風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ ぶちぶち歯医者日記 ~

***  第7章 さらには中東で  ***

<シリアにて>

日本を旅立ってから、かれこれ一年以上が経ってしまいました。なかなか日本に帰れそうにない・・・。というより、現在心底旅にどっぷりと浸っている状態で、心身ともに旅人になりきっていました。そんな旅人気分でシリアを順調に旅行している最中、急に前歯が痛みだしました。とうとうきたか~。実はインドネシアで治療した歯はその後ほったらかしにしていました。

バンコクを訪れた時に治そうと最初は思っていたのですが、その後は特に痛む事もなかったので、バンコクに辿り着いてもまぁいいか、特に困っていないし・・・といつもの事ながら歯医者に足が向かう事はなかったのです。

歯に関してはいつも後手に回ってしまうのが私の性分。いい加減なんとかしろよ!と、ひどくなってから思うのですが、まあ海外では日本以上に行きたくないと思うのはしょうがないところ。ましてやインドネシアであんな治療を受けた後では・・・。何にしても今更どうこう言っても歯の痛みが治まるわけではないので、とりあえず何かしら次の手を考えなければなりませんでした。

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実際のところ、この歯の痛みに関しては少し前から予兆がありました。前歯の上の歯茎が少し突っ張った感じがしていたからです。ただそう気になるほどでもなかったし、旅の方も順調なので、さわらぬ神に祟りなしというか、臭いものには蓋をしておけというか、ほったらかしにしていていました。しかし今回の痛みは今までとは違って結構激しい。ほっておくとまずいんじゃないかなと私でも感じるような痛さでした。

痛いのはもちろん上の前歯の歯茎が中心ですが、下の前歯もどことなく痛く感じますし、なんか口の中全体のあちこちが痛い気もします。もしかして口の中のいたるところで虫歯菌が一斉決起したとか・・・。そうだとしたら非常にやばいかも。いや、ただの連鎖反応でちょっと神経が炎症しているだけかもしれない。そう考えよう。でも差し歯というのは中が見えないので、一体何がどういう状態になっているのかが分かりません。もしかしたら差し歯の中が虫歯になってしまい、ぐちゅぐちゅになって・・・って、歯がそうなるわけないか。何にしても中でとんでもない状態になっていたら溜まりません。

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いや、現実にそうなっている可能性があるかも。だから歯のあちこちの神経が炎症し始めているのかもしれないではないか・・・。そう考えると非常に恐ろしい。これは旅どころではないかも・・・。嫌なことが脳をよぎり、余計に不安が増してきました。どうしたものか。もし重症だとしたら・・・、治せるのはやっぱり日本の歯医者だよな。設備、言葉、技術。どれをとっても安心感があります。日本か~。帰国という言葉を忘れかけていたこの時期に、帰国という文字が頭をよぎることになるとは。しかも歯のために・・・。

しかしながら、今帰国しては自分の旅があまりに中途半端なものになってしまいます。現在トルコからエジプトに抜けている最中。十字軍の遺跡巡りといったテーマを決めて旅をしているので、せめてエジプトまで行って現在の旅をきちんと終えたい。でもこれ以上歯が痛くなり、昔みたいに歩けない状態になったらどうしよう。歯の痛みは限界を超えると自分ではどうしようもないものです。今までの経験上そこまでほっておく事の危険性は充分承知しているので、あまり楽観的にも考えることができません。

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まいったな・・・。改めて鏡で自分の歯をよく見ると、下の前歯の裏が真っ黒でした。確かに上の前歯のところが痛いのですが、ここも痛さの原因のような感じもします。もしここを治療したなら連鎖的に一気に痛みが引くかもしれない。歯の痛みは一カ所が痛むと他の部分も痛く感じるものです。

でもこれって虫歯か?それとも単にタバコのヤニ?もし虫歯ならここを治療したら問題は解決するかもしれない。この程度の虫歯なら、ちょっと近代的な歯医者に行けば、すぐ治してくれるはずです。それで一件落着すれば帰国しないで済むかもしれない。ここは淡い期待を込めて歯医者に行ってみるべきかも。ちょっとした賭けみたいな感じですが、帰国から一転して歯医者へ行く気になってきました。

