清澄山初日の出ツーリング
#3 石仏と断崖の日本寺
<2007年1月>
房総半島の清澄山へ、日本で一番早い初日の出を見に行こう!をテーマにツーリングを行ってみました。(全4ページ)
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3、石仏と断崖の日本寺
清澄寺を出発すると、県道81号を南の鴨川方面に進んだ。そして一旦、外房の海沿いに出た後、鴨川から内房へ向けて長狭街道を西進していった。
日の出時間に空を厚く覆っていた雲は、太陽が昇るとともに徐々に薄くなり、上空は青空の面積が多くなった。背中からも太陽がちょくちょくと顔を覗かせるようになり、前方の風景や道路をまぶしく照らしてくれる。
天気は回復傾向。ただ気温は相変わらず低いまま。バイクで走っていると、日の当たる背中は少し暖かくなった気がするが、体に当たる風がとても冷たかった。
房総半島を淡々と横切っていき、東京湾に面した内房に出た。内房に出てから向かったのは、金谷付近の海沿いにある鋸山。標高300mほどの山で、ここは石仏のテーマパークみたいな場所になっている。
鋸山へはフェリー乗り場のある金谷からロープウェイで山頂付近に行くのが一般的だが、そこそこいい値段がするので却下。鋸山登山有料道路でも同じように山頂に行けるのだが、なぜかバイクは通行不可になっているので却下。勿論下から徒歩で登るのも却下。
バイク乗りに残された方法は一般道で中腹にある日本寺まで行くルート。ここから山頂まで少し登ることになるけど、所詮は300mほどの山。登山といっても途中からだし、ロープウェイの料金が浮くと思えばあまり苦にならない。
それに昨年お参りした久能山東照宮は、標高は200m程度と低かったが、一番下から千段以上もの階段をえっちらと登っていった。きっとそれに比べれば楽なはず。
ということで、細く曲がりくねった山道を慎重に登って、日本寺の駐車場に到着した。結構登ってきた気がしていたが、山を見上げると山頂が遠く感じる。
もしかしたら昨年よりもきついとか・・・。どれだけ登ることになるのかわからないけど、それなりに覚悟をしておこう。
石仏のある面白い場所で、ちょっと登ることになるけど昨年ほど登らないはず・・・と、鋸山のことをよく知らずに連れてこられた友人たちから、「あれ登るの・・・昨年と変わらないんじゃない。」「今年もまた登山だよ・・・」という不満の声が聞こえてきた。
昨年は1200段もの階段を登ることになるとは全く知らなかったので、申し訳ないといった気持ちでいっぱいだったが、今年はある程度登ることを知っていたので、確信犯といえば確信犯だ。
こういった展開となることもわかっていたので、「多分、昨年よりは楽なはず・・・」「昨年あの階段を登ったんだから大丈夫!」「今日運度すれば太らないぞ!」と、みんなをなだめ、そして励ましながらお寺へ向かった。
お寺に入るところに入場ゲートがあり、ここで入場料を払って中に入るようになっている。入場料金は600円。意外と高い。
もし無料になったらみんなの士気が上がるに違いない。「正月だから無料になったりはしないのですか?」とチケットを売っているおじさんに頼んでみたが、申し訳なさそうに首を横に振られてしまった。
ここ日本寺は曹洞宗のお寺で、日本一大きな石仏やら千五百羅漢像に百尺観音と大小様々の石仏がある事で知られている。
チケット購入時にもらったパンフレットによると、今から約1300年前の神亀2年(725年)に、聖武天皇の勅詔と光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって日本寺が開山されたことになっている。
開山当時は、七堂十二院百坊を完備しているといった国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと記録されているそうだ。
入場口から少し登ると、大きな大仏のある広場に辿り着いた。これが有名な日本寺の大仏か。さすがにでかい。そして迫力がある。
案内を読むと、日本寺の御本尊で薬師瑠璃光如来像とのこと。薬師瑠璃光如来とは、瑠璃光を以て衆生の病苦を救う医薬の仏様で、左手に薬壺を持っているのが特徴になる。
