リアルタイム旅行記 道標ない旅
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<2009年5月改訂版 Ver.3.1>
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第1部 北風 ・・・ 南進編  (2000年1月20日〜4月30日)
<香港、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール>
〜〜〜   第14週   〜〜〜
4月17日 (月) 晴
シェム・リアップ
・年配のバックパッカー
支出 1600円
  悔しい事に、今日は起きると晴れていました。昨日と天気が入れ替わってくれればと地団駄を踏んでもしょうがない。せっかく晴れていることだし今日は何をしよう。今のところ絵葉書を出すぐらいしか予定がないけど、ここは一発気合を入れてまだ見ていない遺跡を見に行くというのもありかな。恐らくもうカンボジアに来る事もないだろうし・・・。それに「周辺の遺跡はあまり観光客が訪れないし、なかなかいいぞ」と仲のいいジョンが自慢げに言っているのも気になるところです。でもな〜カメラが壊れたままだし、高い遺跡の入場券を改めて買わなければならない事を考えると、う〜ん、そこまで気乗りがしないかも。いくら遺跡好きな私でも2日間丸々遺跡見学をしたので、もうしゃかりきになってアンコール・ワットの遺跡を見たいといった情熱はありませんでした。

  なら何をしよう。遺跡見学以外でここですることは・・・ない。じゃあまあ今日ものんびりするか。仲良くなった定年退職バックパッカーのおじさんは今日から遺跡見学という事で朝早くバイクタクシーで出発して行ってしまい、三人組の日本人も他の宿へ行ってしまったので、相手をしてくれそうなのは・・・ジョンだけ。そういえばこの人は一向に動く気配がないな。「一体何時までいるの?」と尋ねると、「まあ〜そのうち・・・」との事。なんか女性を連れている旅人って大抵が覇気がないんだよな。うらやましいというか、こうなりたくないというか・・・見てると良し悪しだなと考えてしまいます。ともあれ午前中はジョン達とゆっくり過ごし、午後から散歩がてら郵便局へ向かいました。サゴちゃんなどが言うにはカンボジアから出す絵葉書は切手をはがされて届かない事が多いから、消印を押すところまで確認するんだよと言っていたけど、本当だろうか。いくらなんでもそこまでは・・・と思いつつもちゃんと確認している私がいました。果たして何通届く事やら。郵便局で絵葉書を出すのに景品をもらう為の葉書を出している気分っていうのもなんだかなといった感じです。

市場の野菜売り場
市場で働く女性達
  その後は市場などを散策しました。明日にはカンボジアともさよならだ。なんかカンボジアらしいお土産はないかな。物色するものの、いまいちいいものがありません。そもそも仏像の彫り物とかいらないし・・・。ここにはこれっていう伝統的なものがないのかな。それにまだ特徴的なお土産が儲かるという事が認識されていないのかな。もっとも市場なんかよりも遺跡内で売る方が儲かりそうですが・・・。結局、荷物にならなそうな幾つかの小物を購入しました。そしてそのまま市場の奥のほうに入っていくと野菜売り場や衣服売り場などがあり、女性が多く働いていました。カメラを向けるとにっこりと写真を撮らせてくれました。ハイチーズ。あれっ、横向いちゃった。ベトナムでもそうだったけど、ここでも女の人が横を向く修正があるようです。何も知らないと撮る方としてはいきなり横を向かれるので結構びっくりしてしまいます。

  夕方宿に戻ると、日本人のおじさんが遺跡見学から戻ってきていました。感想を聞くと凄いの一言。やっぱりそうですよね〜などとしばらくしゃべった後、一緒に食事に出かけました。食事をしながら「ここにはどのくらいいるのですか?」と聞くと、「今日1週間券を購入したから多分後1週間はいるんじゃないかな」との事。「遺跡が好きなんですね」と話を合わせると、「いや、体力がないんですよ。」と返ってきました。予想していなかった返答に困っていると、「年をとってからのこのような旅はさすがに体にこたえて、毎日動けないんですよ。暑いし、すぐ疲れてしまうし・・・ほんと君達若者がうらやましいよ。」とのこと。なるほど。そうだよな。そりゃツアーで至れり尽くせりの旅行と違って、バックパックの旅は金銭面を体力で補うのが基本だもんな。でもなんでこういう旅をしているのだろう。思わず聞いてみると、ツアーという囲いが邪魔だし、こういう旅行に憧れていたんだとか。そうなんだ。別にお金に困っているようには見えないと思っていたけど、やっぱりな。現に私の食事をおごってくれているし。それにしてもバックパッカーは若いうちにしかできないと思っていたけど、それはちょっと違うなと気がつきました。面倒くさいと単にゴロゴロしている若者もいれば、動き回っている年配の人もいる。そう考えると、若い時のバックパッカーは若いうちにしかできない。山登りがそうであるように、早くは登れないかもしれないけど、年をとってもバックパッカーはできる。これが正しいんだな。目から鱗が出る思いがしました。
4月18日 (火) 曇
バンコク
・ダンシングロード
支出 3200円
  シェム・リアップからタイの国境まではとうとうバスとか、マイクロバスではなく4WDのトラックでの移動となりました。この間は最強に道が悪いとか。って、今までも最悪だったのに、どんだけ悪いんだ。期待しつつ4WDの荷台に乗り込みました。もちろん室内と荷台で値段が異なり、私は安いし、眺めのいい荷台の方を選びました。これが失敗だったのは後述するとして、荷台へ乗ったのは私を含めて7人。欧米人旅行者ばかりでした。荷台といってもそのまんま荷台なので、自分のバックパックを椅子にして座らなければならないというひどいもの。これがなんとも不安定で、座り心地が悪い事。でもカンボジア人が乗っている4WDトラックは人と荷物が満載だということを考えると、まだましかな・・・。

