リアルタイム旅行記 道標ない旅
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<2009年5月改訂版 Ver.3.1>
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第1部 北風 ・・・ 南進編  (2000年1月20日〜4月30日)
<香港、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール>
〜〜〜   第10週   〜〜〜
3月20日 (月) 晴
ファンティエット
・結婚式の撮影
支出 0円
  今日はトゥアの仕事の手伝いで結婚式の撮影を行いました。トゥアはビデオカメラでの撮影で、私は普通のカメラでの撮影を任されました。居候の身なのでこういう形でトゥアの役に立てるのはうれしいし、私にとってもベトナムの文化を肌で感じることができるのでありがたい。でも今日は朝から腹の調子が悪い。そろそろ何かにあたってもおかしくない。毎日、普通のベトナム人と同じ物を食べたり、飲んだりしているのだから・・・。しかしムイネに暮らすベトナム人からみると、日本人は長生きだし、日本製品は壊れないしと、日本人はベトナム人以上に丈夫にできていると思っているようです。それは甚だしい誤解。日本人のお腹はデリケートで、暑さにも弱いんだよ。さすがにこれは実際に日本の気候、文化や食生活を知らないと言葉ではなかなか説明しにくいし、単語をつなげた言葉ではなおさら理解できないようでした。でも、病は気からって事で、頑張って新郎の家に行き、撮影を始めました。

引き出物を運ぶ様子
結婚式の集合写真
  まずはムイネにある新郎の家での儀式。中国の文化っぽい感じでしたが、引き出物を兄弟などが分担して運んで行く様子を撮影しました。女性がアオザイなのは分かるけど、なんで新郎を筆頭として男はジーパンなの?ってな感じでした。でもムイネらしく素朴な儀式でいい。そして車に乗り、相手方のファンティエットの家へ向かいました。ムイネに来てから葬式は何度か顔を出したことがあったけど、結婚式は初めてだったのでなかなか興味深い。実は新郎よりも私のほうがワクワクしていたりして・・・。

  ファンティエットの花嫁の家に着くと、引き出物を渡して、宴会が始まりました。ここからはひたすら宴会。相手方がカメラマンを雇っているみたいなので、私はただの来客・・・いや珍客となってしまいました。最初は腹も痛いし、遠慮しながら飲んでいたのですが、気が付くと新郎よりも飲まされている自分を発見。どうしていつもこうなるんだ。まあ遥々日本からの客人が式に参加してくれたと喜んでもらえるならそれはそれでいいんだけど・・・。

  その後はもちろんダウン。ビールはいいんだけど、ベトナムのお酒がやはり堪える。ムイネの漁師の家で飲んだのと同じような感じで、臭みが結構気になるし、アルコール度数もそこそこあるような感じです。これはきっと口に合わないからすぐに酔ってしまうんだと思い、これ以降はなるべく飲まないようにすることにしました。その後、明日も撮影があるとかで、今夜はファンティエットのトゥアの弟の家に宿泊する事になりました。そこでもまた歓迎されて飲まされ、腹の痛いのもどっかへ行ってしまった。でもトゥアの弟は警官なんだよな。そこに泊まるって・・・まあいいか。
3月21日 (火) 晴
ムイネ
・ベトナムの小さな漁村へ
支出 700円
  今日も引き続き披露宴の撮影でしたが、写真に関しては昨日同様プロのカメラマンが来るとの事で、私の出番はなし。という事で、私はする事がなくトゥアの弟の家でお留守番。しかし、トゥアの弟は仕事へ。ベトナムの民家で奥さんと2人っきり。う〜ん、なんか気まずく感じるのは日本人の感覚なのだろうか。いやそんなことはないはず。なんとも落ち着かなく過ごしていると、奥さんの姉が遊びに来て、更には弟もやって来ました。人が集まっると、私的には気まずさがなくなって一安心。でもトゥア側の親戚ではないので、微妙に話題というか、対応に困ってしまうのですが、みんな親切に気を使ってくれるので、とても助かりました。

  そうこうしていると、みんなで遊びに行く事になりました。といっても英語がほとんど通じないので、単語帳の「遊びに行く」「海岸」という文字と、スクーターを指差されただけという、なんとも不安な状態での出発でした。案の定、ちょっと海岸までと聞いていたのですが、なかなか目的地にたどり着かない。途中からは道が舗装されていないダート道になり、一体どこまで連れて行かれるんだといった状態。ファンティエットを出発してから1時間以上も走り続け、ようやく小さな海辺の集落に到着しました。そこはまったく観光客が来ないような・・・いやベトナム人もほとんど来ないような小さな漁村でした。

