リアルタイム旅行記 道標ない旅
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<2009年5月改訂版>
旅のトラブル帳
< 2001年9月〜10月の詳細 >
* 2001年9月の詳細 *
上旬  アメリカで同時多発テロが起きる <ホーチミン>
  ベトナムのホーチミンに滞在中、とんでもない事件が耳に入ってきました。そのニュースとは、「アメリカの貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ」というもの。なっ、なんだそれ。着陸失敗か。ちょうど日本人が溜まる宿に泊まっていたので、近くに住む日本人がCNNなどの衛星放送で流れていたことを知り合いに話しに来ていたのを耳に挟みました。どうやら自慢げに話しているのを聞くとテロらしい。まじかよ。みんなでテレビを付け、ニュースを見るものの、全くそんなニュースをやっていません。本当なのだろうか。実はガセネタとか。でも今は9月だよな。ホーチミンはベトナム第一の商業都市ですが、情報が全く入ってきません。でも本当なら、こりゃえらいこっちゃになるかも。アメリカ行きの飛行機が止まっているとかいないとか。アメリカが戦線布告したとか。情報が錯綜して何が起きているのか分かりません。無事に日本に帰れるだろうか。今後の予定を変更しなければならないとか。自分で確かめよう。不安になってインターネットカフェに行くもの、回線が重すぎて話しにならない状態でした。世界的に相当混乱しているようだ。なんとか少しだけ情報は得られたけど、形式的なことだけ。とりあえずテロが起きたのは本当のことだ。この後情報収集やらでてんやわんやしなければなりませんでした。やっぱり海外に出ていると、こういった大きな事件というか、戦争のようなことには無関心でいられません。それにしても宿に戻ってテレビをつけるものの、ベトナムのテレビではテロ発生から大分経ってからアメリカでテロがあったということを少し流しただけでした。かなりいい加減。情報化社会に取り残されているぞ、ベトナムは。でも反米感情の強いベトナムですが、中東のようなお祭り騒ぎになる事はなく、そのへんの奥ゆかしさはやっぱりアジア人なんだなと思いました。
* 2001年10月の詳細 *
上旬  睡眠薬強盗に遭う! <フエ>
  旅始めの頃、心温まる偶然の出会いによってベトナムのムイネで約一ヶ月ホームステイをしました。私の中ではとてもいい思い出であり、帰国前にせっかくだからとムイネに再び寄ってみることにしました。そして寄ったついでに今回もちょっとだけホームステイをしました。今回も短いながらなかなか楽しい滞在となりました。そしてそのホームステイを終え、日本に向けて帰国開始。まずはベトナム中部の都市フエに北上する事にしました。

  観光客にとってベトナムでの移動は快適なツーリスト専用バスが一般的です。ローカルバスはお世辞にも快適とは言えず、おまけに安いはずなのだけど、ぼってくるので結局値段が変わらないと旅行者の間ではえらく不評です。ムイネからはそのツーリストバスが出ていない事もなかったけど、マイクロバスだったし、ホームステイ先のおじさんはその料金を見て「あんな高いものに乗るもんではない!私が付いて行って交渉してやるか」らと言い出しました。私もホームステイを体験してから標準的なベトナムの物価に慣れてしまい、ツーリストバスの値段の高さに疑問をもっていましたし、最近トラブルがないことも手伝って、ローカルバスに乗って北上することにしました。まあ手持ち金もそう多くない事もあっての事ですが・・・。

  そしてホームステイ先のおじさんにバイクで連れられて近くの大都市ファンティエットからフエ行きのバスに乗車しました。ここまで順調でした。しかし乗ってみると恐ろしく狭い。う〜ん窮屈だ。やっぱりローカルバスだな。後何時間乗れば着くんだ〜と考えると気が遠くなってきます。まあ最後の試練だと思って頑張っていると、途中の町でバスの調子が悪くなり、乗客全てが乗換える事となってしまいました。これが不幸の始まりでした。乗り換えようにも相手側の運転手が外国人だったら追加料金を払えと言ってきて交渉決裂。今思えば追加料金といってもたかが知れているので自腹で払っておけば良かったようです。そしてバスに乗れなかった私は今までのバスの運転手ともうしばらく北上。修理工場がそっちにあるとの事。しばらく走って修理工場に着くと、運転手と車掌と道脇でフエ行きのバスを停める作業にかかりました。