ダンシングロード
泥濘にはまるトラック
橋の修理
途中の休憩所で物を売りに来る
子供達と欧米人旅行者
  最初のうちは道が比較的よかったので、みんなで荷台に乗って移動するなんてなんかピクニックに行くみたいな感じだとか、面白い体験だねと笑っていたのですが、そのうち道が悪くなってきて、しゃべっている余裕もなくなってきました。なんか道が・・・そうモトクロスのレース場みたい。って、そんな幹線道路ありえないだろ。普通に波打っているし・・・。道理でバスが走っていないわけだ。おまけに大部分が未舗装のダートの為、所々雨でぬかるんでいて、さすがにこれでは4WDのトラックしか走れないわけだ。もちろんこんな悪路だと運転手も大変だと思いますが、実際は乗っている方も大変。ボーとしていると荷台から振り落とされかねません。なんか運転手以上に真剣に乗っていたりして・・・。そしてバックパックの上で必死になってバランスをとっている姿はまるで踊っているような感じ。これではまるで「ダンシングロードではないか。」と、誰かがつぶやきました。まさにその通りだ。誰でも踊りだしてしまう道路ってか。上手いことを言うものだ。

  道の所々では、あまりにも道が悪く、ぬかるんでいたり、橋が壊れていたりしました。決まってそういう場所には人がいて、車を押したり、道を修理したりしていました。なんて感心なんだと最初は思っていたのですが、よくよく見ていると、ちゃんと運転手からお金をもらっていたりして・・・。なんか通行税みたい。そういえば出国前に読んだ本ではアジアでは道路カットの習慣があるとか書いてあったな。道路カットとは、わざと道を壊して修理しつつ通る車から修理費の名目としてお金を徴収するというものです。これがそうなのかな。でも、そもそもここでは最初から道が壊れているような・・・。なんだか見ていると、自動車専用の落とし穴みたいで、はまってしまったら牽引してもらう為にお金を払わなけらばならなく、はまらずに上手く通り抜ければそのまま通過といった場所も多々ありました。所々かかっている小さな橋もまたいい標的です。板をはめては、車がいなくなったら外しての繰り返しをしているのではと疑ってしまいます。でもまあ私がお金を払うわけではないので、ここは小遣い欲しさにわざとぬかるませたままにしているなとか、ここは真剣に直しているのかなと考えると面白かったです。

  それはそうと、今日も水掛祭りは健在で、走り出してしばらくすると、時々道の脇の民家などから水風船が飛んできました。まだやっているんだ。さすがに物珍しさもなくなったので、もういい加減やめようよといった気分でした。特に我々の車は目立つ欧米人が乗っているので、面白半分で投げとけといった感じで、水風船をぶつけてきます。中には思いっきり投げてくる人がいて、欧米人の顔にビシャって当たり、欧米人は立ち上がって大激怒。唯でさえ道が悪くて機嫌が悪いのに、そりゃないよって感じです。といってもまな板の鯉状態で何も成すすべがないので、ひたすら耐えるしかありませんでした。周りが草原になると一安心。さすがに動物は水を掛けてこないだろうし・・・。段々とタイの国境に近づくにつれて水攻撃が少なくなり、もう安心かなと思ったときに今日一番の惨劇が待っていました。なんと家の二階から思いっきりホースで水を掛けてくる輩がいたのです。これはたまらない。人間も荷物もビショ濡れ。ほんと勘弁してよって感じです。もう欧米人は怒り大爆発。「クレイジーフェスティバル」と唸っていました。

  国境へ着いた時にはみんなくたくた。おまけにずぶ濡れ。思わずみんなでお互いよく頑張ったと握手してしまったほどです。そして出国手続きをするためぞろぞろとイミグレに行くと、出国係官がずぶ濡れになった我々の格好を見て、大笑い。「今はお祭りの週間だからね。カンボジア人みたいでいい格好ではないか」と言ってきました。状況を知らないからそんなのんきな事言っちゃってくれて。こっちとら楽しんでいたわけではないんだけどな。道は悪いし、一方的に水は掛けられまくるは・・・でもまあ今となってはいい思い出か。「そう、とんだハッピーニューイヤーだよ」と笑いながら返し、そしてカンボジアを去りました。

