風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ カメラと写真についてのエッセイ ~

§3、旅のいい写真と迷惑な写真

写真を趣味にして旅をしていると、旅先で知り合った旅人などから「いい写真ってどうやって撮ったらいいですか?」などと質問される事があります。好きでやっている趣味を他人にレクチャーするというのは少々気持ちのいい事ではありますが、正直言ってこの手の質問は苦手というか、あまり歓迎できなかったりします。

なぜなら、「いい写真」って・・・、教則本的な良い写真ということだろうか。テクニックを駆使した技術的に素晴らしい写真のことだろうか。絵葉書のようなきれいな写真なのだろうか。それともいわゆる考えさせられるような芸術的な写真の事だろうか。単純に後で写真を見たときに思い出が鮮明によみがえるような写真の事でいいのかな・・・。といった感じで、「いい写真」というのもよく考えると色々なバリエーションがあります。だから「いい写真」の撮り方なんていう質問は漠然とし過ぎていて、一言で簡潔に答えられるものではありません。

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それに私が「いい写真」と思ったものが世間一般的に「いい写真」とは限らないし、仮に「いい写真」とされていたとしてもその人にとっての「いい写真」であるとは限りません。会ったばかりの人に自分自身の世界観を駆使して「いい写真」のなんたるやを説明するのはおこがましい感じがするし、当たり障りなく説明するのもそれはそれで話が長くなりそうだし、どう説明していいのか困ってしまうといった訳です。

更にこういった類の質問をするのは初心者の人や話ついで的な人が多いので、こっちが熱を入れて詳しく話しても話半分といった感じで、途中で飽きられたり、理解してもらえないことが多かったりします。そもそもちょっと話を聞いて「いい写真」を撮ろうというのは少々虫のいい話です。

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例えば女性の方でめったに料理をしたことのない男性の人に料理を上達する方法を尋ねられたらどう答えますか。返答に困って、計量をきちんとするとか、いい器具を使うとか、灰汁をまめに取るといったようなありきたりに答えるはずです。もし普段から料理をしていて、もっと上達させたいと思っている人なら、こんな質問はしてこないはずです。

写真でも同じ事で、いい写真を撮りたければいい写真を撮る努力をすればいいだけのことです。「いい写真」を撮る努力をしていれば自ずと問題点や疑問点が見つかり、質問自体がもっと具体的になるはずです。とまあ、この手の質問にはあまり手軽に聞いてくれるなといった批判的な思いが強いのかもしれません。そういった訳で私的にはあまりいい印象のない「いい写真」の話ですが、何度もこういった質問をされたり、このことについてあれこれと人と話したり、他の人に指摘されたりして色々思うこともあるので、「旅のいい写真」というのをテーマにしてみました。

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ベトナムのお椀船の写真
ベトナムのお椀船の写真

どっちが好み?Part1 ベトナムのお椀船

(*幾つかの写真に写っているのは見苦しいですが、若かりし頃の私や友人です。
旅行に行って来たと写真を見せに来た自分の友人に置き換えて考えてみてください)

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まず世間一般にいう「いい写真」というのはどういった写真の事なのでしょう。旅に限らず普通に写真のことを考えると、プロの写真家、いわゆる専門家が撮った写真が「いい写真」になります。旅でいうなら、写真で見る世界遺産・・・、○○紀行などといった類の写真集を見ると、その写真の良さに現地に行ってみたいとか、旅に出たいなといった衝動に駆られることがあります。

このように見る人の心を動かすような写真はいい写真といえます。旅以外でも証明写真にしても、商品サンプルにしても、ヌード、グラビアにしても、スポーツ写真にしてもプロが撮る写真というのはその用途に応じて被写体の魅力を十二分に伝え、見る人の心を動かしているものです。

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では、プロが撮るような写真が旅での「いい写真」であって、そういった写真をお手本にして撮影を行えば「いい写真」を撮れるようになるのでしょうか。残念ながら旅においては必ずしもプロが撮った写真が「いい写真」だったり、「優れた写真」とは限りません。

それは、まず素人がプロが撮るような写真を撮ろうと思っても、それなりの機材を揃えなければならない場合が多いからです。それをクリアしたとしても技術的にすぐ撮れるものではありません。何よりこだわった写真というのは色々と手間や時間がかかるもので、「いい写真」を撮るために重い機材を背負って移動したり、更には良い光を捕まえるために朝早くから出かけたり、お祭りなどでいいポジションを取るために何時間も前から陣取っていたら、せっかくの旅を楽しむどころではなくなってしまいます。

