風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
旅の雑学のエッセイ

旅のいい写真と迷惑な写真

旅のいい写真ってどんな写真なのでしょう。色々と尋ねられた経験から少し考えてみました。

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1、いい写真ってどう撮るの?

フィルム時代は写真というのがあまり一般的なものではありませんでした。季節ごと、行事があるときにぐらいにしか写真を撮ることがなかったので、なかなか技術や経験値が上がらなく、あれ、どう撮るんだったけ。以前はこんな感じで撮ったらいい雰囲気の写真になったような・・・・。といった感じで撮る人がほとんどでした。フィルムなのでその場で確認することもできなかったので、こうやって取ったらこうなるというのが分かりにくかったのもその原因です。

そういった時代に写真にこだわりながら旅をしていると、知り合った旅人などから「いい写真ってどうやって撮ったらいいですか?」などと質問される事がちょくちょくありました。好きでやっている趣味を他人にレクチャーするというのは少々気持ちのいい事ではありますが、正直言ってこの手の質問は苦手というか、あまり歓迎できませんでした。

なぜなら、「いい写真」って・・・、教則本的な良い写真ということだろうか。テクニックを駆使した技術的に素晴らしい写真のことだろうか。絵葉書のようなきれいな写真なのだろうか。それともいわゆる考えさせられるような芸術的な写真の事だろうか。単純に後で写真を見たときに思い出が鮮明によみがえるような写真の事でいいのかな・・・。

といった感じで、「いい写真」というのにも色々なバリエーションがあります。だから「いい写真」の撮り方なんていう質問は漠然とし過ぎていて、一言で簡潔に答えられるものではありません。

原爆ドームの写真
原爆ドーム

平和の象徴に親子が入るとより平和な印象になります。

それに私が「いい写真」と思ったものが世間一般的に「いい写真」とは限らないし、仮に「いい写真」とされていたとしてもその人にとっての「いい写真」であるとは限りません。

会ったばかりの人に自分自身の世界観を駆使して「いい写真」のなんたるやを説明するのはおこがましい感じがするし、当たり障りなく説明するのもそれはそれで話が長くなりそうだし・・・と、どう説明していいのか困ってしまうといった訳です。

更にこういった類の質問をするのは初心者の人や話ついで的な人が多いので、こっちが熱を入れて詳しく話しても話半分といった感じで、途中で飽きられたり、理解してもらえないことが多かったりします。

そもそも・・・ちょっと話を聞いて「いい写真」を撮ろうというのは少々虫のいい話です。例えば女性の方でめったに料理をしたことのない男性の人に料理を上達する方法を尋ねられたらどう答えますか。返答に困って、計量をきちんとするとか、いい器具を使うとか、灰汁をまめに取るといったようなありきたりに答えるはずです。

もし普段から料理をしていて、もっと上達させたいと思っている人なら、こんな漠然とした質問はしてこないはずです。少なくともカレーのおいしい作り方は?具材は何がいい?といった具体的な料理名を出したり、ほうれん草の簡単で美味しい調理法って何かある?といった例を挙げるはずです。

写真でも同じ事で、「いい写真」を撮る努力をしていていれば自ずと問題点や疑問点が見つかり、質問自体がもっと具体的になるはずです。

とまあ、「いい写真を撮りたければいい写真を撮る努力をすればいいんだよ。」といった話になってしまうし、それでは話が面白くなるはずもなく、結局「手軽に聞いてくれるなよ・・・。」となってしまうことが多かったです。

私的にはあまりいい印象のない「いい写真」の話ですが、何度もこういった質問をされたり、色々と人に写真を見せられたり、他の人に指摘されたりして思うことも多々あるので、「旅のいい写真」というのをテーマにしてみました。

宮島の大鳥居の写真
宮島の大鳥居

夕日、潮位といった時間帯で印象が変わります。

2、いい写真ってどんな写真

まず世間一般にいう「いい写真」というのはどういった写真の事なのでしょう。旅に限らず普通に写真のことを考えると、プロの写真家、いわゆる専門家が撮った写真が「いい写真」になります。

旅でいうなら、写真で見る世界遺産・・・、○○紀行などといった類の写真集やカレンダー、絵ハガキがそうで、現地に行ってみたいとか、旅に出たいなといった衝動に駆られるような美しい風景や旅の情緒がつまった写真が掲載されています。

