風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
旅や旅人にまつわるエッセイ#10

旅の名言、格言、諺集1

ここでは先人などが残した旅にまつわる名言、格言、諺などを集め、私なりに解説を付けてみました。あくまでも自分の経験を基にした個人的な解釈なので、先人達が言いたかった事と全く見当違いな解釈になっているものもあるかもしれません。その場合は笑いながら読んでください。そしてこっそりと正しい解釈を送ってくださると助かります。

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「千里の道も一歩から」 <老子>

老子の言葉です。比較的よく聞くので、知っている人が多いと思います。千里もある遠い道のりであっても、まず踏み出す第一歩目から始まるという意味で、壮大な旅の計画もまずは一歩目から始まって、次の一歩を踏み出し、更に一歩を・・・それが積み重なって達成できるものです。

千里という距離が例えに使われているので、旅っぽいイメージを持つ言葉ですが、「千段の階段も一段から」といった感じでどちらかというと、大きな目標や事業などで着実に努力を重ねていけば成功するといった感じで使われることが多いでしょうか。

私的には「千里の道もまず一歩目を踏み出す勇気」という言い方が好きです。何かをするならまずその一歩を踏み出す勇気を持つことが大事です。なかなか新しいことへの挑戦には勇気がいりますし、大変です。でも一歩目を踏み出すと二歩目は簡単です。その先に行き着くところはわかりませんが、一歩目を踏み出す勇気から全てが始まるように感じます。老子も当然そういった意味も含めてこの言葉を言ったのではないでしょうか。

旅の情景スケッチ 中国の農村の写真 旅の情景スケッチ
中国の農村

石の建物が多い以外は日本とあまり変わりません。

「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」 <ゲーテ>

「幸せとは旅の仕方であって、行き先のことではない」 <ロイ・M・グッドマン>

「希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである」 <スティーヴンソン>

「旅の過程にこそ価値がある」 <スティーブ・ジョブズ>

こういった言葉は私自身とても好きな言葉で、旅の本質をうまく言い得ていると思います。自分に当てはめて考えてみても、旅をするのが面白いから旅をしているのであって、目的地に到着する為に旅をしている訳ではありません。なんていうか、その時その時で目的地は決めて旅に出ますが、極論でいうなら旅ができれば目的地はどこだっていいのです。

だから旅というものを冷静に突き詰めていくと、旅とは目的地に着く事よりも目的地を捜す事から始まって自然とそこに着くまでの過程や旅自体を楽しんでいるものなのです。そういった訳なので、途中で目的や目標が変わってしまい、最終的に最初に決めた目的地に到着しなくても、自分なりに満足できる旅ができればそれはそれでいい旅だと思っています。

でも、当てのない旅とか、放浪のような旅をした事のない人の中には、悪天候やトラブルなどによって最初に決めた目的地に着かなかったり、スケジュールが狂ってしまったりすると、旅全体が失敗だったと考える人もいます。確かにツアー旅行ならスケジュール通りに全てを進行できれば成功と感じるかもしれません。しかしながらよくよく考えてみてください。本当にその旅が成功だったとにんまり笑っているのは添乗員や旅行会社だけです。小さなごたごたに巻き込まれた方が旅行者としては後で振り返った時に印象深かったり、思い出深い旅となっているものです。それに目的地に着かなくても旅自体は行っているので、絶望のどん底に落ちたように悲観する事もないかと思います。

目的地に着く事だけが旅じゃないという事をちょっと違った角度から例えてみると、もしあなたが人生で弁護士を目指していたけど、結局普通のサラリーマンになってしまったとして、それは失敗の人生でしょうか。結婚をして、子供もいて、なんとなくでも今が幸せならそれはそれでいい人生だと思えるのではないでしょうか。そして弁護士を目指して勉強していた頃の事は、あんな頃もあったな~、あの時勉強したことが今の自分の土台になっているな~といい思い出となっていませんか。このように考えると少しは納得できませんか。こういった感覚が人生と旅がよく似ているという由縁だと思います。

