風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ 旅や旅人にまつわるエッセイ ~

§16、インターネット社会と旅

~ インターネットで狭まった世界と旅 ~

現在は情報化社会、いわゆるインターネットの時代です。インターネットにつなげば様々なサイトを閲覧することができ、調べ物をしたり、コミュニケーションをとったりするのにとても便利な世の中になりました。例えば世界遺産と検索すれば、世界遺産のリストが出てきて、どの遺跡が世界遺産に指定されているのかすぐにわかります。そして世界遺産になっているアンコールワットと調べれば、アンコールワットの写真が沢山出てくるし、アンコールワットの歴史や概要がすぐに出てきて、日本にいながらにしてアンコールワットというものを知ることができます。

テレビ番組の場合は放送される日時が決まっていますが、インターネットの場合はいつでも好きなときに調べたり、画像などを見ることができますし、一番欲しい情報、例えば訪れるのに一番いい時期とか、入場料がいくら掛かるとかをピンポイントで知ることができます。

またmixiやTwitter、Facebookなど「人同士のつながり」を電子化するサービス、SNSの登場は更なる社会的な変化をもたらしました。リアルタイムで情報のやり取りができるだけではなく、画像を瞬時に送ることができるので、まさにその場で起こっていることを違う場所にいながらにして共有することができ、アンコールワットでお祭りをやっている時にでも日本にいながらにして現在の状況がわかってしまったりします。

またリアルタイムで動画が送れる世の中になっているので、会社でのテレビ会議や予備校の授業なども離れた場所で行うことができます。そう社会の発展とともに実際に人が移動しなくても済む場合も多くなってきました。家にいながらにして世界旅行ができてしまうといっても過言ではない時代になってしまいました。

これは「移動」を身上とする旅にとっては由々しき事態です。現代では飛行機や超高速鉄道などの移動手段の発展で、驚くほど移動が簡単に行えるようになり、昔と旅のスタイルや価値観が変わったと感じますが、更にインターネットが生み出す新たな情報化社会によって現在進行形で旅の価値観が変化していると感じています。

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ヒマラヤの山々の写真

旅の情景スケッチ20

ヒマラヤの山々

少しトレッキングするだけでも雄大な景色に出会えます。

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~ 日常と同じ確実性が優先される旅 ~

かつて書き手の主観が反映される一枚の挿絵が貴重だった時代、旅人はその挿絵を頼りに胸を膨らませながら旅をしていたことでしょう。そして大袈裟に書かれた挿絵と現実とのギャップにガッカリしたり、憤ったり、こんなものかと満足したりしていたはずです。それが昔の旅でした。

しかし、今では訪れる場所に何があるのか、どんなものが展示されているのかを簡単に調べる事ができます。いや、調べる気がなくてもガイドブックやパンフレットなどに写真が載っているので旅に出る前から訪れる先にどういったものがあるのか、どういう謂れがあるのかを分かった上で訪れる事が大半です。それだけでは心配な人は更にインターネットで徹底的に検索して迷子にならないように、見落としがないように、人によっては何があるかわからないことに不安を感じて調べてしまいます。

そしてそういった事に何も疑問を感じていなかったりします。でもそれって・・・本当に心から楽しめる事でしょうか。単にガイドブックに載っている事を確かめに行っているだけではないのでしょうか。日常と同じ行動をしているだけではないのでしょうか。近頃旅をしていてふと疑問に感じることがあります。

また現在は携帯電話の高機能化、情報端末化が進んだ結果、手軽にインターネットに接続できる情報端末を手にして移動するのが当たり前の時代です。車にはカーナビ、人間には端末があるので目的地を訪れるときに迷子になることがありません。迷ったり、わからないことがあれば調べればいいのですから。仕事で訪問するのでしたらこんなに便利なことはないでしょうが、旅の場合、迷子になることの楽しみ。迷子になることで起こる不確実性への遭遇が減ってしまいました。

例えば電車に間に合わなかったとか、地元の人の親切に助けられたとか、本来見るはずのなかったものを見ることができたり、できなかったったり、そういった不確実性を楽しむのが旅であり、人生なんじゃないかなと思うときがあります。迷子になったときに自分の力で何とかする機転、誰かに聞く勇気、そういった事がどんどんと社会から失われているような気がします。迷子になった時に端末で調べるのはいいのですが、調べる事のが当たり前になりすぎて、自分の人生で迷子にだけはならないで欲しいと思ってしまいます。

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リスボンのコメルシオ広場の写真

旅の情景スケッチ21

リスボンのコメルシオ広場

大航海時代に思いを馳せることができるかも。

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~ 未知への探究心 ~

私は以前情報の少ない場所、日本人が全く来ない地域を手探りで旅した事があります。その時に地元の人に尋ねたりして訪問場所を決めていたのですが、紹介してもらった場所を訪れた時の感動というか、その体験は今も深く心に残っています。まるで宝の地図で宝を見つけた感覚でしょうか。

