御前崎、初日の出ツーリング
#4 悶絶!久能山東照宮
<2006年1月>
友人から初日の出を見に行こうと誘いがあり、御前崎へ人生初の初日の出ツーリングに出かけました。(全5ページ)
広告
4、悶絶!久能山東照宮
食後は再び海岸沿いの150号に戻って、東進。この辺りは農業用のビニールハウスが多い。右手には駿河湾、左手にはビニールハウスがずらっと並ぶ風景が続き、走っていると不思議な感じがする。
この付近一帯ではイチゴの栽培が盛んで、このビニールハウスでは主にイチゴが栽培されている。走っている150号も、別称で「いちごライン(現・いちご海岸通り)」なんて可愛らしい名前が付けられている。
今はちょうど旬であり、また稼ぎ時のようで、イチゴ販売の露店やイチゴ狩りの呼び込みをする人が道沿いにずらっと並んでいた。
そのイチゴビニールハウス地帯の真ん中、地名で言えば日本平に久能山東照宮がある。前々から行ってみたいと思っていたのと、今回のルート的にちょうどいい場所にあるという事で今年の初詣に選んだ。
東照宮という名前が付いている事から、ここは徳川家康が神様として祀られている神社ということになる。
東照宮といえば日光東照宮がまず頭に浮かぶが、実はこの久能山東照宮の方が先に造られ、日光東照宮のお手本になっている。さりげなく由緒のある神社なのだ。
ということで、初詣の御利益も一杯あるかな~と、そっち方面にも期待していた。
久能山東照宮の場所はすぐに分かった。その付近だけ渋滞していたからだ。
無事に東照宮を見つけられたものの、ヘルメットの中の顔は少々引きつり気味。渋滞していたのに驚いたのではなく、そこそこ高い山の上に神社が見えたからだ。
日本平の丘の上にあるというのは知っていた。知っていたけど、まさかあんなに高い丘の上にあるとは思っていなかった。日本平って・・・全然「平ら」ではないではないか。まんまと地名に騙された。そういった心境だった。
車は駐車場待ちの列ができていたが、バイクなので邪魔にならない隅っこに停めて、東照宮へ向かった。
実際に参道の下までまで行ってみると、斜面にそって長い階段が九十九折りに設置されている。そして、その階段をぞろぞろと人が列をなして登っているのが見える。 これを登るのは結構重労働だぞ・・・。
かなりの高さを登らないと参拝できないという想定外の展開となってしまった。いや、私がしてしまった。「あれを登るの?」と仲間からの不満の声が爆発。というほどでもなかったが、ちょっとげんなりとした顔をしている。
でも無駄に登るわけではない。日光東照宮の前身にあたる東照宮が上にあるのだ。登れば、「ご利益が一杯あるぞ。」「由緒もあるぞ。」ということで、ここは納得してもらうしかない。
突然の山登りに張り切る人、意気消沈する人、それぞれ思いを胸に長い階段を登り始めた。
正月はゴロゴロしがちだから、ここでカロリーを使っておけば家に帰って気兼ねなくゴロゴロできるというもの。プラス思考で考えれば気持ち的には楽になれるが、やはりきついものはきつい。
最初のうちはおしゃべりをしながら登っていたのが、徐々にみんなの口数が少なくなっていった。息も上がれば汗も出てくる。冬の冷たい風から身を守るために分厚く着込んでいたものを少しずつ脱ぎ始めた。
このしんどさはまるで登山をしているような感じだ。それなのに我々の足元はバイク用のブーツ。さすがにこれでは登りにくい。
最初からこうなるとわかっていれば、そういった靴を準備することができたが、急に登ることになってはどうにもならない。その点では私も反省しなければならない。ちゃんと調べておけばよかった。
とまあバイク用のブーツ、バイク用の分厚い防寒着で階段に挑んでいる我々は、少し場違いな存在だったのは確かで、時々下ってくる人が「えっ」といった感じで振り向いていた。
黙々と東照宮を目指して登り続けた。下から見て高いと思っていたが、それにしても長い階段だ。残り何段とか書いてあればまだしも、延々と続くから堪らない。
階段の一段一段が低く造られているのがせめてもの救いだ。足を思いっきり上げなくてもいいので、なんとか惰性で登っていける。