  そして何とかバスに乗ることが出来たのですが、これがまたひどいオンボロで、狭い。日本人よりも小柄なベトナム人サイズでぎりぎりといった感じ。う〜ん、もう勘弁。これももう少しの辛抱だと乗り続けていると隣の乗客が話し掛けてきました。やはりローカルバスに乗ると外国人は目立ってしまう。一回休憩をはさんだ後、私の隣の席に座ってきたのは日本語を少し話せる人でした。昔大阪で留学していたらしい。しばらく話していたが、いまいち会話の趣旨がちぐはぐ。段々面倒になってきて、疲れたから寝ると言って会話を切り上げて一人の世界に入りました。その内眠りについたようで、ふと気が付くと、何とも胸焼けがするし、喉が異様に渇いている状態でした。隣の人はちょっと慌てたようにジュースを差し出してくれたように覚えていますが、この後のことは定かではありません。その後の記憶がさっぱりないからです。そのジュースに睡眠薬が入っていたのか。寝ている時に嗅がされたのか。次ぎ起きたのはベッドの上でした。

  ここはどこ??記憶を手繰り寄せてもわからない。どうも病院といった雰囲気ではないし、どっかの宿なのか?するとタイミングよく人が入ってきました。その人は日本語が話せ、ここはフエの日本人宿との事。昔泊まって風邪を引いたあの宿です。話によると、昨夜警察に付き添われてリクシャで運ばれてきたらしい。目が覚めないからえっちらこっちらとみんなで運んだんだよと笑いながら言われても・・・。睡眠薬強盗にやられたんだなとやっと自覚しました。あっ、荷物は!と見ると鞄、カメラバッグともちゃんとありました。鞄は鍵がかかっているので中は大丈夫だろう。カメラは・・・あった!?でも貴重品入れの中はパスポート以外はからっぽ。ポケットの中のお金もない。どうやらお金だけ奪われたようです。やれやれ。残り少ない軍資金を全く。へそくりとして隠してあったお金は無事だったのでなんとかハノイまで行けなくはない。すぐバスのチケットを予約して飛び乗った。ような気がする・・・。実はこの時点でもまだ睡眠薬が効いていて思考能力がなく、無意識に行動していたようです。ですからフエでの滞在は断片的にしか覚えていなく、やっと意識がはっきりしたのはハノイからの記憶なのです。

  ハノイに着くとやっと事の重大さと自分の置かれている状況に気が付き、慌てて大使館に駆け込みました。なんせ金がない。大使館の人に日本からの送金の仕方を教えてもらい、100ドル借りました。そのときの手続きの簡単な事。はいどうぞってパスポートナンバーとか控えなくていいんですか。こっちの方がびっくりしてしまい、あの〜何か借用書みたいなもの書かなくていいんですか?って聞いてしまった。そして家に電話してまとまったお金を送金してもらい事なきを得ました。何はともあれ荷物が無事だったのが不幸中の幸い。今回の旅も残り10日という時に最大のトラブルに遭うというのは気が緩んでいたということなのだろう。終わりよければ全てよし。今までほぼ順調だった今回の旅に影を作ってしまった感じです。そして長距離バスに乗るのが怖くなり、ハノイからは一気に香港まで飛行機で飛んで、しばらくシンセンに住む友人宅に転がり込んだのでした。でもやっぱりベトナム人は親切かも。こういったトラブルがあってもそう思えました。ホームステイ中もそうでしたが、トラブルにあった後も色々と助けてもらったからです。だからこそ睡眠薬強盗に遭わなければ・・・・。ちょっと残念です。
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