風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
バイクのエッセイ

バイクのチームや愛好会

世間には色んな趣味を共有したクラブやチームがあります。バイクにも多くの愛好会やバイククラブ、バイクチームがあります。でもなかなか一つの集団にまとまるのが難しいのがバイクのチームの実情だったりします。

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1、バイクのサークル

世間には色んな趣味を共有した集団があります。愛好会とかサークルといった部類のもので、他人と趣味を共有できるのはとても楽しいことです。もちろんバイクに関しても多くの愛好会やバイククラブ、バイクチームといった集団が存在します。

関東では伊豆や日光などを大勢のバイクが集団でツーリングしている光景をよく見かけるのではないでしょうか。バイクに乗らない人からすると、大勢で走っている様子が楽しそうに見えるようで、バイククラブに入っている話をすると、「あの大勢で走っているやつでしょ。なんかあれ楽しそうだよね。」というような感想をよくもらいます。

もちろん中にはバイクの集団に対してうっと惜しく感じている方もいるかと思いますが・・・、そういうことはなかなか面と向かっては言えないものですからね。

バイクのクラブといってもこういったツーリングをするクラブもあれば、レースを専門にするバイクチーム、バイクについて熱く語るサークル、あるいは同じメーカーのバイクを共有するオーナーズクラブなどなど、世間には色んな種類のバイクのチームがあります。

どれも個性的でテーマがしっかりとしたバイクチームです。ではテーマがしっかりしないバイククラブはどうなのでしょう。バイクが趣味というだけでクラブはまとまれるのでしょうか。

例えば写真愛好会でも、撮りたい写真は人ぞれぞれ。いくら写真が好きとはいえ好きでもない山の写真を撮るためにわざわざ山には登りたくはないものです。花が好きではない人にとって花の名所を訪れる撮影会ばかりは退屈なものです。

そういった目線からみるとバイクにしてもカメラにしても道具でしかありません。それを所有する人間によって使い方や価値観がそれぞれあるわけで、単に同じ道具を使っているだけで人間がまとまる難しさがあります。

ここでは私が所属していた大学のバイククラブの紹介と、その時に感じたバイククラブがまとまる難しさ、そしてバイクに乗る人が少なくなり、クラブが衰退していった経緯について書いています。

大観山での集合写真
大観山での集合写真

昔は大学のサークルとはいえメンバーが多かったです。

2、クラブの起源

まず最初に私ごとですが、大学のバイクサークルに入ったのは二年の時でした。一年の時はちゃんとした部に入っていたのですが、部は規則や練習が厳しく、旅や旅の資金を調達するためのバイトとの両立が難しい状態でした。これでは両方とも中途半端になってしまう・・・、とまあ色々考えた末に退部することにしました。

そして今度は比較的緩やかなまとまりであるサークルがいいと、バイクのサークルに入ることにしました。私が所属したバイクサークルは、正式チーム名を「ヨーロピアンライダース クラブ ブルーウインド(EUROPEAN RIDERS' CLUB BLUE WIND)」と、少しこじゃれた感じの名がついていました。

私的にはツーリング仲間、どちらかというと旅仲間を探して入ったのですが、サーキットで走る仲間を捜して入った人、バイクについて話す人が欲しくて入った人などそれぞれの思惑があり、ちゃんとした部と比べてしまうとなんかまとまりのないというか、目指す目標が違うメンバー構成だなというのが第一印象でした。

創設は1980年とそれなりの歴史があり、なんでヨーロッパなんだ?ブルーウインドとはどういう意味なんだ?などといった事は所属していた人間ですらどうでもよかったことだったので、部外者にはもっとどうでもいいことかと思いますが、卒業後に創設者に質問する機会があったので一応書き加えておくと、走っているときに空を見上げたら青い空が風に感じたからだとか。

あまりはっきり覚えていない事から推測すると、名前に関しては特にこだわりはなく、思い付きで決めてしまったようです。そもそも創設したきっかけが彼女に振られて心の空白を埋めるだとか・・・。やっぱりどうでもいいことですね・・・笑。