ただでさえ時間が限られているのが旅であって、こういった手間のかかる事を行っていては旅をしているのか、いい写真を撮るために旅をしているのかわからなくなってしまいます。

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もちろん写真が趣味で気ままな旅をしているなら問題ないのでしょうが、同行者がいる場合などは「いい写真」が撮れたとしても、時間を無駄に費やされた同行者からしてみれば恨めしい写真になりかねません。といったわけで、プロが撮るような「いい写真」であるに越したことはないのでしょうが、それは旅を犠牲にしてしまう場合があり、本当の意味で「旅のいい写真」となり得るかは疑問なのです。

そもそも普通の人が撮る旅の写真は多くの人に見せるために撮っているものではありません。気軽に撮って、たまたま構図や天候、シャッターチャンスなどに恵まれて「いい写真」が撮れればそれでいいし、そうでなかったとしても自分、あるいは同行者が満足すればそれはそれで「いい写真」だったりします。だから必ずしもプロが撮るような写真を真似すれば「旅のいい写真」が撮れるわけではないのです。

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ベトナムの荷物運びの写真
ベトナムの荷物運びの写真

どっちが好み?Part2 ベトナムの荷物運び

簡単そうに見えてなかなか難しかったりします。そういった体験談でも話が盛り上がります。

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それに必ずしもプロが撮るような芸術的な写真がいいというわけでもありません。例えば日本を代表するようなガイドブックである地球の歩き方。このガイドブックは一般的なわかりやすい写真がたくさん載っているのが特徴で、写真を見ることでどういった遺跡がそこにあるのかが簡単にイメージできるようになっています。

一方、世界的なガイドブックロンリープラネットは文字ばかりのガイドブックですが、所々に芸術性の高い写真が載っています。もちろん遺跡に何があるかはわかりませんが、写真の良さから想像力を働かせて行きたくなる場合もあります。同じ旅のガイドブックに使われている写真ですが、その性格は両極端です。

もちろんどちらがいいと感じるかは人それぞれでしょう。写真に芸術性を求めず、確かさや分かりやすさを求めるならプロが撮った写真1枚よりも素人が撮った写真100枚の方がいいだろうし、写真に芸術性を求めるなら素人の撮った写真100枚よりもプロが時間をかけて撮った1枚の写真の方に魅力を感じるはずです。このように見る人が写真に求める事、そして写真の使われ方によっても「旅のいい写真」というのは変わってしまうものです。

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また写っている内容によっても素人写真がプロの写真を凌駕する場合があります。例えばテレビの旅番組で芸能人がおいしそうに現地の名産を食べているのを見て、それを無性に食べたくなる事がありませんか。その似たような場面で、とある家族が旅の途中で立ち寄った食堂にて子供がおいしそうに現地の名産を食べている様子を何気なく撮り、その写真をブログに載せたとします。

これはごくありふれた旅のスナップ写真ですが、子供がおいしそうに食べている顔とその食べている名産品の二つが旅に出たいといった本能を刺激し、その家族の思い出だけではなく、赤の他人が見ても強烈に惹きつける「旅のいい写真」となる場合があります。

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こういう写真は芸術性も技術性もありませんが、それがかえって飾り気がなくていいというか、自分の家族とダブって見えたり、自然な感じがして余計に魅力的になる場合があります。そもそも普通の人が他人の写真に求めるのは芸術性よりも写っている内容のほうが重要であることが多かったりするものです。ちょうど男性が女性のグラビアやヌード写真に理屈抜きで惹かれるのと同じでしょうか。

このように旅の写真に求めるものは人それぞれ違うので、「旅のいい写真」はこうだというのを定義することはできません。旅に出たくなる要素が重要だと感じる人、旅の思い出が何より重要な要素だと感じる人、その他情報的要素、芸術的要素、自己満足的要素、証拠写真的要素などなど色々と求めるものが違います。それに誰に見せるのかにもよっても異なってきます。

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だから「旅のいい写真」は人それぞれ。もちろんプロが撮ったようなしっかりとした技術に基づいた写真の方が望ましいことが多いのですが、必ずしもそのような写真でなくてもいいのです。記憶力や想像力、旅に出たいといった本能などがカバーしてくれるからです。

だから他人に「いい写真」を尋ねても問題の解決にはならなく、まずは自分にとっての「いい写真」、そして自分が写真に求めること、どういった使用用途にするのかを考え、どういった「いい写真」を撮りたいのかをはっきりさせることから始めるほうが大事なのです。

