リアルタイム旅行記 道標ない旅
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<2009年5月改訂版 Ver.3.1>
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第1部 北風 ・・・ 南進編  (2000年1月20日〜4月30日)
<香港、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール>
〜〜〜   第4週   〜〜〜
2月7日 (月) 晴
陽朔
・日本への絵葉書
支出 5500円
  朝起きてみると、うっ、これは・・・、尻と足が非常に痛い状態でした。昨日の山登りとサイクリングが体にこたえてしまったようです。この程度で次の日に疲れが残ってしまうとは・・・、まだまだ修行が足りないというか、体が旅行用に仕上がっていない証拠。徐々に慣らしていかないとこれからが思いやられそうです。

陽朔の町並み
上から見た陽朔の町並み
  さて、正月3日目にもなると鳴り響く爆竹の回数も少なくなり、街全体が静かになりつつありました。もうそろそろ動き出しても旧正月の影響を受けないのでは。シンセンでもそうだったけど、旅初めからのんびりとしたペースに慣れてしまうと、今後もそういうペースが当たり前になりそうなのが怖い。陽朔の滞在も今日で4日目になり、なじみの屋台や店もできてちょっと名残り惜しい気もするけど、まだまだ旅の序盤。やはりてきぱきと動き続ける方が今後のためにもいいに違いない。意を決し、明日この町を去る事にしました。

  でもその前にやっておかなければならない重要な使命がありました。それは絵葉書です。ここから次の訪問国のベトナムまでは駆け足で抜けようと思っているので、中国から絵葉書を出すならここしかありません。お世話になった人や友人などには一カ国につき一枚絵葉書を出すと約束してきました。これは私自身の荷物にならないし、もらうほうにとってもいいお土産のはず。電子メールという瞬時に国境を越えて通信ができる世の中になってしまったけど、やはり絵葉書は旅情緒のあるいいものです。友達の顔を懐かしく思い出しながら、今日はのんびりと絵葉書を書いたり、陽朔でまだ訪れていない公園や寺院を訪れたりしました。とりわけ陽朔の町中にある岩山は公園となっていて、その岩山に足を引きずりながら登ると陽朔の町が一望できました。その背後には岩山がボコボコと突き出ていて、この町が岩山に囲まれた面白い町だとよく分かりました。人々の雰囲気もよかったし、本当にここを訪れてよかったと思えました。

  夕方には絵葉書を書き終え、郵便局で日本への第一陣の小包と共に郵送しました。これで陽朔の滞在に思い残すことはなくなりました。いよいよ明日は旅立ちだな。なんとなく仲良くなった屋台のおばさんのところへお別れを言いがてら夕食を食べに行くと、なんかちょっぴりほろ苦くなってしまいました。
2月8日 (火) 曇り→雨
桂林→南寧
・予定外の雨
支出 2400円
桂林の駅
  朝、陽朔を出発して桂林に向かいました。しかし、いきなりバスでぼられて閉口。正月ボケというか、ここのところのんびりとしすぎて緊張感が薄れていたようです。しっかりとしなくては。桂林からは夜行バスで南寧に行く予定にしていたので、桂林に着くとすぐ荷物を預かり場に預けて市内観光をすることにしました。しかし運が悪い事に桂林に着いてからすぐに雨が降り出してきました。これでは観光どころではないではないか。どうしよう。傘を買って雨の中を観光するか。いや今更桂林を見なくてもいいような・・・特に見所もない感じだし・・・。なんかあんまり魅力を感じませんでした。ならば予定を変更して、すぐに南寧に行きのバスに乗るのもありだな。今の時間だったら南寧に着いてからバスを乗り継げば今日中に国境近くまで行く事ができそうだ。そうすれば明日の朝一で国境を越えることができ、そのままハノイに明るい時間に到着できるぞ。そうしよう。

