日本のへそ(真ん中)
日本の真ん中ってどこだろう?日本の隅を調べていて興味を持ちました。
ここでは端に対しての真ん中ということで、緯度とか、位置的な真ん中とか、へそと呼ばれている場所を紹介しています。時間や地図、ネタなどの真ん中は次の章で紹介しています。
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1、日本の真ん中ってどこ?
日本の四隅について調べていると、今度は日本の真ん中ってどこだろうと気になり始めました。そもそも日本の真ん中といった概念はあるのだろうか。日本の中心といえば、誰がなんと言おうと東京だよな。となると日本橋とか皇居?いや政治は永田町で、行政は霞ヶ関で、経済が日本橋の兜町になるのかな。って、それだけでは当たり前すぎて面白い旅のネタになりません。
そういえば青森で日本中央の碑というものを見たし、岐阜では日本の真ん中街道っていうのを走ったぞ。明石市の標準子午線というのもありかな。その線で調べてみよう。最初は日本の四端と真ん中というタイトルで作ろうかなといった軽い気持ちだったのですが、調べてみると四端に負けず劣らず日本の真ん中というのも厄介な代物だという事に気が付きました。
もっともらしいものやら、これはちょっと強引かなというものまで、調べれば調べるほど出てくるのです。緯度や経度で正確に決められてしまう端よりも、色々な定義で自由に日本国内を移動してしまう真ん中のほうが厄介なのかもしれません。
なんだか騙されていると感じつつも、色々とピックアップしてみると2ページに分けなければならないほどの量となってしまいました。とりあえず四端と違って比較的訪れやすい場所にあるので(真ん中だけに?)、お出かけのついでに寄る事ができるのがせめてもの救いでしょうか。
2、日本のへそ 兵庫県西脇市
日本の端っこというのは緯度や経度で決められています。四端の延長としてまず緯度や経度の観点から考察していくと、この西脇市が真ん中の一番手に浮かび上がってきました。
兵庫県の西脇市は明石市のすぐ北にあります。ここでは昭和52年に「日本のへそ」を宣言し、平成元年から「日本のへそです大作戦」を展開し、「日本のへそ公園」やら「日本のへそ公園駅」、「日本のへそモニュメント」をつくったり、「日本のへそ西脇子午線マラソン大会」を開催したりとアピールの仕方が強烈です。
なぜこれほどまでに西脇市は自信満々に日本のへそをアピールしているのかというと、この町を東経135度線と北緯35度線が交わっているからです。
東経135度線は言わずと知れた標準子午線。日本の標準時間を決めています。そして北緯35度線は有効的な日本の端である北端の宗谷岬(北緯45度31分)と南端の波照間島(北緯24度02分)の中間点。だからこの二つの線が交わるこの町が日本の中心だと主張しているわけです。
日本の真ん中と主張している場所は大きな「日本のへそ公園」となっています。ここには・・・、といっても実際はJR日本へそ公園駅から少し北側の加古川の河川敷になりますが、大正12年に旧陸軍参謀本部陸地測量部の計測に基づき建立された「緯経度交差点標柱」と、地面には交差点が埋め込まれています。
これはあくまでも緯経度交差点という標で日本の真ん中といった意味の標でありませんが、大正時代から西脇が日本の中心だったという一つの証となっています。解説を読むと、「大正のへそ」と呼ばれているそうです。
「大正のへそ」に対して、「平成のへそ」もあります。実は平成6年にGPSでちゃんと測ってみたら、経緯度交差点が400メートルあまり離れていることが分かりました。多分、新しい国際規格の緯度経度のことだと思いますが、へその位置が違うぞって事で、その位置にフランス人設計者のデザインによって新しく日本のへそモニュメントが建てられました。
