風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
異文化のエッセイ

触らぬ神に祟りなし・・・?旅での宗教

自分と違った宗教を信仰している国や地域を旅をすることはエキゾチックに感じます。とても魅力的である反面、対応に困るのも宗教です。

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1、国ごとに困る問題

次々と国境を越えて世界を渡り歩く旅人にとって国が変わるごとに悩む問題は、言葉だったり、文化だったり、食事や生活習慣、そして宗教、政治情勢、現実的な問題としてお金(両替)などがあります。問題の重要度はそれぞれの関心や性格によって違うでしょうが、その中でも誰もが気を遣うのが宗教です。

言葉や食事、習慣や文化が違ったりとするのは、こちらが合わないものは避けたり、できないものは違うもので代用したりとなんとか対応できてしまうものです。それにもし失敗しても「外国人か、しょうがないな」といった感じで笑われたり、道行く人などが親切に教えてくれたりするのですが、宗教の場合はそれぞれタブーというものがあり、もし下手な対応をすると冗談や知らなかったでは済まない場合があるからです。

もちろん政治問題も同じように厄介には違いありませんが、国が内戦状態だったり、自分の国と訪れた国とが険悪な状態でない限り、普通に旅している観光客に政治問題が降りかかってくることはまずありません。そもそもそういった国へわざわざ観光へ行く人はほとんどいないだろうし、いてもそれなりの覚悟や知識を持っていたりするので、やはり日常生活に密接に関わりのある宗教が一番厄介に感じます。

といった訳で、普通の旅行者が旅で少し気をつけた方がいい宗教について簡単に書いてみました。

旅の情景スケッチ 聖墳墓教会のキリストの墓の写真 旅の情景スケッチ
聖墳墓教会のキリストの墓

エルサレムにあるキリスト教の聖地です。

2、日本人の宗教観

さて、「あなたの宗教は?」と聞かれたらなんと答えますか。日本人にこの質問をすると多くの人が「仏教」と答え、次に「神道」とか「特にない」と答える人が多く、その他、「キリスト教」とか、それぞれ信仰している宗教を答える人もいるかと思います。日本人の信仰している宗教の割合を見ると、データによってまちまちではっきりとしたことは分かりませんが、だいたい「仏教」「神道」「無宗教」が大きな割合を占めています。

無宗教はともかく、仏教と神道の割合が多いのは、日本は歴史的に他の国とは違った独特の宗教観を持っていて、神と仏がお互い調和する存在であり、古来から神仏習合といったスタイルが定着しているから仏教徒であり、神道も信仰しているといった人が多いのです。初詣はどちらでも行えますが、収穫を感謝する秋祭りや結婚式を神社で行い、葬式などの法事や仏教行事はお寺で行うといった具合にお寺の檀家であり、神社の氏子でもありというのが伝統的な日本人の宗教スタイルです。

「八百万の神」という言葉があるように多くの神様がいるのも日本の特徴です。自然界の木や岩、そして鍋や筆などの生活用具にまで神様が宿っているといった考え方をしているのは日本ぐらいなものです。近年では結婚式は教会で行ったり、キリスト教の神様の生誕を祝うクリスマスも年中行事として定着し、もはや神様とか宗教と言うよりも文化と表現した方がふさわしいのではと思えてしまいます。

「いいとこどり」なんて言葉をよく聞くように、なんでもいい部分を取り入れていくことは日本人の良さであり、他の宗教をうまく取り入れて生活を豊かにしていることは、ある意味本来の宗教の存在意義にかなっているような気もします。ただ、真剣に信仰している人から見たら感覚的に、また都合よく多くの神を使い分けている日本人は中途半端とか、とてもいい加減な存在に見える場合もあります。

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嘆きの壁

エルサレムにあるユダヤ教の聖地です。

独特な宗教観を持っている日本人にとって宗教は感覚的な問題であり、曖昧にしておきたい部分であり、きっちりとこうだといった説明を求められたり、説明するのを嫌います。

例えば海外のビザを取得するときの記入用紙や入国審査に必要な入国カードなど宗教の欄がありますが、どうでもいい項目だと感じる人が大部分かと思います。特定の宗教を持つ人は自分の宗教を書けばいいし、特に決まった宗教がなければ「ない(NO)」と書けばいいんじゃない。厄介ごとは嫌だし、特定の宗教にこだわりがあるわけではないし、NOって書いておけば問題ない。と思うはずです。

でもこれはあまりいい対応とは言えません。これらは基本的には「仏教(budizm)、仏教徒(budist)」と書けば問題ありませんし、入国審査などでそれ以上聞かれることはありません。逆に「no」と書くと、まれに宗教に敏感な地域では神を信じない人などいないという考え方から色々聞かれることがあります。

とはいえ、それはちょっと昔の話、これだけ日本人が海外に出ている現在では、日本人に対して宗教のあれこれを聞いてくる入国審査官やビザの担当者はまずいません。それに世界的に宗教、宗教観に対しての自由な認識が広まり、無信教も広く認知されているので、観光客に対して宗教をあれこれ聞くというのは、本当に観光なのか怪しい場合とか、特定の国だけというのが現状です。

