風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
異文化体験エッセイ

アジアの沈没地あれこれ

沈没人の部屋の写真
沈没人の部屋

長く旅をしていれば、動きたくなくなることも多々あります。日々動く事の連続である旅人にしてみれば、動かないことほど楽なことはありません。宿の心配も、乗り物の乗り継ぎの心配もしないで済みますし、動かなければ交通費や入場料などがかからずお金もあまり減りません。これはいい事づくめだ。だったら停滞もいいか。などといった誘惑に負け、同じ場所で1週間も2週間も特に目的もなく滞在する事を、旅人の間では沈没といっています。

もちろん一人でボーとしているのには限界があるわけで、沈没には仲間が必要となります。お互い足を引っ張り合い、どんどん地の底へ。気が付いたら1ヶ月経っている事も。まさに沈没は竜宮城体験といってもいいでしょう。どんどんと気力も抜けていくので、当然生活ペースは乱れ、部屋も散らかり放題。そして段々と社会適応能力も・・・。ここではそういった沈没者が多い地をレポートしています。

*このページは2000年に旅をしながらレポートしたものです。現在では状況が違っています。

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1、香港、中国のレポート (2000年1~2月、2001年10月)

<香港(重慶マンション)>

物価が高い香港には、沈没者はそういないだろうと思っていたのですが、逆の発想もあるようで、物価の高いことを利用して旅行資金を稼いでいる欧米人旅行者が同じ宿に何人かいました。日本からは近いので、日本人旅行者ではいないはずです(中国で留学している人はいましたけど)。

香港の安宿といえば、知る人ぞ知る世界的に有名な重慶マンション。馬鹿でかいビルで、建物内には安宿、食堂、土産屋、両替所、怪しい店と何でも揃っていて、1つの町を形成しています。ここに泊まっている人々は、どっちかというと旅行者よりも中近東、インド、アフリカなどからの出稼ぎ労働者のほうが多い感じがしました。そういった人たちの部屋をのぞくと、TV、冷蔵庫等がおいてあり、完全にアパート化していて驚きます。

私の泊まっていた宿は、ヨーロッパ人の経営する旅行者用のドミトリー宿だったのでそこまでひどくはなかったのですが、4日間滞在している間、同じ部屋に昼間寝て、夜働きに行っている人がいて、一度も起きて顔を会わせなかった人もいました。そういう人のベッドの周りは、物が手の届くところに並べられていて、生活感が漂っているものです。

バックパッカーにとって重慶マンションは香港での聖地と呼べる場所です。香港に泊まるならここと決めている人も多いことかと思います。ここには安宿が数多くありますが、極端に宿ごとに雰囲気が違うのでちゃんとチェックしてから泊まる方がいいし、なるべく旅行者が多い場所の方が安心できます。

重慶マンションの入り口の写真
重慶マンションの入り口

客引きが常にいて、怪しい雰囲気満点です。

<陽朔>

陽朔は川下りで有名な桂林の近くにある町で、バックパッカ―の溜まり場として有名な場所です。桂林は大きな観光地なので、宿代なども高く、いつしか宿代の安い陽朔に貧乏旅行者が集まるようになりました。バックパッカ―によって踏み固めたというべき場所なので、宿代、ツアー代も安く、何をするにしてもいろいろと便利が良かったりします。

ここで沈没しているのは、日本人よりも欧米人旅行者の方が多いです。その一番の理由が漢字の読めない欧米人にとって、中国旅行はえらく疲れるものらしいです。英語が通じない中国にあって、ここは比較的英語が通じ、居心地がいいそうです。おまけに町には沢山のカフェがあり、同じような境遇の旅行者同士で「英語が通じないし、中国人は不愛想だ!」と愚痴を言っているうちに腰が重くなっていき、気がついたら沈没しているというのがお決まりのパターンなようでした。

陽朔の繁華街
陽朔の繁華街

カフェやレストランが並び、英語の文字も多いです。

<その他>

中国には陽朔のようなバックパッカ―が溜まる場所が何ヶ所かあると聞いたのですが忘れてしまいました。そこでもやはり同じような現象が起こっているのでしょう。

日本人の溜まり場として有名なのは、上海にあるゲストハウス。船で大陸に渡り、アジア横断なりを目指す人達、あるいはその逆の人達のご用達となっています。

また雲南省の大理では薬関係で溜まっている人も多いそうです。そういった人を指す「ダーリーズ」なんて言葉も旅行中によく聞きました。

2、ベトナムのレポート (2000年4月、2001年10月)