  南寧行きのバスの時間を調べ、乗車券を買いましたが、バスの出発までちょっと時間がありました。小雨が降るなか、30分程度駅周辺を歩き回ってみました。やっぱりというか、なんかいまいちぱっとしない町でした。再開発をしているのだろうか。工事中だらけ。予定を変更して正解だったな・・・たぶん。銀行の前を通れば、銀行の前では闇両替屋の人が大勢たむろっていました。ここは観光客が多いもんな。って、ここまで露骨にやっているのも凄い。友人が言っていた通りなんとも凄い国だ。そしてバスの時間が近づいたので預けた荷物を取りに行くと、あらっ、夕方取りに来るんじゃなかったの?と受付のかわいい女の子が時計を指しながら言ってきました。難しい中国語は分からないので笑いながら受け流し、「いくら?」って値段を聞くと、中国語の数字を言ってきて、確認のためというか、習性で復唱すると外国人が珍しいのか、発音がなっていないとばかりに無理やり中国数字の発音を教えられてしまいました。

  長い時間バスに揺られ、南寧に着いてみるともう夕方でした。さすがにもうバス出ていないよな。調べてみると、やはり国境の方に行くバスはありませんでした。仕方ない。明日の朝一番のバスにしよう。という事で、南寧で宿をとる事になったのですが、ガイドブックというものを持っていないので、さっぱり土地勘がありません。とりあえずバスターミナルの近くを探し、よさげな宿へ行ってみると1泊300円程度でなかなかのものでした。おまけに日本人は初めてらしく、なかなか対応が面白かったです。こういうほのぼのとするような旅ばかりならいいけど、気をつけていないと朝みたいにボラれるからなかなか厄介だったりします。
2月9日 (水) 曇り
南寧→ハノイ
・ベトナムへの国境越え
支出 1900円
  今日は国境越えです。香港入国や中国(シンセン)入国は乗り物から降りて「ハイ」ってスタンプを押してもらうだけの形式的な感じの国境ですが、この国境は最初の関門にふさわしく越えるのに色々と大変な国境です。無事に越えられるだろうか。情報も少ないし、朝から少し緊張していました。宿をチェックアウトし、昨日調べておいた朝一番の国境行きのバスに乗り込み南寧を出発しました。バスには欧米人が一人乗っていて、その為なのか女性の乗務員はアナウンスの中国語の後に一応英語を使っていました。が、凄まじい発音。和製英語も顔負けといった感じでした。私なりに受けたのですが、地元の人にはもっと受けたようで、「おー英語を話してるよ」と拍手喝采。バスガイドの女性は照れてしまい最初だけでもう英語を使うことはありませんでした。

国境の友関門
  国境の手前の町に着くと、旅は道連れってことで、それに一人では心細いので欧米人に話しかけてみました。彼はアメリカ人で名前をダグラスといいました。彼も旅行者でベトナムに向かうとの事。それは奇遇だねって、ベトナムに行く人しかこんな国境の町へこないか。まあここは一緒に協力して国境へ行こうではないかと、タクシーをシェアーして向かいました。国境に着いてみると、物々しい警備を想像していたのですが、国境というよりまるで公園みたいな場所だったので驚きました。国境にある門の前では観光客が記念写真撮っているし・・・。じゃあ私も。パシャッ。う〜ん、なんか気が抜ける・・・。銃を持った兵隊が並んでいて、そのそばを肩身の狭い思いでスゴスゴと通り過ぎていくようなことを覚悟していたんだけどな。ちょっとがっかり。いや一安心かな。入出国の手続きも簡単で、楽勝といった感じでした。ベトナムに入国後は一回ダグラス君と別れてバイクタクシーで近くの町へ向かったのですが、案の定というか、再びその隣町で再会して一緒にハノイへ行く事になりました。ハノイまでの道のりがまたひどい悪路でした。中国側の道も悪かったし、今日は今までに経験したことがないほど悪路の連続。おかげでハノイに着くと尻が痛かったです。