この新しいモニュメントがある場所は山の斜面で、少し登らなければなりません。モニュメントは守護神の槍をイメージした4つの柱で囲まれた正方形の場があり、その中に中心点緯経度が交差している様子が描かれています。
真ん中の緯度が交差する交差点に立つことができますが、いまいち近くでは面白みに欠ける感じです。ただここからの眺めはとてもいいので頑張って登る価値はあるかと思います。
公園内には経緯度をテーマとした西脇経緯度地球科学館「テラ・ドーム」があります。埴輪のような顔がとてもよく目立ち、ユニークで楽しそうな外観の建物ですが、これは地球と月をイメージしたそうです。玄関前の柱には十二宮の星座オブジェが設置されていたりと、細部にも面白い趣向が凝らされています。
館内には日本のへそに関することが展示してあり・・・ということはなく、大型反射望遠鏡を備える天文台が備え付けられていて、科学と天文を楽しめる場として市民に開かれています。
その他公園内には、緯度や経度、地球をテーマにした遊具などが多くあり、体を動かせると同時に頭も使えるといった楽しい雰囲気の公園となっています。
ここまで真ん中にこだわっていると、西脇市が日本の真ん中だと認めたくもなってきます。しかし、関西ではどうか分かりませんが、関東での日本のへそ西脇市の知名度はほとんどないのが実情ではないでしょうか。
もし明石市よりも先に標準時間の町として宣言していたのなら、きっと北緯35度も通る西脇市が日本の標準時刻の町となっていたでしょう。そうなっていたら誰でも知る日本で一番有名なへその地として君臨していたに違いありません。
< 西脇市観光協会のHP >
3、日本のへそ 群馬県渋川市
西脇市が西の日本のへそ代表なら、東の代表は群馬県の伊香保温泉地で有名な渋川ってところでしょうか。その「へそ」たる主張は、日本の四端で書いた本土という概念で、北の宗谷岬、南の佐多岬円周上の点と考えると、日本の中心は群馬県の渋川になるようです。つまり渋川市を中心に円を描くと、日本列島がすっぽりと収まるというわけです。
という事で、昭和59年には「日本のへそ」にちなんで「第1回渋川へそ祭り」を実施し、「へそのまち宣言」を行いました。
が、しかし、この理論から言うと、宗谷岬と佐多岬とが等距離にある場所ならどこでも「へそ」になれるわけで、関東最東端の地である銚子市も我こそは「へそ」なりと主張していたとか・・・今では日本一早い初日の出の町として売り込んでいますが・・・。
これは自分で円を描いてみるとよく分かるのですが、要は渋川と銚子と結んだ線上付近ならどこでもいいのです。例え能登半島の先端でも。って能登半島も中心だと主張していたりします。
しかし「へそ祭り」をやってしまうだけの「へそ」たる自信が渋川市にはありました。もちろん、渋川といえば有名な伊香保温泉のお膝元。温泉地の活性化を含めての客寄せもあったのでしょうが、ここにはなんと「臍石(へそいし)」というものがあるのです。
備え付けの解説によると、平安時代に坂上田村麻呂が、東北遠征に行った帰りに渋川に立ち寄り、この石を見つけて、「東北と都(京都)のまん中だ。ここが国のへそだ。」と言ったとか、言わないとか。
その横には「日本の臍(へそ)中心標」と、日本のまんなか「臍(へそ)地蔵」というのもあります。この地蔵様は一風変っていて、とても大きな臍をしています(臍地蔵だから当たり前か・・・)。それに触ればご利益があるとか、ないとか・・・。
その他にも、町中に「日本の真ん中」をアピールしたものが多かったりしますが、以前よりへそに関する熱は冷めてしまった感じがします。
ちなみに「へそ祭り」とは、毎年7月に開催され、大きなへそをつけた格好をしたり、お腹に絵を描いた格好で踊りながらパレードをするといったようなもの。「へそ出せヨイヨイ」の掛け声で、お腹に絵を描いて踊る「はら踊り」が特にユニークだとか。なんやかんやいって市民の間でも渋川の夏祭りとして定着してしまい、渋川の夏の風物詩になっているようです。
4、日本列島の臍(へそ) 山梨県韮崎市