このように見る人の心を動かすような写真はいい写真といえます。旅以外でも証明写真にしても、商品サンプルにしても、ヌード、グラビアにしても、スポーツ写真にしてもプロが撮る写真というのはその用途に応じて被写体の魅力を十二分に伝え、見る人の心を動かしているものです。

遺跡の写真遺跡の写真
遺跡の写真

同じ遺跡の写真ですが、どちらの写真が行ってみたくなりますか。

では、プロが撮るような写真が旅での「いい写真」であって、そういった写真をお手本にして撮影を行えば「いい写真」を撮れるようになるのでしょうか。

残念ながら旅においては必ずしもプロが撮った写真が「いい写真」だったり、「優れた写真」とは限りません。それは、まず素人がプロが撮るような写真を撮ろうと思っても、それなりの機材を揃えなければならない場合が多いからです。

それをクリアしたとしても技術的にすぐ撮れるものではありません。何よりこだわった写真というのは色々と手間や時間がかかるもので、「いい写真」を撮るために重い機材を背負って移動したり、更には良い光を捕まえるために朝早くから出かけたり、お祭りなどでいいポジションを取るために何時間も前から陣取っていたら、せっかくの旅を楽しむどころではなくなってしまいます。

時間が限られているのが旅であって、こういった手間のかかる事を行っていては旅をしているのか、いい写真を撮るために旅をしているのかわからなくなってしまいます。

壬生の花田植の写真
壬生の花田植

ユネスコの世界遺産に指定されていて、多くの人が訪れます。

もちろん写真が趣味で気ままな撮影の旅をしているなら問題ないのでしょうが、同行者がいる場合は仮に「いい写真」が撮れたとしても時間を無駄に費やされた同行者からしてみれば恨めしい写真になりかねません。ましていい写真や納得する写真が撮れなかったらお互い機嫌が悪くなってしまいます。

といったわけで、プロが撮るような「いい写真」であるに越したことはないのでしょうが、それは旅を犠牲にしてしまう場合があり、本当の意味で「旅のいい写真」となり得るかと考えると疑問なのです。

そもそも普通の人が撮る旅の写真は多くの人に見せるために撮っているものではありません。気軽に撮って、たまたま構図や天候、シャッターチャンスなどに恵まれて「いい写真」が撮れればそれでいいし、そうでなかったとしても自分、あるいは同行者が満足すればそれはそれで「いい写真」だったりします。だから必ずしもプロが撮るような写真を真似したものが「旅のいい写真」ではないのです。

獅子舞の演舞の写真獅子舞の演舞の写真
獅子舞演舞の写真

アップの写真は迫力がありますが、
どこで行われたのか、どんな雰囲気で行われたのかわかり辛いです。

それに必ずしもプロが撮るような芸術的な写真が旅においていい写真というわけでもありません。例えば日本を代表するようなガイドブックの地球の歩き方。このガイドブックは一般的なわかりやすい写真がたくさん載っているのが特徴で、写真を見ることでどういった遺跡がそこにあるのかが簡単にイメージできるようになっています。

一方、世界的なガイドブックロンリープラネットは文字ばかりのガイドブックですが、所々にプロの撮った芸術性の高い写真が載っています。もちろん遺跡に何があるかはわかりませんが、写真の良さから想像力を働かせて行きたくなる場合もあります。同じ旅のガイドブックに使われている写真ですが、その性格は両極端です。

もちろんどちらがいいと感じるかは人それぞれでしょう。写真に芸術性を求めず、確かさや分かりやすさを求めるならプロが撮った写真1枚よりも素人が撮った写真100枚の方がいいだろうし、写真に芸術性を求めるなら素人の撮った写真100枚よりもプロが時間をかけて撮った1枚の写真の方に魅力を感じるはずです。このように見る人が写真に求める事、そして写真の使われ方によっても「旅のいい写真」というのは変わってしまうものです。

