風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ バイクツーリングやレースについてのエッセイ ~

§3、バイクのチームや愛好会

大観山での集合写真
大観山にて

世間には色んな趣味を共有した集団があります。愛好会とかサークルといった部類のもので、他人と趣味を共有できるのはとても楽しいことです。もちろんバイクに関しても多くの愛好会やバイククラブ、バイクチームといった集団が多く存在します。関東で比較的よく見かけるのは伊豆や日光などを集団でツーリングしている光景ではないでしょうか。

バイクに乗らない人から見ると、大勢で走っていてなんかあれ楽しそうだねといったような印象を受けるようで、バイククラブに入っている話をするとよくそういった感想をもらいます。もちろん中にはバイクの集団に対してうっと惜しく感じている方もいるかと思いますが・・・、そういうことはなかなか面と向かっては言えないものですからね。

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それはさておき、単にバイクのクラブといっても世間には色んなバイクの集団があります。ツーリングをするバイクチームの他には、レースを専門にするバイクチーム、バイクについて熱く語るサークル、あるいは同じメーカーのバイクを共有するオーナーズクラブなどなど。どれも個性的でテーマがしっかりとしたバイクチームと感じます。

ではテーマがしっかりしないバイククラブはどうなのでしょう。バイクが趣味というだけでクラブはまとまれるのでしょうか。例えば写真愛好会でも、撮りたい写真は人ぞれぞれ。いくら写真が好きとはいえ好きでもない山の写真を撮るためにわざわざ山には登りたくはないものです。花が好きではない人にとって花の名所を訪れる撮影会ばかりは退屈なものです。

そういった別の目線からみるとバイクにしてもカメラにしても道具でしかありません。それを所有する人間によって使い方はそれぞれあるわけで、道具を趣味とした団体は使う価値観の違う人間がまとまる難しさがあります。ここではそういったバイクの集団がまとまる難しさを私が所属していた大学のバイククラブの紹介とその衰退した経緯を例えにして少し書いています。

*** 起源 ***

ツーリングの休憩中の写真
ツーリングの休憩中

まず最初に私ごとですが、大学のバイクサークルに入ったのは二年の時でした。一年の時はちゃんとした部に入っていたのですが、部は規則や練習が厳しく、旅や旅の資金を調達するためのバイトとの両立が難しい状態でした。これでは両方とも中途半端になってしまう・・・、とまあ色々考えた末に退部することにしました。

そして今度は比較的緩やかなまとまりであるサークルに入ろうとサークルを探し、バイクのサークルに入ることにしました。私なりにはツーリング仲間、どちらかというと旅仲間を探して入ったのですが、サーキットで走る仲間を捜して入った人、バイクについて話す人が欲しくて入った人などなどそれぞれの思惑があり、ちゃんとした部に比べてしまうとなんかまとまりのないというか、目指す目標が違うメンバー構成だなというのが第一印象でした。

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さて、その私が所属した大学のバイクサークルですが、正式チーム名を「ヨーロピアンライダース クラブ ブルーウインド(EUROPEAN RIDERS' CLUB BLUE WIND)」といい、創設は1980年とそれなりの歴史を持っていました。なんでブルーウインドなんだ?などといった事は所属していた人間ですらどうでもよかったことだったので、部外者にはもっとどうでもいいことかと思いますが、卒業後に創設者に質問する機会があったので一応書き加えておくと、走っているときに空を見上げたら青い空が風に感じたからだとか。あまりはっきり覚えていない事から推測すると、名前に関しては特にこだわりはなく、思い付きで決めてしまったようです。そもそも創設したきっかけが彼女に振られて心の空白を埋めるだとか・・・。やっぱりどうでもいいことですね。

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大学の卒業記念写真
大学の卒業記念

一方、ヨーロピアン・ライダース・クラブに関してはこだわりがあったようです。それを知るには、まず私が知らなかった1980年当時のバイク事情を理解することから始めなければなりませんでした。