国境
  国境を歩いて渡ると、今度はタイのイミグレへ。中国、ベトナム、カンボジアに続いて4カ国目か。思えばビザのない国は今回初めてだな。おかげで入国審査は瞬間的に終わってしまいました。タイへは一度来たことがあるので、入国スタンプも特に珍しくもなく、すぐにパスポートをしまいました。そしてイミグレの外に出ると、立派な大型バスが待機していました。これは乗り心地がよさそうだ。もちろん乗ると、乗り心地というか、座り心地のいい事。やっぱり乗り物の座席にはクッションが付いていないとな。おまけに道も穴が開いていないので、バスが走っていることを感じないぐらいスムーズでした。まるで飛行機に乗っていると感じるほどでした。いや、これが普通のはずなのだが、妙に感激してしまいました。おかげで直ぐに睡眠モードに突入。「着いたぞ!」と起こされるまで、ずっと寝てしまいました。

夜のカオサン通り
  寝ぼけながらバスから降りると、なんかここは見覚えがあるような気がする。確かカオサン通りの近くだよな。え〜とカオサン通りは向こうだっけ。運転手に聞いてみると正解でした。私の記憶力もなかなかのもの。とりあえずカオサン通りに向かうと、相変わらずこの通りだけはネオンがまぶしく、ごちゃごちゃと賑やかでした。昔来た時と変わっていないな。懐かしい。しかしながらここだけは年中お祭り騒ぎというか、騒がしい通りです。さてどこに泊まろう。昔はこの通り沿いの宿に泊まったら夜遅くまで喧しかったよな。あの時は友人がいたからよかったものの、一人でこんな喧しいところに泊まりたくはありません。ひたすら孤独感に苛まれそうです。ガイドブックを見ると、通りから少し離れた場所に日本人がよく集まる宿があるようです。そっちへ行ってみよう。とりあえずガイドブックに載っている日本人ご用達という宿を訪れてみたものの、時間が時間だけに満室でした。その前にある宿も日本語で看板が出ているところを見ると、日本人ご用達なのかな。どうも日本人は中心よりも外れにある宿を好む感じがする。こっちの宿へ入り、部屋を見せてもらいと、う〜んと唸ってしまうぐらい狭い部屋でした。プノンペンのキャピトルとどっこいどっこいか。いやこっちの方が狭いかも。でも・・・今日のところは揺れなければそれでいいか。他に当てがあるわけでもないし。
4月19日 (水) 曇
バンコク
・バンコク足止め
支出 3100円
泊まった宿のある路地
  バンコクに来て最初の朝を迎えました。起きると周りは壁だらけ。おまけに起きてみると、妙に尻が痛い!なんかいやな予感。見てみると、赤くなっていました。お猿のお尻は真っ赤っかって、まるで猿みたいではないか。これも昨日のダンシングロードのせいだな。乗り物に乗って尻が打ち身って・・・さすがに今までないよな。やっぱり世界は広いな〜って感心している場合ではありません。もう二度とあんな道は通りたくないなと思いながら、気休めにタイガーバームをお尻に塗っておきました。それにしても尻も痛いが、部屋も監獄のように狭い。これも何とかした方がいいな。プノンペンでも同じ事を言っていたけど、ここの宿の方が遥かに狭い。おまけに窓というか、通気口もないので、ファンを回してもよどんだ空気がかき混ぜられているようで、部屋にいるだけで息苦しさを感じてしまいます。カオサン通りの安宿も考え物だな。そりゃ安ければ安いに越したことはないけど、安いなら安い分のデメリットがあるのは当然。でもやっぱり人間性を保つにはある程度の投資が必要ではないか。或いは、値段を上げなくても繁華街から5分多く歩くだけでも部屋が広くなるのでは。バンコクのように宿が沢山ある地域では、ガイドブックに頼るよりも自分で色々と開拓していい宿を見つけるほうがいいかもしれない。気が向いたときに探してみよう。

民主記念碑
観光案内所近くの噴水
  何はともあれ大都会バンコクにやってきました。これだけ大都会だと今までと違って欲するものは大抵手に入るはずです。日本食が食べたい。美味しいパンが食べたい。ラーメンもいいな。色々と思い浮かぶけど、どこで何が手に入るかは土地に明るくないと分かりません。まずは情報収集から行う事にしました。地図で観光案内所を調べると・・・遠い。でもまあ2キロちょっとか。これぐらいなら乗り物を使う必要もない。早速観光案内所に向かって歩き始めました。久しぶりに歩くバンコクはやはりバンコクといった感じ。見覚えのある市バスや独特のトゥクトゥク、排気ガスと熱気が混じった空気。う〜ん、懐かしい。