大学の卒業記念写真
大学内での卒業記念写真

バイク乗りはガラが悪く見えてしまいます。

一方、ヨーロピアン・ライダース・クラブに関しては少々こだわりがあり、それを知るには、まず私が知らなかった1980年当時のバイク事情を理解することから始めなければなりませんでした。

1980年頃は生産されていたバイクを大まかに分別すると、ヨーロピアンタイプ(今で言うレプリカやネイキッドなど)、アメリカンタイプ(現在のアメリカンよりもどちらかというとネイキッドぽい)、オフロードタイプ(野原やダートを走るタイプ)、スクーター(いかにもおっさんの通勤用)と4種類に分けられていたようです。

アメリカンタイプは今でも変わらずそう呼ばれていますが、ヨーロピアンタイプという言い方はほとんど使われなくなりました。それはヨーロピアンタイプのバイクは凡庸性が高かった為、技術や流行とともにレーサータイプとか、レプリカタイプ、シングルタイプ、ネイキッドタイプ、ツアラータイプ、ストリートタイプなどと、より機能的かつ、効率的に細分化され、そう呼ばれるのが当たり前になっていったからです。

簡単に書くなら当時のスピードの出るようなバイク(前傾姿勢で乗るタイプ)がヨーロピアン・バイクと分類されていて、チーム名の前にヨーロピアン・ライダース・クラブと肩書きを付ける事で、のんびりと風景を見ながら走ったり、ダートコースを走ったりするバイクのサークルではなく、我々はスピードを出して走ることを好むバイククラブだと公言していたわけです。

ちなみに創設された1980年頃は、走り屋というか、暴走族というか、とにかくバイク全盛の時代だったようです。峠では多くのライダーがスリルと興奮を求めローリングし、また都市部では夜になると爆音を轟かせ暴走族が徘徊し、多くの死者や怪我人が出て社会問題になっていた時代でした。

そんなバイクに関して熱い時代に創設されたのがブルーウインドで、走り屋としての価値観を共有できるバイク乗りが集まっていました。私の所属していた「ブルーウインド」とはなんだろうと考えると、「80年代の熱い走り屋の遺伝子を引き継いだバイク乗りの集団」というのが言い得ているのかもしれません。

しかしながらサーキットで走っているならともかく、公道で熱く走っていれば事故やトラブルも絶えないわけで、学生らしく健全な活動が建前の大学にとっては好まざれる存在でした。実際にかなり問題のある団体だったようで、大学の公認団体になるまでに10年の長い年月がかかっています。

大学での写真
大学前で

卒業前に大学の前で写真を撮るのが恒例でした。

3、最初の分岐点

走り屋集団として始まったバイクサークルでしたが、やはり大学内にあるチームという事で何でもありというわけにはいかず、その活動が制限されたり、その形態を変化させていきました。

月日は流れ、設立に深く関わった人が卒業していった頃には、いくつかの定例ツーリングが定着するなど、非公認団体ながらちゃんとしたサークルに進化しつつありました。それと共に若く野心的な人が多く集まるので、新しい試みや色々な思惑が起こり、設立当初の一貫した価値観が崩れ始めていました。

これが最初の転機で、峠で走るだけでは飽き足らず、サーキットへ向かう者。オフロード車で林道を走る者。ジムカーナでライディングテクニックを極めようとする者。それぞれがそれぞれのバイク観をもってバイク活動を行うようになりました。こうなったのも他にバイクのサークルがなかったため、主義は違ってもバイク好きが集まり、それを拒む理由もなかったからです。

しかしながら創設者の価値観を正しく受け継ぐ活動が正統派なら、ヨーロピアン・ライダース・クラブの肩書きと矛盾する活動は邪道となります。邪道を許すべきか。少々のいざこざがあったようです。