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牛久の大仏様の写真
牛久の大仏様の写真

どっちが好み?Part3 牛久の大仏様

行って来ましたという写真も少し工夫すれば見るほうも面白いです。

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「いい写真」の撮り方を教えてくださいと言われるのと同時に、現像したての写真を持ってきて感想を聞かせてくださいと言われることがあります。実際に写真を持参されると、面倒でも断りにくいものですが、現物があるので具体的な説明やその人の癖を指摘したりすることができて話しやすかったりします。何よりやる気がある場合が多いので、説明する方としても説明のしがいがあるといった感じでしょうか。

こういった他人の撮った一連の旅写真というのは他人が主人公の物語といった感じなので、なんか視点が窮屈に感じるものですが、その人の思いや愛情が詰まっているんだと感じる写真や下手だけど一生懸命工夫しているなといった写真、単純にきれいでお手本通りの写真、なんか口だけで実際は適当に撮っている写真ばかりだなとか、十人十色の様々な思いが詰まっているので見ていて面白く感じることもあります。

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そして気がつくのは、写真とはその人の価値観や世界観が表れるものだということです。単純な例では町のスナップ写真で、男の人が撮った写真だと女の人が多く写っていたり、女の人が撮った写真だと男の人が多く写っていたりといった感じの特徴があります。だから他の人の写真を見ると、自分の目線と違うので新鮮に感じたり、逆に興味の無い写真ばかりだと退屈に感じたり、自分に足りないものや新しい構図の発見などができたりします。他人の目線で物事を見ることで自分の価値観がよくわかるといった感じでしょうか。

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そういった写真を見ていて、ある時ふと気がついてしまいました。今までは自分の写真に技術的、構図的に少し自信を持っていて、素人とは一味違うんだと勝手に思っていたけど、それは他人にとってみればどうでもいいことではないのか。そんなことよりも写っているもの次第ではないのだろうか。自分で見るだけなら自分の価値観が絶対なので、いい写真に見えるけど、見るのは価値観の違う他人。その見せられる人の立場や価値観も考えなければならないのではないだろうか。

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遺跡の写真
遺跡の写真

どっちが好み?Part4 遺跡の写真

アートっぽく撮るか、全体像を撮るか、両方撮ればいいのですけど・・・。

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「旅のいい写真」を語るのに一番重要なことは何か。それは誰が「いい写真」と判断するかです。自分で撮った写真を自分で見て、「これはなんていい写真なんだろう!!!」と自己満足的に完結しているなら、それは何一つ誰も口を挟む余地のない「いい写真」となりますが、それを人に見せる場合、当然のことながらそれを「いい写真」ではあるかを判断するのは見る人になります。

そして先に挙げたように「いい写真」の定義は人それぞれ。撮った人が「いい写真」と思って見せても、見せた人には「いい写真」と思ってもらえない場合があります。それを見る人のセンスがないからだとか、凡人には芸術は理解できないものだと写真の上級者が写真のイロハを知らない人を小馬鹿にしているような態度を見かけることもありますが、本当にそうなのでしょうか。

それはその人が見る人を思いやる気持ちを持っていないだけなのではないでしょうか。近年写真を撮る人のマナーが取りざたされることが多くなっています。撮るときに思いやりや気配りが必要なのは当然ですが、同じように見せるときの思いやりも持たなければならないのではと写真に携わっていると思うことが時々あります。

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カメラを趣味にしている人、写真の腕に少し覚えのある人などは、とかく芸術的な写真を目指す傾向があります。そしてそういった芸術性を求める写真というのは断片的な構図や特殊な場面になりがちです。だからわかりやすい写真に比べて、それを見て面白いか面白くないかは見る人によって極端に解釈が分かれてしまいます。ましてや素人が撮った芸術っぽい写真となると、主題が中途半端になってしまい何を主張しているのかがわからない事も多々あります。

そういった写真は正直言って撮った人の自己満足でしかなく、見せられる側としては困ってしまいます。悪い事に自分で「いい写真」だと思っている人に限ってよく人に見せたがるものです。自分がいいと感じているものが人にとってもいいとは限らない。この基本的なことを忘れると単に迷惑な写真愛好家になってしまいます。

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獅子舞の演舞の写真
獅子舞の演舞の写真

どっちが好み?Part5 獅子舞の演舞

アップの写真は迫力がありますが、どこで行われたのか、どんな雰囲気で行われたのかわかり辛いです。

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普通に考えるなら、写真そのものに興味のない人にとって、友人がどこそこへ行ってきたといったといった旅の写真を見せてきた場合、もちろん旅先の変わった風景にも興味はあるかと思いますが、友人が見たそのままの風景や旅の思い出の写真を期待してしまうものです。

