風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ カメラと写真についてのエッセイ ~

§2、旅と写真

旅と写真。旅での写真が必ずしも人生に必要ではありませんが、多くの人が日常の重要な場面と同じように旅での写真にも価値や意義を感じているようで、カメラを旅のお供にしています。そして普段は写真をあまり撮らない人や写真に興味のない人でも、旅に出ると多くの写真を撮る傾向があります。また旅行中は写真を撮る事が楽しく感じたり、一時的にカメラマン気取りになったりする人もいるようです。

旅と写真。一見バラバラな組み合わせにも思えますが、この組み合わせはとても相性が良く、本質を考えてみると意外と共通点が多かったりします。なぜ人は旅で写真を撮るのか。なぜ旅に出ると人は写真を撮りたがるのか。どういう思いで写真を撮っているのか。旅で写真を撮ると何かメリットがあるのか。ここでは旅と写真について少し書いています。

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シナイ山で写真を撮っている写真

シナイ山で写真を撮る私

他の旅行者とカメラを交換して撮りました。

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写真の価値

人はどういった思いでカメラを手にして旅行しているのでしょう。人によっては記憶の保存用だったり、思い出の作成だったり、趣味として撮っていたり、訪れたことの証拠用だったりと、カメラが道具である以上、使う人の価値観次第って事になります。だから同じ場所を旅行した人の写真を見比べても、建物ばかりの人もいれば、食べ物の写真が多い人、普通に家族写真ばかりの人など様々です。

逆に同じツアーで回った人の場合は同じ時間に同じ場所を訪れ、同じ思い出を共有しているのでどれも似たような写真ばかりになってしまいます。一般的に考えるなら旅での思い出を残しておくための写真を撮っている人が多いはずです。それを単純に考えるなら、写真とは記憶の外部装置、例えば外部メモリーのような物だといえます。後で写真を見ることによって脳裏からその場面の記憶が呼び起こされて、鮮明に思い出すといった感じです。旅に限らず日常でもその時々の写真は大切な思い出となりますし、他界した人を忘れないようにする遺影はその典型的なものかもしれません。

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写真の現像の仕事をしていたこともありますが、一枚の写真があったとして、ある人には物という以上の価値があれば、他の人から見たら紙くず同然だったりします。写真を扱っている方としては同じ値段の写真ですが、私たちの手を離れてお客様の手に渡った瞬間からそこに込められた思いや写っている物によって価値が変わってくるから、写真というのは何とも不思議な存在です。まあ個人的なことですが、そういったその既製品感覚でない部分が写真屋の一番のやりがいかなと思っています。

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シリアの下校中の子供たちの写真

シリアの下校中の子供たち

カメラを持っていると人が集まってくることも。

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私自身で言うと、典型的な日本人というか、マメな性格というか、一応写真を趣味にしているので結構な枚数の写真を撮りながら旅行しています。一人旅の時は何も気にすることがないので撮影を中心とした旅行の時もあれば、荷物の制限されるツーリング旅行では必要最低限の機材でほどほどだったりと、気分や目的次第で旅に占める写真の割合を変えています。

考えなければならないのが友人などと一緒に旅をする場合で、写真に没頭しすぎてしまったり、写真ばかりの旅になってしまうと、当然同行者のひんしゅくを買ってしまいます。ということで、楽しく円滑な旅を行うために同行者がいる場合のはなるべく個人的な趣味の写真は控えるように心がけています。とはいうものの、なかなか割り切れないのが写真好きの性というか、図々しいところかもしれません。

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ただ、写真をあまり撮らない人から見るとやはり多くの写真を撮るという行為は少々変わっているように見えるようで、初対面の人や旅先で出会う人などから「写真をそんなに撮って面白いものですか?」などといった感じで聞かれることがあります。私からしてみれば写真を撮らなくて楽しく旅行できるのですか?と逆に聞きたくなってしまうものですが、それはあくまでも価値観、趣味の違いであり、お土産物屋に何軒も入らないと気が済まない人にお土産や名産をそんなに買って楽しいものですかと尋ねるのと同じ事かもしれません。

写真を趣味にして旅している人は多くいるので、その楽しみ方などは人それぞれかと思いますが、私に限って言えば、風景や町中の光景をファインダー越しに切り抜く事が楽しく感じています。写真にその場の空気や思い、臨場感を詰めるといった感じでしょうか。もちろんそういう風景や光景を探しながら歩くといった過程も好きです。いや、もしかしたら何かを探しながら歩くといった事に楽しさを見出しているのかもしれません。だからビデオカメラでひたすら町歩きを撮影しても楽しく感じないし、その場の空気を感じ取ることができないデジタルカメラの液晶を見ながら写真を撮るといったスタイルもあまり好きではありません。

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川で遊ぶ子供たちの写真

川で遊ぶ子供たち

(インドネシア)

