リアルタイム旅行記 道標ない旅
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<2009年5月改訂版 Ver.3.1>
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第1部 北風 ・・・ 南進編  (2000年1月20日〜4月30日)
<香港、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール>
〜〜〜   第12週   〜〜〜
4月3日 (月) 曇
ムイネ
・今日も砂丘へ
支出 100円
ムイネの大トカゲ
  朝起きるとちょっときつい下痢でした。昨日は雨水のような濁った水を飲んだり、トカゲを食べたりと、普通のベトナム人でもあまりしないような食生活を体験した事を考えれば、当然の成り行きといったところ。昨夜は念のため正露丸を飲んで寝たけど、やはり効果はなかったな。予防薬ではないしな・・・。それでも出すものを出すと調子がよくなりました。一回の下痢で済んでしまうとは私の腹も強くなったものだ。これもムイネでホームステイをした成果の一つと誇れるのだろうか。さてこっちの宿に滞在し始めてから2日目の朝となりました。以前の宿に比べると部屋がコンクリート製になり、少しグレードが上がった感じです。ただトゥアはここの人と仲がいいというわけではないし、宿が奥まったところにあるので、朝の沐浴を誘いに来なくなりました。もっとも昨日のように特別な用事があるときは何時に来てくれと寝る前に言ってくるのですが、今日は特に何もないようなので、適当にトゥアの家へ向かいました。

  それにしても私の滞在も残りわずかとなってしまいました。絵葉書は出したし、後は自分がここで思い残すことがないように過ごしたいな。でもその前に、まずは法事や旅立ちが近いことだし、身だしなみを整えておこう。午前中、隣の床屋へ行ってみました。お隣さんなので、よっ、来たよってな感じ。まあ腕とかスタイルとかは期待していないので、とりあえずさっぱりとしてくれればいい。そもそも設備とかが整った散髪屋ではなく、切った髪が服につかないように上半身裸になって髪を切っているような簡素な散髪屋ですし。でも散髪自体は普通に終わりました。しかし、その後の耳掃除はちょっとやばかった。電灯で耳を照らし、鼓膜が破れてしまうのではないかというぐらい奥まで耳掻きの棒を突っ込んで耳掃除をするから、頭の中をいじられているような感触で気持ち悪い事。最初は我慢していたのですが、鼓膜が破れるのではと不安になり、途中でもういいよと逃げてしまいました。

砂丘の行進
砂丘の音楽隊
  午後には近所で法事があり、トゥアはカメラマン兼、楽器の演奏の仕事を頼まれていました。私の出番はなかったのですが、楽器を運ぶのを少し手伝って欲しいとの事で、法事のある家までえっちらとアンプなどを運びました。トゥアの家にいても暇なので、そのまま法事の見学をすることにしました。どうやら日本でいう49日みたいな感じの儀式に思えたのですが、法事としか聞いていないのでその辺はよく分かりません。結局暇そうな私を見て、トゥアが自分のカメラを渡してきて、代わりに写真を撮ってくれとの事。まあいいか。トゥアも写真撮ったり、楽器を演奏したりと大変そうだし。

  家での法事が終わると、砂丘にある墓まで行進しました。埋葬といった葬式ではないので、今回は小規模な行進でした。しかしながら独特な衣装をまとった人が多かったので、砂丘を行進する様子はカラフルで写真的にはいい感じでした。もちろん我らが演奏隊も出動。せっかくだから砂丘で記念に写真を撮ってみたのですが、ちょっと雰囲気が良過ぎたようで、なんかベトナムではなく、アラブとか、シルクロードの楽士隊といった感じになってしまいました。まあ本人達にしてみれば、極当たり前の光景なのでしょうが・・・。特に期待せずに付いていったわりにはなかなか楽しめたのですが、すぐ近くとはいえ昨日くそ暑い思いをした砂丘なので、あまり長いこといると気分的にげんなりしてきてしまいました。