でも、シリアで!?・・・前回インドネシアでひどい目に遭っているから、歯医者に関しては慎重になってしまいます。少なくともシリアの国事情を肌で感じながら旅行していて、ここで歯医者に行こうといった度胸はわいてきませんでした。言っちゃ悪いけど、よほど歯医者を選ばない限り言葉が通じず、技術力も低く、否応なしに歯を抜かれてしまいそうだからです。

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では次の訪問国ヨルダン?シリアよりもましだとは思うけど、ここでもそんなに変わりがなさそうな気がします。どうしよう。これからルート的に訪問可能な国の中で考えると、イスラエルが一番物価水準や生活水準が高い事になります。イスラエルだったらいい歯医者があり、いい治療を受けられるかもしれない。でも、現在イスラエルはパレスチナ問題で波の高い状態。爆弾テロなんていう恐ろしいものが流行っていたりします。

大丈夫だろうか。歯の治療を受ける前に、病院行き、あるいは冷たくなって日本帰国となってしまわないだろうか。日本のニュースで「本日、イスラエルで、歯の治療を受けるために入国した日本人旅行者が爆弾テロに巻き込まれて・・・」なんて流れるのはシャレにならん。なんだかやばそうだからやめようかな。

今まで私の中ではイスラエルは行けたら行こうかなといった感じで、行かなくてもいい国として考えていました。でも歯の為、そして旅行を続行する為ならしょうがないか。頑張って行ってみるか。って、何を頑張ればいいのだ。う~ん。とりあえず他の旅行者などから情報を収集してみると、普通にエルサレムに行くぐらいならまず問題ないようだし、危険地帯を訪れない限り外国人旅行者が狙われることもないとか。それならば・・・、多分大丈夫だろう。内戦さながらのイスラエルに行く決意を固めました。

<イスラエルにて>

シリアからヨルダンに入国し、アンマンでイスラエルに行く準備を整えました。この時期にイスラエルに行く旅行者は少なく、なかなか情報が集まりません。苦労して集めた情報をまとめると、やはり普通に訪れる分にはなんら問題はないようです。それに爆弾テロも物価の高いユダヤ人地区で起こっていて、安宿があるアラブ地区を拠点にするのなら、まず大丈夫との事。

話してくれた旅行者は、遭遇する確立は交通事故並みだよと笑っていましたが、最近一日一回は小さな交通事故を目撃している事実から考えると、かなりの高確率になります。どうせならもっと別の例えをして欲しいものです。歯の方は痛かったり、痛くなかったりと不安定な状態。まもなく歯医者に行けるという安心感からか、ここ数日は激しい痛みに苛まれるような事はなくなりました。

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そしていよいよイスラエルへ向かうことにしたのですが、国境を越える人が少ないせいで、交通の便の不便なこと。国境にたどり着くまで恐ろしく時間がかかってしまいました。ヨルダンの出国審査を終えると、カーテンを閉め切ったバスでイスラエルの国境へ向かいました。カーテンは絶対に開けるなとか色々と注文がうるさく、かなりピリピリとしていました。

イスラエル側の国境に着き、バスを降りると、これまた警戒が厳重なこと。マシンガンを持った兵隊さんに出迎えられました。 まさに臨戦態勢といった感じ。来るべきじゃなかったとちょっと後悔しました。そして建物に入り、まずはセキュリティーチェックを受け たのですが、ここの国境は東洋人に対してかなり厳しい事で有名です。

実際に通過してみると、一緒に国境を越えた旅行者は何人かいたのですが、ボディーチェックや鞄を調べられたのは、唯一東洋人であった私だけ。これって人種差別ではないのか。予め心の準備はできていたものの、やはり憤然とした気持ちになってしまいます。