  観光案内所はすぐに分かりました。中は混んでいなく、そのままカウンターにいる女性に挨拶をして2点尋ねました。まずはカメラが買われてしまったので、どこで修理が可能かという事。これはバインダーを取り出して、カメラのメーカーのミノルタのサービスカウンターを調べてあっさりと解決。案内所に置いてあった観光マップに店の名前と場所を書き込んでくれました。場所は繁華街。ここからちょっと遠かったけど、行き方やバスの乗り方まで親切に教えてくれました。もう一点はバイクについてでした。バンコクでは観光客がバイクを買うことができて、しかもシンガポールまで行くことができるのだろうかといった質問です。これはちょっと受付の人もよく分からないようで、ちょっと待ってくださいと他の人と相談し、別のファイルを持ってきました。それは日本でいうなら陸運の登録方法のようで、それを見る限りでは可能だとの事。国境越えに関しても大丈夫だと思うけど・・・詳しくはプロであるバイク屋さんに聞いた方が確実とのことで、英語が通じ、よく外国人が利用しているバイク店を教えてくれました。

  一応これで何とか解決しそうかな。受付のお姉さんにお礼を言って観光案内所を後にしました。バイクに関しては、もちろんバイクでの旅行を完全に諦めていないわけですが、今差し迫った質問ではなく、せっかく観光案内所に来たので今後の参考までに聞いてみた感じ。手続きが簡単だったらいいかなと思ったのですが、まあこれは最優先事項ではないので後回し。その前にカメラを直したり、五月の連休にシンガポールに来る友人に会ったりすることを優先的に考えなければなりません。これはまた今度暇なときにバイク屋を訪れてみよう。

カオサン近くのバス停
市バスの車内
タニヤ通り
  一旦宿に戻り、荷物を整えた後、カオサン通りの近くのバス停から市バスに乗り、町の中心部へ向かいました。昔来たときにはなかなかバスに乗てなくて苦労したけど、今回は勝手が分かっているので楽勝。飛び乗るようにしてお目当ての路線番号の市バスに乗りました。冷房のついていない市バスは安くていいのだけど、窓を全開にしないと暑くてたまらない。走っているときはそれでなんとかしのげるけど、渋滞なんてしていたらたまらない。風が入ってこなくサウナ状態。しかも熱気と共に周りの車の排気ガスが入ってくるから、車内は排気ガス臭くてたまらない。なんか体に悪そう。せめてバスに乗っているときだけでもマスクをしたほうがいいのかな。もちろん冷房のバスも走っているのですが、値段が高いし、何より乗り方が分からないので、まあバンコクに慣れるまでは市バスで我慢しておこう。

  大人の歓楽街で有名なハッポン通りの近くでバスを降り、歓楽街を通り抜けました。相変わらずここは・・・・。雰囲気がよくない。でも昔来たときよりも大人しくなったのかな。それとも昼間だからあまりけばけばしさがないのかな。よく分からないけどハッポン通りを通り抜け、通りの向こう側にあるミノルタのサービスカウンターに入りました。店の中はカメラというよりもコピー機ばかり。こっちではオフィス商品が売れているのかな。日本でもミノルタは・・・いまいちか。まあ私なりには使いやすくて好きなんだけど・・・。さて受付の人に壊れたカメラを出して、修理はできるのかと尋ねてみると、工場に出してみないと分からないけど、たぶん大丈夫とのこと。そして修理には1週間ぐらいかかるとの事。まあ1週間程度なら許容範囲。それまでは足止めを食らうことになるけどよかった、よかった。一応26日が仕上がり予定日か。修理の依頼書に記入して、カメラを預けました。

  帰りはハッポン通りの隣にあるタニヤ通りを歩いてみました。こちらは日本人専用の歓楽街だとか。試しに歩いてみると、日本語の看板だらけ。しかも「スナック、キャバレー」といった日本語の文字ばっかり。おまけに日本でしかあまりお目にかからないJCBカードのマークが沢山あったりして・・・。なんだかなといった感じです。まるでここは新宿か。タイ人や外国人からみたらどう映るんだろうか。少なくともいいイメージはもたれないはず。でもさりげなく寿司の築地とかが混じっているのがまた変な感じ。まあいいか。私には関係ない世界のことだ。でもハッポンから一本隣の路地。カオサンから一本外れた路地にある日本人宿・・・カオサンの図式と同じだな。日本人って微妙に外れた場所が好きなんだな。ふと思ってしまいました。