これは苦労したという体験によって美化されているというのもありますが、そこで暮らしている人のお勧めの場所というのは、そこで暮らしている人の価値観に基づいているので、なんかちょっとこれは外国人に勧めるべきじゃないぞ・・・といったこともありましたが、やはり色々と思うところが多くなるのも事実です。

また東南アジアを旅していて当時はシンガポールのマーライオンが世界三大がっかり(旅人の間での噂で正式なものではありません)の一つだと何度も出会う旅人から耳にし、そういった思いを一杯秘めてマーライオンと対峙した時のがっかり度ときたら・・・、というのは嘘で、むしろがっかりせずにやっと三大がっかりのマーライオンに会えたという感動で一杯でした。

もしその時に三大がっかりということを聞いていなかったらこんなに印象に残る旅路ではなかったはずですし、ましてインターネットで検索していたら訪れていなかったかもしれません。前章と少し被りますが、百聞は一見に如かずといいます。ガイドブックやインターネットの写真を見て(一見して)訪れたのと、人に噂を多く聞いて(百聞して)訪れたのとでは随分と感想が違ったのだろうと思える出来事でした。旅においては「百聞は一見(実際に見た時)の価値を高める」というのが真理かもしれません。

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クレムリン宮殿の写真

旅の情景スケッチ22

クレムリン宮殿

とても変わった建物です。

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~ 旅に必要なのはワクワクする冒険心 ~

私の懐古主義的な自慢話はさておき、もっと簡単な例で考えてみてください。例えば旅に出て、現地の旅館や食堂の人に「今日は変わったお祭りがやっているから行ってみたら」、或いは「この先にあまり知られていないけどきれいな滝があるから行ってごらん。」などと言われて、そこに何があるのか、そこで何が行われるのかよく分からないまま訪れ、実際はそこまで大したことではないのに感動したり、充実感を味わった事はありませんか。

そういった場合、これから行く先の道筋が分からないから冒険心みたいなものが目覚め、また何があるのか、どういう行事が行われるか分からないからワクワクしてしまうものなのです。もしそこでインターネットで調べてしまったら、小さな滝だからやめよう。小さな祭りだから面倒だとなったかもしれません。

しかしながら調べないことで小さな滝でも行くまでのワクワク感が生じ、訪れた時の印象が違うものとなったはずです。こういった情報が一人ならず複数の人からもたらされたものだったらどうでしょう。途中ですれ違った人にもこの先の滝は雰囲気がいいよ。などと言われたら、更に期待感に胸が膨らむのではないのでしょうか。

写真のない江戸時代でも旅は頻繁に行われていました。江戸名所会や安藤広重東海道などといった絵や浮世絵はありましたが、ほとんどの人はあれこれ噂を聞いて旅をしていた事でしょう。徒歩なので長い旅の道中にあれこれと想像し、休憩場所では他の旅人に話を聞き、また更に想像してといった感じだったはずです。そして訪れた時の感動は・・・となったはずです。

昔の人は徒歩での旅が当たり前ですから、今の旅とは違って恐ろしく根性と体力が要ります。その原動力となっていたのは人間本来持ち合わせている古典的な想像力や好奇心だったのではないでしょうか。更に古くは世界七不思議というのがその典型的な象徴かもしれません。そういった想像力や好奇心が現在の旅に欠けてしまっているのではと感じます。その原因がインターネットを中心とした情報化社会にあり、またその情報化社会に慣れてしまった人々の情報に対する考え方の変化にあるのではないかと思えます。

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ラール・キラー(赤い城)の写真

旅の情景スケッチ23

デリーのラール・キラー(赤い城)

独特な風格がある城です。

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~ 画像が氾濫する世の中 ~

とは言うものの、時間に余裕がなく、スケジュール通りに動く現代人はせっかくの休日なんだからちゃんと調べて時間の無駄のないように・・・となってしまうので、なかなか難しい事です。知ることが旅において良い事なのか。昔の自分だったら旅の予習もしないで旅に出るなんてもったいない。予めどんな遺跡があってどんな歴史があるかを調べておかないと行っても面白くないじゃないか。と思っていましたし、その国の言葉や文化などをよく知っておかないと旅が楽しくないしトラブルにも巻き込まれないと思っていました。

ただ最近は知りすぎることは旅によくないのでは・・・。と思うようになってきました。というより安易に知りすぎるのがよくないというべきでしょか。昔は調べるのにも図書館へ行って・・・といった苦労して調べて、行きたいところへの想像を膨らませ、胸をときめかせていました。しかしながら今は手軽に調べられてしまうので、あっこんなところ。ふ~んといった感じで、瞬時に多くのことを知ることができ、その時点で満足してしまうことが多々あります。