  この法事が終わると、法事を行った家で宴会が始まりました。今日は普段から顔馴染みの演奏仲間がいるので、いつもよりも気楽です。とはいえ、ムイネ滞在もあと2日。ワイワイと今までどおりに飲んでいるつもりでも、だんだんと周りの空気がしんみりとし始めてきた感じです。寂しいと思うのが私だけではないのが本当にうれしい。カンボジアに行ったらまたビザを取得して戻ってこようかな。最近時々考えてしまいますが、でもやっぱり去らなければ・・・旅人なのだから。
4月4日 (火) 晴
ムイネ
・サイモン登場
支出 1700円
ムイネの浜で
トゥアや姪っ子達と
  いよいよ明日出発か。もう後がなくなったといった心境で目が覚めました。そして朝から自然とため息が出てくる。いやいや、朝っぱらから憂鬱になっている場合ではない。トゥアの家へ行くと、午後はあれこれ用事があるようですが、午前中は特に何も用事がないとの事。それならばムイネ最後の写真撮影をしに行こう。珍しく朝早い時間からムイネを歩き回りました。まずは散歩コースの定番となっている市場などの中心部。朝早い時間なのでいつもよりも活気がありました。こうしてみるとムイネも結構人が住んでいるんだな。今更ながら驚きつつも、パシャパシャと写真を撮りました。

  その後は今まで行ったことのなかった東側の住宅街のほうへ行くと、こっち側にも船着場がありました。結構活気があり、船から上がった魚を仕分けしていたり、天日干しにしていたりと人が慌しく働いていました。いつも行く浜からもここは見えなくはないのですが、こっちは特に何もなさそうな感じだったので来るのは初めてでした。なんだこっち側が本来の港だったのか。というよりスペースがあるのでこっち側では魚を仕分けたり、加工したりしている感じ。ということはホーチミンに運んだりしているのだろうか。それともヌックマムの原料となっているのかな。あまりこちら側では私の知名度がないようで、写真を撮っていても「あれは誰?」ってな感じでした。でもこれでこっち側でも私の知名度が上がったかな。って、また来ることがあるだろうか。そんなことを思つつもパシャパシャと写真を撮りました。

トゥアや姪っ子達と
  午後からはトゥアの仕事の手伝いやその打ち上げの飲み会と忙しく過ごし、夕方からはトゥアと姪っ子二人とで写真を現像しにいくついでにファンティエットへ遊びに行きました。なかなかかわいい子達で楽しいデートとなりました。事あるごとに女の子を紹介してくれるのはいいけど、こっちで結婚させたいのかな。でもなぁ、こっちで暮らすっていうのは・・・。やっぱ無理だよな。少なくとも民主主義になってもらわないと。まあこの事は考えないようにしました。そしてファンティエットで食事をして、夜トゥアの家に戻りました。

  トゥアの家に戻ったものの、すぐに9時になってしまいました。もう宿に戻らなければ・・・最後の夜か〜。せめて最後ぐらいはここに泊まりたいな。でもしょうがないか。暗くなっていてもしょうがない。さて宿へ帰ろうと準備をしていると、意外な訪問者がありました。それはオーストラリア人のサイモンと通訳の人でした。話を聞くと、1年前にサイモンがムイネに来た時にトゥアと知り合ったそうです。サイモンに聞くと、毎年この時期にベトナムを旅行しているとか。そうなんだ。それはうらやましい。そしてここぞとばかりに、「彼は一年後に来た。おまえも一年後にまた来い。」と、みんなに言われるはめになってしまいました。そんな無茶な。ともかく明日は彼も法事に参加する事になり、一層賑やかになりそうだ。今日はサイモンが来たこともあって、結局宿に戻ったのは10時ごろでした。まあ最後だから警察も許してくれるでしょう。何か言われたら金髪のサイモンが何とかしてくれるでしょう。欧米人には警察も弱そうだし・・・。
4月5日 (水) 晴
ムイネ
・ムイネ最後の日
支出 12800円
海沿いの墓地で
  とうとうムイネでの最後の日がやってきました。なんか朝から気分が重い。でも今日は朝早くから色々と忙しく過ごさなければならなく、しんみりと感傷に浸っている場合ではありませんでした。まずは早朝からトゥアと一緒に葬式のビデオ撮影を行いました。今回はいつもと違って砂丘にある墓地ではなく、海に面した丘にある墓地でした。同じムイネにある墓地ですが、砂丘にあるのと海沿いにあるのとでは、まるで雰囲気が違って見えました。もちろん墓は同じ種類ですが、やはり海沿いの方が明るく見えてしまいます。それはそうと、この墓地は一番最初にムイネに来たときに宿泊したホテルの近くでした。トゥアがバイクを停めるついでにそのホテルにも寄ったのですが、フロントの人は私のことを覚えていてくれました。料金でもめたのであまりいいイメージがないのですが、でもここでもめたおかげでトゥアの家に泊まることになって、ムイネでホームステイをすることとなった経緯を考えると、ちょっと複雑な感じがします。そう考えるとめぐり合わせという物は本当に不思議なものです。