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セキュリティーチェックをなんとか通過して、かなり嫌な気持ちで入国審査に向かったのですが、ここで思わず立ち止まってしまいました。どの審査台も審査官は若い女の人ではないか。しかもきれいな人ばかり。入国審査官はある意味その国の顔。イスラエルもなかなかサービスがいい。やるもんだ。さっきまでのもやもやが吹き飛び、ちょっと気分がよくなってきました。

よしっ、どうせなら一番可愛い人にスタンプを押してもらおう。変な下心で一番可愛い女の人のところへ行ったのがそもそもの間違い。「ハロー」と愛想よく笑顔で言ったつもりだったのですが、表情一つ変えてくれません。チラッと一瞥しただけ。明らかに先ほどのセキュリティーチェックの係官と同じように見下したような目つきや態度をしてきました。可愛い顔をしているのに無愛想な事だ。まあどこの馬ともしれない一介の旅行者に愛想が良くてもそれはそれで問題でしょうが、もう少し何とかならんもんかな。ちょっとイラッときましたが、ここは我慢、我慢。イスラエル入国に当たって、一つ厄介な頼みごとをしなければならなかったからです。

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パスポートを渡しながら、「入国スタンプはパスポートではなく別の紙に押して下さい」と頼みました。イスラエルの入国スタンプが押してあるパスポートだと、シリアなどに入国できなくなるからです。旅行者の間ではちゃんと認識されている事なので、スムーズに事が運ぶのかなと思っていたのですが、・・・甘かった。とたんに顔が険しくなり、「何で別の紙に押さなければいけないの?」と不機嫌をあらわにした顔でぶっきらぼうに言ってきました。ちょっと目が釣りあがっています。「そんなんでは美人が台無しだよ」などと冗談を言える雰囲気ではありません。もしそんな事を言ったなら、間違いなく別室送りになりそうだ・・・。

ここは得意の神妙な面持ちになって、「そうしないとこれからも中東の遺跡を見て回る私にとって、イスラエルのスタンプがパスポートに押してあると、入国できない国ができてしまうから困るんです。そうなってしまったら私の歴史の勉強を兼ねた旅が台無しになってしまいます。だから別紙に押して欲しいのです。」と話に筋を持たせて丁寧に頼んでみましたが、「ふ~ん」といった感じで相変わらずつりあがったままの目で私を見つめるだけ。お~こわ~。明らかにその態度から東洋人が嫌いで、入国させたくないといったオーラが発散されていました。

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その後も質問が続いていきました。「何しにイスラエルに来たんだ?」との問いに、正直に「観光と歯の治療の為」と答えたのですが、歯の治療は言わないほうがよかったようで、なんで歯の治療なんだ。本当のことを言いなさい。そんな感じで疑うような質問が続きました。その後も次から次へと質問してきました。「どこへ泊まるのだ?」「何日滞在するのだ?」「今までどこに国へ行ったのだ?」「イスラエルではどこへ行くつもりなのだ?」・・・もういい加減にしてくれよ。本当に歯医者に行きたくて来たんだよ。ここまで疑われるような質問や態度をされると、このまま引き返そうかなと思えてきました。

しかし実際問題、日本人は第二次大戦中にユダヤ人にとっての最大の悪漢ヒトラーに加担していたし、ちょっと前では赤軍問題、そして近年では中東の国への垂れ流し援助を行い、それが武器調達の資金となっていたりと、ユダヤ人にとっては好ましくない人種であるのも確かです。しかし立場の弱い観光客にまで八つ当たりをしなくても・・・。

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時間はかかりましたが、何とか入国審査を通過しました。精神的にヘロヘロ。もう二度と通りたくないな。他の旅行者はもうとっくにエルサレムに行ってしまったのかな。一人でイミグレーションの建物から出ると、うれしい事に一緒に国境を越えた欧米人の何人かが私を待っていてくれました。タクシーをシェアしてエルサレムに一緒に行こうと誘ってくれました。ありがたい。一人でタクシーなんて乗ったらべらぼうな金額を取られてしまいます。嫌な事があったけど、こうして親切な体験をするとそれまでの事が薄れていくものです。

