嘆きの壁と岩のドーム
Wailing wall and Dome of the Rock, 2001エルサレムは紀元前30世紀頃、オフェルの丘に集落を築いたのが起源とされています。
紀元前10世紀にヘブライ王国が成立すると、2代目のダビデ王によって都と定められ、3代目のソロモン王によって、モーゼが神から授かった十戒の石版を祀る神殿(ソロモン神殿)が建設されます。
紀元前6世紀には新バビロニア王国の支配下に入り、神殿や都市も破壊され、住民はすべてバビロンへと連行されました。歴史でいうバビロン捕囚です。
新バビロニアが滅んだ後、ユダヤ人はエルサレムに戻り、第2の神殿を再建しましたが、紀元前70年にローマ帝国によってまたもや破壊されてしまいます。その時の遺構が現在の「嘆きの壁」と呼ばれる西の壁です。
7世紀になるとアラブ軍によってエルサレムが征服され、イスラム勢力の統治下におかれます。神殿の丘にある岩の上では、預言者ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験したとされ、イスラム教の第三の聖地となってしまいます。
神殿の丘では神聖とされるこの岩を囲むように岩のドームがウマイヤ朝の時代に建設され、改築を繰り返しながら現在に至ります。
第1次世界大戦後、シオニズム運動によってユダヤ人がエルサレムに戻ってきましたが、すでにイスラム教の岩のドームがあるので新たに神殿を建てることができません。仕方なく神殿の名残りである壁で祈りをささげているといったわけです。
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* エルサレム情景素写 *
敬虔なユダヤ教徒は、必ず頭にはキッパ(つば無しお皿状のもの)や黒のソフト帽などの帽子を被り、黒のロングコートに黒ズボン、そして黒靴と黒い服を身に着けます。一年中同じ格好です。
特徴的なのがもみあげで、自ら延ばしたり、付けもみあげを取り付けます。他では見ないのでとても独特に感じます。
また安息日には何もせず、特に電気製品を使用することを嫌います。
* 感想など *エルサレムといえば3つの宗教の聖地があることで知られ、世界史の教科書にも出てきます。
特にイスラム教の聖地とユダヤ教の聖地が隣り合っているというのは印象的な事例で、その写真を度々目にしてきました。
実際に見るまでは壁に向かって祈るだなんて・・・冗談みたい。といった認識しかありませんでしたが、その光景を見ると、嘆きの壁と言われていることを理解できました。
うまく共存できているとはいえ、やはり壁に向かって真剣に祈っている様子を目の当たりにすると、少し気の毒に感じてしまいます。
岩のドームは残念ながら治安状況の悪化で封鎖されていて、外国人観光客は敷地内にも入ることができませんでした。
嘆きの壁と岩のドーム
Wailing wall and Dome of the Rock, 2001 -風の旅人- (2019年12月更新)