サイモンたちと砂丘で
  そして10時ごろ撮影が終わって家に戻ると、サイモンと通訳が待っていました。といっても、トゥアはあれこれと法事の準備で忙しいので、あまり相手をしていられないようでした。という事で、1時間ほどトゥアのスクーターを借りて私がサイモン達を砂丘に案内する事になりました。外国人である私が外国人を観光案内しているというのも変なものです。でもここで観光ガイドの仕事もできそうだなとちょっと思ってしまいました。

  適当に砂丘などを回ってトゥアの家へ戻ると、法事の準備がかなり進んでいました。とりわけ料理を沢山作っているようでいい匂いが立ち込めていました。手伝っているおばさんなどはどこかで会った人ばかり。そのうちファンティエットからも弟の家族などがやってきて、昼にはトゥアの兄弟が集まり大昼食会兼、宴会が始まりました。大概一度は会ったことのある顔ぶればかりです。でも名前とか、どこであったのかは覚えていなかったりするのですが・・・。何よりうれしい事に今日はサイモンがいるおかげで、いつもの集中砲火的に飲まされるのは免れる事ができて助かりました。昼食後はカラオケが始まりました。それでアンプとか借りてきていたわけね。でもまあ私とってはベトナム人のおじいちゃんおばあちゃんなどのカラオケを聴かされても退屈なので、奥の部屋で少し横になることにした。改めて一人になってみると、今までの思い出が頭を巡り、涙が出てきてしまった。やっぱり長居しすぎたようだ。なんとも去るのがつらい。しかしこれを乗り越えて進んでいくのが本当の旅人だ。まだ旅は始まったばかりだ。先に進まなければ・・・。いやまだ始まったばかりだから後戻りや修正もできるかも・・・。いやいや、そんなことを言っていては駄目だ。乗り越えて先に進むぞ。

トゥアの家の前で
  夕方には親戚やらサイモンが帰っていき、ようやく普段通りに落ち着きました。そして最後の食事を家族で食べました。これがここでの最後の食事だと思うと、切ないものがあります。そして夜九時以降は民家への滞在が禁止されているので、バスの来る深夜2時までは玄関先で歌を歌って過ごしました。いつもの音楽仲間が集まり、ビールを飲みながら楽しく過ごしました。ベトナム人は寂しいときには歌を歌ったりして気を紛らわします。しんみりとしていては気がおかしくなるからみんなで歌おうっていった感じです。今日もそうだったのかもしれない。普段はあまり歌わない私も、今日はいつもより大きな声で歌っていました。こんな夜中に近所迷惑な・・・いや今日は私もベトナム人になりきっていました。

