リアルタイム旅行記 道標ない旅
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<2009年5月改訂版 Ver.3.1>
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第1部 北風 ・・・ 南進編  (2000年1月20日〜4月30日)
<香港、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール>
〜〜〜   第6週   〜〜〜
2月21日 (月) 晴
フエ
・ベトナム中部の都市フエ
支出 300円
  夜行バスに乗ってハノイから一気にベトナム中部の都市フエに到着しました。ここフエはベトナム随一の古都であるのと同時に、ベトナム戦争の激戦地だった事で有名です。とりあえず体調の方は小康状態といったところ。道中のバスの中で苦しむことがなく助かりました。細菌性食中毒だかなんだか知らないけど、所詮私の敵ではなかったようだと高らかに勝利宣言。本当は道中ずっと腹痛が起こるなよと冷や冷やしていたのですが・・・。

  さて、フエに到着すると、同じバスに日本人旅行者がいたのでいい宿を知っていますか?と尋ねてみると、フエには日本人ご用達の宿があるとか。じゃあ、そこへ行ってみるか。今まで欧米人ばかりと話していて、いまいちベトナムの旅行事情に関して情報不足だし、病み上がりなので元気を付けるためにも日本人宿は都合がいい。その宿に行ってみると、個室とドミトリーがあり、ドミトリーは1ベット2.5$と格安でした。ベトナムでもこの値段は安い。それより驚いたのが、宿の従業員の多くが日本語を話すことができる事でした。一応オーナーの奥さんが日本人とかで、こういう宿が出来上がったみたいですが、肝心の奥さんは離婚して日本に帰ったとか、そうでないとか。なんだか情報が錯綜していましたが、通りすがりの旅行者としてはどうでもいいことです。

フエ市場の菅笠屋
市場裏の渡し舟
  ドミトリーのベッドに荷物を置きに行くと、隣のベッドの旅行者は体調が悪いようで寝込んでいました。あらあら、気の毒に。まあ私はもう治ったけどね。お大事に〜ってなもんで、すぐに外出しました。行き先は市場。フエに着いてみると、ハノイの曇空から一転して快晴で、しかも気温も暖かいを通り越して、暑いといった感じでした。季節は春から一気に夏。う〜ん、これはいい感じだ。ここで鞄の場所を取っている冬物とおさらばできそうだと、市場に夏用のズボンやら半袖を買いに向かいました。

  市場へ行くと、ハノイの商店街のような市場とは一転して馬鹿でかい敷地に建物の市場やら青空市場がごちゃごちゃと並んでいました。とりあえず目的の半袖のシャツを買い、市場裏などを散策してみると、裏側の川には船が並んでいました。これは人が生活しているような感じの船だ。そういえば・・・香港の船もこんなんだったけな。ベトナム難民のボートピープルはここの出身とか?フエは激戦地だったし。ふとひらめいたのですが、その真偽はよく分かりませんでした。そういったことを考えながら川辺で船の様子を眺めていると、おばちゃんが声をかけてきました。英語がしゃべれないので身振り手振りでしたが、どうやらこの辺りを船で一周回るといくらだとか言っているようでした。安いし、なんか面白そうだな。よしっ、乗った。おばちゃんの漕ぐ船に揺られて市場周辺の川を一回りしました。なんか船上住宅とか菅笠を見ると東南アジアだな〜といった気分になってきます。それにしてもフエはのどかでいいかも。それに気温も温かいし、日本人が沢山いるし、のんびりと滞在するには最適だな。なんかフエの滞在が楽しみになってきました。