しかし分裂しなかったのは、「バイクというものを速く走らすこと」「バイクというものをうまく操ること」といったバイクの運転技術向上がそれぞれの活動の前提になっていることと、そして何より同じようにバイクが好きだという大きな二つの共通点があったことがあげられます。

それに何か新しいことに挑戦しようという精神は創設者から引き継いだもの。単にバイクが好きで集まっているのではなく、そういったこだわった主義があったからこそ我の強い個々が集団としてまとまっていられたのではないかと思えます。

ツーリングの休憩中の写真
ツーリング中

昔は2ストやつなぎを着た人が多かったです。

4、安定期

設立してから10年も経つと活動自体が安定し、メンバーの多くが参加する年一回の伊豆半島一周ツーリングと、参加できる有志で行われる月例ツーリングを活動の中心として、緩やかな規則の下にバイクの集団がまとまっていました。

そして11代目の部長の時に次の転機が訪れます。長年申請し続けていた大学公認団体の許可がようやく通り、念願の大学公認の団体となります。

創設してから11年目。サークル活動が完全に安定してきた証明なのか、大学の規制緩和の一環なのかは微妙なところですが、サークルが大学の公認であるのと、ないのでは、学内に設置できる出店や新入生の勧誘においても月とすっぽんの差となります。

これでなんとか他のサークルと肩を並べられる立場を手に入れることができたのですが、その反面、顧問が付き、大学公認という立場上、これ以降はあまり過激に活動を行うことができなくなってしまいました。

とはいうものの、基本的には走り屋の集団であることには変わりがなく、一度熱くなったら止まらないのは必定。公認団体の地位を失わないようにと、これ以降の部長は今まで以上に精神的負担が増えてしまいました。

学校公認サークルとなったことで、勧誘を熱心に行わなくてもメンバーが集まるようになり、人が増えればクラブに活気が溢れ、未来は明るい・・・となるはずでしたが、別の問題も持ち上がってきました。

今までは公認ではなかったので、野心的というか、強烈なバイク好きというか、走り屋として志を共にするようなバイク乗りが、「バイクというものを速く走らすこと」「バイクというものをうまく操ること」といったヨーロピアン・ライダース・クラブの趣旨に共感して自ら志願してクラブに入っていました。

それが公認となったことでバイクに興味がある人が誰でも入れる環境に変わり、ヨーロピアン・ライダース・クラブの肩書きとは違った価値観を持った人が混ざるようになってしまいました。

バイクは好きだけと、必死になってカッとんで走るのはどうなの?という人が増えていくと、徐々にサークル活動のベクトルが様々な方向に向いてしまいます。もちろん10年ひと昔、暴走族や走り屋に対する目線が厳しくなり、バイクの走り屋も徐々に減りつつあったのも一因です。

活動自体は今までとそこまで変わりませんでしたが、人が増えた分、サーキットからモトクロス、旅ツーリングまで様々な活動が行われる半面、バイクの種類の統一感がなくなり、ツーリングでのペースも揃わなく、またツーリング先でやりたい事も様々。人が増えた分だけまとまりがなくなりつつありました。

安定している時こそ何か蝕まれているものだ。というのが世の常です。だからこそこういった時に色々と新しい挑戦を行っていくべき・・・と後から言うのは簡単ですが、結局のところ活動が安定しているからこそ何かを変えにくかったり、色々と見えにくかったりもするものです。

伊豆白浜での集合写真
伊豆白浜で

年に一度伊豆半島を一周するツーリングを行っていました。

5、バイクの流行の変化

次の転機は世の中の流れでした。いわゆる流行というもので、80年代全盛期だったレーシングレプリカブームは去り、90年初頭、90~92年の国内二輪車販売台数第1位の座はネイキッドであるカワサキの「ゼファー」に変わりました。