山梨県の韮崎市にある中心地です。昔調べたときは全くその存在が知られていませんでしたが、近年では知名度が少し上がり、「日本の中心地」とか、「日本のへそ」で検索すると引っかかるようになりました。が、やっぱり非常にマイナーな中心地である事には変わりなく、訪れるのに少々苦労します。
ここの中心地の碑は二カ所に設置されています。まず訪れやすい方は、県道607号線が南宮大神社の所で直角に曲がっているのですが、そこの神社側の石垣の上に「日本列島の臍」の石碑に日本列島の中心地の案内板、そして地図と「日本のへそ→900m」の案内板が並んで置かれています。「日本のへそ→900m」とあるようにここが本当の中心地というわけではなく、わかりやすい場所という事でここに色々設置されているようです。
その900m先にあるという「日本のへそ」はちょっとわかりにくいところにあります。そのまま矢印の通りに607号を進むと、若宮八幡宮の所にまた矢印があり、細い道に入っていきます。そして道なりに進み、お寺の少し先の方で右に曲がって少し行った先にへその地があります。
といっても案内板だけが設置されていて、辺りは果樹園です。ちょうど崖の先端部なので、崖沿いに進むといった感じになりますし、写真にも写っていますがちょっと先に鉄塔もあるので、それを目指す感じで進めばたどり着けるかと思います。
なぜこの地が「へそ」なのか。設置されている看板によると、日本列島の最北端(稚内市)と最南端(鹿児島の佐多岬)の2点を円で囲んだ中央が、日本の最東端(南鳥島)と最西端(与那国島)との中心の経度と交差する日本列島の中心地であり、地元ではこの地を日本列島のへそと呼んでいると書かれていました。
緯度で表すと北緯35度41分27秒、東経138度27分40秒になります。が、結構こじつけたなといった印象です。円で囲ったり、経度の真ん中だったりと南北と東西の基準がバラバラだし、基準の場所も北と南は本土の端、東西は国土の端とこれもバラバラ。案内板を設置しているのも、大草町ではなく、大草公民館って・・・。とってもローカルな感じの中心地でした。
5、日本中心の標 長野県辰野町
「日本中心の標」が長野県の辰野町にあります。この碑がある場所は東経137度59分36秒、北緯36度00分47秒。管理している辰野町のホームページをのぞいてみると、辰野町は東経138度線と北緯36度線が交わり、本州のほぼ中心に位置するこの位置に日本中心の標を建てた」とありました。「本州=日本の中心」と考えれば多少納得できるものの、どうやらこの碑は本州の中心を示しているようです。
この碑のある場所へ行くのが大変で、諏訪湖の西にある岡谷市と更に西側、山を越えた小野という古い宿場町を結ぶ塩嶺王城(えんれいおうじょう)パークラインの途中に枝垂栗森林公園があり、そこから辰野駅方面へ向かう王城枝垂栗林道の途中に展望台があり、そこに「日本中心の標」があります。
厄介なことに王城枝垂栗林道は未舗装のダートの道です。曲がる場所に案内板が建てられているので迷うことはありませんが、案内板によると、ここから6キロちょっと。狭い道だけどバイクなら大丈夫だろうと細い道を進んでいったのですが、最初のカーブを曲がるとすぐにダートとなってしまいました。げ、もうダートかよ。ってことはこれから6キロもこの状態・・・。
もう暗くなってきたしどうしよう。迷ったものの、せっかく遙々来た事だし、この程度のダートなら私の腕でなんとかなるはず・・・と進んでいきました。しかし5分後。坂が急になり、道が曲がりくねっている上に轍がひどく大変。行けたとしても帰れるだろうか。下りのダートで、この道の悪さ、そして暗さ・・・。心配になりながらも更に進んで行くものの、1キロぐらい走って断念しました。
モトクロスや比較的ダートに強いアメリカンタイプならともかく、普通のバイクではちょっと厳しい。仮に転倒してしまったら少なくとも明日まで誰も助けに来てくれないだろうな・・・と思うと、何気に恐怖です。引くのも勇気。バイクの調子も悪かったので引き返すことにしたのですが、こけないようにUターンするのも大変。バイクで訪れるなら明るい時間帯にしましょう。