建立されたのは天明三年(1783年)頃で、世界平和、万世太平を祈願し、大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したそうだ。
現在の形になったのは昭和41年で、4年にわたって大がかりに修復されたとか。修復されてからまだそんなに月日が経っていないので、大仏様の輪郭がはっきりとしていて、ちょっと凛々しく見える。
昨年同様に山を登らなければならない事実を知ってからあまり機嫌がよくなかった友人達も、この大仏を見て「これはすげぇ~」と感嘆し、携帯で写真を撮り始めた。やっとやる気というエンジンがかかってきたようだ。
大仏がある広場内にはお願い地蔵尊があった。お地蔵様自体は普通のお地蔵様なのだが、足元には小さなお地蔵様がわんさかと山積みになっていた。
巨大な大仏とちっこいお地蔵様。その対照は面白い感じもするけど、その数が尋常ではないことがこの場をシュールにしている。
このワサワサした感じは・・・、大量の昆虫や藤壺と同じ。じっと見ていると背中がかゆくなってくる。痒くなってくるだけだったらいいが、長く見ていたらクラっと意識が遠のく感じがしてくる。
長居は無用だ。ここで泡を吹いて倒れるわけにはいかない。まだ鋸山の冒険は始まったばかりなのだ。
大仏広場から山頂へ向けて登っていった。登り始めると、すぐに暑くなって上着を脱いだ。しまった。バイクのところへ置いてくればよかった。今気が付いても遅い。
上着を脇に抱えるように持ち、淡々と階段や坂を登っていった。分かってはいたけど、登りはやっぱりしんどい。登っていくにつれて、足が重くなり、汗も出てくる。そして会話も少なくなる。
思えば昨年も久能山東照宮の千段以上ある階段で苦労したっけな。今年もこのままだと同じぐらい歩きそうな感じだ。
ちょっと心配になり、他の仲間の顔色をさりげなくうかがってみると、さっき大仏のところであったやる気のある表情はなくなっていて、もう帰りたいような顔つきになっていた。
来年からはほどほどにしておかないと、「お前と一緒に行くと足が疲れるからヤダ。」と、一緒に初日の出ツーリングに行ってくれなくなるかもしれない・・・。
しっかりと汗をかいて山頂エリアに到着した。きついにはきつかったが、昨年よりは楽だったような気がする。実際に何段とか、何分とか計ったわけではないけど、疲れ方が少ない。
それに昨年は上にたどり着いた時に集団がばらけていたが、今年はまとまったまま。我々がレベルアップしているとは思えないので、やっぱり昨年より登りが楽だったように思う。
ここ鋸山の山頂エリアはとても面白い景観をしている。かつての石切場跡になるようで、むき出しの岩が巨大な壁のように垂直に切り立っている。とても高い壁なので、その間を歩いていると、自分が小人になってしまった気分がする。ちょっとファンタジーを感じる場所だ。
このそびえている岩壁の一画には、とても大きな百尺観音が彫られている。百尺と名がついているだけあってでかい。この見上げるような観音様の存在も、自分が小さくなってしまったかのように感じる一因だ。
この百尺観音は、昭和35年から6年の歳月をかけて彫られたようだ。世界戦争戦士病没殉難者供養と交通犠牲者供養を行うために建立されたもので、航海、航空、陸上交通の安全を守る本尊として崇めらているとか。
交通の神様か。バイク乗りはちゃんと拝んでおいたほうがよさそうだ。今日のツーリングが事故もなく終わりますように。それから今年一年無事故無違反で済みますように。って無違反は関係ないか・・・。
百尺観音がある付近はそびえるような崖となっていて、その崖の上が最終目的地となる。
下から見上げるとそびえる崖の上に地獄のぞきと呼ばれる展望台が不自然な感じで出っ張っているのが分かる。本当にそこだけが取ってつけたように出っ張っている。
あれに行くのか。おっかなそうだけど、やっぱり行きたい。なんというか、強烈な角度を付けられたジェットコースーターに乗る前のような気分。まずは頑張って登ろう。崖上までもう一息だ
百尺観音から崖の上に登ってみると一気に視界が開け、眺めがよくなった。ちょっと雲が多いけど、房総半島の南、南房総市や東京湾の対岸、三浦半島の久里浜の工場群やなどが見渡せた。
なかなかいい眺めだ。でもここは遠くを眺めるだけの展望台ではない。下を眺めるための展望台でもあり、その怖さから地獄のぞきと呼ばれている。