もっと端的にしてみましょう。ゲーテの文章の旅を人生に置き換えると、「人が生きるのは死ぬためではなく、生きるためである」と、ちょっと格好いい文章になったりします。その時その時を精一杯楽しもうとする人は旅にしても人生にしても楽しめるものです。

ただ、少しだけ懸念を書くと、近年では移動が省かれるような旅が増えてしまいました。といっても移動しない旅という意味ではなく、文明の利器の発達により、早く正確に、そして味気なく目的地に着いてしまうという意味です。新幹線や飛行機に乗ってしまえば、何も考えることなくあっという間に遠くの目的地に着いてしまいます。問題は時間通りに到着するかどうかぐらいでしょうか。だから目的地に着くのが当たり前となり、目的地に着いた後に、さあ旅を始めようというのが現代人の旅のスタイルという事になります。

これでは完全に移動と旅が分離していて、移動+レジャーと解釈するのが正しいように思えます。そういった旅が当たり前と思っているなら、このゲーテの言葉を理解するのはちょっと難しいかもしれません。無事に現地に到着して旅が始まるか、或いは到着できずに旅が始められないかの二択しかないからです。その場合はやはり到着できない→旅が始まらない→旅ができないという事で失敗な旅になるのでしょうか。

結局のところ、色々と予想外のハプニングが起こりうる可能性があるのが旅であり、トラブルが起こりにくいのが日常です。トラブルも旅のうちなんだといったように考え始めると、トラブルを含めて旅そのものが楽しくなる事でしょう。大雑把なスケジュールだけ決め、後はその時々の状況や気分に応じて行動するのが本来の旅です。何時までに着かなければと時間に追われる旅よりも、車窓から感動した景色があれば思い切って途中下車をしてしまう旅の方が楽しいのではないでしょうか。

旅の情景スケッチ ネパールの少女の祭りの写真 旅の情景スケッチ
ネパールの少女の祭り

宗教的な結婚の儀式とか。日本の七五三っぽい感じでした。

「人生は旅である、我等は忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくに往ってしまう」  <若山牧水>

「この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない」  <吉川栄治>

「人生は己を探す旅である」  <藤本義一>

「正月は、冥土の旅の一里塚。 めでたくもあり、めでたくもなし。」 <一休宗純>

「旅は人生の縮図である」、「人生は旅である」といった感じで、直接的、間接的に旅と人生を結びつけた言葉は多く存在します。また「人生を旅する」といったように「生きる」というのを「旅する」といった表現を使っている文章も多くあります。その全てを紹介するのは大変というか、調べるのがとんでもなく大変そうなので、幾つか有名なものをピックアップしてみました。こういった言葉は文章の中に出てくる一文を抜き出したものが多いので、前後の文脈と照らし合わせて考えないと誤解してしまいそうですが、とりあえずこういった文章があるといった感じで紹介しています。

なぜ人生と旅とを絡めるような表現が多いのか。それは旅の本質と、人生の本質が似ているからです。「人生山あり、谷あり」という表現にあるように、人生は次に何が起こって、方向性が変わるのか分かりません。ふとしたきっかけや縁によって今までの貧乏生活から一気にお金持ちの生活へ様変わりといった事もありますし、その逆もあります。だからこそ人生は楽しいとも言えます。わかりやすく考えると、人生も旅も双六みたいなもの。大きな目を出して突っ走っても途中で足踏みすることもあれば、前に進みたいのになかなか大きな目が出なくてイライラしてみたり、止まったマスに幸運な出来事があったり、その逆だったりとまあそんな感じでしょうか。

旅に関しても、本当の旅というものは不確定要素の連続です。例えば日本橋から東海道をひたすら西進して京都の五条大橋を目指す旅人がいたとします。しかし名古屋で伊勢神宮に行く方が面白そうだと目的地が伊勢になってしまったとします。これを人生でいうなら法律家を目指していたのが、途中で建築に興味を持ち、建築家になってしまったのと同じ事です。途中でスリにあって、一回東京に戻って京都に辿り着くというのは、挫折の期間を経たといった感じでしょうか。人によっては中山道から北陸を回って京都に着く人もいるかも知れませんし、何故か沖縄に着いてしまう人もいるかもしれません。そういった多様性と不確定さが人生とかぶり、人生を旅になぞられる表現が多いのだと思います。

