風の足跡 ~風の旅人旅行記集~
トルコ旅行記96'

§1 カイセリ商人の洗礼
#1-5 未熟な旅人と狡猾な絨毯商人

<カイセリ 1996年7月27日>

乗り継ぎで立ち寄ったカイセリ。名の響きに惹かれ、町を散策してみると、思い出に残る出会いが幾つもありました。(全5ページ)

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10、カイセリ商人との交渉

絨毯工場の様子 カイセリ トルコ旅行記96'の写真
絨毯工場の様子

部屋を幾つか見て回った後、絨毯が山積みになった部屋に入った。そして「絨毯のレクチャーをしてあげるからまあ座りなさい。」と勧められ、少年がチャイ(トルコ紅茶)を持ってきた。

予めこういう展開になるだろうなと予想していたので、特に驚く事ではなかったが、とうとう本性を現し始めたな。

ゲームでいうなら、ある部屋に入ったら扉が閉められ、今まで案内してきてくれた村人がカイセリ商人というボスキャラに変身し、プレイヤーの前に立ちはだかるといったシチュエーションだ。

このボスキャラは大きさとか強さで圧倒するパワータイプではなく、手間暇かけて罠を幾重にも張り、プレイヤーを逃がさない策略タイプといったところだろうか。

獲物を工場に連れてきて、「ここは古い歴史のある工場です。ではこちらの壁にかけられている絨毯はどうですか。ぜひお求めください。」と強引に商談に持っていくのではなく、工場内の見学、絨毯の説明、そして販売と丁寧に段階を踏んでいくところに思慮深さを感じる。

トルコでもカイセリの商人は商売上手だと言われている。ここまでの行動、そしてこの落ち着き加減からそれもわかる気がする。さあどう攻略していく。旅人よ。

おじさんは・・・、いや、おじさんから変身を遂げたカイセリ商人は私の目の前におもむろに絨毯をひろげ、まずこのデザインは何を表し、この図柄はこういった願いが込められているとか、この種類のじゅうたんは何地方の独特の織り方、隣のイランだとこう違うんだといった感じで説明を始めた。

ふむふむと頷くものの、予備知識もなく絨毯の講義をいきなり受けてもさっぱりわからない。キリムと絨毯の違いぐらいはわかるけど、トルコ伝統のデザインの違いを教えられてもあまり役に立たないだろうな・・・。

それよりもどうやってこの講義を終わらせようか。絨毯を買うつもりはないので、区切りのいいところではっきりと「いらない」と言って退散しよう。絨毯を買っても荷物になるだけだ。

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しかし、相手はプロだった。私の魂胆などお見通しといった感じで、直球勝負ではなく誘導尋問のような質問をしてきた。

「何色が好きだ?どんな柄が君の好みだ?」「そして材質は光沢が美しいシルクか?それとも丈夫で安い綿の方が好みか?」と聞いてきた。

青い柄が好みかな。シルクは値段を聞くと20万とか30万円もするというからそんな値段のものは絶対買えないよ。などと雑談感覚で話していたら、あれよあれよいう間に一枚の畳一畳より少し小さいサイズの絨毯が目の前に置かれていた。

私自身これが欲しいと言ったつもりはないのだが、巧みな誘導尋問でこうなってしまっていた。そしてカイセリ商人は、「君の好みの絨毯はこれだ。これはいい品質のもので値段は300ドルだ。」と言ってきた。

もの凄く安ければ土産として買ってもいいかな・・・という思いはちょっとあった。が、どうみても300ドルは高いはず。高くても100ドルがいいとこかな。そう思うものの、絨毯の相場など気にしたことがないので、具体的にどの程度なのか全くわからない。

どのみち300ドルなら問題外。私は「要らない。そろそろバスの時間が迫っているから。」と言うと、カイセリ商人は「最後のチャンスだ。あなたの最後の言い値をどうぞ。(ラーストプライス)」と、しつこく何度も言ってきた。

このラーストプライスがなかなか厄介な代物だ。仮に私が100ドルと言い、それで値段が折り合えば交渉成立となってしまう。

もちろん元値がそれより高ければ向こうのほうが断ってくる。その物の相場を知らない側に非常に不利な交渉方法といえる。だから値段は絶対に言わず、「要らないから、ラーストプライスはない。」と返すしかなかった。