バンコクの繁華街
  その後はショッピングセンターの日本のラーメン屋でラーメンをすすりました。チェーン店とはいえやっぱり日本食は美味い。でもメニューにあるトム・ヤム・クンラーメンって・・・恐ろしく辛そう。ちょっと興味があるところですが、そのうちタイ料理の辛さに慣れてからにしよう。その後はショッピングセンターをブラブラしたりと、久しぶりの大都会の生活を満喫しました。それにしても昔来たときよりも随分と変わったものだ。バンコクアジア大会を契機にモノレールなどもできて、便利になったというか、やはり渋滞はしているというか、でも一段と東京らしくなったような気がします。後はビルの合間に首都高を作ればまんま東京かな。頭上の新しく出来た高架橋などを見ると、東京が懐かしく思えました。

夕暮れのカオサン通り
  夕方にカオサン通りに戻ると、まずはインターネットカフェに行きました。久しぶりにメールを開け、友人達に返信したりすると、自然と顔がほころんでしまいます。なんか傍からみたら怪しい人かも。やばいやばい。って辺りを見渡すと、隣の欧米人もやはりにやけていたりして・・・。これが普通なのかな。ホームページ用の渡航履歴などのデーターを最後に友人に送ると、メールは完了。ふと店の奥を見ると、インターネット電話という案内板がありました。しかもえらく安い。本当に日本にこの値段でかけられるのだろうか。聞いてみると、どうやらインターネット回線を使って国際電話をかけるので、安いんだとか。なるほどなるほど。まあ仕組みは分かるような、やっぱりよく分からんけど、家に電話しておくか。「ようやくバンコクに着いたよ」と久しぶりに両親に無事の報告をしておきました。しかしインターネット回線のせいなのだろうか。やたらとタイムラグがあって、国際電話は急いで会話しなければといった心理からか、お互いに上手く話せませんでした。それにノイズも多くて会話がしにくい事。まあ安いからしょうがないか。何事も安いというのはそれなりの代償があるんだよなと思いながら、同じく安い代償を払っている狭い部屋へ戻りました。
4月20日 (木) 雨のち曇
バンコク
・大都会バンコク
支出 3100円
  バンコクで2日目の朝を迎えました。やっぱり部屋が狭い。でもまあ慣れれば・・・って、あまり慣れたくないな。などと思いながら、ふと、みんなどうしているだろうと気になってしまいました。同じようにユーラシア大陸を横断しているヤマさんやシマさんはどこまで行ったのだろうか。彼らはペースが遅そうなので、案外バンコクにいそうな気もするんだけどな・・・。そういえばあの腐れ縁ダグラスはどうしているだろうか。バンコクがゴールと言っていたけど、さすがにもう着いただろうな。バイクをバンコクで売るとか言っていたけど、売れたのかな。これだけ多くの旅行者がいるのなら、誰かどこかにいないかな。なんかうじゃうじゃと旅行者がいる環境で、薄暗く狭い部屋の中にいると、妙に孤独感を感じてしまいます。

朝のカオサン通り
昼のカオサン通り
  今日は特にすることのない日でした。まず午前中は散歩を兼ねてちょっとカオサン周辺を歩いてみました。中心の通りから一本外れるとこうなって、通りの向こう側にお寺があって、おっ、こっちにも宿が並んでいるんだ。こっちの方が静かそうだな。値段はどうなんだろう。ふむふむといった感じで、カオサン周辺の情報収集をして回りました。今まで中心部分しか歩いていなかったけど意外にこのエリアは奥が深いかも。それにこれからの旅を考えると、何度もバンコクを訪れる事になりそうなので、カオサンをよく知っておいた方がいい。そうすればバンコク滞在が楽しくなるに違いない。更に深く考えるとバンコクは東南アジアの中心に位置するので、ビザを取ったり、チケットを手配したりと、どうしてもバンコクが拠点になります。だからここでリラックスしたり、旅の準備を効率的に行ったり、いい情報を仕入れたりすれば、旅が一層楽しくなったり、効率良くなったりするのでは・・・。そう考えると、東南アジアを楽しく旅する秘訣は、カオサンでの滞在が大事になってきそうな気がします。

  ブラブラと歩いていると安いインターネットカフェを発見。やはり中心の通りにある店よりも、ちょっと離れた通りにあるほうが安いではないか。昨夜インターネットをしたばかりだけど、ちょっと雨が降ってきたし、入店しました。昨日は日本の友人や親宛てのメールでしたが、今日はヤマさんやシマさんにメールをしてみました。「ようやくバンコクに着きました。今どこどこに泊まっています。云々。」 みんなどこにいるのだろう。バンコクにいれば会えるかもしれないな。昔の旅行では偶然に期待するしかなかったのですが、本当に便利になったものです。後は友人宛にちょこっと追加のホームページ用の原稿を送って終了。そういえばバックパックを・・・。再びカオサン通りに戻りました。カオサン通りは本当に便利にできていて、旅行用の物なら何でもそろうといった感じです。中古のバックパックなどもあります。きっと帰国前に売っていったんだろうな。でも欧米人サイズの登山用が多く、日本人サイズの旅行用はありませんでした。まあいいか。背負うのに少々不便だけど、使えないというわけでもないし。鞄はある意味商売道具なので気長にいいものを探す事にしました。

