風の足跡 ~風の旅人旅行記集~

極寒のモスクワ散策記
#12 エピローグ

<1997年12月3~4日>

ソビエト連邦が崩壊してから6年後、政情、経済が不安定だった1997年の冬、トランジットでモスクワを半日ほど散策した旅行記です。(全12話)

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11、エピローグ

飛行機の座席
飛行機の座席

*バックパックを持ち込めた行きの時の写真

11月から12月中旬までは一年で一番フライト料金が安い。この時期は乗る人が少ないので、できるだけ料金を下げて需要を喚起している。

日本へのフライトもシーズンオフだけあって、機内はガラガラ・・・を通り越して、人がほとんど乗っていなかった。

予約してある席は窓側の席だったが、真ん中の席が空いていたので、離陸したのち後に移動した。機内食を食べ終わると、満腹感から眠さがこみ上げてくる。ひと眠りしよう。ゴロンと横になった。

疲れていたせいかぐっすり。エコノミークラスだったが、ファーストクラスに負けないぐらい快適な空の旅だった。

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飛行機は無事に成田に到着した。飛行機を降りると、入国審査を受け、税関に向かった。

何も法律に違反するようなものは持っていない。タバコも2カートンしか買っていないし、香水も自分のものだけ。税項目で違反するようなものも持っていない。

無申告のレーンを通過しようとすると、「変わった服を着ていますね。どこの服ですか?」と、3人の職員の人に囲まれてしまった。

「モロッコの民族衣装です。」と答えると、「変わったポケットですね。」と、言いながら中に手を突っ込んできた。

やはり怪しかったみたいだ。まあ自分でも怪しく見えるからしょうがないとしても、ちょっとやり方が陰険ではないか。

いかにも日本人らしい気がした。でも、何も動じない私の態度に安心したのか、荷物は調べられることはなく税関を通過できた。

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税関を通過すると、出口から一般の空港内へ出ることになる。その出口では出迎えの人たちが幾人も待っていた。日本人の顔がたくさんある。英語で名前を書いたボードを持って待っている人もいる。そういった風景を見ると、日本に帰ってきた感触がしてきた。

日本か。懐かしい。でもここには私の到着を待ってくれる人はいない。それは分かっていても出迎えられた人の笑顔を見ていると、一抹の寂しさを感じてしまうものだ。

さて、家に帰ろう。その前にようやくバックパックが手元に戻ってきたことだし、・・・。どうするか。

モロッコの民族衣装から普通の服に着替えようかとも思ったが、やっぱりここまで来たなら最後までこのままの格好でいよう。

モスクワでのことや、さっきの税関でのことがあったので、ちょっと意固地になっている部分もあった。

周囲からの少し痛々しい視線を感じつつ、モロッコの民族衣装のまま京成の駅に向かった。

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京成線に乗り、上野まで行き、そこから銀座線に乗り換えた。東京の中心を走る銀座線の車内はスーツを着たサラリーマンばかりだった。

乗っていると、ゴーという列車の走る音が響くだけで、車内は不気味な静けさが充満していた。息苦しいというか、重々しいような沈黙だ・・・。

それに誰も民族衣装を着た私と目を合わそうともしない。触らぬ神にたたりなし。いや、こんな変な恰好をしている人間に構っているほどみんな暇ではないのだ。

途中で乗り換えるときも、エスカレーターでは気持ち悪いぐらい人間が整列して流れていた。これではまるでベルトコンベアーに流れる機械の部品のようではないか。みんな地味な色のスーツを着ているし。

モロッコのカラフルでごちゃごちゃした雰囲気に幾分慣れてしまったせいか、懐かしいよりも日本はこんなに味気ない国だったけ?人間らしさとはなんだろうか?などと、軽いカルチャーショックを感じてしまった。

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家に帰る前、通り道なので大学に寄ってみることにした。出国前に友人などに帰国した日に寄れたら大学に行くよと約束をしていたが、今日がその日だということを覚えている人はまあいないだろう。友人が旅立つ日は覚えていても、帰ってくる日まで覚えている人はほとんどいないものだ。

民族衣装を着て学校に入ると、さすがに目立ち、なかには振り向く人もいた。でも実際のところ実験用の白衣を着た人、落語や茶道の活動で着物を着た人、運動のユニフォームを着た人、宗教の衣装を着た人も多いので、町中に比べると視線はあっさりとしたものだ。

友人や後輩たちがたむろっている場所に行くと、まさかこんな格好で姿を現すとは思っていなかったようで、みんな私の変貌振りには驚いていた。

彼らのありふれた日常が非日常になったのは確かで、一気にみんな旅に出たいといったワクワクするような顔に変わった。これはしてやったり、といった気分だ。

コサック帽をかぶる仲間
コサック帽をかぶる仲間

旅で手に入れた物を見せながら旅の自慢話をした。なかでもモスクワで大学生から購入したコサック帽が一番好評だった。

「これはクレムリンでロシアの苦学生から長い交渉の末に・・・」と、私の値切りの交渉術などそっちのけで、みんな「すげー」と言いながら被っていたが、みんなの被った姿が似合っていないこと。

「それじゃロシアで歩けないぞ。ロシア女子にもてないぞ。」と、さも自慢げに言ってみるが、きっと私もモスクワでは似合っていなかったのだろう。どうも日本人にはコッサク帽は似合わない気がする。

立て看板前で
立て看板前で

大学の門の横には演劇部の立て看板があった。演劇の告知で、タイトルは「ジプシー 切り株の上の物語」とあり、横にはスナフキンの姿が描かれていた。

今の私と似たような格好だ。ちょっと思うところがあって、その前で写真を撮ってもらった。

きっと傍から見たら舞台の主役が公演を終えて記念撮影をしているかに見えるだろう。今の私自身もそういった心境だ。旅という舞台が今日終わってしまった。卒業旅行は海外へは行かない予定なので、今回の旅が学生時代最後の海外一人旅になる。

それに楽しかった大学生生活にしても残りわずかで緞帳が下りる。そう考えると、色々な旅の終わりが見えてきている。

旅の終わりは寂しものだ。でも旅の終わりは、また新しい旅への出発でもある。新しい旅の準備を始めよう。新しい生活を楽しもう。それが人生の旅するってものだ。

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帰国して3日も経つと、日本ほど良い国はないと頭の思考が日本の生活様式に戻った。そんな時ふと新聞の片隅の小さな記事に目が釘付けになった。

「トルコで日本人ツアー客を乗せたバスが事故、一人死亡、二人重症(*後で調べてみると、阪急交通社のツアーで1997年12月5日か6日)」ってまさか、あの空港で会ったおばあちゃん達では・・・。

あんなに目を輝かせていたおばあちゃん達が事故に巻き込まれたのではと気になってしょうがない。

しかしどこのツアーだったか聞いていないので、確かめようがないし、調べようもない。バス事故が多い話をした事が悔しい。あの時話しかけなければこんな不安な生活を送ることもなかっただろうに。ちょっと暗い気持ちになってしまった。

旅はトラブルがつき物。一人旅だけではなく、それがごくありきたりなツアーにせよ同じことなんだな。しみじみと日本に帰ってから考えさせられてしまった。

極寒のモスクワ散策記97'
ー 完 ー
風の旅人 (2021年1月改訂)

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