  ハノイへは夜遅くの到着となってしまいました。さてどうしよう。ベトナム初日なので勝手が分からないし・・・でもダグラス君がいる分心強いかな。とりあえず安宿が集まっている繁華街へ彼と向かうと、英語が通じない中国と一転して、客引きはみんな流暢に英語を使ってきました。久しぶりの英語攻撃に私はたじたじ。中国国境付近では、漢字の分かる私が主導権を握っていたのですが、ハノイに着くなり立場が逆転してしまいました。そしてダグラス君の言うがままに、安いホテルを一緒にシェアしたのでした。

*このハノイの滞在については「風の足跡」の「灰色だったハノイの空」に載せています。
2月10日 (木) 曇り
ハノイ
・インドシナ半島バイクの旅計画
支出 2200円
ダグラス君と
  ベトナムで初めての朝を迎えました。アメリカ人のダグラス君と部屋をシェアしたのですが、二人とも起きたらなんと昼でした。さすがに昨日のハードな行軍の疲労と、夜遅くの到着を考えればしょうがないかな。でもまあ、なんかあまり幸先のいいスタートではないような気がします。さて今日は何をしようか。そういえばダグラス君はどうするんだろう。というより、アメリカ人は一体ベトナムで何を観光するのだろうか?ベトナム戦争の傷跡は見たくないだろうし・・・。で、「今日はどうするんだい。」と聞くと、彼は「バイクを買ってベトナム、ラオスを周るつもりなんだ。だから今日はバイク屋に行こうと思うんだ。」と言い出しました。なに、バイクだと。なんてうらやましいんだ。私もバイクで回れたらどれだけ楽しいことだろう。でも手続きとかが面倒そうだし、英語の書類なんて見たくも、書きたくもない。でもいいな。ここは今後のためにも参考にさせてもらおう。興味があったので一緒にハノイのバイク通りへ行ってみる事にしました。

ハノイの道路事情1
ハノイの道路事情2
  宿を出発して、初めて明るい時間にハノイの町に出たのですが、そこで繰り広げられている光景にビックリ。なんとも凄まじい数のバイクが走っているではないか。な、なんなんだ。この数は。思わず唖然としてしまいました。ベトナムはバイクが多いと聞いてはいたのですが、ここまで多いとは・・・。広い3車線道路なのにバイク専用道路上状態で、しかも逆走、蛇行は当たり前。何でこんなにバイクが走っているのというより、バイクばかりで車の姿がほとんどない事の方に驚きました。これがベトナム名物のバイクの洪水なんだなと感心するよりも、勢いよく突っ込んでくるバイクが怖くて道路が横断できませんでした。まるで盗塁するランナーの気分。牽制で刺されたらアウトって、洒落にならんぞ。ダグラスはひたすら「クレイジー、クレイジー」って呟いているだけで、なかなか渡ろうとしないし・・・。慣れるまではなかなか気が抜けなく大変でした。このバイクの洪水といった光景はかなり衝撃的な世界でした。

  宿の人に教えてもらったバイク屋が集まった通りを訪れてみると、走っているバイクの数が多いだけあってバイクのパーツ屋がずらっと並んでいました。なんか日本の暴走族がつけているようなパーツまであるし・・・。バイクが好きなので色々と見て回るとそれはそれで面白いのですが、肝心の中古車はほとんど売っていませんでした。これだけバイクが走っているのに変だな。新車を扱っているディーラーで聞くと、ベトナムではバイクは一家の財産といった感じの扱いを受けていて、しかも不要になったら身内で売買することが多いから中古車はあまり出回っていないのだとか。なるほどな。ちょっとベトナム社会の構図が分かったような気がしました。とりあえずダグラスはいいバイクがなかったので、今日のところは断念。でも一緒に見て回っているとバイクでインドシナ半島を周る旅も素晴らしいなと、私の心も揺らいできました。しかし交通ルールがあってないような所でバイクに乗るのは危険だし、手続きの事を考えるとなかなか決心がつかないのが実際でした。