<フエ>

ベトナムの古都フエは、のんびりとして落ち着いた雰囲気をもっています。この町で沈没までとはいかないけど、長期滞在をする日本人が多いです。私も風邪を引いてしまったこともあったのですが気がついたら一週間もここにいました。その原因は、ここには日本人の溜まり場となる宿があるからです。宿代も安く、オーナーが日本語を話せたり、日本のビデオや雑誌が置いてあり、しかもサービスや清潔な部屋は日本人好みとなっています。このような環境なので、知らず知らずと長居してしまう人が多く、中にはビジネスビザを取得したりして2ヶ月、3ヶ月と沈没している人もいました。

フエの日本人宿のドミトリーで
フエの日本人宿のドミトリーで

ここの宿の宿泊者の多くが日本人でした。

<ホーチミン(デェイタム通り)>

ホーチミンシティーはかつてはサイゴンと呼ばれていたベトナムで一番の大都会です。通り過ぎる旅行者も多いけど、どういうわけが長居してしまう人も多かったりします。特に北から南へ下ってホーチミンに辿り着いた人に多いように感じました。

その原因はベトナムの中では珍しくスーパーやデパートがあるのと、旅行者がうじゃうじゃ集まる安宿街デェイタム通りがあり、ここには旅行会社、カフェ、土産屋、インターネットショップ、日本食や西欧料理のレストランが並んでいます。

デェイタム通り界隈の安宿
デェイタム通り界隈の安宿

安宿やレストラン、旅行会社などが多く集まっているエリアです。

と言ったわけで、話し相手となる旅行者も多いとなると、沈没する環境は整っているのですが、ベトナムのビザは一回延長しても2ヶ月までしかいられないという現実があります。北から下ってきた人はビザが切れるから動かなければ・・・と、ぎりぎりになって重い腰を上げて、カンボジアやタイへ向かっていました。中には6ヶ月のビジネスビザを取ってぶらぶらしている人もいましたけど・・・。実際のところホーチミンは色々と犯罪の多い町なので、思っているほど居心地がよくないような気もするのですが・・・。

2001年9月にホーチミンを再訪問すると、日本人宿というものがちゃんとできていました。オーナーはフエの日本人宿の息子。だからフエの別館みたいな感じになっていて、やっぱりここでもゴロゴロしている人も多かったりします。最近では女性旅行者に人気の国との事で、女性旅行者も多く、ちょうど卒業旅行シーズンにきてしまったものだったから、大学生の合コンが行われていました。

3、カンボジアのレポート (2000年4月、2001年9月)

<プノンペン>

ポルポト派の大虐殺があったことで、明るいイメージのないカンボジアの首都ですが、ここには沈没者が結構います。しかも大半が日本人で、その多くが退職したり、仕事をやめたおじさんだったりします。しかも滞在している目的が少女売春だったりするから、なんとも暗くなってしまいます。こういった人は、もともとはバンコクがねぐらだったようですが、より安く、規制のゆるいプノンペンに流れてきたようです。

彼らが通うのはプノンペンの郊外にある有名な売春村。ここでは日本では考えられない値段で取引されているそうです。私自身実際にそういう人たちと話していないのですが、多くの旅行者が言うには「あいつら頭がおかしい。日本に帰ってくるな。」との事でした。プノンペンで一番有名な安宿キャピタルにある旅の情報ノートはこういった人の売春情報ノートになっていき、卑猥なノートと化してしまいました。

ある正義感の強い旅行者は、直接日本大使館に出向き「あいつら何とかなりませんか」と抗議していました。が、「日本の法律では・・・」というお決まりの返答。「日本人の評判を下げている行為に対して。何とかするがあなた達の役割でしょ」と強く言うと、「何とか対処してみます」との弱腰な返答だったそうです。いつもの事ながら国際世論の方が先に対処しそうな感じです。

キャピトルの独房のような部屋
キャピトルの独房部屋

プノンペンで一番有名な安宿ですが、
窓がなく、独房のような部屋でした。

<シェムリアップ>

アンコール・ワットの遺跡のお腰元の町なので、多くの旅行者がここに滞在します。しかもアンコール・ワットの遺跡は広大なので、必然的に何日かかけて見学しなければならなく、真面目に観光をしようとするならどうしても長居せざるを得ません。しかし観光を終えた後もどういうわけかここから離れられなくなってしまう人がいます。そして、それは日本人に多かったりします。

ここには日本人が溜まる有名な安宿が数軒あり、どこの宿にも沈没者の主がいました。男の場合では、やってくる日本人(特に女の子)にアンコールワットの見学方法などを親切丁寧に話をする人が多く、女の場合では現地の男に引っかけられて長居している人が多く、中には親が行方不明届を出したので大使館の人が捜しに来て、強制的に帰国させられている人もいました。