ネイキッドブームの到来です。バイクといえば「ゼファー」というぐらいに流行し、各メーカーが力を入れたことで一気にネイキッドタイプが町中にあふれかえりました。バイクらしいバイクといった姿や、町乗りから遠出までこなせてしまう汎用性、二人乗りのしやすさ、そして今までレースタイプはちょっと・・・でもバイクに乗りたいというような人に受けたようです。

この頃は以前のような爆発的なバイクブームは収まったものの、まだまだバイクに乗る人は多く、ブルーウインドに所属するメンバーも大勢いました。しかしながら活動自体はバイクの流行の変化や社会の流れに沿うようにサーキットや峠から徐々にツーリング主体へ移行しつつあり、メンバーの趣向も徐々に過激なローリングから安全志向へ変わりつつありました。

そのネイキッドブームが頭打ちになると、1993年にはアメリカンタイプであるホンダのスティードがダントツで販売台数ナンバーワンに躍り出ました。スピードや技術のヨーロピアンに対して、雰囲気や快適性のアメリカン。ヨーロピアン・ライダース・クラブを冠するブルーウインドにとっては不吉な兆しでした。

事実これ以降、おしゃれなバイクや雰囲気で乗るバイクに人気が集まり、町中や大学の駐輪場ではアメリカンやシングルの占める割合がどんどん増えていきました。極端な前傾姿勢で乗るレーサータイプのバイクはどんどんと少数派になっていき、周りからは冷めた視線で見られることもしばしば。中途半端な気持ちでレーシングレプリカに乗れなくなってきました。

もちろんこの頃のメンバーのバイクの種類もまとまりがないほど様々でした。よく言うなら流行に敏感な大学生のバイクチームを象徴しているとも言えるかもしれませんが、実際のところは4年でメンバーが入れ替わってしまうので、流行の周期が短くなればなるほど様々なバイクが揃ってしまうのです。

このような雑居状態では共通項を見つけてまとまること自体難しく、バイクサークルというよりはツーリングサークルとしてまとまるしか手段がない状態でした。それ以外のローリングとかサーキット活動は有志を募って行うしかなく、バイクという共通項でまとまっているようで、実はツーリングでまとまっているようでもあり、でもツーリングの参加率から考えると・・・、やはり特にまとまりのない集団といった感じでした。

大観山での集合写真
霧の大観山

色々な気象条件でツーリングを行いました。

6、バイク環境の変化

更なる転機は法改正でした。1996年9月に大型自動二輪の免許が教習所で取得できるようになり、翌97年から実際に教習所で取得できるようになりました。これによってアメリカンや、シングルに変わって世間では大型車と外車ブームの到来です。しかしながら大学生にはそう簡単にバイクを買い換えたりするお金がないのが実際で、ブルーウインドに本格的に大型車のブームが訪れるのは数年後のことでした。

そして更なる法改正が行われ、1999年10月の排気ガス規制によって細々と存在し続けていたレーサーや走り屋御用達の2ストレプリカが全て生産終了となってしまいました。この法改正後にカタログから原付を除く2ストバイクが消えていく事になります。2ストのバイクは軽くて加速や旋回性にすぐれます。それ故に峠の主役として走り屋に愛され続けてきました。

でも排気ガスと一緒にオイルや排ガスを盛大にばらまいて走るというのが難点で、環境に優しくないという事から生産中止となりました。集団で行うツーリングでは、2ストバイクの後ろを走るとオイルが飛んでくるので、一番後ろを走れとか、先に行けとか、ずっと以前から厄介者扱いされていたのが実際です。

2ストバイクが消え、二輪の世界選手権の最高峰クラスも2ストから大排気量の4ストになりました。そのことにより大型バイクの技術革新が進んでいき、大排気量車の軽量化が目覚しいスピードで進んでいきました。

より軽く、より安定したパワーのあるマシン。峠の主役がいつしか2スト250ccから完全に4スト600ccに変わり、もちろんブルーウインドもかつての2ストのオイル臭い集団から、今時の斬新なデザインをした4ストマシンの集団に変わっていきました。もちろんバイクが変わってもやっている事はそう大差なかったりしますが・・・。

