* 宗柏寺 涅槃会と水行について *
新宿区を通る早稲田通りの早稲田と神楽坂の中間ぐらいに日蓮宗の宗柏寺というお寺があります。この付近はかつて武蔵国豊嶋郡牛込村だった地域で、お寺が多く、また区画ごとに住所が違ったりととても独特な雰囲気を持った地域です。宗柏寺は正式には一樹山宗柏寺といい、寛永八年に大僧都興正院日意上人によって現在の場所に創建されました。なんでも両親の菩提を弔うため開山したようで、寺の名前は父・尾形宗柏の名にちなみ、山号は母の法号・一樹院法興日順にちなんでいるそうです。このお寺には「矢来のお釈迦様」として古くから知られる有名な釈迦尊像があります。言い伝えによると信長の比叡山焼き討ちの際に僧によって持ち出され、尾形家に保管されたもので、後水尾天皇もこの像を拝しているそうです。江戸時代には毎年3月21日から4月21日まで開帳されていて、その日には門前市が開かれるほど賑わったと伝えられているそうです。
この宗柏寺では毎年お釈迦様が入滅されたといわれる2月15日に「お釈迦様御涅槃会」が行われます。「涅槃会」は簡単に書くならお釈迦様を偲んだ法要で、その日はお釈迦様が木の下に横たわり、周囲に弟子や菩薩様、動物やら昆虫類までもが嘆き悲しんでいる様子を描いた仏涅槃図(涅槃図)を掲げます。多くのお寺で大なり小なりそういった法要が行われているので、涅槃会自体は珍しい行事ではありません。ただここ宗柏寺では、涅槃会に先立って法華経寺の百日行を終えたばかりの荒行僧による水行が行われています。
当日は14時からとお寺の案内にも新宿区の観光サイトにも書いてありますが、それはお釈迦様御涅槃会法要で、水行はその30分前に始まります。水行用の大きな木製の樽がお寺の入り口付近に釈迦堂の方に向かって並べられます。例年4人の荒行僧がやってくるようです。13時半前になると壇信徒たちが団扇太鼓を打ち、荒行僧の入場を待ちます。鳴響く太鼓の中を4人の荒行僧が手を合わせ、水行肝文を唱えながら置かれた樽の前に進んでいきます。そして樽の側で待機している檀家さんに着衣を預け、樽の前に座って水行が始まります。寒空の下にピリピリとするような水行肝文が響き渡り、荒行僧は何度も水を頭から被ります。その気迫というか、神がかった様子に思わず見とれてしまいました。目の前は早稲田通り。そこまで通行人は多くないものの、やはり通る人は何事かと足を止め、携帯電話で写真を撮ったりしていました。5分ほどで水行は終わり、荒行僧は建物の中に戻っていきます。
その後壇信徒たちは釈迦堂に入っていきます。そこまで広くない堂内には30余名の信徒さんが座ります。そして14時になると住職と荒行僧、そしてお寺の若い僧が念仏を唱えながら釈迦堂に入ってきて、お釈迦様御涅槃会法要が始まります。ここからは教の読誦が行われ、時々壇信徒たちは団扇太鼓をならしたり、一緒に読誦したりします。最後に荒行僧の紹介がありましたが、住職の知り合いだったり、池袋などこの近隣のお寺の方がやってきているようでした。法要が終わると事前に申し込んだ人には特別法要がまだ続くようで、多くの人が残っていました。とても信仰心の深い壇信徒たちと信頼されている住職が守っているお寺だなと感じました。
風の祭事記 宗柏寺 涅槃会と水行
風の旅人
<2012年訪問 - 2019年2月更新>