大久野島のウサギの写真
大久野島のウサギ

自分だったら・・・といった自然な感じの写真もいいです。

また写っている内容によっても素人写真がプロの写真を凌駕する場合があります。例えばテレビの旅番組で芸能人がおいしそうに現地の名産を食べているのを見て、それを無性に食べたくなる事がありませんか。その似たような場面で、とある家族が旅の途中で立ち寄った食堂にて子供がおいしそうに現地の名産を食べている様子を何気なく撮り、その写真をブログに載せたとします。

これはごくありふれた旅のスナップ写真ですが、子供がおいしそうに食べている顔とその食べている名産品の二つが旅に出たいといった本能を刺激し、その家族の思い出だけではなく、赤の他人が見ても強烈に惹きつける「旅のいい写真」となる場合があります。

こういう写真は芸術性も技術性もありませんが、それがかえって飾り気がなくていいというか、自分の家族とダブって見えたり、自然な感じがして余計に魅力的になる場合があります。そもそも普通の人が他人の写真に求めるのは芸術性よりも写っている内容のほうが重要であることが多かったりするものです。ちょうど男性が女性のグラビアやヌード写真に理屈抜きで惹かれるのがいい例です。

黄金山のニャンコの写真
黄金山のニャンコ

近年では猫のいる観光地も人気です。

このように旅の写真に求めるものは人それぞれ違うので、「旅のいい写真」はこうだというのを定義することはできません。旅に出たくなる要素が重要だと感じる人、旅の思い出が何より重要な要素だと感じる人もいれば、情報的要素、芸術的要素、自己満足的要素、証拠写真的要素などなど色々と求めるものが違います。

だから「旅のいい写真」は人それぞれ。それに誰に見せるのかにもよっても異なってきます。もちろんプロが撮ったようなしっかりとした技術に基づいた写真の方が望ましいことが多いのですが、必ずしもそのような写真を目指さなくてもいいのです。

といったわけで、旅に限らず他人に「いい写真」を尋ねても問題の解決にはならなく、まずは自分にとっての「いい写真」、そして自分が写真に求めること、どういった使用用途にするのかを考え、どういった「いい写真」を撮りたいのかをはっきりさせることから始めることが大事です。

3、それぞれの価値観と興味

フィルム時代のいことですが、「いい写真」の撮り方を教えてくださいと言われるのと同時に、現像したての写真を持ってきて感想とかアドバイスを聞かせてくださいと言われることもよくありました。現像したての写真というのはやはり誰かに見せたくなってしまうものです。

実際に写真を持参されると、現物があるので具体的な説明やその人の癖を指摘したりすることができて話しやすかったりします。何よりやる気がある場合が多いので、説明する方としても説明のしがいがあるといった感じでしょうか。

こういった他人の撮った一連の旅写真というのは他人が主人公の物語といった感じなので、見ていて視点が窮屈に感じたりもしますが、その人の思いや愛情が詰まっているんだと感じる写真や下手だけど一生懸命工夫しているなといった写真、単純にきれいでお手本通りの写真、なんか口だけは立派だけど実際は適当に撮っている写真ばかりだな・・・とか、十人十色の様々な思いが詰まっているので見ていて面白く感じることもあります。

路面電車と広島の町の写真
路面電車と広島の町

路面電車が走る町並みには情緒があります。

そして気がつくのは、写真とはその人の価値観や世界観が表れるものだということです。単純な例では町のスナップ写真で、男の人が撮った写真だと女の人が多く写っていたり、女の人が撮った写真だと男の人が多く写っていたりといった感じの特徴があります。

だから他の人の写真を見ると、自分の目線と違うので新鮮に感じたり、逆に興味の無い写真ばかりだと退屈に感じたり、自分に足りないものや新しい構図の発見などができたりします。他人の目線で物事を見ることで自分の価値観がよくわかるといった感じでしょうか。

そういった写真を見ていて、ある時ふと気がついてしまいました。今までは自分の写真に技術的、構図的に少し自信を持っていて、素人とは一味違うんだと勝手に思っていたけど、それは他人にとってみればどうでもいいことではないのか。そんなことよりも写っているもの次第ではないのだろうか。自分で見るだけなら自分の価値観が絶対なので、なんかいい写真っぽく見えるけど、見るのは価値観の違う他人。その見せられる人の立場や価値観というのも考えなければならないのではないだろうか。