トゥアの義妹の実家で
  そして一軒の民家に入ったのですが、どうやらここは奥さんの実家、つまり一緒に同伴していた姉や弟にとっての実家のようでした。なるほどそういうことね。中から出てきた老婆がみんなの母親か。初めまして、こんにちは。日本人です。とまあベトナム語で簡単に自己紹介をしたのですが、おばあさんは何事かと目を丸くしていました。いきなり娘達が外国人を連れてきても困るだろうに・・・。家の中に入ると、ファンティエットで用意してきた食材で食事を作り、みんなで昼食をとりました。食後は写真でも撮りに外出しようかと思ったのですが、暑いからやめておけと言われ、それもそうだと納得。そもそも昨日のアルコールが抜けきらなく、いまいち調子がよくない。いつも通り、ここでも昼寝をして過ごしました。

  そして夕方、ファンティエットに帰る間際にみんなで記念撮影。特におばあさんの写真を撮って欲しいとの事。なるほどここに来た理由の一つは撮影をして欲しかったのか。納得。しかし写真を撮ろうとすると決まっておばあさんが横を向いてしまいます。よほど嫌なのかなと思ったら、そうではなくそういう習慣らしい。なるほどなるほど、そういえば日本の昔の写真とかも横を向いているがよくあるよな。って、いつの時代のことだ。まあいいか。結婚式のような華やかな場面もいいけど、こういった素朴な日常を撮ってくれと頼まれるのも悪くないな。ファンティエットに戻りながら、なんかちょっといいことをしたような気分に浸っていました。ファンティエットに着くと、弟と一緒に写真屋へ。早速現像してもらいました。なかなかよく写っていたようです。そしてトゥアの弟の家で待っていると、夜になってトゥアが戻ってきました。そして暗い夜道をトゥアと共にムイネに戻りました。
3月22日 (水) 曇
ムイネ
・思わぬ身内の不幸
支出 0円
日当たりのいいミシン台で寝る猫
ムイネの一こま
  朝起きて、いつも通りトゥアの家に行くと、今日は家中が慌しくしていました。あまりかける事のない電話を頻繁にしていたり、来客も多い。これは何かあったなというのは私でも容易に推測でき、聞くと奥さん方の親戚が亡くなったそうです。そりゃ大変だ。と言いつつ、私のできることは皆無。トゥアと奥さんは葬式やその準備で忙しく、子供達はいつも通り学校へ。する事のない私は家で猫と留守番係でした。

  海外の他人の家で一人でいるのはなんとも変な感じです。きっと信用されていることなのだろう。さて暇だな。何をしていよう。そうだ。まだベトナムから絵葉書を書いていないんだった。ちょうどいい機会だ。といってもムイネに絵葉書が売っているはずもなく、今まで撮った写真の裏に厚紙をはっつけて、手作り絵葉書にしました。こっちの写真は基本的に葉書サイズの大きさで印刷するので、こういうときは便利。でも日本に帰ったらアルバムに張れなくて困るんだろうな・・・。まあいいや。とにかく作業開始だ。材料はこの前市場へ行って買っておいた事だし。でも、いつもだとここで邪魔が入るんだよな。こういう作業を始めると、子供たちに何をしているのと絡まれるか、トゥアに出かけるぞと誘われるか、或いは近所の人に遊びにおいでと招待されたりするんだよな。おかげで日記などは随分と溜まっている状態。あっ、そうだ!ホームページが・・・。こんな田舎にインターネットがあるはずもなく、すっかりほったらかし。自分で見れなければ更新の遅れなんて気にならないもんな。いきなりリアルタイム旅行記は終了か。いやいや終わらせてしまってはいかん。これも何とかしなければ。改めて一人になってみると、やることがいっぱいでした。でも、まずは絵葉書だな。日記は後からでも書けるし・・・いや、忘れて書けないかも・・・。ひたすら絵葉書の製造に取り掛かりました。これが結構面白く、誰にどの写真を送ろうかかと選んでいると、一人でにやけていたりしました。何にしても今までになくはかどった事。夕方になると子供たちも帰ってきて、いつも通りとまではいかないにしても普通の生活になりました。