ただここで長期滞在をしている人は、どうもネジが外れている感じの人が多い気がしました。それは自分の価値観を日本人の価値観としてバイクタクシーの人などに吹き込み、勝手に変なルールを作ってしまっていて傍迷惑に思うことが多々あったからです。というより、カンボジアで1ヶ月、2ヶ月と長居している人は他の国と比べてちょっとってな感じがしました。私の会った普通の旅行者の人もだいたい同じようなことを感想を持っていたので、あまりかかわりを持たないほうがいいかもしれません。

安宿の旅行者とバイクタクシーの人達
バイクタクシーの人達

カンボジアの新年を他の旅行者と一緒にディスコで祝いました。

<シェアヌークビル>

プノンペンの南にカンボジア唯一のビーチリゾート地があります。プノンペンからの道は整備されていて、治安も良く落ち着ける場所のようです。ここで長居をしている欧米人もいるようです。発展途上のビーチで、タイのビーチなどに比べてごちゃごちゃしていないのが人気となっているようです。自然が豊かな場所となると、やはり欧米人専門といった感じでしょうか。ただ近年では中国資本が入り、中国人が大挙して押し寄せているとか何とかニュースで見ました。今では欧米人ではなく、中国人の沈没地になっているかもしれません。

4、ラオスのレポート (2000年10月)

ラオスという国は今まで私が訪れた国の中でも、トップクラスののんびりとした雰囲気を持った国でした。どこを訪れても、急いでどうする?といった空気が漂っていて、これでは進む足も鈍ってくるというものです。実際、道路事情が悪いため移動が大変だったりします。

見所があまり多くない国なので、観光する場所も限られてしまい、必然的に旅行者の集まる場所も決まってきます。そして、そのような場所に必ず沈没者がいるのが、ラオスなのです。物価が安いのと、質の良いマリファナが安く手に入るのが、それに拍車をかけているようでした。

<バン・ヴィエン>

バン・ヴィエンは首都ヴィエンチャンから北に3時間ぐらい移動したところにある小さな村で、ラオスの沈没地の王様です。バン・ヴィエンには魔物が棲んでいるのでは?と思うぐらい、本当に沈没者が多くてビックリしました。

ここはメコン川の支流がすぐそばを流れ、桂林のような岩山がいたる所に突き出ているような風光明媚な場所です。かといって、そう見どころが多いわけではないのですが、この小さな町にはゲストハウスだらけだったりします。夜になるとメイン通りにある数少ないレストランは外国人観光客で一杯になり、ちょっと異様な雰囲気でした。ここでの沈没者は多国籍。日本人よりは欧米人の好みといった感じで、欧米人が遥かに多かったように覚えています。

まあ、これだけ沈没者が多ければ、沈没仲間もすぐ見つかる訳で、昼間は宿でごろごろとしている人が多かったです。そして夕方から活動開始。夜になると、レストランでおしゃべり、その後はドラッグパーティといった感じ。はまるとなかなか抜け出せないようで、ビザが切れるからやっと移動しなければと決心する人も多く、ヴィエンチャンからバン・ヴィエン経由で北にある世界遺産の町ルアンパバンへ行こうとして、結局北へ行くことなくヴィエンチャンに戻って行く人も何人かいました。

バン・ヴィエンの安宿が集まる通り
バン・ヴィエンの安宿が集まる通り

小さな村に異様な数のレストランと安宿が並んでいました。

<ルアンパバン>

ここは寺の多い町で町自体が世界遺産に指定されています。寺が多いので落ち着いた雰囲気の漂った町で、訪れる観光客は多いです。そしてやっぱり沈没者が沢山います。どちらかというと欧米人よりも日本人好みの沈没地のような感じがしました。

日本人がたまる宿もあるようで、気の合う相棒も作りやすく、気が付いたら沈没していたなどと言う人もいました。のんびりと何もしないというよりは、なんとなく町を散策して過ごしたいといった沈没者が多いのではないでしょうか。

<ムアン・シン>

ラオス最北部の村で、中国との国境が10kmほどの所に位置しています。このような辺境の地のため、電気は夕方6時から9時までしか点かなかったり、市場には中国製品ばかりだったりします。アクセスが大変なのですが、多くの観光客が訪れます。大半の人が村の市場などにいる少数民族を見に来るのですが、中には質がよく安価なムアン・シン産のマリファナを買いに来る人もいます。そしてのんびりとした村中で、同じような仲間を見つけて、マリファナを吸ってだらだらしているようでした。