路面電車を待つ人々の写真
路面電車を待つ人々

歩いているとさりげない町の瞬間に面白さを感じることも多いです。

「旅のいい写真」を語るのに一番重要なことは何か。それは誰が「いい写真」と判断するかです。自分で撮った写真を自分で見て、「これはなんていい写真なんだろう!!!」と自己満足的に完結しているなら、それは誰も口を挟む余地のない「いい写真」となりますが、それを人に見せる場合、当然のことながらそれを「いい写真」であるかを判断するのは見る人になります。

そして先に挙げたように「いい写真」の定義は人それぞれ。撮った人が「いい写真」と思って見せても、見せた人には「いい写真」と思ってもらえない場合があります。撮った人には思い入れがあったり、撮影するのに苦労した体験が美化されていい写真に思えても、見せられた人にはただの旅の写真でしかありません。まして自分の興味や自分と接点のものが写る旅の写真にはそこまで関心が湧かないものです。

例えば遺跡に興味のない人にエジプトのピラミッドを見てきたと写真を見せても、「あ~これ見たことがある」だけで終わってしまいます。いろんな角度から、或いは周辺に沢山いるラクダなどを加え、エジプトらしい情緒のある写真を撮ったとしても流し見されるだけです。色んな種類のピラミッドを訪れた写真を見せてもやはり全部同じピラミッドにしか感じないものです。雨でも降っていれば珍しいのでしょうが、世界遺産だろうが、世界七不思議だろうが、興味のない対象に対してはそんなものです。

朝の路面電車の写真
朝の路面電車

さりげない日常の情景もいいものです。

普通に考えるなら、写真そのものに興味のない人にとって、友人がどこそこへ行ってきたといったといった旅の写真を見せてきた場合、もちろん旅先の変わった風景にも興味はあるかと思いますが、友人が見たそのままの風景や旅の思い出の写真を期待してしまうものです。

特にその人の性格をよく知っている場合などは、その人の個性がよく表れているような旅の写真が見たいはずです。その方が見せられる側としても、「海外でも同じ事やってる~」とか、「この一緒に写っているきれいな人誰?」とか、「あ~、海外でも○○を食べてる。やっぱり好きなんだね~」などと話題が振りやすいし、旅の個性が見えて面白いような気がします。先のピラミッドの写真もその友人が観光用のラクダに乗ってピラミッドに乗っていれば話が膨らむでしょう。

それがプロが撮ったような写真や絵葉書のような写真だと「あ~きれいだね」「わ~すごいね。行ってみたい」といったぐらいの感想しかでてきませんし、数があると途中から適当に相槌を打っているだけになってしまいます。それでは訪れた国の写真集・・・、極端に言えば絵葉書を買って帰り、それを見せても同じ事なのです。もちろんそういった美しい写真を否定するつもりはありません。旅ではなく趣味としての写真ならそれは「いい写真」になりえるからです。

朝の町を進む路面電車の写真
朝の町を進む

古い車体が朝日を浴びて走る様子は情緒があります。
そろそろ路面電車に興味ない人は路面電車の写真に飽きてきたでしょうか。

また、カメラを趣味にしている人、写真の腕に少し覚えのある人などは、とかく芸術的な写真を目指す傾向があります。そしてそういった芸術性を求める写真というのは断片的な構図や特殊な場面になりがちです。だからわかりやすい写真に比べて、それを見て面白いか面白くないかは見る人によって極端に解釈が分かれてしまいます。まして素人が撮った芸術っぽい写真となると、主題が中途半端になってしまい何を主張しているのかがわからない事も多々あります。

そういった写真は正直言って撮った人の自己満足でしかなく、見せられる側としては困ってしまいます。悪い事に自分で「いい写真」だと思っている人に限ってよく人に見せたがるものです。写真の現像をしているとお客さんで現像の上がった写真を自慢そうに見せてくる人がけっこう多くいます。お客さんなので仮につまらない写真でも、「下手ですね・・・」などとは言えないし、これも仕事のうちといった感じでうまい具合に相槌を打つのですが、色んな価値観、表現の仕方、考え方があるんだなと面白く感じたものです。ただ・・・・、やはり自分の興味のない分野の写真を延々と見せられるとうんざりとした感じになります。

