風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
旅人のエッセイ#3

旅人の通信簿

旅や旅人というのは評価されるものなのだろうか。何をすればいい評価を得られるのだろうか。ちょっと興味がわいてきて考えてみました。

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1、旅人の評価って?

長旅から帰国した後、ぜひ土産話が聞きたいという友人のおごりで飲みに出かけました。この友人は頑張って一流企業に転職した努力家であり、なかなかの野心家でもあります。友人のおごりというのもあって気分良く海外でこんな事があったぞ。こんな変わった文化もあったぞ。どこの国は美人が多く、誘惑が多すぎて困ったぜ。途中で睡眠薬強盗になんぞ遭ったときには参ったよ・・・などと話を盛りつつ自慢気に旅の話をしていきました。

一通り話し終わると、友人が「なんかおまえは普通の人がやらないような凄いことをやったようだけど、こういう旅の評価というか、旅人の評価は何処で判断するのだろう?旅をしている人はみんなお前みたいな旅をしているの?」と聞いてきました。あまり旅をしない友人にしてみれば、「旅や旅人の良し悪しをどこで判断するのだろう」、「どの部分が本当にすごい部分なんだろう」と疑問に感じたようです。

とはいえ、いきなりそう冷静に問われても返答に困ってしまいます。そんな考え方を今までした事がないし、旅人の評価表や通信簿なんて聞いた事がありません。旅というものは世間では金持ちの道楽であったり、娯楽、レジャーの一部といった認識だろうから評価のしようがないのかな。それともやはり何かしら評価すべき部分もあるのかな。今まで気にもした事がなかったのでこういう発想は新鮮であり、ちょっと興味がわいてきました。これはなんか面白いかも。普段旅をしない友人と酒のつまみに色々と考えてみました。

旅の情景スケッチ ラオスの田舎を旅するの写真 旅の情景スケッチ
ラオスの田舎を旅する

田舎を訪れる旅も面白いものです。

2、目に見える評価と見ない評価

何事でも他人に評価されようと思えば、それなりに目に見える結果を残さなければなりません。旅に関して世間一般に認められる結果を残すにはどうすればいいのでしょう。まず真っ先に頭に浮かんだのが、行ける国に全て行く事です。

昔、全国の全ての路線を制覇するチャレンジ2万キロといった鉄道ファンのキャンペーンをやっていたのをふと思い出しました。全国に鉄道好きの人は多いはずです。でもやってのけた人は少なかったのではないでしょうか。

鉄道マニアやオタクな人から見れば、そんなのはバカバカしいよ。乗るのよりも見るほうが好きだと言うかもしれませんが、第三者から見れば鉄道に関してはあいつは凄いと5段階評価の5をあげたくなるものです。旅の世界でも同じ事で、パスポートに行ける国、少なくとも100ヶ国以上のスタンプが押してあれば、5段階評価の5の評価をあげられるのではないでしょうか。これは友人もすぐに同意しました。

行った国の数だけ判断するのは、偏差値で人を判断するようなものです。たまたまトランジットで寄った国や1日だけしかいなかった国までカウントされては不公平かもしれません。中には、ニューヨークへ100回も行っているけど、1ヶ国の評価しかされないのという異議申立てもありそうです。このようなある特定の国や地域、街の事なら誰にも負けないと言えるほど極めた人の評価はどうなるのでしょう。

こういった旅行スタイルは世間で例えるなら職人技というべきでしょうか。旅をした事のない友人の評価は多くの国を訪れたよりも少し低い4と評価が高かったのですが、私としてはちょっと微妙なところ。最初は友人が言うように高評価の4ぐらいを付けてもいいかなと思ったのですが、よくよく考えると暮らしてしまえば旅人ではなくなるし、旅人の基本はやはり色々な場所を歩き回る事です。

このへんの旅の哲学が旅をした事のない友人にはわかり辛い部分のようですが、海外に出る事が旅というわけではなく、旅をしてこそ旅でなのであって、旅は留学や海外赴任とは違う種類のもの。だからこういったケースは旅として考えるなら少し評価を下げて5段階評価で3とか・・・、いや更に下げて2ぐらいでしょうか。やっぱり新しいものを見たいとか、冒険心というのが旅心であり、行きつけの場所をつくるような安定思考は日常の延長でしかなく、本来旅の対を成すものと考えるべきですね。ちょっと友人と意見が分かれました。