  そして2時にマイクロバスがやってきました。とうとうお別れだ。同じ日本ならまた会えるかもといった可能性がありますが、ベトナムと日本ではその可能性はほとんどありません。少なくとも私が会いに来なければ再会はまず無理。だから余計に辛く感じてしまいます。さらばトゥアとその家族、そしてムイネの人々。きっといつかまた会える・・・はず。そう願いたいし、そう頑張りたい。だから今日の別れの挨拶は、「さようなら」ではなく「また会いましょう」でした。とりあえずトゥアの家を去る前に、こっそりと机の上に手紙と100ドルほどのお金を置いてきました。お世話になったお礼というか、トゥアを含め私の滞在に関わった人に経済的負担があってはと思ったからです。きっと手渡しで渡しても受け取ってもらえないだろうし・・・。
4月6日 (木) 晴
ホーチミン
・止まらぬ涙と下痢と鼻水
支出 4800円
ホーチミンの裏路地
  今回もまた早朝にホーチミンに到着しました。勝手が分かっているので、バイクタクシーを捕まえて安宿街のデ・タムストリートへ。さてどこに泊まろう。前回ヤマさんやシマさんに教えてもらったのですが、ホーチミンの路地裏には多くの民宿があるそうです。実際にはイリーガル(非合法)らしいのですが、そのぶん値段はちゃんとした宿に比べると割安。まあムイネであれだけ民泊でもめていればその辺の事情は分かる気がします。安いのはいいことだし、民家に泊まるのも慣れたもの。しかし案内板などが出ていないことも多く、知った人の案内でないと厳しいものがあります。まして早朝だと。

  どこに泊まろう。デ・タムストリートを歩いていると、客引き数人が声をかけてきました。安い民宿があるとのこと。おっ、ちょうどいい。じゃ〜案内してくれ。と細い路道を一緒に歩いていると、背負っているバックパックを押す感触が・・・。変だと思いさっと振り返ると後ろポケットに何かが引っかかりました。うっ、こいつらスリだ!いかんせん多勢に一人では勝ち目がないし、不本意ながら慌てて逃げました。落ち着いてズボンを見ると財布は無事だったのですが、財布を取ろうとしたしたようでポケットをはさみか何かで切られていました。危ない危ない。でも財布の中は100円程度しか入っていないんだよ。ズボンの修理のことを考えると、なんか複雑・・・。

  前回の滞在で知り合いになったカフェに入り、ちょっと気を静めつつお茶をした後、その人の紹介で宿へチェックインしました。しかし、いまいち体の調子がよくない。体もだるいし、おまけに心は放心状態。外出する気にもならないけど、何はともあれカンボジアのビザを取得する為の手続きをしておかないと大変なことになってしまいます。申請は午前中だけなので、すぐにバイクタクシーを捕まえて、カンボジア領事館へ直行しました。申請書に必要事項を記入して提出すると、仕上がりは夕方との事。これで一仕事終わった。その後はもう動く気力がなかったので、宿に戻って夕方まで昼寝することにしました。ベッドでボーとしているとトゥアやムイネのことが頭をよぎり、涙が出てきます。おまけに鼻水も止まらない。やっぱり別れは辛いな。ベトナムと日本じゃあまりにも遠すぎる。また会うことはあるのかな・・・・・。

  目覚ましが鳴って目が覚めると、もう夕方間近でした。受け取りに行かなければ・・・。明日でもいいか。いや今日受け取っておいたほうがいい。葛藤しながらも起きてカンボジア領事館に向かいました。そしてビザが押されたパスポートを無事に受け取りました。これで問題なくカンボジアに行ける。って、あまり行きたいといった気分ではないかも。とりあえず元気を出さないと。まずは食欲がないのがよくない。何か食べよう。そうだ。こういう時こそ奮発をして日本食を食べよう。元気になるかも。しかしこれが悪かったのか、夕食後、今度は下痢が止まらなくなってしまいました。20分おきにトイレに行かなければならないという最悪の状態。何もかもが最悪だ。旅始まって最初のスランプ。本気で日本に帰りたくなってきました。
4月7日 (金) 曇
ホーチミン
・とうとう病院へ
支出 1500円
  昨夜はトイレに缶詰状態でした。そして今朝もやはり滝のような下痢。昨夜と比べると幾分楽になったものの、辛い状態なのは変わらない。もしかしたら腹の中にやばい菌がいるのでは。なんせムイネで1ヶ月もホームステイをしていたもんな。トカゲを食べたり、雨水のような水を飲んだりもしたし、色々と変なばい菌がお腹の中に暮らしていてもおかしくない気がしてなりません。気が緩んだ拍子にそれが一気に増殖したとか。赤痢か、コレラか、それともアメーバーとか。気が沈んでいるときは、とことん悪く考えてしまうものです。このままだと精神的にも肉体的にも色んな意味でまずいな。意を決し、保険の効く外国人専用病院へ行く事にしました。もしかしたら入院という事態になったりして・・・。そうしたら普通はできない二回目のベトナムビザの延長ができるかも。そうしたら、まだまだベトナムにいられるではないか。で、またムイネに行っちゃったりして・・・。それはそれでいいかも。色々と都合のい事を考えていたら病院に行くのが楽しくなってきました。よしっ、張り切ってい行こう。

