旅人の歯医者日記タイトル
旅人の歯医者日記

第2章 折れてしまった前歯
#2-15 親知らずの抜歯(後編)

1999年8月~9月

激痛の原因となっていると思われる親知らずを抜いてもらうことにしました。(*第2章は全17ページ)

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39、張子の虎

しばらく待っていると、他の患者の治療を済ませた先生が戻ってきた。そして、「では、親知らずの抜歯を行います。ペンチのような器具で引っ張って歯を抜きますので、ちょっと辛いかもしれませんが、しばらくの間、我慢してください。」と、ペンチみたいなものを用意し始めた。

おい、やっぱりペンチを使って引き抜くんだ・・・。実際に宣告され、ペンチを目の当たりにすると顔が引きつってくる。

歯科用ペンチのイメージ(*イラスト:上田 ひろこさん)

(*イラスト:上田 ひろこさん 【イラストAC】

しかも使うのはステンレス製の医療用ペンチ。装飾などは一切なく、冷たい金属独特の光を不気味に放っている。まさに歯を抜くためだけに存在しているといった代物。歯を抜かれる直前なので、拷問器具にしか見えない・・・。

これで歯を抜くのか・・・。麻酔をしているとはいえ、こんなペンチのような器具で無理やり歯を引っこ抜いたら、超絶的に痛いんじゃないの・・・。というより、もはや恐怖そのもの。心臓が高鳴るほど不安が大きくなっていく。

心臓が高鳴るイメージ(*イラスト:たまごんさん)

(*イラスト:たまごんさん 【イラストAC】

しかし自分で今すぐ抜いてくださいと言ってしまった手前、うろたえている姿をみせるのもみっともない。大盛無料の定食屋で、張り切って大盛にしてくださいとお願いしたけど、途中でお腹が苦しくなり、残すに残せない心境・・・。いや、事態はもっと深刻だ。

やりたくないが、わざわざ仕事を休んで来たわけだし・・・、また朝起きたら歯が痛いというのも嫌だし・・・、頑張って今日のうちに歯を抜いておこう。でも・・・、痛そうだな・・・。辛そうだな・・・。やっぱり、心の準備をして次回・・・。と、頭の中で色々な事が渦巻き、治療を始める前だというのに冷や汗が出てきた。

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なるようになるしかない。きっと先生に任せておけば大丈夫。案外、辛くなる前に抜けてくれるかもしれない。覚悟を決めて口を大きく開けた。

まずは麻酔が効いているかの確認。もし麻酔が効いていなければ気絶するような痛みとなるので、歯を削るのとは違い慎重に行われた。

奥歯周辺をコツコツと叩いたり、歯肉炎の治療の時のように針で歯茎を差し、「痛くないですか?」と確認してくるのだが、ちゃんと麻酔が効いているようで痛みは感じない。

歯茎に差すイメージ(*イラスト:hatorinaさん)

(*イラスト:hatorinaさん 【イラストAC】

麻酔が効いているのを確認した後、ペンチの登場。「それでは始めます。抜くために歯を強くゆすっていきます。すぐ抜けてくれればいいのですが、場合によっては長くなってしまいます。その場合は、ちょっと辛いと思いますが、しばらく我慢してください。」と、先生は言い、口の奥にペンチを入れ、親知らずをゆすり始めた。

口を大きく開け、奥歯をゆすられるというのは、思っていた通り、いや、思っていた以上にしんどい。麻酔が効いているので、奥歯に直接痛みを感じることはないが、奥歯にペンチを突っ込まれるので息苦しいし、ペンチで歯を掴んで揺らすときの振動が頭に響くし、大きく口を開けているので、顎が外れそうな感覚になる。

大きく口を開けるイメージ(*イラスト:KTKさん)

(*イラスト:KTKさん 【イラストAC】

更に、私の場合は厄介なおまけが付いてきてしまった。奥歯をゆすったことで前歯の神経が刺激されてしまったようで、前歯の痛みが復活してしまったのだ。

部分麻酔なので前歯の痛みは緩和されなく、ペンチが前歯に当たると激痛が走る状態。奥歯を抜いているのに前歯が痛いって・・・、なんか最悪な展開。よりによってこんな時に痛みが復活しなくても・・・。本当にこの前歯の痛みは、天邪鬼のように性格が悪い。