旅の情景スケッチ ラオスの若い僧侶たちの写真 旅の情景スケッチ
ラオスの若い僧侶たち

寺院に行くとどこでも多くの僧が修行していました。

「旅人よ、道はない。 歩くことで道は出来る。 」  <アントニオ・マチャド>

「青春を旅する若者よ。君が歩けばそこに必ず道ができる。」 <永井龍雲(道標ない旅の歌詞)>

「何かをやって時間を損するということは絶対にない。 貧乏旅をすれば、大学を二つ出たようなものだ。 」 <永倉万治>

「旅」を「人生」や「生きる」といった事に絡める言葉は多いのですが、その「人生」の中でも特に「冒険、挑戦」の部分で強調して、それを人生の一場面として使っている言葉も多くあります。とりわけ若者が困難に挑戦する場面であったり、その時に背中を押すような時に使われる事が多いでしょうか。

もちろんこういった言葉は人生という擬似的な旅だけではなく、そのまま現実の旅にも当てはまります。貧乏旅行のような長期の放浪旅行は体力勝負な部分が大きく、また日々が緊張の連続なので強い精神力も必要です。また好奇心や探求心、冒険心が行動力の源になっている場合が多いので、若い時にしかやりにくいものです。

とはいっても、旅に出たいという気持ちはあっても即決できる人は少ないはずです。無事に旅をできるかという不安以上に、日常を離れること、普通の人生から逸れることは勇気のいることです。帰国した後の自分はどうなるのだろう。社会から取り残されるのでは。そう考えると、なかなか一歩を踏み出す決意ができないはずです。

でもそれは目の前の人生を考えた場合のこと。旅で得た経験や見聞は普通に生きていたら得られない貴重な体験です。それを人生に生かす事ができるのなら遅れた分はあっという間に追いつき追い越すこともできるでしょう。長い目で見た場合にはプラスになっていることもあります。もちろん旅での経験を十分に活かしきれない場合もあります。

旅に限らず、他の人と違う生き方、あるいは一般的ではない生き方を選ぶのは勇気のいることです。特に前例の少ないことをする場合には、こうすればいいといった確実な方法や虎の巻がなく、このまま進んで大丈夫だろうか、失敗したらどうしようなどといった不安が大きいものです。その不安に尻込みしているだけでは何もできません。失敗したら引き返したらいいのです。旅で迷子になるのを恐れていては町を気楽に歩いたり、新し出会いがありません。とりあえず進んでみれば何かしらの道が開けるものです。

失敗も成功のうち。失敗は成功の素。などといった言葉がいい例で、特に適応力がある若いうちは後戻りも方向転換もそんなに難しくないはずです。とはいうものの、やはり多くの人が失敗や一時的にしても人よりも遅れることに尻込んでしまうのが実際のところでしょうか。そんな時に勇気を与えてくれるのが先人の言葉であったり、身近にいる人生経験を積んだ人のアドバイスなのです。それがこの言葉の真理となるでしょうか。

私自身、長旅を決意したときに一番共感したのが永井龍雲さんの「道標ない旅」の歌詞にあった「青春を旅する若者よ。君が歩けばそこに必ず道ができる。」というフレーズでした。長期の一人旅を行った人というのは世間を探すと多くいるようでしたが、周りでは全くいなく、旅立ちの際には大いに悩みました。その時にふと耳にしたこの言葉に目から鱗が落ちる思いがしました。今は草木をかきわけて道なき道を進んでいても後から振り返ってみればそこに必ず道ができているのではないか。歩けば何かした道ができるはず。それが例え回り道や遠回りでもいいではないか。何よりやらないで後悔するより、行動を起こして後悔した方がいいのでは。そういった感じで旅立ちを決意しました。

そして帰国した現在でもやはりその思いは同じです。結局のところ、ある程度人生の経験を積み重ねた後でないと自分の人生の最短ルートなどといった物はわからないものです。えらく遠回りした・・・、無駄な道を歩いた・・・と思っていたことが、何年か先に思い返した時に「そうでもなかった」というのはよくあることなのです。