  ちょっと早めの昼食をカオサン通り近くにある日本食店で食べました。日本食店に入ると必ず店内に日本の雑誌やら新聞、漫画があるのがいい。ふむふむ今日本では・・・ってインターネットでも情報は入るんだよな。むしろインターネットだと瞬時だから1時間前のニュースとかも知ることができたりします。インターネットのない時代にはこういうところに置いてある1ヶ月前の週刊誌などをかじりついて読んでいた覚えがありますが、インターネットで時代というか、旅のスタイルがかなり変わってしまった感じです。なんか旅に出ても電話線で日本とつながっている感じとも言うのでしょうか。そのうち携帯電話やらGPSとやらが国際的に復旧して、「今どこ?」「あっ、アンコール・ワット、ほら後ろに映っているのがそう。」といったと感じで、携帯のテレビ電話で会話していそうです。

デパートの多い通り
デパートの横にあった祠
  食後は昨日同様にバンコク市内を歩いて回りました。といってもカメラがないし、観光というよりはデパートなどを見学して回った感じです。何を買うわけでもないのですが、なんといっても中にいると涼しい。外との気温差は10度以上あるんじゃないかな。今までの感覚でいうと贅沢な冷房をこんなに使っているなんて・・・しかも無料で・・・といった感じです。ちょっと前までいたベトナムやカンボジアでは考えられない事です。それにジュースが冷たくても値段が同じだったり、タバコの値段がどこでも一緒だといった事でも、お〜と驚いてしまいました。よく考えれば日本では当たり前の事なのですが、久しぶりに体験すると、このジュース冷たいけど値段一緒でいいの?と一人でびっくりして、店の人に変な目で見られることも・・・。ある意味バンコクに住む人よりも田舎者の私かも。

  それにしてもバンコクは物が豊富です。デパートなどに入ると、日本のもの、欧米のもの、何でも欲しいものがあります。まあでも欲しくても見ているだけですが、こういった状況下で落ち着くと感じるのは、やはり日本で生まれ育った証拠なのかな。買い物でストレス発散という方法もありますが、ここで買っても邪魔になるだけだし、お金も減るだけです。そういった諦めからか見ているだけでも十分ストレス発散できました。そしてデパートを回っていてふと気が付きました。というか、よく考えないでも分かる当たり前のことですが、今の私はお金を使えばどんどんなくなっていくんだ〜。働いているときなどは衝動買いで無駄なものを買っても1ヵ月後には給料が入ってきて、お金が補充されます。しかし今の立場では減る一方。計画を立てて物を買わないと、後でとっても後悔する事になります。そう考えると、今の状態は何が無駄で何が必要なのかをしっかりと考えることができていいかも。しかし・・・物がない場所の方が誘惑が少ないので旅人としては幸せかもしれないなと思いました。
4月21日 (金) 晴
パタヤ
・バンコク脱出!しかし・・・
支出 3100円
  バンコクは何不自由なく過ごせるほどの大都会です。日本食に日本の本、漫画、雑誌、音楽などなど何でもござれといった感じ。その一方では、人や旅行者が多く、今まで以上に孤独を感じてしまったりもします。便利に感じつつも、実は不便なのでは・・・。一体便利とは何だろ・・・などと混乱してきます。それにこんなに便利な町というか、日本のものが簡単に手に入る状況下にいては、なんか旅の感覚が訛ってしまいそうです。懐かしいなといったぐらいで止めておかないと、どんどんと深みにはまってしまいそうだ。挙句にはホームシックとかになってしまったりして・・・。更には、こんな狭い部屋にいるのも体にカビが生えてしまいそう。カメラの修理が終わるのが26日なので、まだ5日もあります。それまでだらだらとバンコクに滞在し続けるよりも、一旦どこかに避難したほうがいいのではと思い立ちました。

  避難場所はどこにしよう。直ぐに戻ってこないといけないし、なるべくなら近場の方がいいな。最初はバンコク周辺なら遺跡の町アユタヤとか、戦場にかける橋のカンチャナブリがいいかなと思っていたのですが、よくよく考えるとカメラが壊れているんだっけ・・・。一応予備を持ってきてはいるのですが、「写るんです」モドキなので、今まで一眼レフでバリバリと写真を撮っていた習慣からか、なんかやる気が・・・といったところ。そう考えると、観光はホドホドの場所がいいな。そう考えてパタヤビーチにすることにしました。そんなに距離はないし、リゾート地だからそこそこ部屋も広いはず。ゆっくりと休みながら、この機会にムイネのホームステイ以来溜まりに溜まったホームページの原稿を書こうではないか。