西伊豆での集合写真
西伊豆での集合写真

セピア色の思い出です・・・。

7、消滅の危機

そしてブルーウインドにとって崩壊の危機が訪れました。アメリカンのブームが廃れ、大型車のブームが頭打ちになった頃、意外な伏兵が現れました。それは今までおじさんバイクとしか評価されていなかった大型スクーターです。若者の間にあっという間に広がり、学校の駐輪場には今時のスクーターが並ぶようになりました。

スクーターのデザインや性能がよくなったのもありますが、シールや電装等で外観をお洒落にカスタムし、大きな音量で音楽を流しながら走るのが流行となりました。今の若者にとってバイクは命を削る思いをしてまで峠を攻めるものではなく、街中を彼女とタンデムしたり、音楽を流しながら走ったりするものとなってしまったようです。

こうなってくるとヨーロピアンだ!アメリカンだ!などといっている場合ではありません。両方とも同じ部類に思えてきます。もちろんスクーターも同じ二輪車なのですが、やはりスクーターはスクーターで、バイクはバイクといったところでしょうか。

移動手段、道具としてみるなら同じ2輪車ですが、趣向や機能面、走行性能から考えるとやはりその違いは明らかです。だからスクーターに乗る人でバイクサークルに入りたいとか、興味を持つ人はまれで、バイクの人もあまり積極的にスクーターと一緒に走りたいと思いません。旅のサークルなら同居できますが、バイククラブだと棲み分けがどうしても必要となってしまいます。

また同時に、若者自体がバイクに乗らない傾向になりつつありました。危ないから、危険だからと車へ・・・、いや車も乗らない若者が増えているとか・・・。こういった事は時代の流れというか、風潮によるものなので今の若者がどうのこうのといった議論をしてもしょうがありませんが、全体的にバイクに乗る若者の人口が減っているというのにスクーターが流行ったり、アメリカンなどのお洒落なバイクが若者の人気になっている状態では峠を主体に走るバイクサークルに人が集まるはずもありません。

更に悪い事に、部員が減少したブルーウインドに追い討ちをかけたのが、近隣への騒音公害の為、大学へのバイク通学が禁止となった事です。これもいってみれば時代の流れであり、都市部にある大学の宿命といったところでしょうか。もちろんいきなりというわけではなく、4年前からちゃんと通知されていたことでしたが、この影響は大きく、バイククラブとして存続が危ぶまれる状態となってしまいました。

西湘PAでの集合写真
西湘バイパス

バイクの集合場所としてはメジャーです。

8、サークルの消滅

その後メンバーが少なくなり、学校公認団体が解除されました。それでも在校生の数名が卒業生の力を借りて細々と活動を行っていましたが、最終的にはブルーウインドは消滅してしまいました。

バイク通学禁止が決定的な要因となったのですが、それ以前から部員が減少していたことを考えると、都会に暮らす若者のバイクの文化が変わってしまったという事が一番の要因となるでしょうか。

大学にあるバイクサークルなので、メンバーは基本的に4年で全て入れ替わってしまいます。だから一番の多感期といわれる中学や高校時代にネイキッドやアメリカンが流行れば、大学生になったらそういったバイクに乗りたいと思うだろうし、スクーターが流行ればそういったものに憧れるものです。

1980年に創設されたブルーウインドですが、80年代はレーシングレプリカの全盛期。その時にバイクに乗っていた若者で、大排気量のスクーターが20年後に若者の人気になると思っていた人がどれだけいたでしょう。今の若者で80年代の熱い時代を理解できる人がどれだけいるでしょう。

チームのコンセプトがあってもメンバーの世代交代がどんどん行われる環境では、主義や価値観といった抽象的なものはどんどんと薄くなっていきます。これがバイクショップなどが主体となっているバイクサークルだった場合、きちんと軸となる人がいてチームの方針や活動を長期間継続させる事ができますが、大学の場合だとやはりそれが難しく、ブルーウインドでもそれがうまくいかなかった感じがします。