というより、今ある自分がそれ以上の存在でもそれ以下の存在でもなく、あるがままなのです。これが人生の真理であると考えるのなら、実は遠回りなんてものは存在しなく、まっすぐな一本道を歩いてきただけのことなのです。人生は日々の積み重ね。日々歩いた足跡の数だけ積み重ねられていくものです。

若い時に無我夢中で草木をかき分けて道なき道を進んでいたつもりでも、ある程度進んで後ろを振り返ったときに自分の歩いた跡に小さな道ができているものです。そして場合によっては自分の作った小さな道を後ろから歩んでくる人が見えるかもしれません。更に多くの人が歩くなるようになると立派な道となるかもしれません。自分が最初に手探りで始めた物事でもいずれは一般的なことになる場合もあります。人が歩かない道を進むのには度胸がいりますが、人がやっていないからとか、一般的ではないからといっただけの理由でやらないのは人生の楽しみの一部を自分で消しているようなものです。

旅の情景スケッチ 砂漠の音楽隊の写真 旅の情景スケッチ
砂漠の音楽隊

ベトナムの葬式行列では音楽隊が演奏をします。

「あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない」 <ヘミングウェイ>

有名なアメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイの言葉です。 古き良き時代の人ですが、意外と現代の旅の本質をうまく突いていると思います。

一時期、世間で「自分探しの旅」という言葉をよく耳にする時期がありました。有名なサッカー選手が引退して旅に出たり、イラクで自分探しの旅をしていた旅行者が殺された頃です。率直に言うと、私は「自分探しの旅」という言葉は好きではありません。なぜ自分を探すために旅に出なければならないのでしょうか。現実の中では自分がわからないのでしょうか。確かに旅というのは日々新しい出来事の連続で、めまぐるしくその状況状況に対処しなければなりません。そういった中で自己鍛錬ができたり、自分の適正を発見したり、新たな価値観を発見する機会になるかもしれません。しかしながらそういった事はあくまでも現実の生活からの延長上の土台に立っていないと見つけにくいものです。

旅とは現実の生活と対をなす存在です。そういった現実と違う世界で自分の何を発見できるのでしょう。ただ旅に出たからといってそういったものが安易に見つかるものではありません。少なくとも自分のやりたいこと、目標を掲げ、それを旅で実践すればこそ現実との比較で新たな発見が生み出されるものではないでしょうか。そういった事を実践している人は自分探しの旅なんて言葉は使いませんし、自分を探すために無闇にさまよっていません。ですから余計に自分探しをしている人と話すとその行動の薄さにふわふわと漂っているだけといった感じがしてしまい、その言葉が好きになれないのです。

とまあ「自分探しの旅」を例に挙げたのですが、「失恋旅行」「感傷旅行」などと現実に問題を抱え、それから逃げたいが為に旅に出るケースが多くあります。これは旅だけではなく、留学にも同じ事がいえます。日本の大学には入るのが難しいからとりあえずテストを受けなくていい海外の大学へ行ってみよう。海外の大学ならランクもわからないし、体裁も繕えるといった感じでしょうか。あるいはワーキングホリデーなどでもそういう人が多いと聞きます。

結局のところ、海外への旅や留学を隠れ蓑にして現実逃避するのは簡単なことです。まさに旅や留学は現実から逃げるには最適な場所だと思います。しかし、人生で難しい事は答えを得る事ではなく、現在直面している問題を正しく認識し、解決を試みることなのです。ヘミングウェイの言葉にあるように、旅に出たとしても自分自身の問題から逃れることはできません。なぜなら問題を解決するのは旅ではなく、自分自身だからです。