  バイクタクシーを捕まえて行ってみると、受け付けには日本人の看護婦がいてびっくり。日本人専用のカウンターなんてものもあるって事は、よほど日本人が来るのだろうか。とりあえず日本語が通じるのはいいことだ。そんな事を思いながら診察用の書類に記入していると、日本人の女の子が担がれるようにして運ばれてきました。な、なんか、かなり重症ってな感じ。看護婦さんが私に方へ目配りをしてきました。あっ、全然急いでいないので、どうぞお先に。そしてお大事に。なんかこの女の子を見てから俺って大丈夫じゃんってな気分になり、更に気が楽になってきました。その後に診察を受けたのですが、私の診察の結果はただの食中り。最も診察しているときにはかなり元気になっていたので、ちょっと大袈裟に病状を伝えていたぐらいです。これで入院という事態はなくなり、ホッとするような、ベトナムを出国が確定して残念なような、ちょっと複雑な気分でした。でもまぁ、さっきの女の子を見た後では元気というのはいい事だと改めて思いました。

ホーチミンの交差点
  沢山の薬をお土産代わりにもらって病院を後にしました。さてどうしよう。診察を受けたせいか、なんか元気になってきた感じ。ちょっと散歩するか。帰りがけなので、久しぶりに国営百貨店に寄ってみました。ムイネでバックパックが部分的に壊れてしまい、担いだときにちょっと不便しているのでいいものがないかなと思ったからです。で、鞄を見ていると、どうも中国製の安物ばかり。重い荷物を入れて背負ったらすぐに壊れてしまいそうだ。さすがに普段使うものだけに買うなら値は張ってもしっかりとしたものが欲しいところ。とりあえずバンコクまでは我慢しなければならないようだな。

  いいものがないと諦めていたら、若い女性が英語で話しかけてきました。「あなたも鞄を探しているの?」「そうだけど・・・」店員かな。でも違う感じだ。すると、「私も旅行者で鞄を探しているんだ。」との事。あっそう。よかったね。というよりあなた旅行者に見えないんだけど・・・。もしかして俺に一目ぼれとか。その後は「今日何をするんだ?」とか「今日どこ言ったんだ?」とか聞いてきました。なんか胡散臭いなと思いつつ、「病人に行っていて、これから宿に帰って寝るんだ」といった感じで答えていると、どこへ行きたいけど道を知っているかとか、案内してくれとか、言ってきました。だから病人だって・・・。人の話を聞いてね。適当に答えていえたら、「バイバイ」って去っていきました。あれっ、鞄を探しているんじゃなかったの?なんなんだ。一体・・・?