「日本中心の標」がある場所には日本の屋根展望台と名づけられた展望台があり、南・北・中央アルプス、八ヶ岳連峰、松本平、諏訪盆地、伊那谷などの眺望を見ることができるようです。
なぜここに「日本中心の標」を建ててしまったのか。辰野町の主張する東経138度線と北緯36度線が交わる場所からずれているし、そもそもその中心の定義も微妙な感じです。恐らくこの辺りが真ん中だし、ここの展望台からの眺めがいいし、ここを真ん中にしようといった感じでここに建てられたような気がします。
< 辰野町のHP >
6、日本のど真ん中 栃木県佐野市 (旧名:田沼町)
難しく書くと長い数式になるみたいなので簡単に書くと、日本列島の北端と南端、それに日本海側と太平洋側の各地点から等距離に位置するから我こそは日本のど真ん中だと宣言した町があります。栃木県にある田沼町です。地図で探してみると、佐野厄除け大師や佐野ラーメンで有名な佐野市のちょっと上の辺りになります。
まずここにある道の駅の名が凄い。「どまんなか たぬま」。名前は強烈だけど、建物などは普通の道の駅で、物産展や地域交流の施設となっています。名前以外で真ん中らしいのは「水の翼」と題がつけられたモニュメントです。解説を読むと、周囲の弧の部分が日本列島を表し、中心の金の雫が水の町田沼を表しているとか。
この道の駅から作原方面に20kmぐらいいった山の中に蓬山ログビレッジがあり、そこに「日本列島中心の地」と刻まれた石碑があります。蓬山ログビレッジへは途中途中に後何キロと表示が出ていて迷うことはありませんでした。
蓬山ログビレッジは大きな公園のような施設で、広い敷地内にはログハウスやアスレチックのような遊具がたくさんあり、レストランや売店などもありました。
お目当ての「日本列島中心の地」の石碑は目立つ場所にドンと建っていました。これがでかいし、おまけに紅葉時分に訪れたので、中心の地の石碑が様になっていてとても美しかったです。
その横には面白石(おもっちろいし)と言われる岩があり、なぜ面白石かというと、表面に白い石が付いているからとの説明書きがありました。これは抱腹絶倒とはいかず・・・ふ~んといったところ。「面白い」=「変わった」といった意味合いなのでしょう。
なんで面白石がここにあるのと思ったら日本の真ん中の場所の近くにあったとか。ん、真ん中近くにあったって・・・、そうだ、ここから更に山の中に入った東経139度30分21秒北緯36度30分54秒の地点に日本列島の中心点があったんだっけ。
やっぱりそっちも行っておかなければならないな。案内板ぐらい出ているだろうと向かってみるものの、途中に案内板もなく、尋ねる人もいなく、迷子。しばらくさまようものの、もう日が暮れるし、真ん中の碑はとりあえず見たことだしと諦めることにしました。
現在田沼町は佐野市に合併してしまい、いまいち真ん中だ~といった盛り上がりがないような気がします。佐野市がそういう茶番には興味がないのかもしれませんし、住民も佐野市と合併した事によって地域活性化といった概念が消え、真ん中であることに興味がなくなってしまったのかもしれません。
7、日本列島ここが中心の碑 能登半島禄剛崎 石川県珠洲市
国土地理院は日本の東西と南北端点を基に、「日本の重心」(重さのバランスが取れる場所)を東経137度42分33秒、北緯37度31分03秒と計算しました。その地点を地図で調べると、見事に能登半島と佐渡島の間の日本海上になります。支える陸地がなければバランスの取りようがないではないか!と考えたのかどうか分かりませんが、一番近い陸地である能登半島の先端の禄剛崎に「日本列島ここが中心」という碑を建ててしまったとか。