聞くところによると、1980年頃は生産されていたバイクを大まかに分別すると、ヨーロピアンタイプ(今で言うレプリカやネイキッドなど)、アメリカンタイプ(現在のアメリカンよりもどちらかというとネイキッドぽい)、オフロードタイプ(野原やダートを走るタイプ)、スクーター(いかにもおっさんの通勤用)と4種類に分けられていたようです。アメリカンタイプは今でも変わらずそう呼ばれていますが、ヨーロピアンタイプという言い方はほとんど使われなくなりました。

それは恐らくヨーロピアンタイプのバイクは凡庸性が高かった為、技術や流行とともにレーサータイプとか、レプリカタイプ、シングルタイプ、ネイキッドタイプ、ツアラータイプ、ストリートタイプなどと、より機能的かつ、効率的に細分化され、そう呼ばれるのが当たり前になった感じです。要するに当時のスピードの出るようなバイク(前傾姿勢で乗るタイプ)がヨーロピアン・バイクだったのです。

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だからチーム名の前にヨーロピアン・ライダース・クラブと肩書きを付ける事によって、のんびりと風景を見ながら走ったり、ダートコースを走ったりするバイクのサークルではなく、我々はスピードを出して走ることを好むバイククラブだと公言していたわけです。こういった経緯を知っていれば私もツーリング仲間を探しにといった感じでサークルに入らなかったのでしょうが、全く知らなかったので飛ばす人が多いな・・・。なんかちょっと求めるものが違うような・・・といった感じでした。

ちなみに創設された1980年頃は、走り屋というか、暴走族というか、とにかくバイク全盛の時代だったようです。峠では多くのライダーがスリルと興奮を求めローリングし、また都心部では夜になると爆音を轟かせ暴走族が徘徊し、多くの死者や怪我人が出て社会問題になっていた時代でもあったようです。そんなバイクに関して熱い時代に創設されたのが私の入ったバイククラブでした。

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そのコンセプトは先に挙げたように同じ走り屋としての価値観を共有できるバイク乗りを集め、峠を熱く走る走り屋の集団を目指していたようです。ですから私の所属していた「ブルーウインド」とはなんだろうと考えると、「80年代の熱い走り屋の遺伝子を引き継いだバイク乗りの集団」というのが言い得ているのかもしれません。

しかしながらサーキットで走っているならともかく、公道で熱く走っていれば必然的に事故やトラブルも絶えないわけで、学生らしく健全な活動が建前の大学にとっては好まざれる存在だったに違いません。実際にかなり問題のある団体だったようで、それは大学の公認団体になるまでに10年の月日がかかったことから容易に想像がつくのではないでしょうか。

*** 最初の分岐点 ***

伊豆白浜での集合写真
伊豆白浜で

走り屋集団として始まったバイクサークルですが、やはり大学内にあるチームという事で、色々な諸事情からその活動が制限されたり、その形態を変化させてきました。何より若く野心的な人が多く集まるので、色々な思惑ができてしまうのはしょうがない事です。

月日は流れ、設立に深く関わった人が卒業していった頃には、いくつかの定例ツーリングが定着するなど、非公認団体ながらちゃんとしたサークルに進化しつつありました。それと共に設立当初の一貫した価値観が崩れ始めていました。これが最初の転機です。

峠で走るだけでは飽き足らず、サーキットへ向かう者。オフロード車で林道を走る者。ジムカーナでライディングテクニックを極めようとする者。それぞれがそれぞれのバイク観をもってバイク活動を行うようになりました。こうなったのも他にバイクのサークルがないため、主義は違ってもバイク好きが集まり、それを拒む理由もなかったからです。

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しかしながら創設者の価値観を正しく受け継ぐ活動が正統派なら、ヨーロピアン・ライダース・クラブの肩書きに矛盾する活動は邪道となります。邪道を許すべきか。少々のいざこざがあったようです。しかし分裂しなかったのは、「バイクというものを速く走らすこと」「バイクというものをうまく操ること」といったバイクの運転技術向上がそれぞれの活動の前提になっていることと、そして何より同じようにバイクが好きだという大きな二つの共通点があったことがあげられます。