  その後鞄は諦め、宿のあるデ・タムストリートに戻りました。そして知り合いのカフェに行き、そのことを話すと、それは飲み屋に連れて行かれてぼったくる詐欺だよと教えてくれました。やっぱりそうか。怪しかったもんな。ホーチミンは色々な詐欺師がいて面白い町だ。前回の滞在の時はアイスクリーム詐欺師に出会ったもんな。その後は軽く食事をして、もらった薬を飲んで寝ることにしました。昨夜はあまり寝れなかったもんな。夕方起きてみると薬が効いたのか。かなり調子が良くなっていました。なんか本当に病気って気分的なものなんだな。病は気からって本当なんだなとしみじみ思ってしまいました。
4月8日 (土) 晴
ホーチミン
・溜まった荷物の処分
支出 7100円
  朝起きると、まだ少しお腹がゴロゴロいっている感じはするけど、ほぼ体調が悪いのが治っていました。病は気からだよな。いい教訓だ。さて、明日はいよいよベトナム出国なので、今日がベトナムでの最後の日です。もうバスのチケットは予約しているから準備は万端。と言いたいけど、出国にあたって恐ろしく溜まった荷物を何とかしなければなりません。お土産やら写真やらがバックパックのほかに段ボール一杯もある状態です。こんな大荷物で移動するのは憂鬱そのもの。行動力も落ち、熱心に動く気さえ起こらなくなるというものです。とりあえずこれを日本へ送ってしまおう。午前中の内に中央郵便局へ向かいました。

  しかし郵便局に着いてみると閉まっていました。あれっ、どういうこと。もしかして土曜日って休みなの?係りの人に聞いてみると、月曜日にならないと開かないそうだ。な、なんでそうなるの。まいったな。こんな大荷物を持ってカンボジアに行きたくはないぞ。係りの人は私の困っている表情を察してか、郵便局のすぐそばにある国際宅急便のオフィスを指差しました。そうかその手があるな。民間の宅配会社はかなり高いけど、その分早く確実に到着します。実際に日本に帰るのは1年後とかなので早く到着しなくてもいいけど、確実に届いてくれるのなら保険と思えばいいか。カンボジアにバックパックの他に段ボール箱一箱分の荷物を持っていきたくもないし、腹に背は変えられないといった感じで、民間の国際宅急便会社に頼む事にしました。その方が手続きが簡単でよかったのですが、郵便局で出すのに比べると3倍ぐらいの料金がかかってしまいました。

路上市場
路上市場で見つけたキャベツ小僧
  そして終わると、カメラとか置いてきたので一旦宿へ戻ることにしました。宿へ向かって歩いていると、バイクタクシーの人が寄ってきました。ホーチミンでは「タクシー」ってな感じで声をかけてくるのはよくあることです。うっと惜しいなと思っていたら、横に停まってきました。ん、よく見ると知った顔のような・・・誰だっけ?聞くと、先日病院に行くときに乗ったバイクタクシーだと判明。あっ、そうだったような。って、いちいち覚えてられない。「もう大丈夫か?」と聞いてくるところをみると、悪いやつではないのかな。「大丈夫だよ。でも今日は歩くからいいよ。」とぎこちないベトナム語で答えると、「デ・タムストリートに行くのだろ。俺もそっちへ行くところだから乗って行きな。」と言ってきました。そんなに言うなら乗っていくか。スリやら詐欺やら色々と悪評高いホーチミンだけど、少しいい面を見た気がしました。これもちょっとベトナム語ができるようになったせいなのかな。言葉というのは大事だな。これからはなるべくその国の言葉を覚えるようにしたいな。そう感じました。