  夕方宿に戻ると、何人かの旅行者がロビーにいました。話をすると、私同様にユーラシア大陸の横断を試みている旅行者やら卒業旅行中の大学生やら様々。驚いたのが2ヶ月以上もここに滞在している人がいた事です。えっ、2ヶ月も何をしているのですか?と思わず尋ねると、別にこれといった用はないんだけど、ベトナムが好きになってしまったようで・・・とはにかんだ様に答えていました。ビザも頑張ってビジネスビザをカンボジアで取得したり、ベトナム語もそこそこ覚えたようです。よほど好きなんだな。そういえば昔エジプトに行ったときも、長期で同じ宿に滞在している人がいたっけな。あの時はなんかえらそうな態度をしていたので、この人何しているのと嫌悪感を持ったのですが、今回はそういった態度がなかったので好感が持てました。まあ旅は人ぞれぞれ。気に入った場所をとことんまで極めるのもありなのかな。その旅行者と話していて思いました。
2月22日 (火) 曇
フエ
・DMZツアー
支出 300円
激戦地のモニュメント
古戦場に置かれた戦車
ハンバーガー・ヒル
  フエは南北に長いベトナムの国土のちょうど真ん中辺りに位置しています。そういった位置的なことも影響してだと思いますが、フエの周辺はベトナム戦争時に南と北の境目となり、一番の激戦地帯となったそうです。フエからはその戦争時の傷跡を周る有名なツアーがあり、DMZ(非武装地帯の略)ツアーと呼ばれていました。広島の原爆ドームみたいに負の遺産といった定義になるのでしょうか。日本人宿に泊まっているので今までと違って情報が日本語で入ってくるのが便利なところ。しかし、色々な人に聞いてツアーの噂は耳に入ってくるものの、フエに来たなら参加しないと来た意味がないという人やら、つまらないから参加しないほうが・・・という人まで様々。なんともまとまりがない。これでは判断ができないではないか。これなら何も知らないで参加したほうがよかったかも。人に感想を聞くのも良し悪しかなと思ってしまいました。とはいえ、せっかくベトナムに来たことだし、参加してみることにした。

  という事で、今朝早くからツアーバスに乗って、アメリカ軍の基地跡やベトナム人の作った地下トンネルなどを一日かけて見学して回りました。が、正直あまり実感がわいてこないツアーでした。戦争映画をまめに見ていたら面白いツアーかもしれないけど、ここがアメリカ軍基地跡ですと台座に置かれた壊れた戦車を見せられても、あっそうなのってな感じで面白いはずがありません。向こうに見えますのが、映画で有名なハンバーガーヒル(映画のタイトルにもなった丘)ですと言われても、その映画を見ていなければ、???といった感じ。でも30年の月日は着実に戦争の傷跡を消してくれているようで別の意味では安心しました。未だに生々しい戦争遺産を見せられてもそれはそれで困ってしまいますし・・・。なんにしても一日中移動が多く、その割には・・・といった感じでえらく疲れたツアーでした。

  夕方宿に戻ると、すぐに夕食ツアーに行きますよと宿の管理人からのお誘いがありました。またツアーか。で、何を食べに行くのですかと聞くと、ベトナム版のお好み焼きだとか。おっ、それは食べたことがない。それに疲れているのであれこれ悩まなくていいか。参加してみる事にしました。じゃ行きますよ。って歩き始めると、あれよあれよと人数が増え、日本人20人ぐらいの大行列ができてしまいました。なんか目立っているぞ、俺達。でもなこれって引率されている修学旅行生ってな感じではないか。更に疲れが増してしまいました。でも食べたベトナム版のお好み焼きはなかなか美味しかったです。一つが小さく、ソースをつけて食べるのではなく、スープに入れて食べるので、美味しい不味いはスープ次第かな。そう考えると、これをお好み焼きと言うかは微妙なところかもしれません。
2月23日 (水) 曇
フエ(ドン・ハー)
・田園風景を求めて
支出 1700円
ベトナムの田園風景
田んぼで
1号線
手動式踏み切りで
ドン・ハーの市場で
  今日はバイクをレンタルしてベトナムの田園風景を見て周りました。普段日本で、いや大都会東京でごちゃごちゃした光景ばかり見ていると、どうしてもだだっ広い風景に憧れてしまうものです。バスや列車では通過してしまう風景も、バイクだと途中下車が可能。のどかな田舎を時々バイクを止めて、写真を撮りながら走るのは楽しいものです。

  実は今日訪れた田園風景は昨日のDMZツアー中に通った場所です。昨日あまりにも景色がいいので、思わずフエに戻ったときに近くのバイク屋で翌日バイクを借りる約束をしてしまいました。それにハノイでバイクを購入したダグラスにちょっと憧れて、バイクに乗りたいというのもありました。ハノイは危険だったけど、これだけ田舎だったらさすがに大丈夫かなといった感じ。そういえばダグラスは今頃どこを走っているのだろうな。案外途中で「ヤッホー」ってなもんですれ違ったりして・・・そんな偶然がある訳ないか。でも変な糸で結ばれている?ダグラスだったらありえなくもないような・・・。