いつ終わるんだ・・・と思いながら黙々と登り続けると、いつの間にかそれなりの高さまで登っていたようで、駿河湾の方を見ると遠くの水平線まで見渡せた。下を走る車も小さく見える。でも上を見上るとまだ階段が続いている。いや本当にしんどいな。これ。
息が乱れ、足も痛くなってきた。そろそろ限界が近いかも・・・と思っているところで、門らしい場所に辿り着いた。ここは一の門との事。この門の設置の仕方はまるで城みたい。
設置されていた解説版を読むと、この地は東照宮ができる以前は久能城として使われていたようだ。
なんでも永禄11年(1568年)に武田信玄がこの地を攻め落とした際に、ここ久能山が戦略的に要害であることに気がつき、元々あった久能寺を近くに移し、山上に城砦を築いて久能城としたとのこと。色々と歴史が詰まっている場所のようだ。
この一の門付近からは眺めがよく、駿河湾や周囲を見渡すことができた。ただ眺めはいいのだが、眼下はビニールハウスばかり。これはみんなイチゴの栽培用なのだろうか。
ビニールハウスが眼下に広がる風景って・・・、不自然に白く、ちょっと微妙かもって思ってしまった。
門を通過すると開けた感じとなり、階段も今までよりもきちんと整っていた。もうゴールは近いぞ。
少しほっとした感じで登ると、その先にロープウェイとの合流地点があり、お土産物屋やチケット売り場があった。やれやれようやく到着だ。
ここで一緒に登っていた友人が、「ロープウェイがあるけど、これに乗ればこの階段を登らなくて済んだんじゃない?」と、素朴な質問をしてきた。
そういえばロープウェイがあるな。どうなってんだこれ。抗議のまなざしといった感じで、目が真剣になっている友人と設置されている大きな案内地図を見てみると、このロープウェイは北の日本平からつながっていた。
地図を見る限りではわざわざ北に回っていくのも大変だし、運賃もそこそこする。多くの人が階段を登っていたことからも、階段で登ってくるのが正解なんじゃないのかな。みんなそうしているのだから・・・と日本的に友人をなだめた。
ここからはチケットを購入しないと入れないので、少し遅れているメンバーが到着するのを待った。
そして全員そろうとチケットを購入しに窓口へ。500円か・・・。まあしょうがない。ここまで登ってきて中を見ずに戻っては単なる筋トレになってしまう。
それに500円も払えば御利益もたくさんあるだろう。ってこれは拝観券か。元旦ぐらい無料にしてくれればいいのに・・・などと思いつつ人数分購入した。
境内へ入ると、まずは階段の上に赤く立派な楼門がそびえていた。「東照大権現」の扁額が誇らしげに掲げられているのがよく目立つ。なんでも後水尾天皇がお書きになったものだとか。って、・・・。初めて名前を聞いた気がする。
この門をくぐると、鼓楼、神楽殿、神厩、神庫などといった建物が並ぶエリアとなっていた。中でも目を引いたのが神楽殿。室内に色とりどりのつるし雛が飾られていて、ここだけとても色鮮やかだった。でも、ひな祭りにはちょっと早すぎるのでは。
神楽殿などがあるエリアより一段上が本殿などがあるエリアで、唐門を通って入るようになっている。唐門というと、唐風、いわゆる中国風の門ということで、中華街にあるような門をイメージしてしまうが、門の屋根が蒲鉾型に丸っこくなっている門のことだ。
この唐門をくぐると、すぐ目の前に拝殿があり、目が痛くなるほどカラフルな建築が目の前にデンとあった。
この東照宮について少し書くと、家康公の没後、二代将軍秀忠がここ久能山に徳川家康公を祀る神社を造営することを命じたことに始まる。
建築にあったのは大工棟梁の中井正清で、当時最高の建築技術・芸術を結集して建てられた。しかも1年7ヶ月という短期間で仕上げたそうだ。
拝殿の後ろに本殿があり、その二つの建物は石の間でつながれている。こういう様式を「権現造」といい、神社建築における権現造の様式はこの久能山東照宮によって確立された。
そして日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は、この建物を手本に造られたという神社建築のお手本といった側面もあるようだ。
実際に東照宮の建物を目の当たりにすると、建築に関しての素人が見ても素晴らしい建築物だと直感で分かる。きらびやかで圧巻というがふさわしい。
