風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
旅人のエッセイ#1

旅人とは?

旅人と聞くと何かロマンチックな印象を受け、憧れる人もいるようです。でも本当に憧れる存在なのでしょうか。旅人について私なりに思うことを書いてみました。

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1、旅人のイメージ

「旅人」という言葉から皆さんは何をイメージしますか?スナフキンでしょうか、猿岩石でしょうか、それともヒッピーやジプシーなどの遊牧民などでしょうか?

その「旅人」と呼ばれる人達はどんな種類の人なのでしょうか?ただ単に旅をしている人が「旅人」なのでしょうか?改めて考えてみると、「旅人」という言葉も意外に奥が深いのかもしれません。

私自身も周りの人に「旅人」と言われる事があります。しかし、今ある自分の事や周りの環境を考えると、旅を中心に生きているわけではないので、単に旅好きなだけだと思っています。でも振り返ってみると、長期で旅行していた最中はやっぱり旅漬けの毎日だったから「旅人」だったのかな・・・とも思えます。

さすがに現在日々悶々と暮らすサラリーマンを捕まえて「旅人」というのはちょっとミスマッチですね。旅をしていてこそ「旅人」ではないのかな・・・、それとも旅人らしい心や発想を持っていれば今でも旅人と名乗っていいのかな・・・などと、現在の生活と旅行中の自分を照らし合わせて考える事があります。

この「風の旅人」というサイトを制作するにあたって、サイトの名前を決めるのにはちょっと悩みました。旅に対して真面目であり、ひたむきな感じがして、それでいて一言で旅をイメージできてしまったり、旅に出たくなってしまうような言葉はないだろうか。そんなむちゃくちゃな事を最初は思っていたのですが、もっと自分らしく考えたほうがいいのでは。大袈裟なタイトルを付けても中身がなければ内容負けしてしまうし・・・と、あれこれと悩んだ末、私のイメージする理想の「旅」や「旅人」ってなんだろう?と考える事にしました。

そして思いついたのは、「風のような旅人」でした。旅人は出会いと別れを繰り返し、風紋のように人々の心に思い出を残していくけど、それは次の風が通りすぎると消えてしまうような儚いものです。そんな風のような旅ができる旅人。出会いや別れを風のようにさらっとこなせてしまう旅人。それが理想の旅人だよな。そう考え、最終的にこのサイトのタイトルを「風の旅人」としました。しかしながらそれはあくまでも理想の話であって、なかなかきれい事だけでは語れないのが旅人です。

旅の情景スケッチ 旅人の写真 旅の情景スケッチ
旅人たちの軌跡1

01'/4月 エジプト、白砂漠で

2、旅人と旅行者の違い

普段、我々は「旅人」という言葉と「旅行者(観光客)」という言葉を感覚的に使い分けています。この二つの言葉の使われ方を考えてみると、ツアーなどで旅行する人を「旅行者」と呼び、中期~長期の個人旅行で旅する人を「旅人」と呼んでいます。単純に個人旅行で旅する人が「旅人」で、ツアー旅行の人が全て「旅行者」でいいのでしょうか?ツアー旅行にしても団体旅行、修学旅行、社員旅行から、家族旅行、卒業旅行と様々ですし、個人旅行にいたっては期間にしても旅行形態にしても十人十色。一色単にまとめられるはずがありません。では何をもって「旅人」と定義すればよいのでしょうか?

一体どこで線を引くべきなのだろうか。あっそうだ。「旅」の時のように調べればいいではないか。それは名案だ。という事で、「旅人」という言葉を国語辞典で調べてみると、”「旅行者」の意の雅語的表現”と書いてありました。雅語とは伝統的で、正しく上品な言葉という意味です。今度は「旅行者」を調べてみると、「旅する者」・・・って、そのまま!普段感覚的に使いわけているこの言葉は、特に定義のない漠然とした言葉のようでした。

この定義で考えると、旅している人は全て「旅行者」であり、「旅人」ということになってしまいます。「旅人」とはもっと崇高で、「旅行者」の中からある特殊な人や賞賛に値する人に与えられるべき称号であってもいいのでは。これでは「旅人」の大安売りではないか。ちょっと納得がいきませんが、言葉の定義としてはそういう言葉になるようです。

つまるところ、「旅人」という呼称は旅する人なら誰でも自由に使えるということです。しかしながら前述したように、我々は感覚的に「旅人」と「旅行者」は使い分けています。感覚的なので、人それぞれ境界線は違ってくるのですが、その分かれ目は一体どこなのでしょう。