  特に目的地を決めなかったので、国道1号線を北に向けて走りました。1号線は北にある首都ハノイと南の商業都市ホーチミンのおよそ2千キロを結ぶベトナムの大動脈です。しかし日本の1号線が大幹線道路となり何車線もの広い道路であるのに対して、ここではひたすら細い道で、しかもダート部分がかなりありました。周りが田んぼだったりすると、道路というよりあぜ道に思えてきたりします。思わずベトナム大丈夫かと心配してしまいました。恐らくいたる所で工事をしているところを見ると、大々的に大工事をしているのかな。でも・・・、工事が完成した後の様子を思い浮かべてみても、耕運機ばかりが走っているような・・・。それに踏切も手動式だし・・・。列車が通ると係りの人がガラガラと柵を引っ張って車を停めていました。さすがにそれはないだろと驚きました。色んな意味でなんかイメージする幹線道路とは程遠い1号線でした。そんな1号線を時々バイクを停めて写真を撮りながら北上していき、昨日も訪れたDMZの境界線となった川にかかる有名な橋の脇にあるモニュメントのところで引き返すことにしました。

  別に戦争の遺産を見たいとも思わないし、どこへ行こう。田んぼも見飽きてきたしな。午後になるとちょっと時間をもてあまし、あてもなくドン・ハーの市場を訪れてみました。そしてカメラをぶら下げながら歩いていると、珍しい客だと大歓迎されました。さすがにびっくり。どうやら観光客が珍しいようです。一緒に写真を撮り、なんだか想像以上にいい思い出が沢山できました。やはりバイクの旅はいいな。バイクに乗っている事も楽しけど、それ以外での人々とのふれあいが普通の旅とは比べ物にならない。そう考えるとやはり自分のバイクが欲しい。再びインドシナ半島バイクの旅計画が、頭の片隅からよみがえってきました。これこそオリジナリティあふれる旅ができるというもの。今のままでは同じ宿に泊まってる大勢の日本人旅行者達と同じようなありきたりの修学旅行のような旅になってしまいかねない。とはいえバイクもな〜。書類の手続きとか、国境の越え方とか、色々と大変そうだしな。う〜ん。悩んでしまう。

  それにしても今日は本当に楽しい一日だったとバイクを返し宿に戻ると、見覚えのある荷物が隣のベットに置いてありました。お〜、これはもしかしてダグラスの荷物ではないか。噂をすれば何とやら。夜遅く、宿に戻ってきたダグラスと再び再会しました。やっぱり君か。でも、なんで日本人宿へ。外国人は君一人だから居心地が悪いだろう?と思い尋ねると、日本人は嫌いじゃないし、ここが一番安くて、安全だからだとか。なるほどね。それに君も居るからって付け加えるところは、さすがアメリカ人。コテコテのお世辞を平然と言ってくる。それにしてもここまでくると腐れ縁というやつではないか。あまりうれしくはないけど・・・。
2月24日 (木) 小雨
フエ
・伝統芸能の役者
支出 3100円
  同じ部屋には自転車でハノイからフエまで下ってきたというチャリダーのヤマさんがいました。う〜ん、凄い。「一体どこまで自転車で行くんですか? もしかして自転車でユーラシア大陸横断ですか!」と期待して尋ねると、笑いながらフエの南にある都市ホイアンまでだとか。えっ、なんだ。がっかり。でも普通に考えてもハノイからフエまででも千キロちかくあるんじゃないか。しかも昨日バイクで走った限りではひどい道だったし。それにホイアンに行くにはベトナム屈指の標高差があるハイバル峠があるし・・・。やっぱり凄いかも。素人的にはそう思うのですが、彼がテレながら言うには、一時的ななんちゃってチャリダーなんだからチャリダーと呼ばないでとのこと。そういうものなのか。でもまあ修学旅行をしていない旅行者もいて安心しました。

アオザイ女学生の通学風景
  その彼は写真が趣味ということで話が合い、よく一緒に食事に出かけたりしました。そして今朝も一緒に早起きをしてアオザイ姿の女学生の登校風景を見に行きました。アオザイはベトナムの伝統的な衣装です。特別な時に着るものなので普段なかなか目にしないのですが、フエから南では(たぶん)学校の制服となっています。ハノイでは目にすることのなかったアオザイ。見に行かなければと、鼻の下を伸ばしつつ大通りへ。すると自転車に乗って多くの生徒が通学していました。これはいい眺めだ。自転車に乗って登校するアオザイ姿の女学生はなかなか様になっていました。なんていうか、姿勢がいいから美しく見えるのかな。背筋をピンと伸ばして自転車に乗る姿は、今の日本ではあまり見ないような・・・。今の若者は姿勢が悪くなっちゃったのかな。何にしても伝統的な衣装が学校の制服というのはベトナムらしくていいな。なんか感激。もちろんDMZツアーよりも・・・。