それに何か新しいことに挑戦しようという精神は創設者から引き継いだもの。単にバイクが好きで集まっているのではなく、そういったこだわった主義があったからこそ我の強い個々が集団としてまとまっていられたのではないかと思えます。

*** 安定期 ***

大学での写真
大学で

設立してから10年も経つと活動自体が安定し、みんなで参加する月例ツーリングを活動の中心として、緩やかな規則の下にバイクの集団がまとまっていました。

そして11代目の部長の時に次の転機が訪れました。長年申請し続けていた大学公認団体という地位をようやく手に入れる事ができたからです。創設してから11年目。サークル活動が完全に安定してきた証明なのか、大学の規制緩和の一環なのかは微妙なところですが、サークルが公認であるか、ないかというのは学内に設置できる出店や新入生の勧誘においても月とすっぽんの差です。何にしても他のサークルと肩を並べられる立場を手に入れることができました。

その反面、今まである程度好き勝手に活動を行っていましたが、顧問が付き、大学公認という立場上、これ以降はあまり過激に活動を行うことができなくなってしまいました。とはいうものの、基本的には走り屋の集団であることには変わりがなく、一度熱くなったら止まらないのは必定。公認団体の地位を失わないようにと、これ以降の部長は今まで以上に精神的負担が増えてしまったのは確かだったようです。

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しかしながら、それよりももっと重要な事は、今までは公認でなかった分、野心的というか、強烈なバイク好きというか、志を共にするようなバイク乗りが自ら志願して集まっていましたが、これ以降はバイクに乗っている人、バイクに興味がある人が誰でも気軽に入れてしまうような環境に変わってしまった事でした。

この事によって黙っていてもメンバーが集まってくるようになり、サークルも人が増えれば活気が出て・・・といい事ずくめように思える反面、バイクが好きな人が誰でも入れるという事は、悪い表現でいうなら異端者、或いは無主義者な人が混ざってしまうという事です。そうなるとバイクに対する様々な価値観が混在してしまい、サークルの全体のベクトルも様々な方向に向いてしまいます。今までサークル内で共有していた共通の「バイクというものを速く走らすこと」「バイクというものをうまく操ること」といったような初期の主義が薄くなっていきました。

活動にしてもサーキットからモトクロス、旅ツーリングまで様々、ツーリングのペースも様々、ツーリング先でやりたい事も様々、活動に対するモチベーションの高さも・・・といった感じでしょうか。安定している時こそ何か蝕まれていると注意した方がいいのがこの世の常です。だからこそこういった時に色々と新しい挑戦を行っていくべき・・・と後から言うのは簡単ですが、結局のところ活動が安定しているからこそ何かを変えにくかったり、色々と見えにくかったりもするものです。

*** バイクの流行の変化 ***

西伊豆での集合写真
西伊豆で

1993年~、次の転機は世の中の流れでした。いわゆる流行というもので、80年代全盛期だったレーシングレプリカブームは去り、90年初頭、90~92年の国内二輪車販売台数第1位の座はネイキッドであるカワサキの「ゼファー」に変わりました。ネイキッドブームの到来です。バイクといえば「ゼファー」というぐらいに流行し、一気にネイキッドタイプが街中にあふれかえりました。バイクらしいバイクといった姿や、町乗りから遠出までこなせてしまう汎用性、二人乗りのしやすさ、そして今までレースタイプはちょっと・・・でもバイクに乗りたいというような人に受けたようです。

この頃は以前のような爆発的なバイクブームは収まったものの、またまだバイクに乗る人は多く、ブルーウインドに所属するメンバーも大勢いました。しかしながら活動自体はバイクの流行の変化や社会の流れにそうようにサーキットや峠主体から徐々にツーリング主体へ移行しつつあり、メンバーの趣向も徐々に過激なローリングから安全志向へ変わりつつありました。

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しかしそのネイキッドブームが頭打ちになると、1993年にはとうとうアメリカンタイプであるホンダのスティードがダントツで販売台数ナンバーワンに躍り出ました。スピードや技術のヨーロピアンに対して、雰囲気や快適性のアメリカン。ヨーロピアン・ライダース・クラブを冠するブルーウインドにとっては不吉な兆しでした。