お通夜の楽隊
  そして夜になると通夜に呼ばれ仏前に。祈り方も分からないので、見様見真似でやるものの、なんかぎこちない。まあこういうのは気持ちの問題だよな。ベトナムの通夜は音楽を鳴らしたりと、比較的明るい雰囲気なので少しは気が楽でした。それにしても今日のトゥアはビデオの撮影係兼、楽隊での演奏と大忙し。よく見ると、楽隊は先日一緒に飲んだトゥアの音楽仲間でした。おそろいの衣装を着ているとなんか様になっている。音楽仲間って言っていたけど、お遊びの仲間でなく、仕事も兼ねた仲間だったんだな。どうりでみんな演奏が上手かったはずだ。でも本当にトゥアはマルチな人間だ。そして、いつも通りの展開というか、軽く自己紹介しつつビールを飲まされるものの、通夜の席なのでどういう態度をしていいのかよく分からず、早々に切り上げることにしました。帰り際、トゥアに明日は葬式があるので写真を撮ってくれと頼まれました。おっ、ようやく出番が来たな。今日一日出番がなくて退屈だったんだよ。しかし朝三時半に起きなければならないのは、非常に辛い。それにしても今週は結婚式やら葬式やらめまぐるしいな。
3月23日 (木) 曇
ムイネ
・ベトナムの葬式の撮影
支出 100円
  朝3時半、久しぶりに使った目覚まし時計が鳴り、ねむ〜いと思いつつ起きてみると、非常に腹が痛い状態でした。う〜何に当たったんだ。こんな大事な時に・・・。とにかく葬式の写真撮影を頼まれているので、起きて行かなければ。う〜ん、辛い。トゥアの家に行き、一応出すものを出して、念のため正露丸を飲んで一緒に葬儀のある親戚の家へ向かいました。トゥアも心配してくれるが、これはどうにもならない。とりあえず頼まれたことはやり通さなければ。他にカメラマンを呼んでいないのだろうし。大丈夫といって仕事に取り掛かりました。

出棺前の儀式
出棺の様子
墓地への行進
埋葬
  ベトナムの葬式は面白いと言っちゃなんなんですが、特に今回は大掛かりな葬儀だったので、出棺から正統な儀式にのっとって行われていたし、カメラマンということで最前列で見ることができたので非常に興味深かったです。まずは黒い衣装を着た人々が派手な立ち回りを演じながら家の外からやってきました。その容姿や立ち回りから推測するに黄泉の国の使者といった感じです。しばらくそのリーダーのトリッキーな立ち回りが行われ、その部下とともに棺桶の前に立ち、棺桶を担ぎあげました。そして棺桶を運び出すわけなのですが、その時に白い服を着た身内の人たちは玄関前に蛇のように一列に寝転がって道を作り、その上を踏みつつ黒い衣装の担ぎ手達が家の外に棺桶を運び出していきました。

  ここからは大名行列みたい整列して棺桶を砂丘にある墓地へ運んでいきます。この光景はムイネに滞在中にも何度か見ているので驚かないのですが、今回はムイネの中でも比較的有力者というか、お金持ちだったようで、その列の長いこと。どうも列の長さがその死者のステータスになっているような気がします。といっても大概は旗持ちに動員された若者のようで、カメラを向けるとにっこりとポーズを決めていました。砂丘の墓地まではそんなに距離はないのですが、いかんせん下が砂地なので、棺桶を載せた御輿を担ぐのが大変なこと。何度か休憩しながら進んでいきました。それにしても暑くない朝でよかった。って、初めから昼間は暑いからこういう時間にしたんだな。納得。

  最初のうちは夢中になって写真を撮っていたので腹痛の事は忘れていたのですが、だんだんと日が昇り、気温が上がってくると頭がくらくらしてきました。そうだ、おいら体調が悪いんだった・・・。でもここは砂丘なので日を遮るものがない・・・。頭痛、鼻水に耐えつつ写真を撮り続けていると、墓地に到着。更に奥に進んでいき、砂丘と砂地の境目ぐらいの一画で列が停まりました。ようやく到着。そこには既に棺を埋める穴が掘ってありました。大工の人達が先に来て掘っていたようです。そういえばこの大工の人も見覚えがあるぞ。トゥアの親戚だと紹介されて何度か会ったことがあったな。この暑い中をご苦労さん。

  その穴の周りにみんなで集まり、ちょっとした儀式をして、棺を埋めていきました。これはよく見る光景。みんな少しずつ砂をかけていき、最後は先ほどの大工の人や身内の人がスコップで埋めていました。これで葬儀は終了。この上に墓を作る大工以外はぞろぞろと撤収していきました。私も体調がいまいちなので、すぐにトゥアの家に戻る事にしました。

