風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ バイクツーリングやレースについてのエッセイ ~

§1、バイクの旅、ツーリングとは?

~~~  ツーリングってなんだろう?  ~~~

男鹿半島のなまはげの写真
男鹿半島のなまはげ

ツーリングとはなんだろう?バイクに乗る人なら、「今度ツーリングに行こ~!」といった感じで日常的に使っている言葉ですが、その意図しているツーリングは使っている人によって異ります。

色々な人とツーリングに行くとよく分かるのですが、ツーリング=大勢で温泉旅行や観光旅行を思い浮かべる人もいれば、自由なスタイルの一人旅やらキャンプツーリングを連想する人もいたり、或いはみんなでひたすら峠を攻めまくるような走り屋系のツーリングとか、各地の美食めぐりといった個性的なツーリングを思い浮かべる人もいます。

それはその人やその人が所属しているツーリングチームの普段行っているツーリングスタイルをそのまま象徴しているようです。旅のスタイルが様々なように、バイクの種類が数多くあるように、ツーリングというのも人それぞれ。唯一共通しているのは「バイクに乗って遠くへ出かけること」ぐらいです。

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青森の土偶駅での写真
青森の土偶駅にて

ではツーリングとは「バイクに乗って遠くへ出かけること」という定義で説明がつくのでしょうか?遠くとはどのぐらい遠くでなければならないのでしょうか?遠くならどこでもいいのでしょうか?簡単にツーリングという言葉を使っているのですが、その言葉の定義は結構曖昧だったりします。いや、気にしなければ別に気にしないでいい事かもしれません。しかしながらそう感じてしまったのは仲のいい友人などとツーリングを行う時でした。それぞれの思惑を取り入れてしまうと目的地がなかなか決まらなかったり、ツーリングの方向性もいまいち定まりません。

かといって私があれこれ決めてしまうと、あまりにも旅という色合いが強くなり過ぎてしまい、みんなが本当に楽しめているだろうかと不安になってしまいます。そして、どうしたら意見がまとまるのだろう。どうしたらみんなが楽しめるツーリングが行えるのだろう。そもそも正統派なツーリングは何だろう?なんて思ってしまったのです。

あまり知らない人やバイクチームでのツーリングならある意味業務的に・・・、或いは王道で・・・なんて感じで割り切って行程を決めてしまえばいいのでしょうが、仲のいい友人などとはそれぞれの個性を大切にして楽しく、そしていつまでもツーリングを行い、いい思い出を残していきたいものです。といったわけで、友人などとツーリングをやりやすくする為にも、じっくりとツーリングの本質について考えてみる事にしました。

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~~~  ツーリングの定義は走行距離?  ~~~

羽鳥湖高原での写真
羽鳥湖高原にて

東京の人が仲間とバイクに乗って箱根の温泉に行くというのは、ごく一般的に行われているツーリングです。では、同じメンバーで同じように隣町の健康ランドに行ったなら、それはツーリングとなるのでしょうか?あるいは箱根より遠い静岡の健康ランドに行った場合はどうなのでしょう?改めてそう問われると困ってしまいます。

それを旅で当てはめてみると、東京の人が日帰りでディズニーランドに行くのに旅という言葉は使いません。しかし、日帰りで大阪のユニバーサルスタジオに行った場合はどうでしょう。同じように遊園地に行くという行楽行為でも、後者は旅という概念で捉えているのではないでしょうか。身近な例をあげれば、同じ町の定食屋に刺身を食べに行くのと、遠くの漁港に刺身を食べに行くのでは気持ちの持ちようが違っているはずです。そう考えると長い距離を移動するという事がツーリングの要素に絡んでいるのは間違いありません。一番初めの例でも静岡の健康ランドに行くのをツーリングと考えてもよさそうです。

