* 大磯左義長について *
大磯といえばロングビーチなどといった湘南きってのビーチリゾート的な印象が強いのですが、かつて宿場町だった影響でしょうか、今でも多くの伝統的な祭りや行事が残っている地域でもあります。その中でも平成9年に国の重要無形民俗文化財に指定された左義長はこの地域の代表的な行事となっていて、毎年1月14日(但し、14日が土・日・祝日ではなく平日の場合は1月の第3土曜日)に大磯北浜海岸で実施されています。
大磯の左義長は道祖神の火祭りで、道祖神のセエノカミサンにちなんでセエトバレエとも呼ばれています。なんでも面白い由来があり、昔この地域には目一つ小僧と呼ばれる厄神がいて、村人の日々の行いを帳面に書いてまわっていたそうです。しかしながら夢中になっていたのか、夜が明けてしまい、慌てた厄神は帳面を道祖神のセエノカミサンに預け、帰っていったそうです。帳面を預かったセエノカミサンはその扱いに困り果ててしまい、村人のためを思い、自分の家とともに帳面を燃やしてしまったそうです。これがセエトバレエ(左義長)の始まりと言われているそうです。今でも12月8日は目一つ小僧が来て1年間の行いを帳面につけて回る日となっていて、一番息子という行事が行われているそうです。
大磯の左義長は国の重要無形民俗文化財に指定されているだけあって、ただ盛大に正月飾りを燃やしているだけの行事ではありません。燃やすまでの行事も大切になります。正月が過ぎると子供たちは正月のお飾りを集めて歩き回り、青年たちはセエトの材料となる松や竹を調達します。ここまでは一般的なのですが、次いで町内各所に大竹やオンベ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンのお仮屋を作り子供たちが籠ります。そしてお祭り前の数日間は地元の人たちはセエノカミサンにお参りして歩きます。特に七ヶ所に参ることを七所参りというそうです。まるで七福神巡りみたいですね。また町内によって子供たちが歌い踊りながら家々を訪問して商売繁盛を願うオカリコという行事も行われているそうです。
左義長の当日は朝早くからサイト造りが始められます。まず町内各所のおんべ竹やお仮屋などを片付け、集められたお飾りや縁起物などと浜辺に運びます。そして浜辺で町内ごとにサイトが造られていきます。道祖神の石像も浜へ運ばれ、浜で祀られます。夕方になると徐々に人が集まり始め、6時過ぎると人が増えてきます。そして7時になると点火が行われますが、これは各町会によって勝手に行われるので、話が長くなったりして微妙に時間差ができてしまうこともあります。この火付けにもルールがあって、宮元や宮世話人がその年の恵方に火をつけるのが正式のようです。
火が燃え上がると若い裸衆の登場です。といっても若い人は少なく、昔は若かった衆というべきでしょうか。今時の若い人はあまりこういう事はやりたがらないでしょうね・・・。そして、ソリ状のものを引っ張って海に入り、陸と綱を引き合うといった綱引きを行います。これはヤンナゴッコという行事なのですが、見ていると町会によってやり方や形が違っているようでした。道祖神の種類によって違うのでしょうか。これが2、3回繰り返され、綱引きが終わるとそのソリはサイトにたたきつけられたり、踏みつけられたりと乱暴な扱いをされていましたが、その理由などはよく分かりません。最終的にこの壊れたソリは人に引かれて各町内を回ってお宮に帰っていくようです。
一方燃え上がるサイトの方では、セエノカミサンのこの火で団子を焼いて食べると風邪をひかないという事で、地元の人が長い竿の先に三色団子を付けて火にくべていました。あまり他では見ないようなカラフルな光景で、これはなんか凄くおいしそうに感じました。団子が焼けあがる頃になると、寒いしと、徐々に人が減っていきます。
訪れた感想は、やはり浜で9つのサイトが同時に燃え上がる光景はなかなかのものです。そしてそれぞれの町会で盛り上がっている様子を見ると、この行事を楽しみにしていたんだというのが伝わってきました。やっぱり地元の人が楽しそうにしていると雰囲気がいいし、見ている方も楽しくなってくるというものです。
風の祭事記 大磯左義長
風の旅人
<2012年訪問 - 2019年2月更新>