ちなみに少数民族に会うためにやって来た旅行者は、彼らのあまりの無愛想さに参って(観光客が多すぎるから仕方がないと思いますが・・・)、すぐ帰って行く人が多いようでした。

外国人が集まるレストランとそれを取り囲む物売りの人達
ムアンシンのレストラン

外国人の集まるレストランには物売りの人達が多くやってきます。
お土産物の詰まった籠の底には・・・らしいです。

<コーン島>

ラオス最南部、カンボジアとの国境がすぐ目の前のメコン川流域はシー・ファン・ドン(4000の島の意)という島が点在する地域で、その中で一番観光客が訪れる島がコーン島です。

とても小さな島で、陸から離れているので、電気、水道、ガスはもちろんありません。おかげで島の風景は自然そのもの。メコン川に浮かぶ島で地元の人とほぼ同じ様にのんびりとした生活を体験できることが、ここの魅力です。この魅力に取り付かれて本当にとろけて沈没してしまう人もいますが、基本的にはとても寂しい所なので、相棒がいなと一人では孤独に耐えられなくなります。

コーン島のゲストハウスで
コーン島のゲストハウスで

何もないような島で、電気は車のバッテリーを使用していました。

5、タイのレポート (2000年4月、10月、2001年8月)

<バンコク(カオサン通り)>

言わずと知れた世界屈指の沈没地。バックパックを背負って旅する人で、カオサンの名前を知らない人はいないぐらいに有名な通りというか、周辺を含めた地域です。ここには安宿、カフェ、旅行代理店、コンビニなどなど、とにかく何でも揃っていて日本から手ぶらで来ても困らないほどです。

というより、揃いすぎていて偽造物やらちょっとやばいものまで売っていたりします。年間を通して旅行者の多いところなのですが、春と夏の学生の旅行シーズンになると通りが日本人だらけになり、歩いていると変な感じです。

ここで沈没するパターンは様々。長旅に疲れた旅人が便利もよく、日本食も食べられるし、話し相手の旅行者も多いので、長居してしまっているケースや、売春にはまってしまう人、ドラッグにはまる人、旅行目的がなくなりごろごろしている人等々、悪い沈没パターンが多かったりします。たまにカオサンで旅が始まって、カオサンだけで旅が終わってしまう人もいます・・・。

最近の傾向では日本人旅行者が地元の輩と組んで、日本人旅行者を騙すということも起こっているようです。もちろん昔でもありましたが、レアケースだったように思います。色々と危険なことや誘惑も多いので、気を引き締めていたほうがいいです。

その他、日本大使館のあるスクンビット界隈の日本人街にマンションを借りて生活している人も多いです。語学学校に通う人、カオサンから抜け出して単に暮らしたい人、地元の女の子と同棲するのにマンションを借りた人、様々です。ただ、バンコクで長居している人の大半は向上心がない様に思えました。これがバンコクの風土なのかもしれません。気をつけましょう。

夜のカオサンのメイン通りの写真
夜のカオサンのメイン通り

外国人旅行者だらけの通りです。
タイ人が観光に訪れるぐらいです。

<パタヤビーチ>

ここは西欧人の沈没地。とにかく町を歩いているとタイ人女性と欧米人男性のカップルをよく見かけました。中にはアパートを1ヶ月、2カ月と借り沈没している人もいるようで、町中のレンタルバイク屋の看板には1ヶ月いくらと書いているものが多く、ちょっと笑ってしまいました。どうやらここでは1ヵ月の沈没は当たり前のようです。

沈没の目的は先に書いたように女関係。不動産屋の前で部屋を探しているカップルやら、ファーストフード店で仲良く食事しているカップル、そして欧米人同士で深刻そうに結婚するべきだろうか、一回帰国したほうが・・・などといった話をしている光景を目にする事がよくあります。そもそもこの町自体が夜になると、ピンク色のネオンだらけなのがそもそもの間違いのような・・・。

町中のレンタルバイク屋の写真
町中のレンタルバイク屋

パタヤにはバイクのレンタル屋が多いです。
値段表には1か月いくらと当たり前のように掲示されています。

<その他>

サムイ島、プーケット島、そして次々とリゾート開発が進む島々では、やはり沈没者が多いようです。沈没パターンはリゾート地の典型で異性関係が多いようです。男の場合は地元の売春婦や女性旅行者に熱を上げ、女の場合には地元のビーチボーイや男性旅行者に引っかけられて長居していることが多いようです。中には何にもしないのが幸せと、ごろごろと長居している人もいたりしますが、やはり少数派のようです。

6、マレーシアのレポート (2000年5月、7月、2001年8月)