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しかし長い距離を移動しただけでツーリングになってしまうというのは短絡的すぎます。健康ランドの例にしても箱根の手前の小田原は?もっと近い横浜ならどうなるのでしょう。結局のところ、遠い、近いというのは、人それぞれの感覚の問題です。線引きが難しく、距離だけでツーリングを定義する事はひどく感覚的かつ、錯覚的なものだといえます。つまるところ距離はツーリングの要素の一部分になりえても、本質にはなりえないという事です。なぜなら、もし距離がツーリングの本質的要素なら、遠くへ行けば行くほど模範的なツーリングになってしまうからです。

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東海道鞠子宿での写真
東海道鞠子宿

距離だけの問題ではないのなら、ツーリングの内容、もしくはそれ以外の何かがツーリングの大事な要素という事になります。しかしツーリングの内容となると一番最初に書いたように人それぞれ。分類しきれないほど数多くあります。例えば私の学生時代に、学校の帰りにバイク仲間と隣町のおいしいラーメンを食べに行くのにラーメンツーリングと名付けて行った事もありましたし、友人と魚釣りツーリングなどもやったことがあります。

もちろんこれらは私が勝手にツーリングと命名したもので、正式にツーリングと呼べるかどうかは分かりませんが、それなりに楽しいツーリングだった事は間違いありません。もちろん世間には一般的な温泉ツーリングを始め、紅葉ツーリング、伊豆半島一周ツーリング、憧れの北海道ツーリング・・・これ以外にも多くの種類のツーリングがありますが、これらに共通する事はあるのでしょうか?

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井戸尻遺跡での写真
井戸尻遺跡にて

あれこれと考えていくうちに、一人でツーリングする場合を考えてみました。ラーメン店に一人でラーメンを食べに行った場合、ラーメンツーリングという言葉を使っただろうか。一人で釣りに行く事があっても、普通に釣りに行くと言ったのではないだろうか。なぜ複数の人と一緒ならツーリングと名付けたのでしょう。そのときの事を思い出してみると、仲間とわいわいと楽しくどこかへ行こうと調子にのってツーリングと名付けた覚えがあります。なんだ、そんなことか。いや待てよ。よく考えるとこれがとても重要なことだと気が付きました。

みんなで楽しくどこかへ行こうという気持ちは、他ならない「旅心」というものです。他のツーリングに当てはめてもやはり旅心が含まれています。それはツーリングの文字をツアー(旅行)と変えても違和感を感じない事からわかると思います。逆の例を挙げると、徹夜でマージャンをして、朝みんなで揃って学校にバイクで登校するのに学校ツーリングという発想は浮かんでこないのではないでしょうか。あえて言葉を探すなら集団登校です。旅に出るという気持ちでバイクで出かけることがツーリングの大事な要素になっているようです。

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~~~ 旅とツーリング ~~~

伊豆の旅人岬での写真
伊豆の旅人岬にて

では旅に出るという気持ちとはなんでしょう。それを考える前に、まずはツーリング(touring)という言葉の元になっているtour(ツアー)とは何かを知っておきましょう。ツアーとは旅とは若干意味合いが違っていて「周遊する、漫遊する、簡単な旅行」といった意味を持っています。この言葉どおりに考えるなら「ツーリング=バイクの簡単な旅」といった意味としてとらえる事ができます。

やはりここからも「旅」という言葉が出てきました。「旅」というのがツーリングの定義の核心に絡んでいるのは間違いなさそうです。では本題の「旅に出るという気持ち」、「簡単な旅」の旅とはどういう意味なのでしょう。旅についても詳しく知っておく必要があります。私なりに考えた旅の定義をあげると

1、普段暮らしている生活領域から離れること。
2、その移動には日常生活にまつわる義務を伴わないこと。
3、移動先で人、風景などの出会いがあること。
4、食事や宿泊、観光などを通じて、その土地の文化風習に触れること。
5、一定期間の後に元の生活に戻ること。

