南大塚の餅つき踊り
川越の南大塚では踊りながら餅を搗くという変わった餅つき行事が毎年成人の日前に行われています。
・開催場所 : | 西福寺(川越市南大塚2-3-11)、菅原神社 |
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・開催日時 : | 成人の日の前日 |
・行事内容 : | 餅つき行事 |
・備考 : | 2011年訪問 県指定無形民俗文化財 |
*このページは過去の訪問記録です。
*日時、場所、行事内容が変更されている場合があります。
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* 南大塚の餅つき踊り訪問記 *
・南大塚の餅つき踊りについて
川越市の南大塚では埼玉県指定無形民俗文化財に指定されている餅つき踊りという変わった行事が毎年成人の日の前日に行われています。
餅つき踊りというのは、1つの臼を数人で囲み、歌の調子に合わせて踊るように餅をつくというものです。昔は北足立から入間地方にかけての米作地帯に広く行われたそうですが、現在では大宮市上加、桶川市上日出谷、東松山市金谷とここに伝わっているに過ぎないようです。
ここ南大塚の餅つき踊りは幕末の安政年間に子どもの「帯解き」の祝いの餅つきとして始まったといわれています。150年以上の歴史を持つ伝統のある行事となるでしょうか。
「帯解き」は七五三的な長男・長女の7歳の祝いで、その家では「餅つき連中」に餅つき踊りを頼みます。この餅つき連中は頼まれた家の庭で餅をつきながら踊り、つき終わると次の家へ移動します。この移動の際にも「引き擦り餅」といって臼を引き摺りながら途中でも餅をつき、そして最終的に鎮守の菅原神社に参詣したそうです。
ただ、このような餅つき踊りを頼めるのは一部のお金持ちだけだったそうです。その際にはかなりの量の餅をつくので、多くの若い衆が呼ばれたそうです。
そして招かれた若者が景気よく踊りながら餅をつくといった接待餅的な一面があり、庶民は滅多に餅をつくことの出来ないのでこういう機会にみんなで楽しくやろうといった娯楽的な要素もあったようです。
そう考えるとこの餅つき踊りは、娯楽を渇望するような質素な生活を送っている庶民が生みだした生活の知恵みたいなものかもしれませんね。
これが南大塚の餅つき踊りの原型で、戦前までは11月15日の七五三の日に行っていたそうです。戦後になるとそういった風習が廃れ、それとともに餅つき踊りも一時途絶えてしまったそうです。
その後、西福寺で地域全体の成人式行事として餅つき踊りが復活し、昭和52年には県指定無形民俗文化財としての指定を受けました。
しかしながら年々参加する成人の数が少なくなり、平成15年からは地域の子供会と持ちつき踊り保存会の餅つき大会と名を変えて行われるようになり、現在にいたるそうです。
・行事の様子
当日会場となるのは西福寺境内です。広い境内を持つお寺ですが、多くの地元の人とカメラを構えた人達が訪れるので、境内は少し混み合います。
でも餅つきは三回行われ、三回目などは飽きた人達が後ろへ下がったりするので、最初はよく見えなくてもそのうち前の方で見る事が出来るかと思います。
餅つき踊りは、ナラシ・テコ・ネリ・ツブシ・6テコ・3テコ・アゲヅキという六つの所作が連続して行われます。
まず最初がナラシ。臼の中に蒸しあがったモチ米が入ると、大杵を手にした6人が餅つき歌に合わせ時計回りに移動しながら米をならしていきます。
続いて一同が「押っせ、押っせ」のかけ声で練り回すネリが行われます。ここまでは臼の周りを大勢で囲って行われるので、解説がないとよくわかりません。
練りなどが終わると、搗きに入ります。杵をそろえて一斉につくツブシが行われ、ここからは本格的な餅つきとなります。
テコはてこ棒のこと。6テコ・3テコというのは付く人数の違いを指しています。6テコは2人ないし3人ずつ組になって交互につき、3テコは3人による曲つきで、これがいわゆる餅つき踊りらしい餅つきとなります。
そして最後に臼の前に三人並んでつくアゲヅキで締めくくります。三人が同じ方向を向いて搗くのは他では見たことがないので、面白く感じました。
つき終わると、最初は奉納用だったかもしれませんが、つきたての餅をご婦人方がきな粉持ちにしてくれ、会場の人たちに振る舞われます。
2回目、3回目の餅つきでは地元の小学生も途中で会参加していました。地域でこういった行事が行われているといったことが伝承されていくといいですね。
西福寺での餅つきは昔の農家の庭先という設定になるようで、振る舞い餅が行われた後、お隣の菅原神社に移動していきます。
臼を引っ張るのは会場にいる観客や子供たちで、西福寺から山門をくぐり16号の細い狭い歩道を窮屈に進み、そして菅原神社の参道に入っていきます。
移動しながらもお餅をつき続けるので、ゆっくりと進んでいきます。
菅原神社の参道では車などの心配がないので、本来の「引き擦り餅」を見ることができます。
とはいえ、さすがに移動しながらの餅つきは難しいです。大きく杵を振り上げても、臼が前に進んでしまったら淵にあたってしまいます。
小さくついて、途中で止まったときに大きくつくという感じで、ゆっくり進んで、止まっての繰り返しといった感じでした。
菅原神社の前に到着すると、ここで最後の餅つき踊りが披露されます。ここでついた餅は菅原神社に奉納され、節分の時に撒かれるそうです。
餅つきはかなりの重労働です。ただでさえ疲れるのに踊ったりしていれば余計に辛いだけです。でもここの人たちは最後まで楽しそうに餅をついていたのが印象的でした。心から餅つきが好きなのでしょうね。
・感想など
私の暮らしている地域には餅つき歌が多く残っています。あまり豊かではない地域で、米も陸稲が主流だったために大量の保存食用の餅を搗くのに、少しでも作業が楽になるように餅つき歌が歌われていました。
大変な作業でもみんなで力を合わせ、声を出し、テンポを合わせていけば幾分楽になる。これは田植歌でも同じかもしれません。
だからこの行事を知った時には歌うだけではなく、更に踊ってしまうのか!ととても興味を持ち、張り切って訪れました。
実際に訪れてみると、餅つき歌と似た部分が多かったですが、ダイナミックに搗いたり、踊ったりととても躍動感が印象に残る餅つきでした。何よりやっている人たちが楽しそうなのがいいですね。搗く人、見る人、そして食べる人が幸せな気分になれるいい餅つきでした。
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* 情報、アクセス等 *
・南大塚の餅つき踊りの概要
・開催日時 | 2020年1月12日(日) (例年成人の日の前日) |
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・開催場所 | 西福寺(川越市南大塚2-3-11)、菅原神社 |
・行事内容 | 餅つき行事 |
・スケジュール | 12時半から西福寺で行事開始 |
・アクセス等 | 西武新宿線南大塚駅から徒歩圏内。 |
・備考 | 県指定無形民俗文化財 |
・関連サイト |
*訪れる際には最新の情報を入手されることをお勧めします。
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