でもこういった宗教の欄が記入用紙にあるということは、それなりに宗教に対して敬意を持っている国柄となるので、その欄を空欄にしたり、ぶっきらぼうに「no」と書くのではなく、エチケットとして「仏教」なり、「ありません(NONE)」と丁寧に記入しておいた方がいいかと思います。ちなみに「神道(shinto)」はあまり知名度がないので、書くなら仏教の方がいいかと思います。

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ウマイヤドモスク

シリアのダマスカスにある最古のイスラム教のモスクです。

3、宗教は生活の一部という感覚

ビザや入国審査のようなお役所的な事は形式的に済ませばいいのですが、実際に旅をしていると形式的では済ませにくいことも多々あります。年中観光客の相手をしている宿の人やレストランの人などは外国人の宗教観や文化の違いなどを見続けているから宗教の話題になる事はありませんが、散策中に知り合った人やバスで隣り合わせた人などと会話をする際に、「君の宗教は?」と普通に聞かれることがあります。

こういった会話になるのは宗教に熱心な国だったり、イスラム圏などで多く、例えばイスラム教徒に仏教徒などといったら白い目で見られるのでは。場合によっては不浄な異教徒だと殴られたり、「こいつ仏教徒だ」とバスから降ろされたり、周辺の人たちに囲まれてアラーにお祈りしろと無理矢理改宗させられたりするのでは・・・などと変に気を回して、ここは波風を立てないように、或いは特に宗教はないから「no」って答えておけば問題ないのではと考えてしまうのがよくある日本人の対応かと思います。

でも先に書いたように宗教にこだわりがある人たちにとって神は絶対の存在です。神を信じていない方の事が恐れ多いと感じている人もいるのです。なので逆に「おまえは神をも信じない不届きものなのか!」と怒り出す人は・・・滅多にいないとは思いますが、明らかに怪訝な顔をされることがあります。

旅の情景スケッチ ガンジス川の沐浴の写真 旅の情景スケッチ
ガンジス川の沐浴

ヴァナラシにあるヒンドゥー教の聖地の一つです。

よく宗教の違いからテロや紛争が起きているイメージがありますが、一般の人は隣り合わせたり、たまたま知り合った観光客が他の宗教でも軽蔑する事はないし、その宗教を尊重してくれます。だから「仏教徒だよ。」と言うと、「ほぉ、そうなのか。」「日本ではみんな仏教徒なのか?」などと話が続き、「仏教はどんな宗教なんだ。」「仏教とはどうやって神に祈るんだ?」などとうれしそうに聞いてくる場合が多いです。そして気がつけば人だかりができていることもありました。

要は生活に宗教が密着しているので話題が宗教になりやすいだけなのです。それにあまり他の宗教を知らないので、興味があるからそういった質問をしてくるのです。現在では微妙な例えですが、昭和のプロ野球全盛の時代には日常会話で当り前のようにどこのファンですかと尋ね、同じチームのファンならより盛り上がり、違うチームでもお宅のところのピッチャーの誰それは・・・ってな感じで会話が続いていきました。お得意先が阪神ファンだと分かると巨人ファンというのを伏せていた人もいたかもしれません。これはちょっと軽い例えですが、そういった会話と同じ感じなのです。

だから相手チームのことを侮辱しなければ野球の会話で盛り上がっていくのと同じで、相手の宗教を侮辱するようなことを言わなければ何も問題はないのです。日常的な宗教の会話というのはこういったものなので、あまり気構えず対応する方が円滑に事が運びます。ただ仏教のことを聞かれてあまりにも答えられないと、それはそれで気まずい事になるかもしれません。

旅の情景スケッチ ブッダ生誕の地ルンビニの写真 旅の情景スケッチ
ブッダ生誕の地ルンビニ

ネパールにある仏教の聖地の一つです。

4、宗教のタブー

このように自然体で対応すれば旅での宗教はそんなに厄介な問題ではなく、むしろ地元の人とのコミュニケーションをとる潤滑剤となりえる便利なものです。なら宗教は別に厄介でも何でもないではないかという事になってしまうのですが、怖いのが無意識のうちに侮辱してしまうことです。それが宗教上のタブーです。

飲酒の禁止や特定の食べ物の禁止、宗教施設での禁止事項、ラマダン(断食)など色々ありますが、飲酒でも同じ宗教でも宗派によって良かったり、国の文化と融合して国ごとに違ったりと様々です。また文化的なタブー、例えば左手は不浄なので左手で握手をしない国などもあります。そういった事はしっかりと事前に予備知識として調べておく事が旅を楽しく行うための秘訣であり、自分の身を守る事にもなります。

もし知らなかったとしても現地でしっかりと周りの空気を読んで行動する事も大事です。例えば、ラマダン(断食)に重なったらイベントや異国文化体験と思って周りに合わせて断食してみるのも旅のいい想い出になる事でしょうし、禁酒の国では地元の人に合わせて酒を飲まないようにしてみるのもいいかもしれません。そうすれば少しはその風土で暮らす地元の人の目線に近づけるかもしれません。