フエの王宮
更地となっている王宮跡
帝廟
  朝食をヤマさんと食べた後は一回宿に戻り、お昼寝。なんか眠い。疲れが〜、それとも体調が悪いのか。昼頃に起きると、気分がすっきりとしていたので、午後は王宮を見に出かける事にしました。フエにある王宮もDMZツアー同様に宿にいる旅行者に感想を聞くとあまり評判がよくありませんでした。王宮といいながら王宮らしいのは一部だけで、大半は朽ちた遺跡だからです。これでは見るところがなく面白くない。5ドルも払うのは損だ。とまあこういった意見が多かったのですが、もっともらしくこう感想を述べるのは、大半が大学生などの若い旅行者でした。なるほどな。でもせっかく来たことだし、見ないのはもっと損かなと思い、一人ぶらぶら歩いて行きました。

  入場口でベトナムの物価から考えるとかなり高い5ドルを払って入場。聞いていた通り敷地内は一部を除いて更地といった感じで、場所によっては地元の人の畑になっていました・・・。ちょっとこれはひどいかも。でも残っている建物には帝廟があり、これがなかなか素晴らしいものでした。まあ期待して訪れていない分感動が多かったのかもしれません。ぶらぶらと敷地内を歩いていると、ダグラスを発見。それにしてもなんともよく出会う。異性だったらストーカーだと思われるんじゃないか・・・全く。彼はもう見学が終わったところなので、ここでは挨拶だけして別れました。

  更に歩いていると、奥のほうではテレビの撮影をやっていたり、東門の辺りでは学校のようなものがあり、伝統芸能の練習をやっていました。王宮といいながらも、色々と地元の人の施設が付随しているようです。とりあえず伝統芸能の練習は面白そうだったのでしばらく眺める事にしました。すると一人の役者が英語で話しかけてきて仲良くなりました。そして一緒に夕食を食べに行きました。話を聞くと、彼の名前はムウォイ君。ベトナム語で「10」を意味します。もしかしてと思い聞くと、やはり10番目に生まれてきたらしい。本当にベトナムは大家族が多い。そんな彼はフエが好きで、あまり金にならないが伝統芸能の役者をやっているとの事です。公演するのは大きなホテルのお金持ちのツアーなどがほとんどだそうです。う〜ん、いいかも。これからも頑張れ。フエのために。久しぶりに気分良く酔っぱらいました。
2月25日 (金) 雨
フエ
・フエの日本人宿で寝込む
支出 300円
  フエに来てから毎朝の日課というか、今日もアオザイ姿の女生徒の朝の登校風景の写真を撮りに行こうかなと思っていたのですが、今日は起きれませんでした。ヤマさんに「今日も行きますか?」と誘われるものの、ものすごく頭が痛く、喉やお腹も痛い。まだ腹の中にハノイで悪さをしていた悪い菌が残っているのだろうか?「今日は・・・ちょっと駄目っす」と、トイレに行った後、再び夢の世界へ戻りました。