  さすがに昼食を食べるぞと言われても食欲がないので、遠慮して寝させてもらうことにしました。とりあえず寝れば治るかな。特に気にもせずに寝ていたのですが、起きてからがちょっと大変でした。食事が喉を通らない私のことをみんなで心配してくれ、必要以上にも心配するものだからゴロゴロ寝てもいられませんでした。まだ体がだるい気もするけど・・・無理に元気な振りをしていた方がむしろ気分的に楽な感じ。とりあえず夜ぐっすり寝ればよくなるだろう。食欲はなかったけど無理やり夕食を食べて、夜はちょっと早めに寝ることにしました。やっぱりホームステイは気分的に疲れる。
3月24日 (金) 曇
ムイネ
・高校のキャンプへ
支出 0円
  昨日はかなりよく寝たし、一応寝泊りしている医者からも薬をもらったので、今朝起きてみると調子は大分良くなっていました。一時的な食中毒だったようです。さて、今日は一番上の子が高校のキャンプに出かけました。海に行くと言っていたので、日本でいう臨海学校みたいなものなのかな。ベトナムでもそういう行事があるんだと思いつつも、日本では春休みのこの時期にはありえない話です。そういえばこっちの夏休みは雨季の6月だとか。

キャンプ場のある半島
キャンプ場で
  午前中、のんびりと過ごしていると、トゥアが調子はどうだと聞いてきました。もう大丈夫だと言うと、午後からキャンプに遊びに行こうと言い出しました。う〜ん、何でそうなるの。まあいいか。という事で、午後からトゥアと友人と真ん中の子とでバイクに乗り、キャンプ場へ向かいました。日本の感覚でいうと、ちょっと離れた山とか海でこういった行事が行われるような気がするのですが、ムイネからそう遠くない場所だったのにはちょっと笑ってしまいました。もしかしたらみんなで歩いてきたのだろうか・・・。

  キャンプの様子は世界共通といった感じで、日本と変わらないようでした。ただ私としては英語の先生がいるのが心強い。いつもストレスに感じている会話も今日は比較的スムーズに行わうことができました。もっとも私の英語力もタカが知れているのですが・・・。でも今日面白い発見をしました。いつも私の通訳をしてくれるのが高校に通う一番上の子やその友人なのですが、その英語のアクセントがものすごく訛っていて、なんとも聞き取りにくいこと。全体的にベトナム人の英語はアクセントの抑揚が耳につくのですが、特にムイネに来てからひどくなった感じがします。ここムイネでは普段英語を使うこともないし、日本の中学生などがカタカナでそのまま読んでいる感覚と同じように、トゥアの子などがそう発音しているのかなと思っていたのですが、実はこの英語の先生が凄い。更に拍車をかけたような強烈な訛りをもつ英語でした。この先生に習っていればしょうがないのかな。ある意味アクセントのない日本語のカタカナ英語と、5声までイントネーションがあるベトナム語の英語とは対極的なのかもしれない。とにもかくにもムイネでの英語が強烈な原因というか、元凶というかが分かった気がして、思わず笑ってしまいました。

  そしてもう一つ。ベトナムに来てから私が日本人だと分かると、よく聞いてくるのが原爆のこと。日本はアメリカに原爆を落とされたんでしょ。アメリカは悪いやつだ。我々もアメリカ嫌いだ。といった感じで、大人も子供も同じように話が流れていきます。つい30年前まで、アメリカと戦争していた国だからそれは分かる気がします。でも日本に原爆を落とされた年とか普通に知っているからびっくり。日本人でも最近の人は知らないというのに・・・。その他でも日本とベトナムの文化の違いで盛り上がりつつ、気がつくとなぜか高校生の輪の中に入れられている私がいたりして・・・。夕方になると、何度もみんなに泊まっていけと言われるものの、体調が十分ではない身。元気な高校生に囲まれて一晩過ごす元気はなかったので、今回は遠慮してトゥアと帰宅しました。
3月25日 (土) 晴
ムイネ
・ムイネ追放!?
支出 2300円
  午前中、トゥアのいない時に警官が家にやって来ました。トゥアの奥さんと話している様子では、どうも私の事のようだ。やれやれ、また騒動が発生してしまったようだ。ここのところ結婚式に葬式にキャンプにと小さなムイネ社会の中で目立っていたからな。それに普通に考えれば病気でもないのに病院に入院しちゃまずいだろ。