特にその人の性格をよく知っている場合などは、その人の個性がよく表れているような旅の写真が見たいはずです。その方が見せられる側としても、「海外でも同じ事やってる~」とか、「この一緒に写っているきれいな人誰?」とか、「あ~、海外でも○○を食べてる。やっぱり好きなんだね~」などと話題が振りやすいし、旅の個性が見えて面白いような気がします。

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それがプロが撮ったような写真や絵葉書のような写真だと「あ~きれいだね」「わ~すごいね。行ってみたい」といったぐらいの感想しかでてきませんし、数があると途中から適当に相槌を打っているだけになってしまいます。それでは訪れた国の写真集・・・、極端に言えば絵葉書を買って帰り、それを見せても同じ事なのです。もちろんそういった美しい写真を否定するつもりはありません。旅ではなく趣味としての写真ならそれは「いい写真」になりえるからです。

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例えば桜祭りなどでに出かけてテクニックを駆使してコンクールに入選してもおかしくない桜の花のアップの写真を何枚も撮ったとして、写真に興味のない友人がそれを見て喜ぶでしょうか。同じ花の写真を趣味にしている愛好家は感動するかもしれませんが、普通の人はきれいな写真だね~といった感想しかなく、何枚も見せられてもどれも同じように見えてしまいます。こういった場合、写真自体が芸術性が高い「いい写真」でも見せる相手によっては「迷惑な写真」になってしまう場合がある事を理解しておくべきです。

旅の写真と旅で撮った趣味の写真。写真を趣味にしている人は同じ感覚で扱ってしまいがちですが、この違いをきちんと理解していないと、旅行中の同行者、撮った写真を見てくれる人に疎まれてしまいます。中には頑張ってみんなのためにいい写真を撮っているのに逆の結果になる場合もあったりして、趣味にしている身としては人ごとではないと感じてしまうこともあります。

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観光地の写真
観光地の写真

どっちが好み?Part6 観光地の写真

女性が入ると絵が柔らかい感じになる場合もありますが、中途半端だったら人が入らないようにする工夫は必要です。

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そしてもう一つ大切なことがあります。これは私自身が経験したことでもありますが、それは写真にこだわればこだわるほど「旅のいい写真」から遠ざかっていく場合があるということです。せっかく撮るなら「いい写真」の方がいいに決まっている。旅から帰って写真を見に来てくれる友人も喜ぶぞ。といった感じで旅を重ねるごとに持参するカメラが高級になり、撮る写真の枚数も増え、写真の構図にもこだわるようになり、いわゆるプロが撮るような芸術的な写真や人に魅せるような写真を目指すようになっていきました。

荷物にしてもカメラが占める割合が大きくなり、旅の方も写真に関わる事のウェイトが増えていき、旅をしながらも頭の中は写真のことばかり。そして出来上がった写真はそこそこ絵的には「いい写真」なんだけど、よくよく見ると他人が撮った絵葉書のような味気ない写真に思えてくることがあります。何も考えずに撮っていた方がなんとなく「いい写真」が撮れていたような・・・。

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その答えは写真に関しては初心者の旅人が見せてくれた写真の中にありました。なんか写真が楽しそう・・・。そう、楽しそうに旅をしている人の写真は構図云々など関係なく、見ていて楽しいものです。私のように写真にとりつかれてしまった人が撮った写真よりも見た印象が楽しいのです。

そう考えると、「旅のいい写真」というのは「いい旅」をしていれば自然と撮れるものかもしれません。いや、「いい旅」があってこそ撮れるというべきなのかもしれません。なにせ旅は十人十色であるからこそ魅力的なのです。だからその人の旅の個性がそのまま表れているような写真の方がその人自身の旅の思い出にもなりますし、旅の写真として見せられる方としても魅力的に感じるはずです。

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もちろん「いい旅」と「いい写真」は両立できるものです。プロの写真家などはそれができているからこそ「いい写真」が撮れているのです。そしてその領域に足を踏み入れる程度なら普通の人でもそんなに難しいことではありません。旅の経験を積み、旅の本質を理解し、好奇心あふれる楽しい心と思いやりの心を持って旅をすることを心がけ、基本的なカメラの扱い方と写真の撮影技術を学べばいいのですから。ぜひとも頑張っていい写真を撮っていい思い出を大事にしてください。

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<カメラと写真についてのエッセイ §3、旅のいい写真と迷惑な写真 2011年8月初稿 - 2015年9月改訂>