旅をあまりしたことのない人にとっては、アフリカや南米をツアー旅行で訪れる人ですら感嘆の意味を込めて旅人と呼ぶかもしれません。毎年ツアーで海外へ出ている人も旅人に感じるかもしれません。あなたならどのような人を「旅人」と呼べますか?考えながら気がついたと思いますが、自分よりも旅の上級者の人、自分から見て旅に関して一目を置く人を多少なりとも賞賛の意味を込め「旅人」と呼んでいるのではないでしょうか。

「旅人」とは「旅行者」の上級者的意味合いであり、大袈裟に言うなら旅の名誉ある称号なのです。但し、先に書いたように確かな定義がなく、誰でも自由に使える言葉なので、誰が「旅人」に値するかはこの言葉を使う人次第。私から見て「旅人」と呼べる人でも、他の人から見ると単なる「旅行者」としか評価されないこともあります。

といったわけで曖昧ながら「旅人」の定義ができました。「旅人」とは、「旅行者」の中から旅に関して他人から何かしら評価される人、もしくは長い間旅に専念している人のことを特別に示す言葉となります。

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旅人たちの軌跡2

01’/5月 トルコ イスタンブール駅で

3、私なりの旅人像

では、私なりに「旅人」の基準を考えてみると、「旅とは?」で書いたように「旅行」と「旅」とでも同じように微妙なニュアンスが違いました。その違いは自立的行動があるかないかです。よって「旅人」と呼べるのも、どんな旅行形態でもいいから他人に全てを頼るのではなく、一人で考えて行動できる旅行をしている人だと思っています。

常に誰かの後ろを歩いているのは、教習官が隣に乗っている仮免ドライバーみたいなものです。危なくなったり、困ったりした時、誰かがすぐ助けてくれるというのは、一人前の旅とはいえないのではないでしょうか。自力で解決してこそ真の「旅人」だと認められるはずです。

諺でも「かわいい子には旅をさせろ」といいます。決して「かわいい子と一緒に旅をしよう」という意味ではありません。親元を離れて一人で旅をする事により、しっかりとした自立した考えや行動を学ぶ事が出来るという教訓が含まれた諺です。

また、英語で旅のことをトラベルとも言います。この言葉の語源は、トラブルやトラベイルからきているそうです。旅にトラブルや困難は付き物、いかにそれを自分の力で乗り越えていくかが「旅」、すなわち「旅人」たるものではないでしょうか。

そういったことから私が魅力を感じる旅人というのは、様々な困難を乗り越えてきたぞといったオーラを全身から放ち、目は好奇心できらきらと輝かせながら移動し、話しかければあふれんばかりの知識を持ち合わせているような旅人です。

旅の情景スケッチ 旅人の写真 旅の情景スケッチ
旅人たちの軌跡3

2004年3月メキシコ ペンションアミーゴで

4、現実の旅人

次に理想の旅人ではなく実際の旅人について考察してみると、私自身、今までに多くの旅人に出会いました。その多くがだいたい20~30代の人が多かったように思います。自分の夢をかなえる為に旅をしている人や、学校を一年休学して語学を実践しながら旅をしている人、建築の仕事をしている人で建物の写真を撮って歩く人、ただ旅が習慣になってしまった人、冒険のような旅をしている人など様々な旅人がいました。

人生が一通りでないのと同じで、旅のスタイルも人それぞれ。旅人を一括りでこうだと断言するのはバイク乗りがこうだとか、サッカー選手はああだといった偏見に満ちたものになってしまいます。

ただ大雑把に旅人について考えてみると、多くの旅人に共通しているのは、自我と好奇心が強いという事でしょうか。それに負けん気が強く、まあ基本的に・・・行動力のある人が多いように感じました。それはわざわざ快適な日本から旅立ち、言葉が通じない不便な世の中に来ている事からも容易に推測できるのではないでしょうか。

よく、「長期の旅をしている人は変わっている人が多いよね。」と言われますが、旅をしていて出会う人と日常生活をしていて出会う人を比べると、遙かに個性的な人に出会う確率が高いのは旅の方です。旅をしながら変わっていったのか、はたまた元々変わっていて旅に出ているのか。この辺りの事情は何とも言えませんが、日常の習慣的な考え方に束縛されない旅人は、普段日本では考えられないような自由な生き方、考え方、発想を持っていたりします。

そういったアウトロー的な生き方はやはり日常生活に束縛されている人から見ると変わっていると感じるはずです。そしてこういった自由に生きている旅人に、会社、学校などに束縛されて生きている人は憧れるようです。私も旅人になりたいな。でもそんな度胸もないし・・・、言葉が通じなくて大変そうだし・・・、今の生活を壊したくないし・・・、といった感じでしょうか。しかし、自由に当てもなく生きている旅人は本当に憧れられる存在なのでしょうか?