タクシーに乗り、夕方エルサレムに到着しました。そして、かねてから決めていた宿にチェックイン。早速宿のおっさんに、「いい歯医者の場所を知ってる?」と聞くと、「知ってるぞ。でも今日はもう閉まっているから、明日の朝連れて行ってやる。大丈夫。いい歯医者だから。」との頼もしい返事。これで一安心だ。きっと明日には歯は治るだろう。入国審査以来むしゃくしゃしていた気分がよくなってきました。

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更にうれしい事に同じ宿には日本人が何人か泊まっていました。中東を旅するルートは必然的に決まってくるので、同じ顔ぶれによく出会います。ここでも以前に出会っている旅行者が何人かいました。おっ、久しぶり!っといった感じで、夜の楽しい事。久しぶりに酒でも入れば、気分も上々。いや~歯が痛くなってイスラエルに来ちゃった。それにしても入国審査はひどいね。各々自分の入国体験談を話して盛り上がれば、いつしか歯が痛い事なんてすっかり忘れていました。

次の朝起きると、歯の痛みは完全に引いていました。おぉ~治ったぞ。酒の力か?それとも気分的なものか。なんか歯の痛さも腹痛や下痢と同じかもしれんな。いや聖地エルサレムの神秘的パワーとか、アラーの思し召しというやつかもしれないぞ。なんせ三つの宗教の聖地がある町だもんな。うんうん。これは歯医者に行かなくていいや。この町にいれば病気知らずってやつかもな。いつも通りいいように解釈。だいたい海外で医者には行かないに越したことはない。またもや歯医者行かない病が発生してしまいました。

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宿のおっさんの所へ今日の分の宿泊費を払いに行くと、心配そうに「歯医者は何時頃行くんだ?」と聞いてきましたが、「大丈夫。なんか治ってしまったよ。」と笑いながら答えると、「そんな事があるのか?」といった感じで、宿のおっさんは目を丸くしていました。歯医者に行かなくてよくなったのなら、イスラエルにいる必要もないな。入国審査といい、街中の兵隊の多さといい、観光できる場所が限られている事といい、現在のイスラエルはあまり感じのいい場所ではありません。さっとエルサレムの観光を終わらせて、すぐにヨルダンに戻ることにしました。

<ヨルダンにて>

三日のイスラエル滞在を終えて、ヨルダンに戻りました。しかし、ヨルダンに戻った日の夜。それまで沈静していた歯の痛みが再発しました。しかも最近では一番強烈。慌てて鎮痛剤を飲みました。いつもいつもどうしてこうなんだ。また先延ばしをした罰か。聖地エルサレムから離れたとたん神様もひどい仕打ちをするもんだ。まったく。かといって、もう一度イスラエルに戻る気は更々ないというか、今度こそ入国拒否に合うに違いない。ちょっと困った事になってしまったな・・・。

こうなったらヨルダンの歯医者に行くべきだろうか?・・・やっぱりやめておいた方がよさそうだ。危険極まりない。こうなるんだったらイスラエルで・・・さすがに今回は後悔しました。そもそも歯の痛さがほっておいて治るはずがないのだ。何度も学習したはずなのに・・・。

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次の日の朝起きてみると、痛みは和らいでいました。もう少し我慢してみよう。もしかしたら治るかもしれないし、せめてエジプトまでは今の旅行を続けたい。その後で飛行機に乗っていい歯医者のある国へ飛ぶというのもありだ。そう考えるのも、どうしても見ておきたい遺跡がヨルダンにあったからです。ここで旅を中断してしまうと、その遺跡は一生見ることができないかもしれません。今回は前向きな歯医者行かない病ということで、よしとしよう。そうと決まれば行動あるのみだ。

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翌日からすぐに遺跡巡りを開始しました。歯痛の事を考えると無駄に時間を使いたくはありません。毎日朝から遺跡見学に出かけるのですが、いかんせん遺跡というのは不便な場所にあり、移動だけで時間がやたらとかかります。おまけに活発に動いているせいか、日に日に歯の痛さは増してきて、日本から持ってきた鎮痛剤を飲む機会も多くなりました。そしてとうとう歯医者でもらった鎮痛剤が底をついてしまいました。

