説明文を読んでから、なんだかすごい場所に来ているんだと実感がわいてきた。
全体的には修復された建物が新し過ぎるのに違和感を感じてしまったが、孔子廟などといった古い建物は今でも凛とした雰囲気が残り、古くからの書などの展示もよく、来てよかったと思える場所だった。
足利学校を出て、周囲を巡らされている堀の外側を歩いていると、この学校のあるエリアが映画のセットのような雰囲気となっていて驚いた。
茅葺屋根の建物が多いし、周囲に高い建物がないので、この中だけまるで戦国時代の様。鎧武者が立っていても全く違和感を感じないだろう。実は外から見たほうが感動するってやつなのか、これ。
ちなみにこの外側には観光客用の大駐車場があって、そこには大河ドラマで太平記をやっていたときの資料館みたいなものが併設されていた。
今では閑散としているけど、きっと放映していた年などには多くの観光バスが停まり、さぞかし賑わっていたんだろうな。ドカッときて、あっという間に閑散とする。大河ドラマの観光ブームというのは怖い。いや、日本人の性格的なものか・・・。
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