ということで、早速、崖の一番先端に取り付けられている地獄のぞきの展望台へ向かった。しかし先端から5m手前から足の進みが悪くなった。これは真面目に怖い・・・。視点の先が谷底なので、高さというよりも視界的に怖い。
それに下からこの展望台を見たときに、この部分の下に何もないというのを知ってしまっている。もし岩がポロっと取れてしまったらどうしよう・・・。嫌なことが頭をよぎり、余計に怖く感じる。手すりにつかまりながら恐る恐る先端に進んだ。
なんとか先端まで到達。恐る恐る下をのぞき込んでみるものの、う~~~高い。わざわざのぞき込まなくても高いのは分かっているんだけど、なぜかのぞいてしまう不思議。
高所恐怖症の友人に至っては手すりに近づくことすらできない。これはしょうがない。高所恐怖症でなくても足がすくむ。
展望台から下をのぞき込むのには自然と手すりに寄りかかることになる。取り付けられているのはどこにでもありそうなフェンス。さすがに色々と補強がしてあり、寄りかかったら外れるということはなさそうだけど、いまいち頼りなく感じる。
こんな簡素な手すりに命を預けていいのだろうか。もし外れてしまったら・・・と考えてしまうと、自然と腰が引けてしまう。
後輩が覗いている時に「手すり外れたらやばいよね。そこ錆ているよ。」と後ろから声をかけてみると、慌てて後ずさりし、「そんなこと言わないでくださいよ。マジで怖いんですから。」と目が真剣だった。素直な反応でよろしい。
頑張って登ってきたかいがあったというもので、それぞれ地獄のぞきのスリルを堪能することができた。なかなか経験できることではないし、いい思い出になるだろう。
さて戻るか。山頂からは登りとは違って羅漢エリアという石仏がたくさん並ぶエリアを通って下っていった。
歩いていると道の脇に「西国観音」「百躰観音」などといったエリアが設けられ、石像がこれでもかというほどあちこちに置かれていた。これもまた鋸山の名物だ。
このエリアでは石仏が石窟に飾られていたり、通路沿いに並べられていたり、岩のくぼみなどに並べられていたりと、様々な雰囲気で楽しむことができた。
これはこれで凄いと思うけど・・・。最初にメインイベントの大仏を見てしまったし、地獄のぞきというスリリングな体験をした後なので、小さな石仏たちが特別に輝いて見えることはなく、足早に写真を撮りながら下っていった。
途中に汗かき不動なんて名が付けられた石像が置いてあったが、「まさにその通り。君もかい、我々もだよ。」といった感じで、これだけは凄く共感できた。
羅漢エリアで私なりに目に引いた箇所が二カ所あった。一カ所目は首のない石像があるエリアで、首のない仏像がずらっと並べられている様子はなかなかシュールだ。
東南アジアの遺跡を訪れたときに、戦争で敵対国に首を切られてしまった仏像がずらっと並んでいることがあったが、そういった情景を思い出す。
日本ではすげ替え地蔵として新しく首を付けたり、気持ち悪いので撤去したりすることが多いので、あまりこういった光景を見ることがない。なので、ちょっと珍しく感じた。
もう一つは石造の寺院。大きさ的にもそれほどでもなく、大名の墓をちょっと豪勢にしたような感じにも見える。それに斜面を利用しているので、前面だけの石造寺院となるが、こういった石造りの寺院は日本ではあまり見かけない。
東南アジアとか、インドなどの仏教遺跡を訪れると、こういった石造の寺院や宗教施設は多いので、これもやっぱりアジア風な雰囲気に感じる。ただここのは屋根だけが妙に日本的でそのアンバランスさがちょっと面白く感じた。
ぐるっと羅漢エリアを回ると、日本寺の本堂にたどり着いた。ここで今日二度目の初詣。いや二度目だと初詣といわないのかな。そのへんはよくわからないけど、さっきは交通安全だったので、今度は健康を祈願した。
これにて日本寺の登山のような石仏巡りはおしまい。今年もよく歩いた。駐車場に戻ると、元旦の一仕事終えたような充実感と疲労感で一杯。
人生山あり、谷ありというように、旅も山と谷がないと面白くない。ちょっと汗をかくぐらいのしんどい場面がないと盛り上がらないというものだ。
あっ、天気もいいし、写真を撮っておこう。バイクを並べて、タイマーをセットしてパシャッ。充実感一杯のいい顔をした写真が撮れましたとさ。
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