天邪鬼イメージ(*イラスト:ゆぽさん)

(*イラスト:ゆぽさん 【イラストAC】

先生に、できるだけ前歯に触れないようにとお願いするのだが、これがなかなか無茶な注文のようで、どうしても口の入り口という場所柄、ペンチが当ってしまう。

それに前歯に当たらないように配慮すれば、ペンチを握る手に力がうまく入らないようで、歯を強くゆするときにペンチが滑って歯から外れることが多くなった。

悪戦苦闘する先生も大変だが、耐え続ける方も大変。早く抜けてくれ・・・と願うのだが、なかなか抜けてくれない。

「丈夫に生えている歯でなかなか抜けませんね・・・。とても立派な歯です。」と、先生は言い訳のように私の歯の丈夫さを褒めてくれるが、この状況ではちっともうれしくない・・・。

バツが悪いイメージ(*イラスト:ぽにーさん)

(*イラスト:ぽにーさん 【イラストAC】

治療が始まって5分以上がたった。さっきからずっとペンチで親知らずをつかんで、左右に引っ張っているのだが、なかなか歯が抜けてくれない。

時間が経つとともに別の問題も浮上。頭が固定されていないから、先生が歯をペンチで掴んで強く左右に引っ張ると、どうしても頭が右に、左に引っ張られ、振り子のトラのように頭が動いてしまう。

それがさっきから長く続いているものだから、なんだかグルグルと目が回ってきたりして・・・。頭がボーとするというか、気持ちが悪くなってきた。まるで車酔いのよう・・・。

張子の虎のイメージ(*イラスト:メジマキさん)

(*イラスト:メジマキさん 【イラストAC】

前歯に当たらないようにと悪戦苦闘していた先生だったが、口を思いっきり広げ、横から力を入れる感じでやると、うまく力が加わるようになった。これだと歯をしっかりとつかめ、強くゆすることができる。

この調子ならもう少しで抜けそう・・・。とはいえ、これも結構しんどい。口の大きさいっぱいにペンチを動かすから、口が裂けそう。唇の付け根がピリピリと痛い。本当に裂けてしまっているのではないだろうか・・・。

親知らずの抜歯のイメージ(*イラスト:もんちゃんさん)

(*イラスト:もんちゃんさん 【イラストAC】

そういった状態で更に5分ぐらい耐えると、ようやく奥歯から「ぐきっ」と鈍い音がした。麻酔をしているので詳しい状況は分からないが、どうやら無事に歯が抜けたようだ。

先生が「お疲れさまでした。歯が抜けました」と知らされると、やっと終わった・・・と、ホッと一息。長かった・・・。そして辛かった・・・。終わってみると、先生も私も額には汗をたっぷりかいていた。

40、さらば親知らず

歯が抜けると、抜けて陥没した箇所にすぐに化膿止めの薬を詰め、止血のための脱脂綿を被せ、それをしばらくぎゅっと噛むように言われた。20~30分ぐらい噛み続けると、血が止まるとのこと。

抜けた親知らずのイメージ(*イラスト:nendoさん)

(*イラスト:nendoさん 【イラストAC】

抜いた歯を見せてもらうと、ちゃんと虫歯になっていた。斜めに生えていたので、歯ブラシが届きにくかったし、いずれ抜くかも・・・と、幾分手を抜いて歯磨きをしていたので、まあこれはしょうがない。

さらば親知らず。歯が痛いときは、疫病神と罵ってしまったが、実際に抜けた様子を見てしまうと、一抹の寂しさを感じる。短い付き合いだったが、お世話になったな。成仏してくれ。

私が熱心に抜けた歯を見ていたせいか、先生が「抜いた歯はどうしましょう。持ち帰りますか。それともこちらで処分しますか?」と聞いてきた。

乳歯が抜けたイメージ(*イラスト:ひでかずさん)