ムイネの警察署
  昼前に帰ってきたトゥアと一緒に昼食後ムイネの警察署に出向きました。ここに来るのは2回目だな。さて今回はどういうことになるのやら。中に入ると、昼食時で暇なのか、今日は警官が5人もいました。テーブルに着くと、一応身分証としてパスポートを提出。さてさて何を聞いてくるのかな。ん、これってもしかして尋問ってやつか。しかし、誰も英語をしゃべれないようで、前回同様に私はただ座っているだけでした。しかも目も合わせようとしない。なんか変な感じだ。要は医者の所へ泊まっているのも良くないらしい。会話は私をさておきどんどん進んでいき、一時はムイネにこれ以上滞在するなと言われていたようでしたが、結局ホテルに泊まるのだったらいい事になったようです。最後に調書みたいな物に名前を書いて終了。これで私もベトナムでは前科一犯?なのかな。何はともあれ今日からホテル暮らしだ。ホッとするような寂しいような複雑な心境でトゥアの家に戻りました。

  家に戻ると、トゥアが単語帳を開いて「憎むべき、憎悪」という単語を指差して警察はこうなんだとしきりに言っていたのが気になるところ。普段は温厚なのによほど悔しかったのだろうか。まあ私は何も気にしていないから気にしなくてもいいのに・・・。むしろあの医者の家に泊まり続けることを考えると、この方が・・・といった感じです。まあ確かに宿の方が値段は高いけど、私にとっては微々たるものだし。でもベトナムの庶民の物価で考えると・・・その辺がなんとも難しい。下手に言うと嫌味になるし、言わなければ心配をさせてしまう。あまりにも日本とベトナムの金銭感覚というか、物価が違いすぎるので、そのへんを上手く考慮してしゃべらないといけないから大変です。この場合は「それくらいなら払えるから大丈夫だよ」と言うべきなのかな。

  もう一つ付け加えると、トゥアを含めて、ムイネの人にはこれからユーラシア大陸を横断するとは伝えていませんでした。この後カンボジアに行って、タイから日本に帰るとだけ伝えていました。恐らくユーラシア大陸と言ってもインドぐらいまでしかよく理解できないだろうし、そもそも旅費のでかさとか、横断する旅自体の意義を理解できるか微妙です。それに物価が安くて一生懸命働いている人の前で後ろめたいといった気持ちもありました。日本で2、3日アルバイトで働いただけでもここの人の一か月分の収入になってしまうし、私の今回の旅費ほどのお金があればそこそこ高級な家が建ってしまうのですから・・・。少なくともお金の価値観が違えば、余暇やレジャーなど、娯楽に対する考え方も違ってきます。旅は現実逃避とか、娯楽といった部類のものと考えるなら、やはり理解してもらえないだろうし、そうなら言わない方がお互いの為にいいような気がしました。

  何はともあれ、詳しくはよく分からないけど、宿に泊まることとなってしまいました。という事で、医者に今までの分の宿泊費・・・いや、入院費?を清算して、トゥアの友人の経営するホテルに荷物を運びました。ここはトゥアの家から1.5kmぐらいファンティエット方面にいった浜辺にある宿で、部屋はいいように言うならコテージとかバンガローというのでしょうが、普通に言うならベトナムによくあるほったて小屋でした。まあ安いし、寝るだけだから部屋とベッドさえあれば十分かな。そして再びトゥアの家に戻り、夕食を食べました。どうやら警察に9時以降は駄目だと言われたようなので、9時になるとスクーターで宿まで送ってもらいました。なんか変わった生活が始まったな。若干疎外感を感じつつも、でもまあこの方がいいのかなと思ったりもして・・・なんかよく分からない感じでした。でもまあ久しぶりに自分の時間を持てた訳で、今夜は浜で静かに波の音を聞き入ってしまいました。
3月26日 (日) 曇
ムイネ
・早朝の水浴び
支出 200円
早朝の浜辺
バイクタクシーの人
  気持ちよく寝ていると、トゥアの大声で目が覚めました。な、なんだ。まだ6時ではないか、いやムイネではもう6時と言うべきなのか。そういえば今日は目覚まし代わりのいつもの放送が聞こえてこなかったな。ちょっと住宅街から離れているせいで、ここまで大音量の放送が聞こえないようです。これはいいことだ。それにしても何事かと部屋の外に出てみると、海パン姿のトゥアやら子供達がいました。朝の水浴びの誘いに来たとの事。そうか、今日は日曜だから学校は休みだったよな。もう既にトゥアは宿のおっさんと準備体操をしているし・・・やる気満々だな。こんな朝早くから海に入らなくてもいいものを・・・そうか朝から海に入る習慣があるんだったけ。ここでは。これもまあベトナム人になりきる為のいい体験か。日本から持ってきたもののまだ一回しか使った事のない水着に着替えました。