バンコクの渋滞
  という事で、午前中は再びインターネットカフェに行ったり、ノートやボールペン、壊れた電卓を近くのマーケットに買いに行った後、昼ごろに荷物の大半を宿に預け、パタヤ行きのバスターミナルへ向かいました。これがなかなか大変で、パタヤ行きのバスが出ている南バスターミナルはカオサン通りからはバンコクの市内を反対側。暑い時間帯に渋滞のバンコク市内を突っ切らなければならなく、ひたすら蒸し風呂のような暑さに耐えなければなりませんでした。ただバスの車掌はものすごく親切で、乗車券を買うときに南バスターミナルで降りたいと伝えると、そのバス停で下ろしてくれ、バス停からの道順も教えてくれました。これだけ人が多い大都会なのに一人の人間にこれだけ親切にできるとは、タイ人の心の広さもなかなかやるものです。同じような大都市東京ではなかなか余裕のない人が多いですから・・・。

  バスは頻繁に出ていたので、問題なくパタヤに到着しました。そして中心部付近に行き、宿探し。今回のテーマは部屋が広く、窓があって、テーブルのある部屋でした。バンコクのように失敗したくないので、きちんと部屋を見せてもらって、宿を決めました。泊まることにした宿は民家を改造したような感じで、比較的安く広い部屋でした。ホテルと違って出入りの際にどうしても家の人と顔を合わせなければならないのが面倒だけども、まあ広ければよし。机もあるので、ちゃんと日記やホームページの原稿も書けることだし。

パタヤの夕暮れ
  パタヤは四年前にも訪れた思い出のある町です。昔は後輩2人とワイワイと騒ぎながら来たっけな。それでもって50mのバンジージャンプをやったり、ゴーゴーバーにも行ったな。懐かしい。ただ一人だと・・・、特にすることもないかも。夕暮れ時に町をぶらつくものの、以前にも増して町中がピンクのネオンだらけになっているような感じです。以前はこんなひどくなかったような気がするのだが・・・。売春のメッカがバンコクからパタヤに移ってしまったのだろうか。なんか町全体の雰囲気がピンクの町となってしまった感じ。部屋などは広くてのんびりできそうな気もするのだけど、町の雰囲気や人、観光客の態度はバンコクよりもひどいかもしれない。パタヤにやってきたものの、ここもバンコクとさほど状況は変わりそうにない予感・・・。ちょっと失敗したかな。いやかなり失敗した気がする・・・。
4月22日 (土) 雨
パタヤ
・タイ一のリゾート地
支出 1200円
  今日は土曜日。リゾート地が活性化する週末を迎えたわけなのですが、あいにくと外は雨が降ったり、止んだりの空模様でした。う〜ん、外に出るのも面倒だな。午前中は原稿を書いて、昼ごろ昼食を食べがてら外出しました。町を歩いてみると、雨も何のその、観光バスがひっきりなしに走っていました。特にショッピングセンターの前はひどく、バスが大行列していて、辺りは一酸化炭素中毒になりそうなぐらい排気ガスが充満していました。こりゃ空気の悪さはバンコク以上かもしれん。バンコクの空気が悪いからこっちに来たというのに・・・まったく大型バスの大渋滞にも困ったものです。それにしても一体誰がこんなにやってきているんだ。並んでいるバスに掲げられているプレートを見ると、中国語(漢字)の表記ばかりで、やたらと華僑という文字が入っていました。中国人か・・・華僑って事はバンコクの中華街からのご一行様って事なのか。でもバンコクからはいくらなんでも近すぎるような・・・。いや、関東でいうなら手軽に熱海旅行といった感じなのかな。それともシンガポール、マレーシアにも中国人華僑が多いよな。陸でつながっているわけだし・・・なんかあちこちから中国人が集まってきているような気がしました。

  ショッピングセンターの中に入ると、今度は白人の姿も目立つようになりました。結構白人も来ているんだ。でも・・・しばらく歩いて気が付いたのですが、なんか男性ばかりが目に付く。って、お目当てはやはり・・・。こんだけ夜の町がピンク色に染まっていればそういった成り行きになるのは当然か。昔は日本からも買春ツアーなどが大々的に行われていたわけだし・・・。もはや世界中の男性がタイを目指してやってきているのではないだろうか。そう考えるとタイ人大丈夫かよと心配してしまいます。でもそこまで貧乏な国でもないし、悲愴感も漂っていないし、なんか好きでこうなっているような気もしてしまいます。う〜ん、一体どうなっているんだ。この国は。こういうお国柄なのだろうか。