細かい造りが一つ一つしっかりとしていて、建物全体としての均整もとれている。装飾も細かいところまでしっかりと施され、極彩色の色づけも金色の装飾も見事だ。
繊細さと重厚さを兼ね備え、単に見た目を派手に造ったとか、無駄に豪華に造った建物ではないことが、じっくり見れば見るほど実感できる。
せっかく来たので参拝しておこう。参拝者の列の一番後ろについて順番を待った。よく考えると神様が徳川家康なんだよな・・・。交通安全のお願いをしても効果があるのだろうか。車とかバイクなんて知らないだろうし・・・。
待っている間にふと冷静に考えてしまい、なんてお願いをしていいのやら分からなくなってしまった。
そうだ。徳川の財宝のありかを教えてくれるように頼んでみるか。夢に出てきて教えてくれるかも・・・。って何の所縁もない人にそういうことを教えるはずがない。適わないことを願ってもしょうがない。
では何にしよう。考えていると順番がきてしまった。早くしなければ・・・、 そうだ。やっぱりここはこれしかない。
とっさに「俺も天下を取りたい。旅人の世界で天下をとるぞ」とお願いしてみた。どんな効果があるのだろうか。他の神社なら罰が当たりそうだけど、ここだったら叶いそうな気が・・・。って、やっぱりお願いしてこういうものは取れるものではないな。自分が頑張らなければな。
せっかく来たからお守りでも買っていこうかな。交通安全の。などと社務所の方へ行くと、ここにビックリするものが置いてあった。
なんと「山下より1159段」の立て札。下から1159段もあったのか・・・、しんどいはずだ。やっぱりちょっとした登山だったんだな。よく頑張った。勇敢なバイク乗りたちよ。
本殿の裏手からは徳川家康の遺骸が埋葬されているという神廟への参道が続いていた。少し歩かなければならないようだが、せっかくだから行ってみよう。
参道を歩くと、左右には家康に仕えた武将たちが奉納した石灯籠がずらっと並んでいて、ちょっと神秘的な雰囲気となっていた。日光も確かこんな雰囲気だったな。
石灯籠が並ぶ参道を歩くと、神廟に辿り着いた。墓域には入れないようになっていたが、中は覗きやすくなっていて、大きな石塔が設置されているのが見えた。これは三代将軍家光によって建てられたもので、高さ5.5m、周囲8mあるとか。
なんでも家康公の遺命に従い、西向きに建てられているとか。西に何か思い出の地があったのかな。それとも西方浄土という考え方なのかな。何にしてもあの江戸幕府を開いた徳川家康がここに眠っていると思うと感慨深いものがある。
見るべきものは見たし、お参りもしたし、戻りますか。他のメンバーと合流し、山を下り始めた。
登りであんなに苦労した千段の階段も、下りだとやっぱり楽ちん。とはならず、靴底にちゃんとした滑り止めがついていないバイク用のブーツを履いているメンバーは、下りでも苦戦気味。
石段のすり減った石がとても滑りやすく、油断していると、ツルっと滑る。登りで疲れているので、足の踏ん張りも弱く、なかなか気が抜けない。ここで足首をねんざでもしたらバイクの運転ができなくなってしまうので、ゆっくりと慎重に下っていった。
下に降りると、すぐ下にあったコンビニに入って小休止。それぞれ飲み物を購入し、一服を始めた。
「いや~大変だった」「もう勘弁」といった感じで話す口ぶりとは裏腹に、みんな千段の階段を登り切ったといった満足そうな笑顔をしていた。こういう機会でもないと他のメンバーはこのような場所を訪れないので、有意義な初詣となったようだ。
でも、「これだけ苦労してお参りすれば、お参りの効果も絶大かな。」「沢山汗をかいたから、きっと願いが叶うぞ。」と言っている。その気持ちは分かるけど、それは言い過ぎだ。ちょっと登ったぐらいでそう都合よく願いが叶ったりはしない。
まあこういったことは気分次第なので、実際にご利益があるのか、ないのかどうかはわからないが、少なくとも元旦早々いい運動になったことと、明日筋肉痛になっていることだけは確かなような気がした。
御前崎、初日の出ツーリング06'#4 悶絶!久能山東照宮 「#5 浮世絵の薩た峠」につづく Next Page