市場のような寺院の入り口
  その後、一旦宿のある旧市街へと戻り、ダグラスと食事をしました。食後にコーヒーを頼むと、強烈なベトナムコーヒーが出てきました。この濃さはエクスプレッソ以上。おまけにコンデンスミルクをたっぷりいれて飲むから、なんか胃にも体にも悪そうな飲み物でした。当然の成り行きというか、ダグラスはこれはコーヒーではなくココアではないかと店員に文句を言い、紅茶に換えてもらっていました。さすがはアメリカ人。日本人と違うなと妙に感心してしまいました。その後は少しダグラスと一緒に旧市街を歩いてみました。なんかのんびりとしたところだな。首都とは思えないぐらいです。寺院とか市場などがあったので、中に入ったりしたのですが、どうも中国とイメージがかなりダブル。かなり中国の文化的影響が強いようです。そして何気なく気が付いたのですが、ダグラスはずっと遠慮気味な感じでした。寺院とは異教徒が入りづらいのは分かるけど、どうも町歩きを始めてから妙に大人しい。レストランとか、バイク屋、宿での強気というか、言う事は遠慮なく言うといった態度と全然違ってみえる。具合でも悪いのかな。それともハノイの空気が合わないのかななどと思っていたのですが、夕食時に聞くと、ベトナム戦争というコンプレックスがあるんだとの事。なるほどそんなことちっとも考えていなかった。そういえば昔は日本もベトナムを攻めたんだよな。でもベトナム戦争に比べれば大分前だから、忘れられているかも・・・。でも国籍の違いで結構旅って違ってくるもんなんだなと、ちょっと勉強になりました。ちなみにアメリカ人はベトナムビザの取得代が一番高く、100ドルかかるとか。ベトナムでベトナム人の文化を知るのもいいけど、その他の外国人旅行者と話してみるのも旅として面白いのかもしれないな。
2月11日 (金) 曇り
ハノイ
・戦争と平和
支出 2200円
自転車修理の少年達
  ベトナムの首都ハノイは、ハノイ36番地として有名なように古い商店街が並び、歩いていると首都というよりも下町といった感じを受けます。東京でいえば千駄木辺りの商店街がひたすら続いているといった感じでしょうか。だから、町を行き来する人々も、都会人っぽく忙しそうに見えながら、どこかのんびりとした印象を与えてくれます。それに中国の文化の影響が強いので、日本人の私としてはどことなく懐かしさも感じ、なかなか雰囲気がいいと感じる町でした。腰をすえて観光しようかな。そう思いつつも、この後ハノイの北西部というか、もはや中国との国境の近くの山岳地帯といった山奥にあるサパという避暑地を訪れる計画にしていました。冬に避暑地もあったものではないのですが、ここには少数民族が暮らしているというので、ぜひ会いにいってみたいと思ったからです。そうなるとルート的にはハノイへ再び戻って来る事になるので、ハノイ観光はサパへ行った後に本腰を入れて行えばいいか。ここに長く滞在するよりもすぐにサパへ向かうことにしました。

  サパに向かうにあたっては、どうせなら旅情豊かな寝台列車に乗ってみる事にしました。でもベトナムでは鉄道料金に外国人料金が適用されるのでかなり割高でした。本当は中国でも寝台バスではなく、寝台列車の旅をしたかったのですが、時期が旧正月と重なって予約が全然取れませんでした。だからこそ今回は高かろうが夜行列車に乗りたいと思い、朝早く起きて駅へ今日の夜の夜行列車の切符を買いに行きました。そして宿に戻るとチェックアウト。どうせまた戻ってくるので荷物の大半は宿に預けていくことにしました。ダグラスはまだハノイに滞在してバイクを探すそうなので、ここでお別れだ。ルートが似ているので、縁があればきっとどっかでまた会えるだろう。一緒に昼食を食べた後、「お互いによい旅行を!」とお別れを言って別れました。