ただ大学のサークルである以上、同じ大学の仲間という共通項は卒業してからも変わらないので、卒業生が年に数回ツーリングを企画したり、周年のパーティーを開いたりと、卒業後にも繋がりがもてるのは、他のバイク団体にない強みとなるでしょうか。ただ、やはり年代ごとにといった感じになってしまいますが。

25周年の記念パーティーでの写真
25周年記念

卒業してもつながりがあるのが、
大学のバイクサークルの強みです。

9、バイクチームがまとまる難しさ

ではどうすれば衰退しなかったのでしょうか。単純に前時代的なヨーロピアン・ライダース・クラブの看板を下ろし、万人受けする二輪愛好会ブルーウインドに変わる努力をすればよかったのでしょうか。

確かにそうすれば現在のバイク好きの学生、スクーターに乗る人を含めてメンバーが集まれる環境を作れたかもしれません。しかし安易にバイク好きな学生を集めたとしてもバイク自体が道具である以上、それを使う人間の性格や趣向は千差万別です。

音楽でいうならロック、ハワイアン、クラシック、フォークが混在しているような状態でしょうか。音楽のサークルがジャンルごとに住み分けしているのはなぜでしょう。ロックをテンポ良く練習している横で、スローテンポなハワイアンを練習されたらリズムが狂うのと一緒で、スピードを求めるレーサータイプの人と外観やかっこよさを重視のスクーター乗りの人が一緒に活動してうまくいくかと言われると、ペースが合わなかったり、走り方の哲学や趣向でもめる事が多くなりそうです。

でも活動の基本をツーリングとして、後はそれぞれのバイクスタイルにあった集団ごとに活動するというのもありかもしれません。とはいうものの・・・、これではバイククラブというよりもバイク旅行サークルとなってしまいます。

バイク乗りの集団を一時的にまとめるには誰しも持ち合わせている旅心を求心力にするのは的を得ていると思いますが・・・、これではやはり旅サークルとなり、バイクである理由が薄れてしまいます。それにツーリングばかりではツーリングが目的で入っていない人は次第に価値観の違いから心が離れていってしまいます。

結局のところ、「同じ大学」、「バイク乗り」という共通項があったとしても、そこに仲間意識が芽生えなければ、長い時間を共有し、活動を共にすることは難しいのです。

仲間意識というのはただ一緒にいるだけで形成されるものではなく、仲間として共同作業が行われることによって培っていくものです。いくらメンバーが多く、それぞれがツーリングだレースだと自由参加の活動を多く行っていても、全体としての仲間意識が培われなく、数人ごとの集まりが集合した集団という、微妙なまとまりにしかなりません。

年に一度みんなが参加するような大きな挑戦のしがいのある大きなツーリングがあったなら、或いはチームとして参加できるレースがあったならそれを目標にチームがまとまったのでは・・・、今から思うとそう感じます。

また、バイク乗りという人種は個性的な人や自我の強い人が多いです。バイク自体が基本的に一人で乗る乗り物で、乗っている間は自分の世界に入ってしまう事が多いからです。これは一人旅をするバックパッカーと似ていて、バックパッカーがうまく集団としてまとまらないのと同じで、バイク乗りも自分のペースがあり、自我がありといった感じでうまくまとまる難しさを感じることも多くありました。

とりわけ自分の興味のない事には無関心な事が多いのには困ったもので、様々な種類のバイク乗りが集まった場合、チーム全体として同じ方向へベクトルを向けるのが難しいが実際のところです。きっと多くのバイクチームで悩んでいる事でしょう。

なんていうか、一言で言うなら「微妙なバランスでのまとまり」というのがバイクチームの実情となるのでしょうか。バイク乗りと長く付き合っていて思ったことです。

バイクのエッセイ
バイクのチームや愛好会
風の旅人 (2020年3月改訂)

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