これはピンチ。どうしよう。って、薬なら薬局で買えばいいのか・・・。そりゃそうだな。でも鎮痛剤ってなんていうのだ・・・。とりあえず和英辞書で鎮痛剤という単語を調べ、紙に書いたのを薬局の店員に見せて、後は身振り手振りでなんとか鎮痛剤らしき薬を購入することができました。しかし、この鎮痛剤の効かないこと。本当にこれは鎮痛剤なのか。今まで使っていたのはすぐに痛さが和らいだのにな・・・。

とりあえず痛いのが我慢できないので三粒ぐらいえいやって飲んでみても、いまいち効き目がありません。かといって得体の知れない薬なので、あまり大量に飲むのも危険。こんな薬ではもたない。慢性的な歯痛にそろそろ精神的な限界を感じていました。ヨルダンでもいいから歯医者に行こう・・・。

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とうとう我慢ができなくなり、歯医者に行く決心をしました。でもどこの歯医者へ行けばいいのだろう。普通に英語が通じるものなのだろうか?そうだ。宿の受付にいるお兄さんに聞いてみよう。もしダメなら観光案内所、いや日本大使館に聞きに行くのが確実かも。という事で、朝起きてまずは受付にいつもいるお兄さんに「歯が痛くてかなわない。いい歯医者を紹介して欲しい」と頼むと、意外な展開が待っていました。

驚いたことに、ここの宿のオーナーが歯医者とのことでした。なんとも頼もしい。身近な人だったらちゃんと見てくれるに違いない。それに治療ができなければ、旅行者間でここの宿のオーナーは藪医者だと評判にも傷がつくって事になるしな。きっと英語を話せるだろうから、まずは相談といった感じでもいいではないか。少なくとも原因だけでも分かれば対処のしようも、飲むべき薬も分かるはずです。もっと早く聞けばよかった。またしても後悔したのでした。

電話で確認してもらった後、受付のお兄さんの友人に引き連れられて、宿のオーナーがやっているという歯医者へ向かいました。歯医者に行くのに付き人が付くとはVIP扱いの患者だな。そう考えるとちょっと気分がいい。しかし到着してみると、ちょっと雲行きが怪しくなってきました。連れていかれたのはごく普通のマンションで、その一室の呼び鈴を押しているのです。確かにドアの横にはデンティストという看板が貼ってあるけど・・・、もしかしてデンティストさんのお宅といったオチになるのではないだろうな・・・というぐらいありふれた感じでした。

本当にちゃんとした歯医者なのか?そしてちゃんとした診察室や診察器具があるのだろうか?不安になりながら中に入ると、一応少し豪華な診察待合室みたいな感じになっていて、部屋の中では宿のオーナー兼歯医者が待っていました。なかなか貫禄のあるおっさんで、太ったアラブ人を絵に描いたような人でした。それにしても・・・、こんな小さな歯医者で大丈夫だろうか。なんかインドネシアのときと同じ展開になりそうな予感・・・。期待し過ぎると後で失望感が大きくなってしまので、あまり期待せずに診察を受ける事にしました。

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隣の部屋の診察室に通されました。部屋の中には看護婦が待機していてビックリ。そして部屋には日本で見慣れた歯科用の診察椅子が一つ据えられていました。一応ちゃんとした設備は整っているようだし、看護婦までもいるとは・・・。とりあえずまともな歯医者というのは間違いないんだけど、日本の美容室並みに椅子が並んでいる光景が当たり前と感じていると、やはりなんか違和感を感じてしまいます。

でもこれが普通なんだろうな。こっちの歯医者文化では。そう納得する事にして、診察椅子に座りました。そして診察の開始。会話はお互いが知っている英語で行うしかありません。もちろん・・・って、威張って書いてもしょうがないのですが、私は差し歯や虫歯なんていう単語は知らないので、和英辞書を片手に持って診察に臨みました。