博物館に展示してあった
ベトナム名物自転車大砲
機関車の運転手
  昼食後は夜行列車の出発まで時間があるので、ハノイの町を歩き回ってみました。ガイドブックを開くと、ハノイには数多くの博物館があるのですが、どれも国柄か戦争や革命に関するものばかりでした。試しに訪れてみるものの、やたらとベトナムの軍事力の凄さや、ベトナム人の偉大さを強調していて閉口。なんだかなといった感じです。そもそもベトナム戦争が終わってからまだ30年しか経っていないんだよな。展示内容が豊富なわけだ。それにその前は太平洋戦争で日本が占領していた時期もあるので、ちょっと耳が痛い展示も多々ありました。おまけに中国とも領土問題で戦争していたみたいだし・・・う〜ん、この国は戦争が好きなのか。そう考えると、ベトナム人に接するのが怖くなってきたりして・・・。でもハノイの町を歩いてもそういった印象を感じることは・・・・バイクの暴走以外ではないしな・・・。いまいちよく分かりません。日本人も好戦的と言われたり、温厚と言われたりしている事を考えると、性格が似ているのかななどと思ったりもしましたが、やはりこういったことは戦争を体験した事のある人でないと分からないんだろうなと思ってしまいました。

  夜になると、ハノイの駅へ向かいました。夜行列車の旅か。なんかワクワクしてきます。せっかくだから記念に乗る列車の写真でも撮っておこう。先頭の機関車のところまで行くと、外国人が珍しいのか、単に親切なだけなのか、運転手の人が機関車の運転席に乗せてくれました。機関車の運転席って公園に置いてあるSLぐらいしか乗ったことがなかったので、これはありがたい。と言ってもなんか簡素で味気ないものでしたが・・・。お礼を兼ねて日本のタバコを渡すとえらく喜んでいました。運転手にお礼を言って自分の席に行ってみると、狭い三段の寝台でした。しかも板の上にござを引いただけって・・・。なんかベトナムらしいというか、体が痛くなりそうだ。
2月12日 (土) 晴
サパ
・少数民族を訪問
支出 2100円
三段寝台と忘れた寝袋
  朝早く列車は中国との国境近くのラオカイに到着しました。ござの上に寝袋を引いて寝たとはいえ、やはり体が痛い。さて降りるか。寝袋などを袋にしまってから、列車を降りました。そして駅前で観光客を待ち構えていたサパ行きのバスに乗り換えました。マイクロバスといった狭いバスの中は欧米人旅行者ばかり。意外に人気あるんだな。サパは。とりあえず同じ立場の外国人旅行者が多いのは心強いものです。しかしそう思ったのは束の間でした。欧米人旅行者のわがままっぷりにはうんざり。郷に入れば郷に従えって諺を教えてあげたい。そう不快に思っていたら、夜行列車に寝袋を置き忘れてしまった事に気が付き、愕然。しまった。寝台の上に置きっぱなしだ。香港でわざわざ友人に付き合ってもらって買った思い出の品だし、なによりほとんど使っていないではないか。更に憂鬱となってしまいました。

  バスは山道をひた走り、山奥のサパの町というか、村へ到着しました。すると、どばっと客引きの大群が押し寄せてきました。な、な、なんだこれ。思いも寄らなかった展開にびっくり。唖然としていると、金払いのよさそうな欧米人の団体に群がり、どんどんと宿へ案内して行ってしまいました。えっ、お〜い、あの〜、ここにも観光客がいるんだけど・・・。一人の私はほとんど相手をされなく、うれしいような、寂しいような。呆然としていると、欧米人を逃した客引きが残り物の私を見つけて、「あなたも宿を探しているのか?」と尋ねてきて、哀れに思ったのか安く泊めてくれました。残り物には福がある・・・のかな?でも客引きの態度が大物を取り逃がしてしまい半分どうでもいいといった感じがしないでもなかったけど・・・。でもまあ部屋は広く、満足のいくものでした。