ドミトリーの部屋で
  10時ごろには隣のベッドのごそごそとした音で目が覚めました。ダグラスが荷物をまとめていました。彼はフエから南に下らず西のラオスに行くとの事。ラオスに行くんじゃもう会うことはないな。これで今度こそお別れだ。チェックアウトを見送りながらお互いにこれで腐れ縁が切れそうだと笑いながら握手をして別れました。そして再びベッドへ。それにしてもここのところの天気はいただけない。フエに来た初日は暑かったのに、次の日からは曇りがちの天気が続き、とても肌寒い。ひょっとして私はかなりの雨男なのか。それでもってハノイから悪天候を連れて来てしまったとか。そういえばシンセンでも雨男と言われたっけな。そんな事を考えているとますます憂鬱になってきます。今日は調子がよくなるまでゆっくりと毛布をかぶって寝ていよう。せっかくハノイで発病した細菌性食中毒が治りかけていたのに・・・まったく。これというのも私の隣のベッドはいつも病人が寝ていたせいではないか。なんだってドミトリーに病人が来るんだ。しかも私の横ばっかに次々と。個室に行けよと心の中で思えど、今は私もその病人。くそっ、いい迷惑だ。というより、そのへんの事を誰もはっきり言わないのは日本人社会の象徴ではないか。みんなで仲良く集団行動って事で、集団感染か。だんだん日本人宿に苛々してきている自分がいました。ベッドに横になりながら、このままだらだらと沈没していくのでは・・・。嫌なことが頭を過ぎりました。これはいかん。明日出発しよう。でも調子悪いしな・・・明後日にしようかな・・・いや、完全に治ってからの方が・・・。これってやっぱり沈没の兆候だ。やばいぞ。
2月26日 (土) 雨
フエ
・フエの人々
支出 600円
雨の日のフエ
  鼻水も止まらなければ、雨もやまない。日本よりかなり南なはずなのにえらく寒い。一体どうなっているんだ。異常気象か。悪いことが続くと不機嫌になってしまいます。ただ今日の朝、仲良くなったチャリダーのヤマさんがこの雨の中を旅立って行きました。自転車のなのでカッパを着ての旅立ちでした。急いでいないのなら雨が降っていない日にすればいいのにと言うと、一度決心したらその日に旅立つのが私の主義だとか。初志貫徹ですか。なるほど。ルーズになりやすい旅人には必要なことかもしれない。正直、本人はあまりかっこよくないけど、その勇姿はかっこいいかも。素晴らしい。彼を見送った後には自転車の旅も悪くないな。一時的でもいいから挑戦してみたいなどと、むらむらと新たな野望が湧き出てきました。やっぱりバイクの面倒な手続きとかがないのがいい。でも私にできるだろうか・・・う〜ん、疑問。でもそういった新たな計画を考え始めたせいか、少しは機嫌もよくなってきました。

王宮裏の川辺
ムウォイ君とシマさんと
  朝食をとった後は、何もしないでいると沈没してしまいそうなので、私もヤマさんに負けじと雨の中外出。といっても雨なので、ちょっと離れた場所にある有名な帝廟に行くのには厳しいし・・・特に行く場所もなかったので、一昨日友達になったムウォイ君の所へ遊びに行く事にしました。王宮の裏口に行き、友達に会いに来たと無理やり入れてもらったものの、彼は外出中で会えませんでした。残念。明日フエを出発するつもりなので挨拶しておこうと思ったのに。仕方なく王宮周辺の旧市街をぶらぶらと歩いていると、地元の人に珍しい客が来たとばかりにあちこちでお茶や菓子のもてなしを受けました。先日の市場でもそうだったけど、ベトナム人はもてなし好きなんだな。やっぱりフエはいい。いやベトナム人が温かいのかな。ますますベトナムが好きになってきました。

  夕方宿に戻り、仲良くなった私同様にユーラシア大陸横断を試みている旅行者シマさんとおしゃべりをしていたら、ムウォイ君が宿に訪ねてきました。どうやら私が訪れたのが伝わったようです。よかったよかった。でもよくここに泊まっているって分かったね。尋ねると、日本人がここに泊まっているのは有名なんだとか。なるほど。今度は逆に「何か用事があったのか」と聞かれると、さすがに暇だったからとは言えず、ここはダグラス風に「特に用事はなかったけど、もう一度君に会いたくて」などと格好つけてみたりして・・・。とりあえずお腹もすいたことだし、シマさんと一緒に食事に出かけることにしました。近くの食堂でビールを飲みながら談笑。いい思い出になり、これでフエに思い残す事はなくなりました。よしっ、明日はスイッチを切り替えてホイアンへ出発だ。
2月27日 (日) 曇
フエ→ホイアン
・ハイバル峠越え
支出 2300円
  フエとその南にある港町ダナンとの間にハイバル峠があります。この峠を境に北と南で気候や人の性格が違うとベトナムでは言われているようです。今日はその峠を越えて、港町ダナンを経由して古き町並みが残るホイアンへ向かいました。これでいよいよベトナム南部に突入って事になるのかな。フエでは初日は暑かったけど、それ以外はいまいち曇っていて肌寒かったので、今度こそ暖かくなって欲しいというのが一番の願いでした。