もし、あなたがそれなりに長期・・・例えば半年以上で旅行しようと思うならどうしますか?一番の問題はそこにあるのではないでしょうか。定年退職してとりあえず時間と退職金が有り余って・・・というなら何の問題もないでしょうが、普通の人なら転職して次の仕事まで1ヶ月あるからそれを利用して・・・、学生なら夏や春の休みを最大限利用して2ヶ月間の旅を・・・といった程度が限界となるはずです。

結局のところ長期で旅行に出ようと思うと、仕事を辞めるなどして日本での生活基盤を捨てるか、或いは期間を決めて休職したり、学校を一年間休学するなどしなければなりません。なんとか帰国後の立場を保留できたとしても、会社などでの出世レースを考えると、いい経験はできるかもしれないけど、それ自体がプラスに作用する事はまずありません。むしろマイナスに働くはずです。もちろん成功している人もいますが、それは旅自体の問題というよりも元々備わっている本人の野心や行動力、才能による事の方が大きいはずです。

だから普通に考えるなら、休暇を利用したり、日常の生活に時間が空いてしまったから旅に出ようとする人は多くても、わざわざ仕事を辞めたり、無理矢理時間を作ってまで旅に出たいと考える人は少数になります。そういったリスクを背負ってまで旅に出る人は、旅に人生を打ち込めるだけの情熱があるとか、それなりの理由や目的、或いは勝算があるはずです。

それに家庭を持ってしまうと・・・、厳密に言うなら夫婦で長期の旅をしている人が意外と多い事を考えると、子供を持って完全に生活基盤を固めてしまうと子供が独り立ちするまで旅はできなくなります。

こういったことから、旅に対して何かしらの目的や情熱があっても比較的自由に身の振り方をできる人、或いは生活基盤が定まっていない人しか旅ができないという事になります。

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旅人たちの軌跡4

01'/5月 イスタンブール コンヤペンションで

5、不安定な存在の旅人

旅は非日常の世界。日常生活と相反するので、日常=家族、仕事に束縛されている人には長期での旅は容易に行えるものではありません。日常に束縛されない自由をもった人間の特権ともいえます。

だから日常に束縛されない旅人は、自由な存在といった認識を持つ人が多いです。しかしながら自由といえば聞こえはいいのですが、その意味をきちんと理解していないと、とんでもない勘違いをしてしまう事があります。

私は、旅人とは不安定な存在だと思います。「旅人は自由なんだ!」と自慢気に言う人もいますが、裏を返せばカルダーヌスの幸福論にあるように、自由であることは自分の進むべき道が決まっていない事です。すなわち、自由人は不完全体な人の事だといえます。

自分の道を決めて歩く事は、責任を伴うものです。それに比べて、あてもなく気ままに道を歩く人は背負っている責任がありません。責任のある道を歩く方が、ある意味生き甲斐にもなりますし、それ相当の覚悟もいるはずです。そういったことを考えると、自由に旅する旅人は、現在特にする事もなくただ旅をするしか他に生き方がないという言い方もできてしまいます。

そして責任を伴わない生き方を続けていれば、責任を負う自覚のない無責任な自分勝手な人間になってしまいます。自我ばかり強く、協調性もない人間。言ってみれば社会に適合できなくなってしまった引きこもりの症状と似ている気がします。

自由と言われて鼻を高くしている人もいますが、本当に自由の意味を理解しているのでしょうか。自由の意味をはき違えてしまう事ほど危険な事はないように思います。なぜならその人の意志で自由に(勝手に)法律やルールを解釈し、社会のルールを守らないという事だからです。

当てもなく自由にさまよっている旅人と聞くとロマンチックだったり、ワイルドな感じがちょっと魅力的に感じますが、本当に魅力ある旅人とは自由に当てもなくさ迷っている旅人ではなく、きちんとした目的やこだわりを持ち、どちらかというと規則正しく、真剣に旅をしている旅人だと、今まで多くの旅人を見てきて強く実感することです。

旅人についてのエッセイ
旅人とは?
風の旅人 (2020年3月改訂)

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