風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
旅のエッセイ#3

旅の中毒性

旅は非日常の連続で楽しいものです。でも日常から逸脱しすぎると旅から抜けられなくなってしまいます。そういった旅の魔力について少し書いてみました。

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1、旅と欲

海外に出ると、「旅をやめられない」と言う長期旅行者に出会う事があります。やめられないというのは今の旅が終わらないというケースと、また次の旅へ出てしまうといった「旅の循環」から抜け出せないといった二つのパターンがあります。

そういった人と出会うと、旅は麻薬の一種ではないかと考えることがあります。何故この人は旅をやめられないのだろうか?どうして旅を続けてしまうのだろうか?自分もその一人にならない為に色々考えてみました。

自分が主役でありたいと考えるのが人の本心です。渋谷で目を輝かせながらナンパされながら歩く女の人を見ていてふと思ったことがあります。他人にちやほやされて生きるのはとても楽しいんだろうな。また逆に他人にまったく相手にされないというのは退屈で、極端な話、自分が何の為に生きているかと考えさせられるのかも・・・。そしてそれは芸能人がいつまでもスポットライトを浴びていたいと思うことや、社長や政治家が自分の地位を降りたがらないのも似たようなことです。

これは人間の持つ欲の一つです。欲というと悪いイメージを持つ人もいるかもしれませんが、欲を持つという事は生きるうえでとても大切な事です。欲のない人間はよりよく生きようとしない人間、極端に言えば人生を諦めている人間といっても過言ではありません。

しかし、安易な欲の探求は身の破滅を招きます。欲望自体に実体がない為、空想やその場だけの快楽になりかねないからです。例えば酒やタバコや麻薬にしても所詮は一時的な快楽でしかありません。簡単に手に入る欲ほど人間を駄目にしてしまい、努力によって達成された欲のみが本人の生きる力となるものなのです。努力しないやつは駄目だと言われる所以もそういった事情にあるような気がします。

旅はよく人生になぞられます。本当の人生よりも短く完結するので、自分が主人公の短編物語ともいえます。前述したように、人間は生きるうえで主役を目指す傾向があります。主役というのは努力してなるのもであるから立派に見えるのであって、誰でもなれるような主役は自分の気休めにしか過ぎません。

旅に出ると自分が中心に世の中が回っている気がしたり、色々な人から声を掛けられて気分がいいし、不安定な環境に身を置くことで日々が充実しているように感じたりもします。でも、よく考えると先に挙げた渋谷などで日々ナンパされる事に勤しんでいるのと同じような事なのです。

テレビのインタビューでの女子高生の話、「なんか分からないけど、楽しいからここに来ている。楽しければいいじゃん。」「ここに来ると生きている実感が湧く。」などと、旅から抜けられない人が話してくれた心境とまったく同じでびっくりしてしまいました。

旅の情景スケッチ カオサン通りの写真 旅の情景スケッチ
カオサン通り

バンコクのカオサン通り一帯は安宿が多く、
世界から旅行者が集まります。

2、現実逃避という麻薬

旅も安易な欲望や快楽の一つと考えてもおかしくありません。なぜなら誰でもお金を出せば行う事ができ、旅自体が「脱日常」を主要素とし、「現実逃避」といった安易な欲を多く含んでいるからです。日常にストレスが溜まり、来週は一泊の温泉旅行に行こう。こういった息抜き的な旅は少量のアルコールが血行をよくし、食欲を増進させるのと同じで日常生活の活性化を促します。

夏休みや正月休みを利用してちょっと長めに海外に出るのもいいことだと思います。それを目標に貯金や余暇の取り方など少し長い周期でメリハリのある日常生活を送る事ができるでしょう。このような旅に関してはちょうどシンデレラの魔法が12時に解けるのと同じで、現実に戻るリミットが見えているから旅をしている本人も安心して現実逃避を行え、少しの間現実を忘れることがいい気分転換になるのです。

しかし、日々がつまらないからといって毎日が面白そうな長い旅に出ようとか、仕事がきついから仕事を辞めてとりあえず長い旅に出ようといった、日常から大きく逸脱した旅は取り扱いに注意しないといけません。一度に多量の旅(現実逃避)を摂取する場合、中毒症状に陥りやすいからです。

もちろん人それぞれ目的意識やその状況は違いますが、何のための旅なのかがはっきりしない旅というのは特に麻薬的な要素が強いと言え、極端な話、その期間中ずっと麻薬漬けになっているのと同じ状態だといえます。