  ホイアンへのツアーバスには仲良くなったシマさんと一緒に乗り込みました。これが一番手軽だからと何も考えずに選んだのですが、バスに乗ってみると乗客の半分は若い日本人旅行者でした。えっ、なんじゃこれは・・・。これでは本当に修学旅行みたいではないか。こんなんでいいのだろうか。だんだんとこのような修学旅行のようなベトナムの旅に疑問というか、嫌気が差してきました。とりあえず今はそんなことを言っていてもしょうがない。シマさんと一番後ろの座席に座ると、バスは出発しました。最初は平坦な道を走っていましたが、段々と上り坂になり、バスは猛烈にエンジンが回り、後ろからSLのような凄まじい黒煙の排気ガスを吐き出していました。車全体がエンジンの振動で震え、なんか頑張っているといった感じ。でもその割には自転車並みのトロトロとしたスピードで峠の坂道を上っていました。なんか環境にすごく悪そう。それに風向きが悪いと排気ガスが車内に入ってきて大変。最初はバスよ、頑張れといった感じで応援していたのですが、30分もすると鈍足ぶりと乗り心地の悪さににうんざりしてきました。

ハイバル峠頂上のドライブイン
  やれやれと思っていると、頂上付近で昨日自転車で出発したヤマさんを発見。汗だくになりながら自転車をこいでいました。窓から身を乗り出して「頑張れ〜」と応援したのですが、気の毒なことにバスは容赦なく排気ガスを浴びせていきました。その後すぐに頂上に到着しました。ここで一休み。バスも人間もお疲れ様といったところ。すぐにヤマさんが登ってくるはず。シマさんと待ち構えるものの、なかなかやってきません。さては力尽きてこけたのかな。しょうがないな。出発だからバスに乗り込まなければという時に、ようやくヤマさんが自転車で峠を登ってきました。おーいと手を振ると向こうも気がついたけど、こっちはもう出発。ホイアンで待ってるってなもんで彼の勇姿を称える間もなく、バスは出発してしまいました。

  下りは順調でダナンを通過して、無事にホイアンに到着。ベトナム人が言うようにハイバル峠を越えたせいか、空は晴れわたり、かなり蒸し暑い。人々の肌の色もフエよりも黒くなった気がするし、これはいよいよ夏到来か。シマさんと安宿にチェックイン。ドミトリーのベッドに荷物を置こうとすると、あっ、これは・・・(絶句)。どうも見覚えのある鞄が隣のベッドにありました。またもやダグラスでした。でも変だな。ラオスに行ったはずなんだけどな・・・。まあいいか。荷物を宿に置き、早速ヤマさんとホイアンの町を散策に出かけました。

ホイアンの日本橋
ホイアンの町で
  ガイドブックを見るとかつてここには日本人町が作られていたとか。その名残りで日本橋があるとの事で、早速訪れてみました。が、何でこれが日本橋なのといった感じでした。どうみても中華風の橋ような・・・。そして、歩いていると、なぜか「こんにちは」などと日本語が異様に聞こえてきました。な、なんなんだ。いきなり。そんなに日本人が来るのか。そういえばツアーバスは日本人ばかりだったな・・・。いや、それより日本人町があったせいで日系人が暮らしているとか・・・ちょっと時代が違うぞ。どうも好意的というより、観光客ずれしていて呼び込みのため声をかけている感じです。こんな体験はベトナムに来て初めてでした。う〜ん、なんか嫌な感じ。そういった気持ちで周りを見てしまうせいか、古い町並みも観光用に修復しましたといった感じでいんちき臭く見えてしまいます。ここには長居は無用かな。いまいち雰囲気に馴染めませんでした。

  夕方にはヤマさんがホイアンに到着して、今度こそちゃんと再会することができました。おまけにハロン湾で一緒の部屋だったイギリス人のジョンとも散歩中に再会。これ以上腐れ縁が増えなければいいが・・・。そして夜になると、宿に戻ってきたダグラスと再会。一体どうしたの?と聞くと、さすがにフエの日本人宿にうんざりしてきてフエの他の宿に移ったとか。そしてそこで会った旅行者にホイアンがお勧めだと言われ、ラオスに行く前にホイアンまで足を伸ばしてみたんだとか。でも明日フエに戻ると言うから今度こそ本当に腐れ縁が切れるはず・・・たぶん。
第1部 北風 ・・・ 南進編  〜 第6週 〜
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