大竹ひな流し
(大竹市小瀬川流域 2015年訪問)山口県との境を流れているのが小瀬川です。大竹市街地のある下流部には大きな工場が並び、工場地帯の川といった感じですが、少し上流に遡ると木々が生い茂り、自然豊かな環境が残っています。上流部には羅漢峡、中流部には弥栄峡、蛇喰磐などといった景色の素晴らしい場所もあります。
現在は過疎化が進む地域ですが、小瀬川流域はかつて清流と木材を利用し、製紙産業で栄え、多くの人が暮らしていました。この小瀬川流域では昭和33年より大竹市青少年育成市民会議が中心となり、大竹ひな流しが行われています。開催日は3月3日以降の最初の日曜日。広島や中国地方では旧暦や月遅れで行うことが多いので、一足早いひな祭り行事と感じる人も多いかと思います。
流し雛の会場は小瀬川流域の4カ所で、一番下流は工場地帯にある住吉神社の前、そして国道2号線よりも少し上流にある大和橋手前の青木公園付近、メイン会場となっている前木野両国橋下流の河原に、ちょっと上流にある旧穂仁原小学校前の河原です。駐車場があり、訪れやすいメイン会場には地域外からも多くの人が集まります。
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* 情景素写 *
大竹で流し雛に使われるのはワラで作ったさん俵です。さん俵とは米俵の蓋の部分の名称のことで、丸っこい藁のお盆といった感じです。この付近というか、瀬戸内では舟を流す行事が多いので、ちょっと珍しく感じます。
さん俵は少し大きめなものが使用され、その中に頭部を紙粘土で、胴体をようじと色紙で形作った内裏人形を折敷(板)に貼り付けたものをのせます。そして梅などの小枝、菜の花などの季節の花が添えられます。人によってはあれもこれもとのせてまるでバイキングのお皿状態に。これだけ華やかな流し雛は他にないです。
この流しびなの首と折敷は主催者の大竹市青少年育成市民会議が作成し、市内各地区で女子児童のいる家庭に配布され、当日会場で製作します。会場でも配布されるので、当日参加することも可能です。
ここ大竹の流し雛の特徴はさん俵が大きく、そして思い思いに装飾できることです。一所懸命装飾して作りあげた世界でたった一つの自分だけのさん俵。それを流すことのうれしさというのは自然と顔に出てしまうものです。とてもいい表情で流していました。
瀬戸内では想いや願いを船に込めて流す行事が多く行われています。文化圏的にはここはさん俵ではなく舟の方が自然だと感じますが、川で流す場合は細長い船よりも丸いさん俵の方が安定し、見栄えもいいというのが実際です。見てて思ったのが、折敷の木の部分を起こせば流し舟の帆の部分のように見えます。実は流し舟と流し雛がうまく混ざった行事なのかもしれません。
流し雛が行われるのは小瀬川ですが、広島では木野川と呼んでいました。流し雛のメイン会場は木野川渡しのあった場所です。広島側に木野の集落があり、対岸の岩国市には小瀬の集落があり、ここは古くから山陽道の要所でした。広島側から見たら残念ながら対岸の小瀬の方の名が正式名所になってしまったということになります。
今ではダムや堰ができているのであまり実感がわきませんが、小瀬川は緩やかな流れが続いていて、中流域の弥栄ダム付近まで舟の往来が容易にできました。木野は沿岸部と山間部との中継地として栄えると同時に、手すき和紙作りも盛んに行われ、木野で造られた和紙は広く知られる存在でした。そういったかつての栄華というと語弊があるかもしれませんが、木野の集落には明治から大正期の立派な建物が多く残っています。メイン会場からも歩いていける距離なのでぜひ散策してみてください。
また、対岸には吉田松陰の詩碑が設置されています。安政の大獄で囚われの身となり、萩から江戸に送還される際にここで詩を詠み、故郷長州に最後の別れを告げました。詩碑には「夢路にも帰らぬ関を打ち越えて、今を限りと渡る小瀬川」と刻まれています。
大竹ひな流し(2015年) -風の旅人- (2019年7月更新)