なぜなら現実逃避とは現実から離れる事であり、現実を考えない事であり、現実を真っ向から受け入れない状態の事だからです。そのためどんどんと日常的思考ができなくなり、日常の生活形態に戻る事ができなくなってしまいます。そして旅から抜けられなくなるというよりも、日常に自分自身が合わせられなくなってしまいます。

長旅や放浪を終えた旅人が日本に戻って普通の人生を送ることになれば、一種の反抗期というか、そういった時期もあったといった感じでいい思い出になるのですが、問題なのはありふれた日常を送っていると、昔の楽しかった思い出が強くなりすぎて再び長い現実逃避の旅に出てしまうことです。これがもう一つの「旅の中毒性」だと思います。

もっとも好奇心が旺盛で毎年長期休暇に海外に出ているような人もいますが、それはしっかりとした日常といった土台の上で旅心に基づいた旅です。これもまた旅の中毒とも言えますが、どちらかというとこれは趣味といった部類の旅好きや旅マニアといったものです。どちらも習慣的に旅を繰り返している旅の中毒なのですが、この二つは全く異質なものです。

人生の逃げ場を旅に求めるのは簡単なことですが、これは麻薬に溺れるのと同じです。旅に旅以外の楽しさ、現実逃避を求めるようになってしまうと、もう旅が趣味やレジャーといったものではなくなり、麻薬などの一種になってしまいます。

旅の情景スケッチ 夕暮れの浜の写真 旅の情景スケッチ
夕暮れの浜

東南アジアなどでは砂浜がサッカー場になります。

3、日常からずれていく感覚

人生に刺激が足りないから旅に出るといった人もいます。そして「日本は退屈だ。」「日本は私にはあわない。」などと豪語しています。そのような人は、そのうち旅までもが日常化して、結局旅も退屈になってしまいます。そして、更なる刺激を求め麻薬や犯罪などといった危険な事に手を出すようになり、社会からより遠のいていく傾向があります。こういった感覚も旅の魔力の一つだと思います。

確かに海外に出ると強烈な刺激があります。でも日常は日常、旅は旅できちんと分け、けじめを付けれるようでないと、社会に適応する事はできません。例えるなら峠を攻めるバイク乗りと似た感じでしょうか。峠でスリルを求め、ある一線を越えると大けがをしたり、あの世行きへ。また峠だけだったのが、段々と町中でも運転が荒くなり、どんどんと一般の車社会に適応できなくなり、俺は運転がうまいからと勝手に自己流のルールを作り暴走しまくり、その挙げ句に逮捕されたり、事故を起こして・・・・といったような事と似ています。

もう一つ厄介な問題があります。長い期間旅や留学をして日本に帰ってくると、時間の感覚、金銭感覚、生活感覚が他人とずれてしまい、社会に適合するのが難しくなってしまいます。これは浦島太郎状態と言えます。私も経験したことがあるのですが、旅を終えて帰国したとき、自分の中では日本での時間は止まったままなので、出発した一週間後ぐらいに帰ってきた感覚だったのですが、世間では自分が海外に行っていた分だけきちんと時間が流れていて、あれっと感じたことが多々あります。

もちろん友人の友情や恋人の愛情など人の気持ちが変わっているのは当然のことです。だから出国前と同じように接すると、思わぬ対応を受けることがあります。そして実感します。自分が海外に出ている間に時は流れていたんだと。これが玉手箱を開けた瞬間になります。

時の流れ、特に自分が知らないところで流れた時間というものは、本人の自覚がないので厄介です。溶け込もうとしても話がかみ合わなく、段々と自分が時間の流れから取り残されてしまったような疎外感を感じていきます。浦島太郎の話も、ある意味、旅に対する教訓の一つではないでしょうか。こういった旅独特の感覚や時間の流れが旅人を社会に適応させにくくしている要因の一つでもあります。

「旅に出ても羽目を外さないようにしなさい」というのは昔からよく言われている言葉です。旅は脱日常だ。せっかく旅に出たのだから思いっきり楽しもう。ちょっとぐらい羽目を外したり、背伸びしてもいいか。というのはよくあることでしょうが、羽目を外し過ぎると、トラブルに巻き込まれたり、日常に戻るのに苦労することがあります。旅に出ても日常の感覚を忘れないようにしておくことのが、旅の魔力から自分を守るための大切なことではないでしょうか。

旅についてのエッセイ
旅の中毒性
風の旅人 (2020年3月改訂)

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