といった感じです。簡単にまとめると、旅とは日常の生活習慣や空間を離れ、移動先で人や風景などの出会いがあることです。もっと簡単に言えば脱日常がテーマになっています。旅に出たい気持ちというのは日常の生活からの脱出に他なりません。だから先ほどの例でも学校に行くのにツーリングを使わなかったり、健康ランドに行くのにツーリング?と疑問符がついたのです。そしてあいまいだった距離に関してもこれではっきりしました。日常の生活領域から脱出すれば、それは十分にツーリングの資格があるといえます。もちろん遠ければ遠いほど旅心をそそるのも事実ですが。

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中央構造線上での写真
中央構造線上で

では、「ツーリング」=「バイクの簡単な旅」でいいのでしょうか?ここでちょっとした疑問にぶち当たります。箱根に峠を攻めに行き、温泉に入って帰ってくるというのはツーリングなのでしょうか。確かに日常的生活空間から抜け出していますし、脱日常的行為も含まれています。しかしサーキットに行って、帰りに温泉によって汗を流すというのと同じことではないでしょうか。

また逆に、東京都内を大勢でハトバスと同じルートで走るというのはツーリングなのでしょうか。どちらも十分にバイクの移動を楽しめる距離を走ってツーリングといった気分になりますし、「旅心」を持てる温泉や観光をしています。しかしツーリングはツーリングでも何か違った感じがします。やはり中身にも考慮する必要があるのではないでしょうか。

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関が原古戦場での写真
関が原古戦場にて

旅の中身についてちょっと考えて見ましょう。最初の方にあげた大阪のユニバーサルスタジオに日帰りで行くのは旅の概念が含まれていると書きましたが、実際のところは旅とは違ってレジャー的要素が強いものです。旅の重要な定義である「食事や宿泊、観光を通じてその土地の文化や風習に触れること」が欠けているからです。

もし一泊の行程ならすっきりと旅行と認めてもいいのですが、日帰りならせっかく大阪に行ったのに大阪の文化に触れる機会がほとんどないので、旅行というよりレジャーという事になってしまいます。厳密にいえば・・・といっても微妙なところなのですが、やはり本当の目的が遊園地だった場合、ディズニーランドに行くのと移動の距離が長いか、短いかだけの違いです。

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熊野大社の大鳥居前での写真
熊野大社の大鳥居前で

ではツーリングで考えてみましょう。もし大勢でディズニーランドに行ったならどうでしょう。あるいは日帰りで温泉に行って帰るのはどうでしょう。登山をするのはどうでしょう。よくよく考えていくと、そこに大勢でバイクに乗って行く意義が感じられない場合があります。車でも電車でもいいのでは。登山や温泉などは体が冷えるバイクよりも車で行くほうがいいに決まっています。それをバイクで行くメリットはなんだろう?なぜバイクで行くのだろう?そう考えていくと、ここで旅とツーリングとの決定的な違いを発見しました。

それはツーリングの場合には目的、あるいは目的地での行動の楽しみが、そこまで移動するバイクでの行程の楽しみと対等、もしくは対等以下になっている事です。簡単に書くと、バイクで温泉に行く場合、温泉に入る事だけが目的ならそれは単なるバイクを交通手段とした温泉旅行であってツーリングではないという事です。一方、温泉に入る事もバイクに乗ることも楽しもうとするならツーリングだという事です。旅では最重要定義としてあげられる「食事や宿泊、観光を通じてその土地の文化や風習に触れる事」という定義も、ツーリングでは重要性は低くなり、その代わりにどうしても外せない要素があります。それは「バイクでの移動を楽しむ」ということです。

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~~~ ツーリングの定義 ~~~

尾道の渡し船での写真
尾道の渡し船

一人でのツーリングなら目的の如何を問わず、脱日常的要素(=旅心)があればツーリングと考えてもいいと思います。特に決まった目的がなく、当てもなく、目的もなく、ただ単にバイクに乗って風景を楽しみながら走るのも立派なツーリングになりえます。というより、バイクで何処かへ行こうと思うこと自体が旅心なので、単純に旅の移動手段がバイクと考える方が分かりやすいかもしれません。