事実これ以降、おしゃれなバイクや雰囲気で乗るバイクに人気が集まり、町中や大学の駐輪場ではアメリカンやシングルの占める割合がどんどん増えていきました。おかげでバリバリの走り屋はどんどんと少数派になっていき、周りからは冷めた視線で見られることもしばしば。中途半端な気持ちでレーシングレプリカに乗れなくなってきました。いってみれば設立当時と逆の状態かもしれません。

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もちろんこの頃のメンバーのバイクの種類もまとまりがないほど様々でした。良く言うなら流行に敏感な大学生のバイクチームを象徴している光景とも言えるかもしれませんが、実際のところは4年でメンバーが入れ替わってしまうという大学のバイクチームなので、流行の周期が短くなればなるほどまとまりがないほど様々なバイクが揃ってしまいやすくなってしまいます。

このような雑居状態では共通項を見つけてまとまること自体難しく、バイクサークルというよりはツーリングサークルとしてまとまるしか手段がない状態でした。それ以外のローリングとかサーキット活動は有志を募って行うしかなく、バイクという共通項でまとまっているようで、実はツーリングでまとまっているようでもあり、でもツーリングの参加率から考えると・・・、やはり特にまとまりのない集団といった感じでした。

*** バイク環境の変化 ***

大観山での集合写真
大観山で

更なる転機は法改正でした。1996年9月に大型自動二輪の免許が教習所で取得できるようになり、翌97年から実際に教習所で取得できるようになりました。これによってアメリカンや、シングルに変わって世間では大型車と外車ブームの到来です。しかしながら大学生にはそう簡単にバイクを買い換えたりするお金がないのが実際で、ブルーウインドに本格的に大型車のブームが訪れるのは数年後のことでした。

そして更なる法改正が行われ、1999年10月の排気ガス規制によって細々と存在し続けていたレーサーや走り屋御用達の2ストレプリカが全て生産終了となってしまいました。この法改正後にカタログから原付を除く2ストバイクが消えていく事になります。2ストのバイクは軽くて加速や旋回性にすぐれます。それ故に峠の主役として走り屋に愛され続けてきました。でもオイルをばらまいて走るというのが難点で、環境に優しくないという事から生産中止となってしまったのです。

それと共に二輪の世界選手権の最高峰クラスも2ストから大排気量の4ストになってしまいました。そのことによりバイクの世界の技術革新がめざましいほど進んでいき、大排気量車の軽量化が目覚しいスピードで進んでいきました。より軽く、より安定したパワーのあるマシン。峠の主役がいつしか2スト250ccから完全に4スト600ccに変わってしまいました。もちろんブルーウインドもかつての2ストのオイル臭い集団から、今時の斬新なデザインをした4ストマシンの集団に変わっていきました。もちろんバイクが変わってもやっている事はそう大差なかったりしますが・・・。

*** 衰退の危機 ***

西湘PAでの集合写真
集合場所の西湘PAで

そしてブルーウインドにとって崩壊の危機が訪れました。アメリカンのブームが廃れ、大型車のブームが頭打ちになった頃、意外な伏兵が現れました。それは今までおじさんバイクとしか評価されていなかった大型スクーターです。若者の間にあっという間に広がり、学校の駐輪場には今時のスクーターが並ぶようになりました。

こういった若者のスクーターは派手な改造が施され、スピーカーから大きな音量で音楽を流し、そしてシングル独特のやかましい排気音を轟かせて走るといったスタイルで乗るのが流行となりました。今の若者にとってのバイクの乗り方は命を削る思いをしてまで峠を攻めるものではなく、街中を彼女とタンデムしたり、音楽を流しながら走ったりするものとなってしまったようです。

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こうなってくるとヨーロピアンだ!アメリカンだ!などといっている場合ではありません。両方とも同じ部類に思えてきます。いやスクーターも同じ二輪車だとは思うものの、やはりスクーターはスクーターで、バイクはバイクといったところでしょうか。移動手段、道具としてみるなら同じバイクですが、趣向や機能面、性能面から考えるとやはりその違いは明らかです。だから旅ツーリングのサークルなら同居できますが、バイククラブだと棲み分けが必要となってしまいます。