まず私が「上の前歯2本は差し歯だけど、ここが痛い。それと下の前歯の裏側が虫歯になっていて痛い。」と説明しました。先生はなるほどといった感じで頷き、しばらく問題の箇所を診察した後、「下は虫歯ではなく、タバコのヤニだ。」と断言しました。なんか貫禄があるおっさんが断言すると妙に説得力があったりします。きっとそうなんだろう。疑いもなくそう思ってしまいました。

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そうなると困った事に今回の痛みの原因は差し歯で確定となり、治療するとなると差し歯を一旦外さなければならないはず。さすがにここで差し歯を外すのはどうなんだろう。心配だ・・・。差し歯が原因と確定したんだからここは思い切って日本に一時帰国して治療するというのもありかもしれない。う~ん、どうしたものか。あれこれと一生懸命考えるものの、何もいい考えが浮かんでこないのが実際のところ。治療が長いのであれこれ歯に関して知っているようで、やはり歯に関して無知な素人なのです。

それにうまくコミュニケーションがとれないので、難しい説明ができないし、あれこれと難しい説明をされても理解できないし、多くを相談する事もできない。今の状態はまさにまな板の鯉といったところ。それに医者だって患者が治療しに来たんだから治して帰るのが当たり前だと考えているはず。いやそれが普通なんだけど・・・。

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やっぱり一番の心配はこの先生がどれだけ差し歯に対する知識を持っているという事だよな。下手な治療をされて後で取り返しの付かない事になってしまったらそれこそ悲劇だし・・・。ここの歯医者に長い期間通うわけにも行かないし、何かあっても歯に対して保証してくれないだろうし・・・。かといってこのまま痛いままなのも困るし、日本に帰るのも正直面倒臭い。治せるものなら治して欲しいというのが正直な気持ちなんだけど、とにかく言葉が通じないし、歯医者の実力も分からないから、治療を受けた結末が全く想像付きません。そこが怖いところです。

やっぱり日本に帰って何とかしたほうがいいかな。一度宿に帰って考えるか・・・。でもここ最近の尋常じゃない歯の痛さを考えると、とりあえず応急処置だけでもしてもらっておいたほうがいいかも・・・。ってそれだけで治療が終わるわけないような。もうこうなったらなるように任せるか。駄目だったらそのときこそ日本に一時帰国すればいい。でも今日本に帰って、再び旅立つ気力はあるのだろうか。いやそんな事は今はどうでもいい。歯が治る事に集中しよう。ここは開き直って、前歯の治療を始めてもらう事にしました。

「じゃ麻酔を打つぞ」と、麻酔が用意されました。説明では差し歯を外すような事を言っていたのですが、いったい麻酔を打って何をするのだろう?何をされるのかよく分からないので不安な事。ドリルでセラミック製のサシ歯を外そうというのかな。それは困る。高いんだぞ。でもそうしないと外れないのかな?よくわからない。もしそうしようとするなら止めればいいか。不安が尽きなく、いろいろな事が頭の中をめぐります。まぁいいか。

とりあえず口を開けました。そして注射針が前歯の歯茎にブスッと刺された瞬間。う~、いて~。それからが大変でした。「うっ」「あっ」「きゃ~」私と歯医者、そして看護婦が一斉にうめきました。なんと針を刺したところから噴水のように血が吹き出てきたからです。慌てて私は口を閉じました。一体何が起きたのだ。状況がよく飲み込めない。口の中はすぐに血だらけになり、生暖かくて気持ち悪い。すぐに流し台に吐き出しました。もちろん真っ赤。何度かうがいをしても、口の中は血の香りで一杯でした。なんて気持ち悪いんだろう。ドラキュラはこんな味が好きなのか。この気持ち悪さを考えると、美女の血でも私は勘弁だと思いました。

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しばらくうがいを繰り返していると、なんとか血の香りがしなくなりました。それにしても一体何が起きたんだ。前歯を舌でいらってみるものの、部分的に麻酔が効いていてよくわかりません。医者が藪で変なところに注射針を刺したのかな。それにしては出血の量が半端ではなかったな。治療が始まるときにした前掛けには血が結構飛んでいたし、先生の手袋も血が付いています。なんか大手術をした後のような感じです。こんな事は初めてだぞ。説明を求めて医者の方を見るものの、医者も困った顔をしていました。