絨毯工場の中庭 カイセリ トルコ旅行記96'の写真
絨毯工場の中庭

意外に頑固な私の対応に、カイセリ商人は正面からの力攻めでは駄目だと判断したようで、今度は搦め手に回って攻撃してきた。

ちょっと神妙な顔つきになって、「イスラムの国ではその日最初の交渉を成立させたら、お互いに良い1日になる。だからどうしても買って欲しんだ。ここは損を覚悟で200ドルで売ろう。」と握手を求めてきた。ここで握手をしても交渉成立となってしまう。じょうだんじゃない。気持ち手を後ろに引っ込めた。

そういえば・・・、高校時代の担任の先生が世界史の専門で、イスラムではこういう文化があるんだよと教えてくれたのを思い出した。あの時言っていたのがこれか。変に知識があるといらぬ同情をしてしまう。でも下手に同情なんかしていたら何枚も絨毯を買わされかねない。

「私には関係ないことだ。」と、ここは断固拒否。拒否しながらも、もしかしてあの担任も私と同じような体験をして困ったんじゃないだろうか・・。こういう体験は話したくてしょうがないもんな。おっとりとしていた担任の顔が頭に浮かび、こんな状況なのに吹き出しそうになってしまった。

「何かおかしいかい」と突然の私の変化に戸惑ったカイセリ商人。この会話の流れで、ここで私が笑うのは不可解。理由が分からずカイセリ商人は少し動揺しているように見える。

ここは差し込むチャンス。これからの道中を考えると、こんなかさばる絨毯は邪魔以外の何物でもない。これからも楽しい旅行を続ける為には同情は禁物だ。続けざまに「鞄に入らないし、これからの旅行で荷物になるからいらない。」と言い放った。

これが会心の一撃となり、カイセリ商人を撃退。平和が戻ってくるはずだったのだが、カイセリ商人はそんなに弱くなかった。ちっともダメージを受けた様子がない。

そんなことは気にかけない様子で、「ノープロブレム(問題ない)。送ればいい。」と言ってきた。

私はすかさず、「お金がかかるからそこまでしていらない。」と言い、席を立とうとした。すると「待ってくれ」と言って、私をなだめ、ほら見てみろといって絨毯をたたみ始めた。

無理やりといった感じだが、かなり小さく折りたたまれてしまった。そこまでやるとは・・・。なかなかの執念だ。苦笑いをしてしまった。

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小さくたためれようが、邪魔なものはやっぱり邪魔だ。いらないものはいらない。しかし、どうやって断ればいいのだ?必死になって考えていた。

日本的に考えれば、「いらない」と言えば済む筈なのだが、何故かうまく言えない。いや、言えないというより、ちゃんと言っているのだが、うまくかわされてしまう。

「私は学生だからお金を持っていない。」と言っても、「それならしょうがない。」とはならない。日本人はお金を持っているだろう。そもそも海外旅行をしているんだからお金はあるはず。そんな子供でもわかるような言い訳は私には通じないよ。といった感じで、平然と次の質問を放ってくる。

現金を持っていないといえば、カードやトラベラーズチェックでかまわないと返ってくる。ああ言えばこう言うといった感じで、蜘蛛の巣のような言葉の網から抜け出せない。

もちろん単刀直入に「いらない」と言えば、聞こえないよといった感じで、平然と「いくらなら買う?」と言ってくる。めちゃくちゃなようだが、これが日々鍛え抜かれた本気の交渉術というやつなのかもしれない。

このエンドレスのような問答からどうやって抜ければいいんだ。日本人は押しが弱いというのもこの状況になってその本質がわかった気がした。それとともに日本人の女は落とすのが楽だと海外で言われているのもよくわかる気がする・・・。

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そして根負けしてしまったというか、半分やぶれかぶれで「50ドルだったら買う。それ以上は出さない」と言ってみた。さすがに50ドルなら買ってもいいかなと思ったのと、安すぎれば諦めてくれるかもといった一抹の期待もあった。

しかしカイセリ商人は「それは出来ない。学生料金で180ドルにしてやる。」と言ってきた。値段が少し下がったが、そんな値段では買う気にならない。

「オーケー、交渉は不成立だ。」しょうがないよといった感じで笑いながら席を立とうとすると、すかさず「オーケー、オーケー、170ドルでどうだ。」と握手を求めてきた。

いやいや180ドルも170ドルも一緒だから。今度こそはと思ってかまわず歩き出そうとしたが、カイセリ商人は慌てて私の前に行き、「ラーストプライス、プリーズ」と聞いてきた。