  よしっ、いざ海へ。外に出ると、上半身裸になったせいか思いの他涼しく感じる。なんか嫌な予感。トゥア達はもう海に浸かっていたので、私も子供達に混ざって準備体操をして海へ。そして海へ足を浸けてみると、朝っぱらの海というものは慣れないせいか妙に冷たく感じる。というか、本当に冷たいぞ。起きたばかりなのにいきなりこんな寒い思いをしたら風邪引くぞ〜。って、なんか真面目に体調が悪いのがぶり返しそうな感じです。いや、案外、これこそ病は気からといったショック療法かもしれないぞ。どっちか分からないけど、えいやって入ってみると、やっぱり冷たい。ジャブジャブ泳げば体が温まるのだろうけど、ここの水って・・・下水が垂れ流しなんだよな。水を口や目に入れたくないので、やめておきました。おかげで寒いまま水から上がったもので、なんか鼻水が出てきました・・・。それにしてもせっかくホテルに泊まっているのに、結局はこれからも毎日朝6時に起きなければならないのか。それとも今日は日曜日だからたまたまなのか。いやトゥアの性格からすると、毎朝こうなりそうな気がする・・・やれやれといった感じでした。

バイクタクシーの人
  その後宿のシャワーを浴びて、服を着替えたりした後、歩いてトゥアの家へ向かいました。トゥアや子供達は先に戻っていったので、一人で通りを歩いていると、朝から一人でどうしたんだといった感じで声をかけられました。いや、色々あってホテルに泊まることになってね・・・。と言いたいんだけど、ベトナム語が難しくて、ジェスチャーばかりの会話となり、聞いてきた人たちも、???といった感じの表情でした。なんとももどかしい。もっとベトナム語がしゃべれたらなと最近本当に思っています。それはさておき、そのうちの一人はトゥアの家に行くんだろって、バイクで送ってくれました。バイクタクシーの人だったみたいですが、以前写真をもらったお礼だとか。う〜ん、全然覚えていない・・・。

  トゥアの家へ行くと、今日は一番下の子がキャンプに行くので、我々も昼にキャンプに行くぞとの事。またキャンプか〜。なんでトゥアは子供のキャンプに顔を出すのだろう?これで二回目だ。ちょっと疑問に感じつつ、昼前にトゥアとそこに遊びに行きました。前回同様にやはり先生や子供達に囲まれるはめに。さすがに小学生だと遠慮がない。なかなか人気者は辛いなと思っていると、なんでここにいるのか知らないけど数人の兵隊まで寄ってきました。これがたちが悪く、ベトナム語がしゃべれないと言っているのにひたすらベトナム語で絡んできて、しかもへらへらとえらく馬鹿にしたような態度で接してくるので、腹が立ってきます。しかし、ここで揉め事を起こしては今度こそ本当にムイネを追放されてしまいそうだ。トゥアも先生も我慢しろみたいなジェスチャーをするので、黙っているしかありませんでした。警察といい、軍隊といい、この国は最悪だな。

  引率の先生の中に英語を話せる人がいたので昨日の事を訳してもらうと、どうやら警官は賄賂を要求していたそうです。トゥアが昨日怒っていたのはひたすら賄賂を要求されていたからだったのか。ようやく理解できました。金額を聞くと、私からすると大した金額ではないので、払ってトゥアの家に泊まってもいいのだけど、トゥアが曲がったことが嫌いみたいなので、勝手にやるわけにもいきません。まあこういったことはここに住んでいるトゥアに任せておこう。部外者がしゃしゃり出ても・・・いや、しゃしゃり出たくてもベトナム語がしゃべれないから無理か。でも賄賂を要求する警官に対して素直に腹を立てているトゥアはやっぱりいい人なんだなと思いました。それにしても、真ん中の子のキャンプはいつなんだ?また呼ばれるのかな〜。
第1部 北風 ・・・ 南進編 〜 第10週 〜
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