パタヤの夜
  もちろん昼間歩いている分には健全な店ばかりです。というよりも、そういう店が目立っていないだけなのかもしれませんが・・・。しかしながら夜になると、とたんにピンク一色になってしまいます。これはあまりにもひどいだろと思っていたのですが、よくよく見ると、普通の服屋とか、果物屋までがピンク色のネオンを灯していたりします。何でそうなるの・・・。これって何かのサインなのだろうか・・・・妙に勘ぐってしまうのですが、そういったそぶりとかなかったりします。もしかして私の取り越し苦労でピンク色が流行っているだけだとか・・・。しかし趣味が悪すぎるぞ。更にはこの町で働いている人が中国人、インド人やアラブ系の人が多いのがまた独特の雰囲気を作り出しています。特に町に多いのが服屋、靴屋、鞄屋といった店。店先で「おっ、安いな」と立ち止まると、ターバンを巻いたインド人が出てきてびっくりなんてことも。ただナイキとか、グッチとか普通に売っているから怖い。路上の露店でグッチの鞄が山積みになってワゴンセールとか、ナイキのシャツが200円・・・ってね。なんて安いんだろう。これは買いだ!と、思うはずもなく、バッタ物天国にもなっていました。売春にバッタ物のあふれた町パタヤ。それでいてタイで一番のリゾート地となっているから怖い。
4月23日 (日) 晴
パタヤ
・白人男性の楽園
支出 1400円
パタヤのビーチ
  パタヤでの二日目の朝を迎えました。さて何をしよう。今日は晴れているからビーチでも行ってみるか。と思いつつも、海パンすら持ってきていなかったりします。そもそも目が悪いのであまり海とかに入るのが好きではないのです。一度眼鏡を海で落としてしまって大変な思いをしたこともありますし・・・。とまあ、する事もないので、いやホームページの原稿を書きつつも、昼間はパタヤのビーチ付近を歩いてみました。しかしビーチといっても・・・あまりきれいではないし、人もほとんどいませんでした。温かいとはいえ4月だからかな・・・。いやムイネで早朝に海に入っていた事を考えると、気温的には我慢できなくはないけど、・・・でも閑散としていました。昔訪れたときは9月上旬だったのですが、そのときも閑散としていたっけな。でもここまでひどくはなかったような・・・。その割には観光バスが多いし、・・・。変なの。ガイドブックを見ると、沖にある島でも泳げるようでした。そっちでみんな泳いだり、マリンスポーツなどを楽しんでいるのかな。行ってみようかと一瞬思ったものの、海パンも持たずに行くのはあほらしいといった結論に至りやめました。

旅行繁華街
レンタルバイク
  仕方ないのでパタヤの町を散策。繁華街のあたりはカオサン通り顔負けの旅行者専用通りみたいになっていました。よほど旅行者が来るんだろうな。特に面白くもない地域だけど、昼食に何か安くて美味しそうな店がないかなと探しつつ歩いていたのですが、歩いていて奇妙なことに気が付きました。通りに置いてある看板の宿やレンタルバイクの料金表には大抵1日、1週間、1ヶ月と書いてあるのです。最初通った時には、ほ〜日本製のバイクかといった感じで気にならなかったのですが、よくよく考えると1ヶ月って変じゃない。普通の感覚なら1日、3日、1週間となるはず。アンコールワットの遺跡の入場券だってそうだったし。最初は不思議に思っていたのですが、更に町を歩いていて納得。白人男性とタイ人女性のカップルをよく見かけたからです。一緒に食事をしていたり、バイクに乗っていたり、不動産屋の前で物件を眺めていたりとごく日常の光景ばかり。ってそれもよくよく考えると変。って事は、ここはタイという事を考えると、売春婦も1週間、1ヶ月とレンタルできるのでは。そう考えると納得。中にはタイ人の男性と手をつないで歩くおっちゃんもいたりして・・・。ここは白人男性の楽園に違いない。

  夕食は特に行きたい店がなかったし、部屋で原稿を書くよりも外で書く方がはかどるだろうという事で、ショッピングセンター内にあったマックに入りました。昔はここの中にあるタイスキ店に入ったけど、さすがに一人だと入りにくいものです。そして席で食べつつ、原稿を書いていたら、隣の席では欧米人の青年が2人で深刻そうに話しているのが聞こえてきました。しゃべり方からしてアメリカ人かカナダ人だと思うのですが、結婚がどうのこうのといった内容で、もう一人は一旦帰国して、うんちゃらこうちゃらと言っていました。う〜ん、はまってしまったね。でも・・・結果が見えているよな〜。しかしその気持ちは分からなくもないかな。ちょっと前まで私も本気でベトナムで暮らそうかといったことを考えていたもんな。しかし・・・、君の場合は暮らすということではなく、売春婦と遊んでいるだけなんだよ。まあ私には関係ない事。それよりもホームページの原稿を書かなければ・・・。その後部屋に戻って原稿を書き始めるものの、今日の夜は日曜日のせいか、近所のバーが大音量で夜中まで音楽を鳴らしていて閉口。う〜ん、喧しい。
第1部 北風 ・・・ 南進編 〜 第14週 〜
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