  宿に戻ったものの、その後は一仕事終えた安堵感からか、疲れがどっと出てきて寝てしまいました。なんかここのところ寝てばかりで、観光は何一つしていないな。昼過ぎにはむくっと起きて、近くの路上市場などを散歩して回りました。ホーチミンにもこんなところがあったんだ。写真を撮っていると、笑顔を返してくる感じはムイネと変わらないかな。今日のバイクタクシーもそうだったけど、ホーチミンは都会とはいえどこか田舎の感覚のある町かもしれない。最後の最後でホーチミンが気に入りました。明日からはいよいよカンボジア。気持ちを引き締め直さないといけないな。こういう無気力な心境のときにはトラブルに巻き込まれやすいものだから。
4月9日 (日) 晴
プノンペン
・カンボジア入国
支出 2000円
  朝早く、ベトナムでの最後のツアーバスに乗って国境へ向かいました。本当にベトナムでは観光客の動くところにツアーバスありといった感じです。やっぱり物価の安い国ではお金を持っている外国人を相手にした方が儲かるよな。そう考えると妙に納得できてしまいます。次の国カンボジアも物価が安い国。聞くところによると、やはり同じようにツアー会社のバスが待っていて、その提携したホテルに連れて行かれるとか。まあ、これはこれであれこれ考えなくて楽でいいんだけどね。でもなんか張り合いがないというか、やっぱりこの緊張感のなさは修学旅行だよな。という事で、再び修学旅行の旅人になってツアー用の大型バスに揺られていました。これで様々な思い出をくれたベトナムともとうとうお別れだ。そう思うと、当たり前のベトナムの風景が流れる車窓の眺めも感慨深い風景に思えてきてしまいます。おかげで道中はずっと車窓を見入りながら暗くなっていました。今までこれほど感慨深い出国は初めてだよな。また機会があれば来たいな。

国境の緩衝地帯
  国境に着くと、ぞろぞろとバスから降りてベトナムの出国手続きを行いました。係官にポンとスタンプが押され、パスポートを返却されると、無意識にサンキューと言っていました。スタンプを押してもらったことよりも、ベトナムに滞在させてくれてありがとうといった気持ちが自然とそうさせたに違いありません。そして、歩いて国境を越えました。なんか空き地というか、ここで商売をしている人は一体何者?といった不思議な空間でした。そしてカンボジア側に着くと、今度は入国手続きを行いました。本来は緊張する入国審査も、多くの旅行者が一緒だったのでまるで緊張感のない作業でした。無事にカンボジアの入国スタンプが押されると、これでベトナムを出国という一区切りが付きました。「もう戻れないんだ。」「ムイネから完全に遠ざかった。」という諦めからか、なんだか少し元気が出てきました。

  国境を越えると、カンボジア側のツアーバスが待機していました。プノンペンにある有名なキャピトルホテルのツアーバスでした。しかしここからは今までのような大型バスではなく、ミニバスに分乗して首都プノンペンに向かいました。道が悪いからマイクロバスなんですといった言葉どおり、最悪な道路コンディション。ミニバスが左右によく揺れる。おかげでカンボジアの第一印象は穴だらけの道路でした。

渡し舟
船から見た水上集落
  そんな揺れに耐えていると、道の脇にいる子供達がバスをめがけて水をぶっ掛けてきました。何事だ。テロか。えらい歓迎の仕方だ。もしかして外国人は帰れっていう抗議なのか。すぐ後ろに座っているカンボジア人に聞くと、今はハッピーニューイヤーウィークだからだと教えてくれました。何やらカンボジアの正月はこの時期で、おまけに水を掛け合って祝うようです。その人も正月という事で、ベトナムからカンボジアに戻ってきたとの事。聞くと、このバスは高いけど安全だし狭くないから使うんだと言っていました。奥さんを連れていましたが、色の白いこと。熱帯地域では上流階級の人ほど白いんだよな。それにしても今年は日本、中国の旧正月、そして今回と三度も正月を味わえてラッキーだな。旅人冥利に尽きるかも。

  しかし、そんな考えは次第に脳裏から消えていきました。とにかく道が悪い。何だってこんなに道が悪いんだ。内戦による地雷のせいか。これは道路を走っている感覚ではない。まるで船に乗って急流下りをしているような感覚です。途中で渡し舟に乗ったときが一番快適だったような気がします。とにかく揺れまくって、寝ている場合ではありませんでした。寝ようものなら椅子から落ちてしまいそうだからです。おかげでプノンペンに着いたときには、バスの揺れの為に疲れ果てて、尻や腰が痛くて溜まりませんでした。そんな状態だったので、あれこれ動き回る気力もなく、到着したキャピタルホテルにそのままチェックインしました。まんまとホテルの作戦にはまった感じです。
第1部 北風 ・・・ 南進編 〜 第12週 〜
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