そのほか、小さなことでは宗教上の理由で豚や牛が食べられない国などもあります。こういった不便とまではいかないけどちょっとした制限のある旅は、普通に旅をするよりも後で振り返ったときに思い出深くいものとなっているでしょう。

旅の情景スケッチ 香港の黄大仙祠の写真 旅の情景スケッチ
香港の黄大仙祠

香港で有名な道教寺院です。初詣で混雑していました。

5、現実にはややこしい一神教問題も

一般的には宗教は相手を尊重して会話をし、絶対やってはいけないタブーを守っていれば特に問題にならないと言えますが、やはり世界で宗教問題で紛争が起きているように厄介な一面もあります。それは一神教の真理です。基本的に多神教である日本人にキリスト教やイスラム教などの一神教の考え方を理解するのは難しいです。

日本的な感覚からすると、例えばトルコを旅行していたらイスラム教の神様にお賽銭を入れて旅の無事の祈願をして、隣のギリシャに入ったらオリンポスの神にお願いして、イタリアに行ったらキリスト様にもお願いするというのは特に不思議な話ではないのですが、一神教の人にはこういう感覚はありません。自分の信じる神様以外の神は存在しないのです。だから同じ宗教でなければ結婚できなかったりといったことになるのです。

実際に一神教の人と話すと、ほとんどの人はそれぞれの神様の存在を認めてくれますが、ごくまれに、いわゆる原理主義者的な考えをしている人もいて全く議論を受け付けてくれません。なかなか言葉で説明するのは難しいのですが、母親で例えると少しは分かってもらえるでしょうか。

ある人に「これは私の母親です。」と自分の母親を紹介するとします。その人は、「それは母親ではない。母親はこの世の中に私の母親一人だけだ。」といいます。「紹介した方は「いや、それはあなたの母親で、これは私の母親。それぞれ母親がいるんだよ。」といいます。でも、「母親と呼べる存在は私の母親しかいない。それ以外は母親ではない。」といった感じで議論は堂々巡りとなり、話がかみ合いません。

ここまで極端な人は観光客が接することはまずありませんし、そういう話になったとしても周囲の人が必ず止めてくれます。でも政治と宗教の話になると異常に熱くなる人がいるのも事実です。そういった感じの議論になった場合には身の安全のためにも絶対に張り合わない方が賢明です。言葉も知識もあいまいな状態で議論してもケガをするだけです。それだけは心にとどめて欲しいです。

旅の情景スケッチ 明治神宮の祭礼時の写真 旅の情景スケッチ
神道

明治神宮の祭礼時です。日本人として落ち着く風景ではないでしょうか。

6、旅の宗教も楽しんでみよう

最後に、世の中には色んな宗教があります。それは人々の生活に根付き、そして生活と融合し、様々な文化を産み出しています。宗教といえばうさん臭いとか、危ないとか、洗脳されるとか身構えてしまう人もいますが、日本での暮らしの中の宗教のように文化だと思って接すればいいのではないでしょうか。

もし無宗教的な考え方や他の宗教に対して寛大な考えを持っているのなら、旅をしている期間だけでもその国の宗教を自分の中に取り入れてみるのもいい経験になります。全てのものに魂が宿り、八百万の神がいる日本。そして様々な宗教に対して寛容で、自分たちの生活に取り入れてしまう日本人と日本文化。いまさら一つ二つ神様が増えてもかまわないのではないでしょうか。

日本を旅行しているときに有名な神社にお参りする感覚で教会やモスクを訪れ、旅の安全を地元の人の祈り方でしてみてはどうでしょう。そうすればその土地の人々がなぜこういった習慣を持っているのか、日本と違うのかを肌で感じることもでき、また旅に面白味も増え、一石二鳥となるかもしれません。最近では有名な神社に行くと、外国人観光客が見よう見真似でお願い事をしています。しかもとても楽しそうに。そういった感覚でいいのです。

旅は人とのふれあいが大事です。人とふれあうにはその人やその土地の習慣を尊重しなければいい関係は結べません。地元の目線で旅することで色々と見えてくるものは多いものです。宗教も人が作り出した習慣や文化です。宗教を感じることで、何か見えてくるものがあるかもしれません。だから、宗教は胡散臭いとか、危ないものだとかいった理由だけで避けるのはもったいない事だと思います。人と人を結びつける潤滑剤の役割も担っているのです。

それに他の宗教に接することで、より日本の宗教、文化に関心を持つきっかけになるかもしれません。私自身、旅をしているときにはそこまで宗教に関してこだわりがなかったのですが、日本に戻ってから日本の文化にも興味がわくようになり、地元の秋祭りなどに参加するようになりました。そして改めて日本の宗教観の良さを感じていたりします。

異文化のエッセイ
触らぬ神に祟りなし・・・?旅での宗教
風の旅人 (2020年3月改訂)

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