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また、写真を撮る楽しさとは別に旅で写真を撮るメリットも幾つか感じています。それはシャッターを押した時に、その風景や物事、人物などを普通に眺めているよりも脳裏に焼き付ける事ができます。それはおそらく構図を選ぶために無意識のうちに観察力が働き、最終的にシャッターを押すことで脳みそに記憶がインプットされるのかな・・・などと考えています。更には現像した写真を眺めることでより鮮明に記憶がよみがえり、なかなか旅の思い出が劣化しません。

とはいうものの何でもかんでも撮った写真が全てそうかというとそうではなく、仕事で証明写真を撮っていたこともありますが、この場合どういう感じにすればいい顔になるかとあれこれ考えながら撮るものの、どんな人の写真を撮ったのかなどはほとんど記憶に残っていなかったりします。仕事だったからでしょうか・・・。また近年ではホームページを公開するようになってから、状況説明用の記録写真を多く撮るようになりましたが、そういった写真も後で見たときにどこだったけな、どういった状況だったけなと覚えていないことが多々あります。やはり自分で被写体を捜すといった観察力などが脳にいい影響を与えているのかもしれません。

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その他では、写真を撮っていることで出会う人が増えるというメリットも感じています。町中などで写真を撮っていると「観光客か。ちょっとお茶でも飲んでいけ」といった出会いもあれば、いい写真を撮ろうと思うと不便な場所にも足を運ばなければならないことも多々あり、そういった不便な場所での地元の人との出会いもまたとってもいい思い出になります。

今振り返ってみても、写真を趣味にしていなければ出会っていなかったであろう人の多いこと。海外で民泊する時など一宿一飯のお礼を写真で返すことも多くありました。また写真を趣味にしていなかったら体験することができなかったことも多く、私にとってはカメラは写真を撮るための道具であり、趣味であり、またコミュニケーションの道具でもあり、人を結ぶきっかけをつくってくれるものでもあるのかなと思えてきます。だからこそ旅での写真をやめられないのかもしれません。

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市場で働く女性たちの写真

市場で働く女性たち

(カンボジア)

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他の人の場合はどうでしょう。とりわけ日本人はよく写真を撮ると言われています。これはかつて日本人観光客がアメリカやヨーロッパなどに大挙して押し寄せ、パシャパシャと最新のカメラで写真を撮っていた姿が強烈な印象を与えたようで、未だにそういった印象を持った人が多いです。これは私が旅したり、他人のブログなどを見ていて感じたことですが、日本人は記録用の写真をマメに撮ることが好きで、欧米人などは人に見せるような写真を撮るのが好きな人が多いのかなといった印象を持っています。

情報ノートの妙でも書いたのですが、日本人はマメな性格をした人が多く、マメに記録したり、マメに写真を撮ったりする事が好きな民族ともいえるかもしれません。写真入りのブログなどがいい例で、こんなに流行っているのは日本ぐらいだとか。これもまた一つの表現手段というか、写真を使ったコミュニケーションと言えるかもしれません。このマメさも帰国して写真を見てくれる人にわかりやすく説明しようとか、相手のことを考えてといった事もあるかもしれませんし、単に自分が忘れないためといった場合もあるかと思います。自己表現があまり上手ではない日本人にとって写真でコミュニケーションをとったり、自己表現するというのは似合っているのかなと思ってしまいます。

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それに比べて海外では無精な性格の人でも適当につぶやけるツイッターが流行っています。それに聞くところによると欧米人はホームパーティーなどで人を招いて写真をスライドにして見せるといった事が普通の文化なんだとか。日本的な感覚からするとスネ夫(ドラえもんネタ)の家に自慢話を聞きに行く感じでしょうか。そう考えると何とも迷惑な話に感じるかもしれませんが、こういった形で他人の幸せを分かち合う事ができるのは根が明るい性格がなせるのかもしれません。

このように写真を他人に見せる事を前提に旅をしているのなら、旅で撮る写真がそういった仕様になるのは自然な流れとなるでしょう。今ではほとんど見られませんが、フィルム時代にはいかにも撮り方が初心者なのに結構値の張るスライド用のリバーサルフィルムで撮影している欧米人に時々出会ったものです。そういう人に話を聞くと決まって帰国したら友人をホームパーティーに招いてスライドで上映するんだとうれしそうに答えていました。恐らく見せられる人も写真は話ついでで、パーティー自体や会話を楽しんでいるんだろうなと想像できるのですが、こういった人に会うとカメラが写真を撮るだけの道具以上に人と人を結びつける道具にもなっているんだなと感じ、写真を趣味にしている人間としてはうれしいく感じたものでした。

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もちろんこういった事は全体的な印象で、それぞれの価値観次第で写真に対して求める物が違うため、写真の撮り方が違ってくるのは当然です。世界をあちこち周るような長い旅をしている人の中には写真は一切撮らないという人も結構います。そういった場合も写真を撮っていたら切りがないという人もいれば、記憶以外に何も残したくないという哲学を持っている人、経費節約の為、或いはカメラを盗まれてから撮らない方が旅が楽しいということに気がついたという人などなど、その考え方は様々です。