確かに旅に出ることで時が流れ、その事で時が心の傷を癒してくれることもあります。また楽しい思い出が記憶を上書きすることでつらい事が薄らぐかもしれません。でも最終的にその物事や問題に対して向き合うのは自分なのです。そのためには現在の自分にとって何が問題となっているのかを正しく直視し、それを解決するために行動しなければなりません。問題から逃げ回っていても後からより大きな問題となって自分に降りかかってくるのが世の常です。それに現実から逃げてばかりいると、問題を直視する事が出来なくなる人間となってしまい、常に安易な方向へ選択肢を求める生き方になってしまうものです。

旅の情景スケッチ バラの女王の写真 旅の情景スケッチ
バラの女王

ブルガリアはバラの産地で、盛大にバラ祭りが行われます。

「かわいい子には旅をさせろ」 <日本の諺>

「ロバが旅に出たところで、馬になって帰って来るわけではない」 <西洋の諺>

「旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにする」 <イギリスの諺>

私自身、小学生の時から一人で旅というか、祖母の家まで4~5時間かけて移動する事がよくあったので、両親が周りの人に「可愛い子には旅をさせろって言うもんね」などと言われているのを耳にしてきました。「可愛い子には危ない事をさせたくないんだよ」と言われても、幼い子供に親心が分かるはずもありません。なぜ可愛い子には旅をさせるのだろうか?可愛くない子は旅に出てはいけないのだろうか?もちろん小学生の頃の私には到底理解できる言葉ではなかったのですが、とりあえず私は可愛い子なんだと褒めてくれているのかなと思っていたので、こう言われて悪い気はしませんでした。そして時が過ぎ、旅というものの本質が分かるようになった大学生になってやっとこの意味が分かり始めました。

親と一緒でなく子供が一人で旅に出るとなると、今まで親が行っていたことを自分でやらなければなりません。仮に一番簡単な一人旅として駅まで親に見送ってもらい、到着駅で親戚などに出迎えてもらうといった簡単な旅にしても、途中で何かあったときは自分で対処しなければならないし、降りる駅を自分で判断しなければなりません。要は自分で判断して行動するという事を行わなければなりません。そのことで自立的精神が養われ、その経験は子供の成長にとって様々ないい影響があるかもしれません。

その反面、子供の判断力では詐欺、誘拐、事故などといった危険も伴うかと思います。だからといって危険な事に目をそらして過保護に育てていては、なかなか子供が自立できません。しっかりとした大人になってもらうためにも思い切って旅に出そうではないか。心配だけどこれも子供の為だ。このような複雑な親心と旅の本質が絡まって、この言葉が生まれたように思えます。

そう考えると、とても日本的でいい言葉ではないでしょうか。これは旅だけではなく日常の生活においても同じ事が言えます。子供が成人した時や学校を卒業したときに本当なら手元に置いておきたいけど、子供のためによくないからとさっさ家から追い出して独立させる親もいます。これも似たような気持ちからの行動ではないでしょうか。

でも西欧では「子供を旅に出しても立派になって帰ってくるとは限らないよ」といった意味の諺が存在します。「ロバが旅に出たところで、馬になって帰って来るわけではない」という諺がそうです。ちょっと皮肉好きな西欧人の考えそうな事だなと感じる一方、これもまた旅の本質をうまく突いている言葉です。

旅、もしくは留学もそうですが短い期間に得る事が多い反面、悪い癖などがつきやすいという諸刃の剣でもあるのです。自分なりに目標や、テーマを決めて旅や留学をしないと、麻薬や遊び癖がついて帰宅することになりかねません。ロバ以下になってしまう事もあるかと思います。「旅もいいけど、ただ闇雲に旅をするだけでは駄目なんだよ。本当に何がしたいのか考えてごらん。」といったような戒めの言葉として使うのが最適でしょうか。

そして一番言い得ているというか、この二つの言葉をまとめた感じなのがイギリスの諺で、「旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにする」とあります。同じような長期の旅でも向上心やしっかりした考え方がある人間は、旅をうまく利用してより自分を磨くことができるかもしれませんが、 考えもなくただ闇雲にだらだらと旅をしているとどんどん日常から離れ、より駄目な人間になってしまうよといったところでしょうか。

旅や旅人についてのエッセイ
#10、旅の名言、格言、諺集1

ー 風の旅人 (2019年9月改訂) ー

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