しかし大勢の場合は少々複雑な要素が絡んできます。それは集団行動です。行動の基本が集団行動となるので、「バイクでの移動を楽しむ」だけでは不十分となり、「大勢で同じ価値観を共有しながらバイクでの移動を楽しむ」という事が重要になります。もし集団で走る事が楽しめないのなら、目的地までの移動は単なるバイクでの集団移動となり、バイクじゃなくてもといった白けたムードのツーリングとなってしまいかねません。「同じ価値観を共有して」と加えたのは、やはり集団行動である以上みんなが楽しめないとツーリングとはいえないのではと思ったからです。

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田原坂での写真
田原坂にて

例えばバイクでの移動は好きだけど、他人のペースで走ったり、大勢で整列して移動するは嫌だという人が大勢のツーリングに参加した場合、他のメンバーが楽しんでいる部分で苦痛を感じることとなってしまいます。しかもツーリング全体から見たら移動の占める割合は大きいものです。このように他のメンバーが楽しんでいる部分で楽しめないというのは少々寂しいものですし、いずれ気持ちも離れていってしまうでしょう。

かといって移動は別々でといったツーリングでは仲間意識も芽生えなければ、集団でツーリングを行う意味が薄くなります。そもそも移動というのはツーリングの土台部分です。土台がしっかりしていなければ崩壊も早いというもので、同じ価値観を共有できない集団では先が知れています。そういったことを考えると、集団で走行する場合にはある程度同じ価値観を共有している事が必須とまでいかないにしても、あることが望ましいと感じます。

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ということで、今までの考察から私なりにバイクツーリングの定義をまとめてみると、こういった感じになります。

*バイクツーリングの定義
・旅心をもてるだけの距離を走ること。(日常の生活圏から外に出ること)
・目的地までのバイク移動や集団移動が楽しいものであること。
・全体を通して旅心がある事。(日常のしがらみに縛られない脱日常的行為であること)


*口語的ツーリングの意味  (世間一般に認識されている事)
・バイクで長距離を走ること、もしくはバイクで旅行すること
・遠乗りを目的に集団で走ること

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屋久島での写真
屋久島にて

私なりにツーリングを理論的に(・・・たぶん)考えてみた結果、こういった定義が思い浮かんだわけですが、実際のところ「旅心」とか「楽しさ」というのは人それぞれの気持ちの問題でもあります。ですから、その人やその集団がこれがツーリングだと思ったツーリングや楽しいと感じているツーリングもまた立派なツーリングであるというのも事実です。旅のスタイルが人それぞれなように、ツーリングのスタイルも人それぞれであってもかまわないし、むしろそうあるべきだと思います。

ただ、個人、あるいは数人でツーリングを行うのならそれでかまわないのですが、大勢で行うツーリングで各々が自分のツーリングを主張したなら収集の付かない事になります。それはツアー旅行や団体旅行、しいては普段の集団生活でも同じ事かもしれません。このように大勢の人がまとまろうとする場合には、個人の方が所属する集団の規則に合わせる努力をしなければなりません。そのためには集団の方がはっきりとした立場を示すべきで、それには活動方針や筋の通ったルールが必要になってきます。そうしないと個人がその集団の色に近づく努力ができないからです。

といった事から、やはり親しい仲にも礼儀ありといった感じで、チームや仲間を大事にして長くツーリング活動を行うのなら、面倒臭いかもしれませんが最初にルールや方針を決めておく事は大事かと思います。そうしないといずれ価値観の違いからチームの崩壊が進んでいく事は容易に推測できます。ただでさえバイク乗りはわがままな・・・、いや個性的な人が多いのですから・・・・。

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<バイクツーリングやレースについてのエッセイ §1、バイクの旅、ツーリングとは? 2006年8月初稿 - 2015年11月改訂>