モン族の通学風景(多分)
  荷物を置いて、食事をした後、ちょっと町を散歩してみました。ここは小さな町というか村で、至る所に黒っぽい民族衣装を来たモン族の人々が歩いていました。慣れないとかなり異様に感じる光景です。少数民族か。今までそういった人々に接したことがないので、いまいちどう接したらいいのかよく分かりません。写真をとってもいいのかな。と思いつつも、なんかカメラを持っていると避けられている感じ。本当は笑顔の素晴らしい人々だと思うのですが、押し寄せる観光客に対しかなり観光客ずれしているというか、嫌悪感を抱いているというか、何にしても無愛想なのが残念に感じました。でも次々やってくるわがままな観光客の相手をするのも嫌だろうな・・・。朝のようなわがままな欧米人を思い出すとそう感じました。って、おいらも観光客なんだけどね。

  夜になると、辺りは真っ暗。さすがは山の中の村。そして寒いこと。こりゃ、たまらない。一気に真冬に後戻りした感じです。でも外に出てみると、凄く星がきれいでした。そういえば久しぶりだな。こんなきれいな星空を見るのは・・・。する事がないので、一人寂しく星と語り合っていました。
2月13日 (日) 晴
サパ
・サンデーマーケット
支出 2100円
サンデーマーケット
少数民族の人々
  ハノイからサパへ急いできた理由の一つは毎週日曜日に開かれる少数民族のマーケットを見たいと思ったからです。ありのままの少数民族の人々とふれ合ったり、見学したりするには、こういった少数民族の人々が自分達のために開いているマーケットは最適です。サパやその周辺でも開かれているようですが、観光客ずれしていていまいち面白くないとか。お目当てのサパからかなり山奥に入った場所で週に一回ひっそりと開かれているマーケットはほとんど観光客が訪れることがなく、自然な少数民族のマーケットを見れるとの話です。さすがに山奥の村なので一般の交通手段がなく、ツアーに参加して訪れる事にしました。

  朝早くサパを出発して、舗装されてないでこぼこ道をマイクロバスで二時間走リ続けると、小さな村に到着しました。なんとものどかな場所です。その山奥の小さな村の中心部では地味にマーケットが開かれていました。ここではサパに暮らす黒い民族衣装のモン族とは違い、華やかな民族衣装をまとった人々が歩いていて、とてもカラフルに感じます。こういうと失礼だと思いますが、真っ黒な服よりもやはり赤や黄色の服のほうが明るく感じるし、親しみを持ちやすいものです。いや〜いい眺めだ。なんか旅をしているというか、川口ひろし探検隊ってな感じ。それにここまではそれほど多くの観光客が訪れないようで、人々があまり観光客に嫌悪感を抱いていないのがいい。写真を撮らせてくれたり、茶屋に入ると話しかけてきたりと、人々の笑顔が素敵だと感じました。ガイドの人の話ではなぜこういうマーケットが開かれているかというと、部族間の親睦会といった感じだそうです。周辺の村から週に一度集まってきて親睦を深めるんだとか。もっとも一番重要なのは未婚の人々が異性と知り合える場所である事です。さすがに同じ集落で結婚してれば血が濃くなってしまうもんな。だからみんな華やかに着飾っているんだな。納得。もしかして観光客である私もその対象に入っているのかな。でも見ていると、ここの人々はとても素朴なので、異性に話しかけるようなことはまずないようです。黙って品定めしているのかな。ちょっと背筋を伸ばして歩いてみたりして・・・笑。何にしても今日一日楽しく過ごせ、遥々ここまでやって来た甲斐があったと心から思えました。
第1部 北風 ・・・ 南進編  〜 第4週 〜
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