特に写真を沢山見せられてしまうと、よほど興味を持った場所でない限りあまり行く意欲が湧いてきません。そして思ったのが、なんか情報に踊らされて、情報で知ったことを確かめに旅をしているのでは・・・。旅からワクワク観が薄くなっているような・・・といったことです。

そういった原因はインターネットにあると思います。手軽に調べられるのはいいことですが、手軽ゆえに重みがないのです。多くのことを知りえるので一つのことに関心が低いともいえるし、本気ではなく習慣的に調べているだけなのかもしれません。そして知ってしまったことで知識の欲求が完結してしまいます。そう、旅に出る前に欲求や好奇心が完結してしまうケースが多いのです。

更にはあふれている画像や動画の多さです。現在の情報化社会の特徴は、写真のデジタル化や通信技術の向上で写真(画像)が当り前のように溢れています。ソーシャルメディアなどではつぶやきの文章だけではなく、画像で表現のやりとりが行われているような時代になっているのです。写真は正確な情報です。画像の与える情報の多さは文字情報の比ではありません。

その為、写真を見ることで実際に訪れた人と知識の共有が簡単にできてしまうのです。もちろん100%の臨場感を共有できるわけではありませんが、場合によってはリアルタイムでおよそのアウトラインは共有できてしまう場合もあります。恐ろしく便利な世の中になったと言わざるをえません。

今どこで何が行っているのか。何が起きているのか。その気になればすぐにわかります。とりわけ災害時や電車が止まっているといった情報などはすぐに広まり、役に立ちます。普段の生活、日常においてはとても有用なツールとなりますが、旅においてはその限りではありません。

いや便利なのは旅でも変わらないのですが、この便利さが旅の冒険心を減らし、多くの情報や多くの画像を見ることで想像力や好奇心を失わせてしまっているのです。そう画像を多く見たことで知った気分になってしまう。それはあらすじを知ってしまった映画、結果を知っているサッカーの試合を見るような気分に近いものではないでしょうか。

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メキシコのイエルベ・エル・アグアの写真

旅の情景スケッチ24

メキシコのイエルベ・エル・アグア

石灰岩でできた変わった風景です。

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~ インターネットの弊害と功 ~

最後に近年旅に出る若者が減少したという話を聞きます。単に時代の流れというか、趣向の変化と言えばそれまでですが、車やバイクに乗る若者が少なくなったという話も聞くので、冒険心というか、そういったものが今の若者にはあまりないのかなといった印象を受けます。

そういった消極的な姿勢と同時にわざわざ行かなくても調べられるし、誰かが画像をアップしてくれるんじゃない・・・といった情報化社会の弊害も合わさっているのかなという気もします。情報端末で瞬時に情報を共有でき、インターネットにつなげは世界中の画像を見ることができる情報化社会ではあたかも世界との距離が縮まった気がします。

でも実際にはその距離は縮まっていないのです。知った気になっていたり、気持ちで縮まったと錯覚しているだけで、それは実際に足が遠のいていること、行動力の欠如を生み出しているように思えることがあります。

ガイドブックに載っていることやインターネットなどで知り得た情報を確かめに行くのもひとつの旅です。映画やアニメなどの舞台となった場所を検索して、そこを巡る聖地巡礼などといったことも流行っていると聞きます。そういったことも楽しいと思います。ローカル線を乗り継ぐ旅などもいいですし、離島を巡る旅にも憧れます。インターネットを検索すると様々な個性的な旅があるんだなと感じます。

でもそういった情報はあくまでもその人が行ったものであって、それを真似て行動しても模倣に過ぎません。旅とは本来自分自身の独創的な好奇心を満たす機会です。何があるか分からないから旅は面白いのです。何もないかもしれません。いや何かを発見するのが楽しいのが旅かもしれません。情報誌に載っているレストランやラーメン屋ばかり訪れるのもいいかもしれませんが、自分でそういった店を発見するのも面白いものです。それは人生も一緒です。

安易な答えをインターネットの中から検索して探すのではなく、自分で歩いて見つけること。インターネットの世界にある情報はみな他人の考えたことだったり、他人が行動した話です。今の若者に一番必要なことは自分の行動を他人の行動の中から検索して単に模倣するのではなく、他人の行動から学び、吸収するだけの価値観を自分の中に持って、インターネットで検索しても出てこないような道を進んで歩む事なのではないでしょうか。

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<旅や旅人にまつわるエッセイ §16、インターネット社会と旅 2015年9月初稿 - 2015年12月改訂>