* 新宿正受院 針供養について *
新宿2丁目の靖国通り沿いに正受院というお寺があります。正式には明了山正受院願光寺といい、文禄3年(1594年)に創建された浄土宗の寺です。境内には「綿のおばば」と呼ばる頭から頭巾のように白い綿をかぶった姿の奪衣婆像がある事で知られています。現在では「子育て老婆尊」とも称され、新宿区指定有形民俗文化財に指定されています。
正受院では毎年2月8日の針供養の日に盛大な針供養祭が行われています。昭和32年に東京和服裁縫協同組合がこの寺の境内に針塚を建立してから毎年針供養が行われているようです。針供養は日頃使い慣れた針に感謝し、柔らかな豆腐に差したり、折れた縫い針を埋めて供養するといった儀式のことです。昔はこの日に限り女性は針仕事をしないといった風習があったそうです。女性の為の休日だった感じです。田畑に関する作業を始めるという「事始め」、この日で終わるという「事納め」といった区切りの日に針供養を行うそうですが、関東では「事始め」の2月8日に行い、関西では「事納め」の12月8日にやるところが多いそうです。淡島神社(粟島とも書く)や淡島神を祀る堂がある寺院で行われる場合が多いのですが、ここ正受院にはなく、そういった意味では珍しい部類に入る針供養と言えます。
正受院の針供養はまず本堂で物故者法要が行われます。次に「甘酒献上」が行われます。これは組合員が作った甘酒を本堂、針塚、奪衣婆尊の三カ所にお供えする儀式で、綺麗な衣装を着た和裁生が奉仕するのですが、息や唾がかからないように口に紙で作ったマスクをつけています。受け取る僧侶もマスクをしているので、ちょっと異様な感じがします。「甘酒献上」が終わると本堂前にある斎場で「納針の儀」が行われます。これは住職の読経のなか、夜叉王の衣装を着た2人の男性が古針を納めて土に帰す儀式です。「納針の儀」が終わると一旦関係者が中に入っていき、大法要の準備が行われます。
本堂の前に僧侶や奉仕の女性、そして奪衣婆尊を小さくした像を載せたお厨子が並び、練り行列が始まります。先ほど甘酒を運んだ女性達は同じようにマスクをして、今度は供物の百味香を運びます。そして針塚の前で針供養大法要が行われます。針塚の横にはさりげなく胸像があるのですが、これは和裁で唯一人間国宝となった小見外次郎氏です。正受院の裏手には岩本和裁専門学校があるのですが、晩年そこで和裁の指導も行っていたようです。またこの針供養で奉仕している女性の方々の多くは岩本和裁専門学校の生徒さん達だそうです。
境内では可愛らしい着物型のお札が売られていて、開運厄除の他に手芸上達と書かれていました。恋愛成就のお守りや絵馬がハート形のように、手芸上達の場合は着物型なのですね。ちょっと感心してしまいました。また甘酒無料接待が行われていたり、焼きそばやおしるこなどの模擬店も出ていました。針供養というのは堅苦しい雰囲気なのかなとと思いつつ訪れたのですが、女性のためのちょっとしたお祭りというか、同じ立場の人が集まってホッと息が抜けるような感じの場の様でした。
奪衣婆が中心となって様々な儀式が行われるといったちょっと変わった感じのする針供養でしたが、場所的にもなかなか人気のようで、境内は混雑していました。なんでも針を持って訪れる人は数千人とも言われ、夕方には針塚の前に置かれた豆腐は針山のようになってしまうとか。
ちなみに新宿というのは新しい宿場の意味です。甲州街道が整備されたときの最初の宿は高井戸でしたが、あまりにも距離があったので、後にこの場所に宿場が設置されました。この地域が内藤家の領地であったから内藤新宿と名付けられ、今では内藤がとれ、新宿と呼ばれているといった次第です。宿が出来て便利になった反面、江戸の近くの宿は遊郭や繁華街といった面もありました。正受院の隣にある成覚寺は身寄りのない飯盛女の投げ込み寺でした。子供合埋碑など悲しいものも残っています。正受院の隣のブロックにある太宗寺には江戸六地蔵の一つと都内最大の閻魔大王像がある事で知られています。8月の閻魔の日には盛大に盆踊り大会が開催されています。また少し離れた天龍寺には内藤新宿の時の鐘が現存しています。高層ビルが建ち並んでいるイメージのある新宿ですが、この付近は古くからの宿場町の面影が幾つか残っていて、この針供養も新宿のイメージとは少し違った伝統的な行事に違いません。また四谷にある新宿歴史博物館には内藤新宿についての資料が展示してあります。
風の祭事記 新宿正受院 針供養
風の旅人
<2011年訪問 - 2019年2月更新>