(*イラスト:ひでかずさん 【イラストAC】

どうしよう。持って帰ってもな・・・。抜けた歯は、屋根の上に投げるといいんだっけ。そんな迷信を信じ、子供の頃には抜けた乳歯を屋根の上に投げたことがある。親知らずもそうすればいいのか。

冗談半分で、「子供の時に歯を屋根の上に投げた覚えがあるんですけど、親知らずも屋根の上に投げたらいいことありますかね。」と、先生に聞いてみた。

先生は笑いながら、「乳歯を屋根の上に投げるのは、丈夫な歯が生えてきますように・・・ということなので、親知らずを投げたら大変なことになるかもしれませんよ。」とのこと。

続けて、「屋根に投げるのは下あごの歯で、上あごの歯は床下に投げ込むという地域が多いですよ。続いて生えてくる永久歯が、その方向へちゃんと伸びてくれるようにといったおまじないです。」

歯の妖精(トゥース・フェアリー)のイメージ(*イラスト:ハヅキスイカさん)

(*イラスト:ハヅキスイカさん 【イラストAC】

「あっ、そうそう。ヨーロッパでは枕下に置いて寝ると、歯の妖精(トゥース・フェアリー)がやって来て、魔法でその歯をコインに換えてくれるんですよ。きれいな歯ほどいい金額になるとかで、子供たちは熱心に歯を磨いていると聞きました。まあ、コインを置くのは親ですけどね・・・。」と、旅好きな私のために外国の雑学を教えてくれた。

なるほど、所変わればというやつなんだな。虫歯にならなかったらご褒美があるのなら、私ももっと熱心に歯を磨いていただろうな・・・。うらやましい文化だ。

とりあえず歯をどうするかだ。屋根の上に投げてもいいことはなさそうだし、枕の下に置いても、虫歯になった大人の歯では持って行ってくれなさそう・・・。むしろ「よくも抜いてくれたな!」と、親知らずに祟られるのではないか。夢でうなされでもしたら、また歯が痛くなりそう・・・。それは勘弁だ。

悪夢のイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

土の中に埋めて供養すればいいのかな。首塚ならぬ、歯塚でもつくって供養するか・・・。旅をしていると、有名な武将などの歯塚なんていうものを見かけるし・・・。とも思ったが、やっぱり面倒。

他の人の歯と一緒に処分してもらうのが、歯にとっても幸せかもしれないな。と、勝手に解釈し、ここで処分してくれるようにお願いした。

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治療の最後に、血が止まるまでは20~30分かかるので、ずっと止血用の脱脂綿をかんでいること。もし血が止まらなかったり、気分が悪くなったら、すぐに診察に来ること。痛み出したら痛み止めを、食後には化膿止め薬を飲むこと。また、今日はお酒を控え、激しい運動をしないこと。などといった注意を受け、治療は終了。受付で化膿止めや鎮痛剤をもらい歯医者を後にした。

処方箋のイメージ(*イラスト:まーぴーさん)

(*イラスト:まーぴーさん 【イラストAC】

無事に親知らずが抜けてよかった。今のところは前歯の痛みは治まっている。後は、明日の朝に前歯の痛みがでてこないことを願うのみ。

しかし、歯を抜くのって、大変なことなんだな。体力は使うし、精神力も使う。抜き終わった今も、脱脂綿を噛んでいる奥歯には、まだ変な余韻が残っているし、車酔いのようなふらふらした感覚もしている。もしかしたら顔も腫れ上がっているかもしれない。

それに裂けそうなぐらい引っ張られた唇の付け根が少し切れたようで、ピリピリとして痛い。これが今一番気になっている。家に帰ったらメンソレータムでも塗っておこう。

塗り薬のイメージ(*イラスト:ACworksさん)

(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】

いや、本当に疲れた。今日は仕事を午前休みではなく、全休にしておいて本当によかった。今から会社に行く気力はない。

できればもう歯は抜きたくはないな・・・。もう片方の親知らずよ。抜かれたくなければ、これ以上出てくるんじゃないぞ。いや、出てこないでください。お願いします・・・。奥歯に詰めた脱脂綿を強く噛みしめながら思うのだった。

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第2章 折れてしまった前歯
#2-15 親知らずの抜歯(後編)
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