* 寒川神社祈年祭 田打舞神事について *
寒川神社は、相模国一之宮と称されるほどの格式と規模を誇る神社です。約1500年前に創建されたといわれ、その長い歴史では朝廷をはじめ、源頼朝や武田信玄、小田原北条家といった武将などにも信仰を受けてきました。武田信玄寄進の兜や北条氏綱や氏康の銘がある棟札も残っています。寒川神社を有名にしているのは関八州の裏鬼門に位置している事から、古くより八方除の守護神として信仰されている事です。これは地相、家相、方位、日柄などによるすべての悪事災難を祓い除いてくれたり、和らげてくれたりする方災厄除の神としての信仰のことです。お守り売り場にずらっと並んだ八方除のお守りなどを見るとその信仰の深さに納得です。
寒川神社では毎年2月17日に祈年祭が行われます。祈年祭とは簡単に書くなら、今年の五穀豊穣をお祈りするお祭りで、「としごいのまつり」とも言われ、収穫に感謝する11月23日の新嘗祭(にいなめさい)と一対となっています。稲を主体とする五穀だけではなく、野菜や果実などの農作物を生産している方にとっては、秋の収穫時を豊作で迎えられますようにとお祈りするとても重要な行事なのです。いや、本来はそういった農作物を当たり前のように食べている全ての人々にとって重要なお祭りとなるはずです。寒川神社での祈年祭は、祭事中に一名福種撒きとも云われる「田打舞神事」が社人、神職によって本殿にて演じられる事で知られています。
寒川神社の祈年祭は毎年2月17日、午前10時から斎行されます。10時になると社務所から参列する地元の生産者組合や商工関係者100名余りがゾロゾロと出てきて、並び始めます。そして神官が出てくると列をなして、拝殿へ・・・ではなく、社務所すぐ横に設置された斎場で修祓が行われます。これが終わると神官を先頭に拝殿に向かって参進します。
拝殿に入ると神事が行われていきます。その様子は外からも眺めることが出来ます。式典式は「報鼓」「宮司一拝」「開扉」「献撰」「祝詞奏上」と進んでいくのですが、本宮の扉の位置が高いこと。まるで雲の上の一といった感じかもしれません。そこへ献撰していく様子は昔話に出てきそうな光景で思わず見入ってしまいました。
田打舞神事は10時半頃から約20分ほど行われます。田打舞神事は簡単に言うなら田作業を神楽にしたもので、太鼓や笛に合わせて舞われます。それを奉納することで五穀豊年や産業の繁栄を祈願するといった神事です。
舞いは「1、田打ち」「2、草敷・代ならし」「3、種蒔き」「4、苗ほめ」「5、昼飯(ひるい)」「6、田植え」「7、稲刈り」「8、稲叢(いなむら)」の順で進んでいきます。舞人は白い翁の古面を着けた方が神職で、黒い翁の古面を着けた方は先祖代々奉仕をされる家柄の氏子が舞っているそうです。この「翁の古面」は古くから使われ続けている伝来の祭具で、福徳円満形相秀美希代の逸品と称せられるものだとか。舞の方は大半を白い翁の面を付けた方が舞います。一名福種蒔とも言われるのもこのことからきているのかと。鍬を振り下ろしたり、籾を撒いたりと休みなく舞い続けます。やはりハイライトは舞台一面に籾種をまく場面でしょうか。この神事でまかれた籾種は同町内各農家へ分けられ、他の種と一緒に混ぜて栽培される習わしとなっているそうです。
風の祭事記 寒川神社祈年祭 田打舞神事
風の旅人
<2012年訪問 - 2019年2月更新>