能登半島の一番先端、珠洲市狼煙町に禄剛埼灯台があります。道の駅狼煙から少し歩いて行けます。能登半島自体結構な大きさがあるので、これぞ陸のどん詰まりといった場所で、日本の4端に引けを取らないぐらいの辺境の地です。「最果ての地狼煙町」として売り込んでいるのも納得です。
そんな能登半島の最果ての地に来たのに、灯台の敷地に日本の中心のモミュメントがあるというのは・・・、何も知らない人は面食らう事でしょう。その辺のアンバランスさが面白いとは思いますが、以前銚子市が真ん中を宣言し、今では日本一の初日の出である事をアピールしているように、どちらかにしたほうがいいような気もします。
ちなみにモミュメントにはこの岬を中心とした円がすっぽりと日本列島を囲っている図が載っていますが、これは先に書いた渋川と同じ事。銚子~渋川~禄剛崎が同一線上にあるためです。
珠洲市に住む友人宅を訪れたときにこの場所に来たのですが、台風後で雨と晴れが交互に入れ替わり、この天候の中長く歩くのもしんどいし、この当時は道の駅はなく、駐車場代がかかるし、真ん中の碑があると知らなかったので訪れずに通過してしまいました。今思えば心残りです。まだ友人は珠洲にいるのでいつかと思いつつも、やっぱり能登半島の先端は遠い・・・。
8、地方版の真ん中
地方にも色々と真ん中とか、へそと名が付く場所がありました。細かいところまで挙げると切りがないので、それなりに有名な地方版のへそをピックアップしてみました。
・本州中央の地 長野県松本市浅間温泉
本州の中心というのが長野県の松本市のちょっと北にある浅間温泉にあります(噴火で有名な浅間山とは全く違う場所です)。「日本中央の碑」として紹介した辰野町も同じ長野県で、松本のおよそ30km南に位置しています。こちらも中心に関しては辰野町とほぼ同じような理論のようで、本州の中心は長野県で、長野県の中心が松本・・・同じ県内で争わなくてもいいのではと思ってしまうのですが、一応こっちの碑には「本州中央の地」と書かれています。碑が建っているのは温泉街にある薬師堂の前です。
では実際の長野県の中心はどこなのでしょう。一応目安として国土地理院の計算による県の重心は、東経138度02分38秒と北緯36度07分48秒が交わる場所です。その地点を捜してみると岡谷市の北にある高ボッチ山山頂付近になります。辰野町の日本中心の碑からは直線距離で約14km北東方向にずれ、浅間温泉からは南東に15kmずれています。やはりどっちもどっちといった感じではないでしょうか。それよりも高ボッチ山を日本の中心の山として積極的にアピールしたほうがいいのでは・・・と思ってしまいました。
< 浅間温泉のHP >
・北海道のへそ 富良野市
富良野といえば「北の国から」のロケ地で有名な町。ラベンダーが咲き乱れ、さだまさし氏の「北の国から」のテーマ曲がら~ら~ららら♪と流れてくるような場所です。ここが北海道の真ん中、へそとなるようで、富良野小学校の校庭に「北海道の中心標」があります。
確かに北海道を地図で見ると富良野が真ん中のような気がします。北海道の重心は東経142度49分26秒と北緯43度28分11秒が交わる点。富良野市は北緯43度09分24秒 ~ 43度24分05秒、東経142度16分17秒 ~ 142度40分40秒に位置しているので、重心でみると少しずれています。ではなぜに小学校の校庭に碑が建っているのでしょう。何かしらの理由があると思いますが、特に明記されていなかったので分かりません。
北海道のへそである富良野に来たといった証明書も富良野物産センターへ行けば、無料で発行してもらえるそうです。でも、北海道の真ん中だからっていう理由だけで富良野を訪れる人はいるのだろうか・・・。そう考えると疑問ですが、それなりの観光地だし、いいアピールの仕方だと感じました。話のネタとしては面白いかもしれません。
< 富良野観光協会のHP >
・九州のへそ 熊本県山都町(蘇陽町)