また写真を撮る人でも切りがないから出会った人との写真しか撮らない人、何から何までひたすらシャッターを押している人、気分次第でカメラを持ち出す人、旅が撮影行為に占拠されている人など自分なりの写真の価値観で写真を撮っている人も多くいました。インターネットが盛んになってからは、個人的な写真入りブログなどの開設が容易になり、他人に写真を見せたり、他人の写真を見る環境が増えました。その影響ばかりとはいえませんが、近年では日本人でも人に見せるための写真を撮る人が増えたかなといった印象があります。それとともに現像代がかからないので、さらにまめに撮る人も増えたなといった感じでしょうか。

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山で暮らす子供たちの写真

山で暮らす子供たち

(インド、シッキム)

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本質的に少し考えてみましょう。人はなぜ写真を撮るのでしょう。とある有名登山家は「なぜ山に登るのか」の問いに「そこに山があるから」とシンプルに答えたとか。となると写真の場合は「そこに被写体があるから」というのが一番シンプルな答えになるでしょうか。確かに被写体がないと写真の撮りようがないというか、写真を撮る気になりません。被写体というのは何でもかんでも被写体になりえますが、実際のところは何でもいい訳ではありません。

普通の人は日常生活で写真を撮るなんて事は滅多にないはずです。ありふれたものは被写体となりにくいからです。何か特別なことや珍しいことなど、興味を引かれたものにしか被写体として反応しないものです。例えばいつも通勤などで歩いている道でお祭りをやっていたり、桜などの花が咲いたときとかにシャッターを押していたりするのではないでしょうか。

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そういった事を考えると、日常から離れる旅というのは、その行為自体が好奇心の塊ですし、新しい土地を訪れるわけですから目の前には珍しい風景や光景ばかりです。特に海外へ出るとその傾向は強くなります。こういう状況では必然的に被写体が多くなり、日常では写真をほとんど撮らない人でも写真を撮る機会も増えるというものです。

また旅は人を芸術家にする・・・っていうか、一般的に旅に出ると脳が刺激されるので、芸術的感覚にも磨きがかかったり、新しいことに挑戦しやすい環境になると言われています。その為、普段は適当に撮っている写真も、構図は・・・などとちょっとカメラマン気取りになってみたり、自分から被写体を探してみたりと気がついたら写真に熱が入ってしまうこともあるかと思います。

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小さな山奥の小学校での写真

小さな山奥の小学校で

(ミャンマー)

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別の角度から写真というものを考えると、写真とは撮影者によって作為的に作られたものということもできます。たとえば、女性のグラビアにしてもいかに肌をきれいに見せるかを照明を駆使して補っています。だから実物を見てガッカリ・・・なんてことも。報道の写真でもその事件の一番象徴的な部分だけを載せているもので、実際よりも大袈裟な印象を受けてしまうことも多々あります。

もちろん日常の写真でも、なんか今日は夕焼けがきれいだと写真を撮ったり、桜が咲いたとき、木々が紅葉しているときなど、いつもと違った場面でシャッターを押しているのではないでしょうか。だから写真に写っているものは嘘ではないけどそれが全てではないというのが正しい表現かもしれません。それは旅にも当てはまり、旅とは現実逃避の世界。日常から脱出した状態が旅であり、同じ生活しているけどそれはいつもの自分ではないといった状態なのです。そういったことを考えると、旅も写真も非日常といった同じような側面を持っているといえます。

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旅の本質は脱日常行為と移動なので、日々新しい風景や人の出会いがあり、被写体となるものや興味の対象も目白押しです。被写体となり得るものも、目新しい物や珍しいものといったものなので、旅と写真はその本質がよく似ていて、相性が抜群に思えます。こういった事から旅は写真を撮りやすい環境であり、磐石の組み合わせと言うことが出来るようです。

しかしながら最初に書いたように人生に必ずしも旅の写真は必要ないものです。旅がある一定の期間後に元の生活に戻るのと同じように旅での写真好きも一過性のものに過ぎません。日常を離れて一時的にカメラマンに変身したに過ぎないとも言えます。それも旅の一部、或いは旅の魔術といった感じでしょうか。魔法にかけられて旅に出ると写真好きになると言ったらメルヘンチックですが、まあ実際の所は旅に写真は必要ではないけど、遊び心や日常からの開放感が好奇心を呼び込み、それが写真を撮ることと重なっているだけかもしれません。

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実際の所、旅で熱心に写真を撮っていても後で見返すということはほとんどないのではないでしょうか。それに旅の写真というのは撮った人の思い出でしかないので、他人が見ても面白いものではありません。遺品でも真っ先に捨てられるのが旅の写真だったりします。感動した風景や仲良くなった人と写真を撮っても他人が見たらどこ?誰?といった感じなのですから。旅と写真。どちらも人生に必ず必要ではありませんが、あると楽しくなる物、ちょっと自己満足的な物なのかもしれません。

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<カメラと写真についてのエッセイ §2、旅と写真 2013年5月初稿 - 2015年11月改訂>