また同時に、若者自体がバイクに乗らない傾向になりつつもありました。危ないから、危険だからと車へ・・・、いや車も乗らない若者が増えているとか・・・、まあこういった事は時代の流れというか、風潮によるものだから今の若者がどうのこうのといった議論をしてもしょうがありませんが、全体的にバイクに乗る若者の人口が減っているというのにスクーターが流行ったり、アメリカンなどのお洒落なバイクが若者の人気になっている状態では峠を専門に走るバイクサークルに人が集まるはずもありません。

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更に悪い事に、部員が減少したブルーウインドに追い討ちをかけたのが、近隣への騒音公害の為、大学へのバイク通学が禁止となった事です。これもいってみれば時代の流れであり、都市部にある大学の宿命といったところでしょうか。もちろんいきなりというわけではなく、4年前からちゃんと通知されていたことでしたが、この影響は大きく、事実上バイククラブとしては壊滅状態となってしまいました。

*** ブルーウインド衰退論 ***

大観山での集合写真
霧の大観山で

ブルーウインドはなぜ衰退してしまったのか。それはヨーロピアン・ライダース・クラブである事にこだわりすぎたという事もありますが、若者のバイクの文化が変わってしまったという事が一番だと思います。

1980年に創られたブルーウインドですが、当時の学生のバイクに対する価値観と今の学生の価値観では全く違うものです。例えば80年代はレーシングレプリカの全盛期。その時にバイクに乗っていた若者で、大排気量のスクーターが20年後に若者の人気になると思っていた人がどれだけいたでしょう。今の若者で80年代の熱い時代を理解できる人がどれだけいるでしょう。きっと昔はそんな事があったのですねといった昔話程度にしか感じないはずです。

そもそも一番の多感期といわれる中学や高校時代にネイキッドやアメリカンが流行れば、大学生になったらそういったバイクに乗りたいと思うだろうし、スクーターが流行ればそういったものに憧れるものです。ですから80年代に爆発的に流行したレーサータイプのバイクブームが受け継がれるのは頑張っても90年代中頃までという事になるでしょうか。それ以降はよほどのマニアでもない限り、興味を示さないのも自然な事だと思います。実際に80年代はスクーターなんて見向きもされなかった訳ですから。

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世の中は技術革新や道徳観などによってどんどんと変わっていくのです。それと共にバイクサークルに限らず、人の集まり(企業、自治体など)が存続し続けようとするなら、うまく時代の流れに合うように形を変える努力や変えない努力をしていかないといけません。それを怠ると人を惹きつける魅力がどんどんと薄れていくからです。

流行に敏感な若者の集まる大学ならなおさらです。バイク通学禁止という外部的要因も絡んでいるかと思いますが、残念ながらブルーウインドではそれがうまくいかなかった感じがします。結局のところ大学にあるバイクサークルなので、メンバーは基本的に4年で全て入れ替わってしまいます。だからチーム内の世代交代がどんどん行われていき、新陳代謝のように古い主義や価値観といった抽象的なものは薄くなってしまいます。

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もし普通のバイクサークルなら80年代に所属していた人から直にその時の事を聞けて、チームの方針や活動を継続させる事ができますが、大学の場合だと聞きづてにしか当時の事を知る事ができず、活動の中心となる年代のメンバーによってツーリング志向になったり、サーキット志向になったりと活動方針ですら安定しないのが実際のところです。バイクサークル?ツーリングサークル?旅サークル?バイクを語るサークル?何が活動の中心だか分からないと、活動やメンバー構成まで中途半端な状態となり、チームとしての魅力も上がりません。

やはり何かしらのしっかりとした方針の基に活動する必要があったのかなと思ったりもします。でも・・・、大学のサークルというのは基本的に自由とか、和気藹々が第一方針といった感じなので、来るものは拒まず、楽しくやりましょうというのが自然の流れです。でも・・・、やはり向上心や努力なくして物事を積み上げる事はできないものです。同好会を設立したての時期、そして同好会を大学公認にするために頑張っていた時期、そういった情熱に溢れた頃に頑張っていた先輩方からすると、何も努力せずにサークルが衰退していったのは残念な事かもしれません。