路面電車の運転台の写真
路面電車の運転台

人とは違った視点で撮ってみたり、
臨場感ある写真も旅の思い出になります。

例えばテクニックを駆使してコンクールに入選してもおかしくない桜の花のアップの写真を何枚も撮ったとして、写真に興味のない友人がそれを見て喜ぶでしょうか。

同じ花の写真を趣味にしている愛好家は感動するかもしれませんが、普通の人はきれいな写真だね~といった感想しかなく、何枚も見せられてもどれも同じように見えてしまいます。

こういった場合、写真自体が芸術性が高い「いい写真」でも見せる相手によっては「迷惑な写真」になってしまう場合がある事を理解しておくべきです。自分がいいと感じているものが人にとってもいいとは限らない。自分にとっては楽しかったり、素敵な旅の思い出が詰まった写真であっても、他の人にとっては単なる旅の写真でしかありません。この基本的なことを忘れると単に迷惑な写真愛好家になってしまいます。

近年写真を撮る人のマナーが取りざたされることが多くなっています。撮るときに思いやりや気配りが必要なのは当然ですが、同じように見せるときの思いやりも持たなければならないのではと写真に携わっていると思うことが時々あります。

旅の写真と旅で撮った趣味の写真。写真を趣味にしている人は同じ感覚で扱ってしまいがちですが、この違いをきちんと理解していないと、旅行中の同行者、撮った写真を見てくれる人に疎まれてしまいます。中には頑張ってみんなのためにいい写真を撮っているのに逆の結果になる場合もあったりして、趣味にしている身としては人ごとではないと感じてしまうこともあります。

尾道の坂の写真
尾道の坂

情緒があり、散策が楽しい町です。

4、いい旅あってのいい写真

そしてもう一つ、いや、きっとこれが一番大切なことなのでしょう。私自身も経験したことですが、写真にこだわればこだわるほど「旅のいい写真」から遠ざかっていく場合があるということです。

せっかく撮るなら「いい写真」の方がいいに決まっている。旅から帰って写真を見に来てくれる友人も喜ぶぞ。といった感じで旅を重ねるごとに持参するカメラが高級になり、撮る写真の枚数も増え、写真の構図にもこだわるようになり、いわゆるプロが撮るような芸術的な写真や人に魅せるような写真を目指すようになっていきました。

荷物にしてもカメラが占める割合が大きくなり、旅の方も写真に関わる事柄が増えていき、旅をしながらも頭の中は写真のことばかり。そして出来上がった写真はそこそこ絵的には「いい写真」なんだけど、よくよく見ると他人が撮った絵葉書のような味気ない写真に思えてくることがあります。何も考えずに撮っていた方がなんとなく「いい写真」が撮れていたような・・・。

牛久の大仏様の写真
大仏様と

好奇心や楽しい気持ちがあると写真も自然と楽しい感じになります。

その答えは写真に関しては初心者の旅人が見せてくれた写真の中にありました。なんか写真が楽しそう・・・。そう、楽しそうに旅をしている人の写真は構図云々など関係なく、見ていて楽しいものです。私のように写真にとりつかれてしまった人が撮った写真よりも見た印象が楽しいのです。

そう考えると、「旅のいい写真」というのは「いい旅」をしていれば自然と撮れるものかもしれません。いや、「いい旅」があってこそ撮れるというべきでしょうか。なにせ旅は十人十色であるからこそ魅力的なのです。だからその人の旅の個性がそのまま表れているような写真の方がその人自身の旅の思い出にもなりますし、旅の写真として見せられる方としても魅力的に感じるはずです。

シリアの村で
シリアの村で

土地に溶け込むような旅をすると、
少し違った雰囲気の写真が撮れるようになります。

もちろん「いい旅」と「いい写真」は両立できるものです。プロの写真家などはそれができているからこそ「いい写真」が撮れているのです。そしてその領域に足を踏み入れる程度なら普通の人でもそんなに難しいことではありません。

旅の経験を積み、旅の本質を理解し、好奇心あふれる楽しい心と思いやりの心を持って旅をすることを心がけ、基本的なカメラの扱い方と写真の撮影技術を学べばいいのですから。ぜひとも頑張っていい写真を撮っていい思い出を大事にしてください。

旅の雑学のエッセイ
旅のいい写真と迷惑な写真
風の旅人 (2020年3月改訂)

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