旅の情景スケッチ 自転車での国境越えの写真 旅の情景スケッチ
自転車での国境越え

シンガポールからマレーシアへは自転車で国境を越えました。

3、旅の質と内容

当然の事ながらやったことで判断してくれという声も聞こえてきそうです。例えばユーラシア大陸を歩いて横断したとか、自転車やバイクで世界一周をしたとか、目に見えて困難に立ち向かった旅人はどういう評価になるのでしょう。私としては何も考えるまでもなく、5段階評価の5だと思っていたのですが、今度は友人から「それって旅なの?」という物言いが・・・。ツアー旅行しか知らない人から見ればそれは旅を遙かに超越して宇宙旅行レベルとまではいかないまでもとんでもない冒険といった領域だったようです。

旅だと思うんだけど旅じゃないのかな。旅というより冒険と言われればそうかもしれない・・・。何て説明すべきなんだろう。お酒に酔っているのもあって説明するのが難しい。そうだ昔の旅で例えるのがいいかな。「江戸時代は東海道を歩いて旅していたことだし、移動手段が自分の足というだけで、これも同じ旅なんだよ。移動こそが旅なんだ。凄い旅だよね。うんうん。」

もっともらしく説明したものの、再び物言いが・・・。「今は江戸時代ではないし、歩いて旅するなんて普通じゃないよ」との事。要は歩いて世界を旅することは凄いと思うけど、その意味がわからないとの事。普段あまり旅をしない友人にとっては、ユーラシア大陸を歩いて横断するとか、世界を自転車で周るといった行為はまさに冒険であり、苦行を伴った修行のようでもあり、旅とはまるでかけ離れた事にしか思えなかったようです。

そう言われてみると、旅とは目的や意義が微妙に違っている気もするけど・・・。ちょっと考えてしまいましたが、やっぱり同じ旅だと確信しました。なぜなら本来旅とは到達する事よりも到達する過程を楽しむものだからです。このような移動手段にこだわった旅も立派な旅であり、いや、むしろ移動にこだわっているからこそ本来の旅の在り方であり、そのこだわった努力、常人離れした精神力に対して5の評価をつける事にしました。

2、3日の旅行をしたことはあっても、旅ということに真剣に取り組んだり、旅というものをレジャーとしか考えたことのない友人にとっては、旅というのはどこへ行ったとか、何を見聞きしたということの方が重要であって、移動の過程というのはあまり重要ではないようでした。サラリーマンとしてバリバリ働く人などにとってはこれが現実なのでしょう。仕事を幾つこなしたとか、いつまでに契約をとか、数字や成功ばかりを追い続けているの現在の世の中ではしょうがないことなのかもしれません。

その他では、私から見れば、世界の色々な国にペンフレンドを持っている旅人や、旅人の友人を沢山持っている人は凄いと思います。旅を終えた後に形として成果が残っているからです。こういった後に財産となるものを残せる旅をした人の評価も高いのではないでしょうか。その点は友人も一緒で、海外に人脈が出来れば・・・とあくまでも現実的な意見。

それ以外では、旅人はある意味エンターテイメント的要素を持っていると思うので、旅に出ていない人に各国を旅をして周った体験談を面白く話せる人も凄いと思います。こういった事は私自身が苦手としている部分なので、もの凄くうらやましく感じます。その他、世界中の遺跡を回っている人、料理や風習といった何かテーマを決めて実地調査をしながら旅している人、釣りや写真、登山などといった趣味をテーマに個性的な旅を行った人など、色々なこだわりを持って真剣に旅をしている人もその内容によってそれぞれ高い評価が与えられるのではないでしょうか。

それにしても・・・・、学生時代にはあまり価値観を感じずに仲良く話していた友人でしたが、ここ数年、一方は一流企業を目指して必死になって働き、また転職の勉強をし、一方は仕事を辞めて長期で海外を旅してと、それぞれ濃密な時間を過ごしたのは一緒ですが、過ごした時間と経験で考えた方や価値観に大きな差が生まれてしまったなと感じました。

どちらがいいのかは人それぞれなのでしょうが、自慢気に旅の話をしながらも随分と現実的に差を付けられてしまったな・・・と内心では思ってしまいました。

旅の情景スケッチ キナバル山の山頂の写真 旅の情景スケッチ
キナバル山の山頂

ボルネオ島にある山で、日本人にも人気があります。

4、旅の評価の難しさ

色々と旅の評価すべき点について考えてきましたが、やはり旅というのは漠然としていて、これといった決まった形もないので評価を付けるのが難しいです。それに旅の道中の事は本人しか知らないので、表面的に見える部分で、あいつは何ヶ国行ったから凄いとか、何年旅をしたから旅の猛者だとか、ユーラシア大陸やアフリカ大陸を横断したといった壮大なスケールの旅をしたから凄いとか、あいつはどこそこにしか行っていないから大した事ないとなってしまいがちです。