「だから50ドルって言ってるでしょ。」と言ってその場を去ろうとした。しかし、カイセリ商人は再び握手を求めてきて、「オーケー、あなたはラッキーだ。160ドルで売ろう。」と言ってきた。

私は首を横に振り「いらない」と言った。本当にしつこいが、それに付き合い続けている自分も情けない。交渉が下手なのがバレバレだ。

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素人のくせに頑固さは一流だ。そう思ったのか、カイセリ商人はまた別の手段で攻めてきた。本当に技が多彩だ。

「この絨毯は150ドルするものだ。それを特別に100ドルで売ろう。私は50ドルの損。あなたも言い値の50ドルから50ドルの損。これで公平だ。今日の最初のお客さんだからどうしてもこの交渉を成立させたいんだ。」ちょっと同情を求めるような表情で言ってきた。

なんだか演技がかっているし、こんな話どこかで聞いたことがあるぞ。そうだ夕方やっているテレビの時代劇だ。三方一両損ってなやつ。ってあれは3人出てくるな。ちょっと違うけど、トルコでも大岡越前のような話があるのか。

或いは、もしかして日本の事を知り尽くしているとか。そうだとすると凄まじい知識量だな。ボスキャラのようなカイセリ商人ならそういうこともあり得るから怖い。

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いつまで続くのだ・・・。ここでエンドレスな交渉をしていてもしょうがない。バスの時間もある。早く交渉を終わらせなければ。いや、もう強引に立ち去ってしまおう。

そう思ったものの、いい加減疲れてきた。100ドルで本場のトルコ絨毯が買えるなら安い物ではないか。これで交渉が終わるし、お土産の絨毯も手に入る。万事解決ではないか。悪魔のささやきが頭をよぎった。

そう思ったら陥落するのはあっという間だった。根負けしてしまい、「分かった。100ドルで買おう。」と握手をしたら、そこで交渉は成立。長かった交渉が終わった。

それにしてもなんて長い交渉だったのだろう。今まで物を買うのに今までこんなに真剣に且つ、長い交渉をしたことがあっただろうか。

何も考えずに値札の付いた物をレジに持っていってお金を払うといった習慣に慣れていた私にとって、今回が買い物という行為の難しさを実感した始めてのことだった。

それにしても・・・、恐るべしカイセリ商人。というよりも、自分の交渉の下手さ、必要な時に無視できない優柔不断さ、諦めの速さを嫌というほど思い知らされてしまった。もっと心を鍛えないとな・・・。

絨毯とワンコ
絨毯とワンコ

他に写真が見つからなかったので、ワンコ付きで。
20年間使って処分しました。

100ドルのトラベラーズチェックと絨毯を交換した。買うという表現より、「苦労して交換した」といった表現が今の気分的に合っていた。

支払いが終わると、カイセリ商人は元のおじさんの姿に戻っていた。そして堅く握手をして、「元気で旅をするんだよ」と笑顔で見送ってくれた。

やれやれ疲れたな。そして荷物が増えてしまった。この絨毯どうしよう・・・。次は奇岩で有名なカッパドキアで、その次に首都のアンカラを訪れる予定だ。アンカラなら国際郵便が送りやすいはず。とはいっても・・・、書類を書いたり、手続きが面倒そう。

でも、まあ色々と経験していくのも大事だ。今回も古い絨毯工場を見学でき、カイセリ商人の交渉術を身を持って体験でき、絨毯というお土産が手に入った。

うん。そうだな。負け惜しみかもしれないけど、あまり損した気分ではなかった。結果的にはボラれたとは思うけど、それ以上の充実感と貴重な経験を得られた気がする。そう思ってしまうのもカイセリ商人の魔力なのだろうか。

いや、こうすがすがしく思えるのはきっとエルジェス山のおかげなのだろう。町の背後に美しくそびえるエルジェス山の方をもう一度振りかえった。

トルコ旅行記96'
§1、カイセリ商人の洗礼
ー 完 ー
風の旅人 (2020年11月改訂) §2 カッパドキアバイクツーリング 制作中

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