結局こんな状態なので、もはや治療どころではなくなりました。先生は「これ以上治療を続ける事はできない。歯茎が腫れていて治療ができないんだ。薬をつけるので、それを飲めば治る。」と言い、治療が終わってしまいました。これって単なる治療放棄ではないか。それとも深い考えがあっての事か。コミュニケーションがうまく取れないので、肝心な事がわかりません。何にしても心の中はやっぱりここでも駄目だったなと失望感で埋め尽くされていました。

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薬は下の薬局へ買いに行かなければならないようで、そのリストを書いてもらいました。そして支払いの段階になると、思っていた金額よりも遥かに高い金額を請求してきました。それは幾らなんでも高い。はず・・・。それともヨルダンの歯医者は高いものなのか。個室診療だし・・・。今回もヨルダンでの歯医者の価格が分からないので、金額が正しいのか、高いのかよく分かりません。そもそもちゃんと治っていれば高くてもいいんだ。日本に帰る事を考えれば微々たるもんだから。

しかし、どう考えても麻酔を打ち損ねただけではないか。大した治療もしていないくせに・・・などと思ってしまうと、えらく高く感じてしまうものです。という事で、ここはインドネシアの教訓を活かして値切りにかかりました。何で歯医者で値切らなければならないのだ。治療がうまくいかなかったのと合わせて、ちょっと不機嫌な私。その態度に恐れをなしたのか、結局1000円ぐらい安くなりました。定価という概念がない国なので、かなりいい加減な値段設定をしているのかもしれないし、好意で安くしてくれたのかもしれません。

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まったくどうかしているよ。前歯の違和感をかみ締めながら薬局に行きました。そしてビックリ。もらったリストを渡したら、どっさりと薬を持ってきたからです。しかもこれが歯の治療費並みに高い事。こんなたくさんの種類の薬を飲み続けなければならないのか。一体私の歯はどうなってしまったんだ。本当にこの薬で治るのだろうか?というより何が治るのだろうか?

痛みの原因は神経の炎症だと推測はできるのですが、それが薬で食い止められるものなのか。単なる鎮痛剤みたいな薬でなければいいが。あまり期待しないでおこう。それよりも治らなかったという事は、やっぱり帰国するしかないのかな。どこから帰ろうう。イスタンブールが飛行機のチケットが安かったけ。帰国する事をあれこれと考えていると、気分はどんどん沈んでいきます。今日はもう何もする気が起こらなくなり、宿に帰って早速薬を飲んでふて寝をはじめました。

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次の朝起きると、不思議なことに歯の痛みがなくなっていました。今まであった歯茎のつっぱった感じもほぼ消えていました。一体どういうことだ。昨日飲んだ薬が効いたのか。まさかな。本当に不思議だ。思い当たる事と言えば、やっぱりあの注射だよな。歯茎に何か悪いものが溜まっていて、それが注射する事で一気に吹き出たのかもしれない。悪い物が出て治ったのかな。いや、一時的なものかもしれない。一週間ぐらいしたら、また悪いものが溜まって再発するかも。ぬか喜びにならないように、とりあえずはちゃんと薬は飲み続け、帰国の事も念頭にいれて旅を続ける事にしました。

次に歯が痛くなったら、日本に帰るぞ。もう海外の歯医者はこりごりだ。そう思いながらしばらく旅を続けたのですが、それ以降歯の痛みが再発する事はありませんでした。案外宿のオーナーは腕のいい歯医者だったのかもしれない。麻酔一本で私の歯の痛みを消してしまったのだから・・・。それともイスラム教お得意のアラーの思し召しというやつなのかな・・・。今思っても不思議な歯医者体験でした。

~~~ 第7章 さらには中東で  完 ~~~

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<ぶちぶち歯医者日記 第7章 さらには中東で 2002年4月初稿 - 2015年9月改訂>