なんか変った名前です。蘇陽町って防人で有名な九州だから租庸調のことなのかなと思ったのですが(漢字の変換で間違えたため)、昔は「町」なんて言葉は使っていないのだから関係ないはずです。いきなり脱線してしまったのですが話を戻すと、ここが九州版の真ん中です。わが町には何か全国的にピーアールするような事はないだろうかと商工会の人が知恵をひねり、北海道の富良野が北海道のへそとして売り出しているのを知り、九州のへそというネタを思いついたようです。
昭和57年ごろから町おこしの為に積極的に「九州のへそ」をアピールし始め、「へそのシンボル塔」やら「九州のへそ」と名が付く特産品を商標登録したりと、活動的に「へそ」ぶり?を発揮していたのですが、ここもまた栃木の田沼町と同じで市町村合併の波が押し寄せ、平成17年に山都町として再出発する事になりました。
で、合併した後は、一応九州のへそを名乗っているものの、以前のような活気はなさそうな感じです。九州のへそのアピールは採算に合わなかったのだろうか?それともアピールしてもメリットがなかったのだろうか?ちょっと気になりますが、観光客としては九州の真ん中がどこであっても訪れる場所はお決まりのツアーコースであることには変わりありません。
ふと、九州の地図を見ていて思ったのが、私はこの旧蘇陽町のすぐ北にある阿蘇山、すぐ東にある高千穂、すぐ西にある通潤橋、南にある椎葉村と有名な観光地は全て訪れているのですが、この旧蘇陽町は一度も通っていなかったりします。私にとっては「九州のへそ」はまるで台風の目のような場所だなと思ってしまいました。
< 山都町のHP >
・四国のへそ 徳島県三好市(池田町)
四国のへそといえば、徳島県の池田町になるらしい。しかし、地図で場所を確認すると、???。なんか変。明らかに真ん中ではない場所に池田町がありました。なんでだ。普通に考えると、高知の土佐町辺りが真ん中になるはずなのに。これは面白い展開になったぞとばかりに調べてみると、色々と面白い事が分かってきました。
四国という独特の地形により繰り広げられる県民性のドラマといったところでしょうか。簡単に書くと、四国は四方を海に囲まれ、三方が対岸との結びつきが強く、橋やフェリーで結ばれています。東にある徳島県は和歌山や大阪と。北東にある香川県は北の岡山と。北西にある愛媛県は広島と。南の高知県は・・・太平洋・・・いや東京と。といったわけで経済の流れというか、力のベクトルが見事に拡散しています。
となると、強い経済圏と手を結んでいる、もしくは近い場所が力関係では有利になり、日本で二番目の商業圏である大阪に近い場所が力を持った文化圏といえます。そういった視線でみると、東高西低。この池田町辺りが四国の中心だといった視点も経済的に考えるとまんざら間違いではないかなと思えてきます。交通の要所であるというのも事実で、徳島から西に向かう場合、ここで南の高知、西の松山へと道が分かれています。
池田町にはへそっこ公園にへそっこ大橋、そしてへそっこ祭りとあり、なかなかのアピール振り。そして市町村合併で池田町を中心に三好市が誕生。さらにへそ振りを発揮するのかもしれません。
一方、地図で見る中心である土佐町はというと、あまり関心がないような、あるような・・・どうもはっきりしません。町長のインタビューでは、「土佐の魅力は四国の中心地(へそ)に位置し、伝統ある旧国名「土佐」を継承する山紫水明の町である事です。」また、「わが土佐町は、地図を四つ折りにすると、四国の中央(へそ)にあります。」とも言っています。
が、住民はそんな事はどうでもいいといった感じ。県が違うし、今更アピールしてももめるだけで得をしないといったところではないでしょうか。それに四国のへそだからといって何が変るわけでもないような・・・。
その他では愛媛県の伊予三島市あたりも我々が四国のへそだと言っていたりして・・・。四国のへそは四国のまとまりのなさの象徴かもしれません。
旅の雑学のエッセイ日本のへそ(真ん中) 風の旅人 (2020年3月改訂)