そう考えると、他人の旅の評価をつける自体間違っているように思えてきました。それぞれ設定したハードルの高さが違うわけですから。

という事で、私自身の旅について考えてみる事にしました。自分なりに自分の旅を振り返ってみると、それなりによくやっていると思っています。自画自賛してもしょうがないのですが、自分なりの信念を持って旅をしているし、何より旅に対して真面目に取り組んでいるはず。だから評価は5・・・いや、ちょっと控えめに4にしておこうかな。いや、無難なところで3ぐらいにしておくか・・・といったようないい加減な通信簿ではやっぱりまずいですね。

でもやっぱり自分で自分の評価を付けるのは難しいもので、いくら素晴らしい信念や理論を持っていても、それを正しく実践できていなければ何もなりませんし、いくら真面目に取り組んでいても見当はずれの事を行っていてはどうしようもありません。結局のところ単なる自己満足の世界から脱出するには、やはりホームページなどを読んでくれている人や友人などといった第三者の評価が重要という事になります。

このホームページをご覧になった方はどういった感想をお持ちになりましたか。例えどんなつまらない旅にしても 、後にホームページに載せれるような旅をしてきた事だけは、私が他人に対して胸を張れる部分だと思っています。それは自分なりに目標やこだわりを持って旅をし、自分なりに何か掴んみ、そして自信を付けて帰ってきた事の証ですから。このサイトを見て少しでも旅人としてうらやましいとか、憧れのような感情が生まれたのなら、それは私の旅に対するプラスの評価となるはずです。

旅の情景スケッチ ネパールの道の写真 旅の情景スケッチ
ネパールの道

都会から離れた土地では旅している実感がわきます。

5、自分らしい旅をするのが一番

旅は自己満足の世界。娯楽の一種でもあり、そうそう目に見えるような評価や結果は得られるものではありません。旅から戻っても、人間が大きくなったねと言われることはまずなく、肌が焼けたね~とか、少しやせたね~などと言われるぐらいなものです。その殻を簡単に破りたければ他人の評価の上がる事をするのもいいでしょう。誰も行った事のない場所や、誰も行きたがらない紛争地域を訪れれば、世間はすぐに旅の猛者と認めてくれるかもしれません。でもこういった事で他人の評価を無理に上げて何が得られるでしょうか。

旅の価値は、その人が旅で何を得てきたかということです。旅は日常と違って勝手の分からないことだらけです。何をするにしても自分自身でしっかりとした判断をしなければなりません。その経験の繰り返しで、判断力がついたり、人格が立派になったり、日常の価値観とは違うものを見て回ることで博識になったりします。自分自身が旅を終えた後に何か得るものがあった旅だと感じたなら、その旅は成功であり、大きな財産となっているはずです。例えその旅が短くても、他の人にありきたりの旅をしてきたねと言われるような旅でもです。

例えば学生時代の部活を振り返ってみてください。大会でいい結果を出せなかった人はその部活をやっていた事が失敗と考えるでしょうか。ずっと補欠だったとしても、そこで一生懸命やり続けることが大切なのではないでしょうか。部活を引退したときに、仲間と一緒に大会への取り組む姿勢とか、手に入れた友人関係といった事はとても貴重な経験や財産となっているはずです。

旅でもやはり大事なのは取り組む姿勢になるかと思います。ただ単にガイドブックに書かれている場所を見て回るだけの旅をした人と、行きたい場所を一生懸命調べ、簡単な会話なども覚え、それを実践しながら旅をした人では旅が終わった後に得られた充実感と経験は違ってきます。旅での経験を人生に活かしたいと思うならしっかりと準備をし、それを実践していくことをしないと、単に旅行に行っただけになってしまいます。旅をしていても日常生活でも一日は一日です。旅も日常と一緒で日々の経験の積み重ねなのです。だから日常と同じように日々精進していればそれだけ自分の糧になります。日常と違う分、伸びしろも大きいといったところでしょうか。

最後に、多くの人は旅に何かを求めることはないでしょう。何か面白いものが見れて、変わった経験ができたり、のんびり過ごせればいいと思っているはずです。でも旅に何かを求め、旅で一目を置かれる存在になりたいとか、旅で自分を変えたいとか、人生に活かしたいと考えるなら、まずは自分の旅の質を上げるように努力すべきだと思います。

旅の本当の魅力は監督、脚本、演出、主演を自分でこなしていく事。すなわち旅は小さな舞台なのです。普通の人と同じ旅を演じていても積み上げるものは少ないです。時間はかかっても、まずは自分らしい旅を見つけ、自分だけのこだわった旅を完成させていくのがいいかと思います。自分の身丈にあったシナリオを演じながらレベルアップしていけば、そのうちブロードウェイの舞台で演じるような旅人になれる日がやってくるかもしれません。

旅人についてのエッセイ
旅人の通信簿
風の旅人 (2020年3月改訂)

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