*** バイクチームがまとまる難しさ ***

25周年の記念パーティーでの写真
25周年の記念パーティーで

ではどうすれば衰退しなかったのでしょうか。単純に前時代的なヨーロピアン・ライダース・クラブの看板を下ろし、万人受けする二輪愛好会ブルーウインドに変わる努力をすればよかったのでしょうか。確かにそうすれば現在のバイク好きの学生が集まれる環境が作れたかもしれません。

しかし安易にバイク好きな学生を集めたとしてもバイク自体が道具である以上、それを使う人間の性格や趣向は千差万別です。音楽でいうならロック、ハワイアン、クラシック、フォークが混在しているような状態でしょうか。ロックをテンポ良く練習している横で、スローテンポなハワイアンを練習されたらリズムが狂うのと一緒で、スピードを求めるレーサータイプの人と外観やかっこよさを重視のスクーター乗りの人が一緒に活動してうまくいくかと言われると、ペースが合わなかったり、走り方の哲学や趣向でもめる事が多くなりそうです。

でも活動の基本をツーリングとして、後はそれぞれのバイクスタイルにあった集団ごとに活動するというのもありかもしれません。とはいうものの・・・、これではバイククラブというよりもバイク旅行サークルとなってしまいます。バイク乗りの集団を形成していくには誰しも持ち合わせている旅心を求心力にするのは的を得ていると思いますが・・・、これではやはり旅サークルとなり、バイクである理由が薄れてしまいます。それにツーリングばかりではツーリングが目的で入っていない人は次第に価値観の違いから心が離れていってしまうにちがいありません。

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ただ、大学のチームの場合、一つ絶対に切れる事のない同じ大学の仲間という共通項があります。そのことだけは一般のバイクチームに比べると有利に思え、卒業後に集まりやすかったりといった利点もあります。それを最大限有効活用すれば和気藹々としつつも、何かに挑戦するようなチーム作りは可能かと思います。

だったら簡単にまとまれるのでは・・・と思う人も多いようですが、それが一筋縄でいかないから困ってしまうわけです。結局のところ同じ大学の仲間という共通項があったとしても、そこに仲間意識が芽生えなければ、何の意味も成しません。仲間意識というのはただ一緒にいるだけで形成されるものではなく、仲間として共同作業が行われなければなりません。だらだらと活動していても全体としての仲間意識は形成されず、数人ごとの集団の集まりになってしまう事でしょう。それでは単に大学に所属する烏合の衆です。

何かしら同じ目的や確固たる活動の共通項がないといくら大学のチームでもうまくまとまるのは難しいというのが私なりに思った事でした。もし年に一度みんなが参加するような大きな挑戦のしがいのある大きなツーリングがあったなら、或いはチームとして参加できるレースがあったならそれを目標に頑張れたのでは・・・、チームがまとまったのでは・・・、今から思うとそう感じます。

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また、バイク乗りという人種は個性的な人や自我の強い人が多いと思います。バイク自体が基本的に一人で乗る乗り物で、乗っている間は自分の世界に入ってしまう事が多いからです。これは一人旅をするバックパッカーと似ているかもしれません。といった感じで、バックパッカーがうまく集団としてまとまらないのと同じで、バイク乗りも自分のペースがあり、自我がありといった感じでうまくまとまる難しさがあると思います。

とりわけ自分の興味のない事には無関心な事が多いのには困ったもので、様々な種類のバイク乗りが集まった場合チーム全体として同じ方向へベクトルを向けるのが難しいが実際のところです。恐らく多くのバイクチームで悩んでいる事に違いありません。なんていうか、一言で言うなら「微妙なバランスでのまとまり」というのがバイクチームの実情となるのでしょうか。バイク乗りと長く付き合っていて思ったことです。

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<バイクツーリングやレースについてのエッセイ §3、バイクのチームや愛好会 2009年2月初稿 - 2015年9月改訂>