<クアラルンプール>

マレーシアの首都で、大都会。ここには安いドミトリー宿が数件あり、私が訪れたときはどこも混雑していました。私は1泊しかしていないので、あまり詳しい事情はわからないのですが、ドミトリーの様子を見た感じでは、長居している人が多いようでした。沈没者の典型のベッド周りの煩雑さやら、何気なく転がっている会話帳などがそう思う理由です。何をしているのかは聞かなかったのですが、きっと他の大都市の沈没と変わらないのでしょう。

<マラッカ>

マラッカ海峡の要所にある都市で、インドネシアとの定期航路が結ばれている町です。かつてはマラッカ王国があり、そこそこ見どころがある町です。日本人旅行者のバイブル「深夜特急」にここマラッカの夕日が出ているようで、それを目当てに訪れる旅人もいます。

ここには沈没者が多かったりします。しかも日本人。それは、ここには日本人の経営する安宿があり、日本人の溜まり場になっているからです。情報ノートをパラパラとめくってみると「2日の予定が居心地がよくて2週間も滞在してしまいました。」「マラッカの夕日が見たくて来たのですが、なかなか見れなくて2週間滞在してしまいました。」みたいなコメントが多かったです。

この宿では日本人旅行者が宿に住み込みで手伝いをしていました。今でこそ管理人制は広く知れ渡っているのですが、当時はそういうことは一般的ではなかったので、同じ旅行者にあれこれしてもらうというのが、なんとも変な感じがしてなかなか慣れませんでした。

マラッカの夕日の写真
マラッカの夕日

深夜特急に登場するので、旅人の間で人気です。

<クチン>

ボルネオ(カリマンタン)島サラワク州の州都で、別名キャット(猫)シティーと呼ばれています。見所がそこそこあるので訪れる観光客は多く、ボルネオ島には安宿が少ないのですが、ここには健在でした。ドミトリーではいつも昼間っからごろごろと何をしているんだろうと心配してしまうような欧米人が何人かいました。

<コタ・キナバル>

同じくボルネオ島にあり、こちらは右側にあるサバ州の州都。ここにも安宿が数軒あり、沈没している旅行者もいるようです。沖にはシュノーケリングで有名な島があるので、時々島へ行きごろごろ。沈没仲間ができると更にごろごろといった感じのようでした。

<ペナン島>

ここは世界に名だたる大リゾート地。もちろんマレーシアでは一番の沈没地のようです。島は大きく、中心部のジョージタウンにはデパートもあり、かなりの都会です。更に格安航空券が手に入る場所としても有名で、ちょっと寄ってチケットを購入するだけのつもりが、居心地が良く沈没してしまったりする人もいました。沈没パターンはビーチリゾート地の典型的パターンの異性、またはドラッグが多いようです。

どちらかというと沈没者は西欧人の方が多いような気がしましたが、泊まった宿がたまたまそうだったのかもしれませんし、そもそも島自体が大きいので、場所によって様々なのかもしれません。ちなみに私の泊まっていた宿では夜になると、欧米人が好きそうな映画を上映するなどして客寄せをしていました。もちろん法律的には違法なのでしょうが・・・・。また、バンコクのカオサンとの連携が強く、カオサンの宿や旅行会社と提携している代理店や安宿も多かったりします。す。

7、インドネシアのレポート (2000年5~10月)

<ジョグジャカルタ>

通称ジョクジャと呼ばれる町で、ジャワ島で一番の観光地です。郊外にはボロブドゥール遺跡とプランバナン遺跡と2つの世界遺産があり、町自体も王宮を中心とした落ち着いた感じの古都なので色々と見所が多い都市です。そのため訪れる観光客の数も半端ではなく、宿ではサービスを競い合い、安宿ながら(確か一泊300円弱)プールまでついていたりします。

見所あり、散策によし、居心地よし、物価が安いと絶好の沈没環境がそろっているので、沈没者が多かったりします。そして私もその一人となっていました。慢性的な頭痛を抱えていて、病院に行ったりしていたのもあり、しばらくここでゴロゴロしていました。プールで泳いだり、午後の散歩をしたりと、それはそれで幸せな一時を過ごしました。

とはいえ、私の泊まっていた宿は欧米人の溜まり場だったので、ごろごろしている欧米人の沈没者は多く見かけたものの、相棒となりそうな日本人はいなく、ちょっと寂しい沈没でした。おかげで頭痛が治るとすぐ元の旅行者に戻る事が出来たのですが・・・。どうやら日本人が溜まる日本人安宿も他にあるようで、そこには日本人も多く沈没しているかもしれません。

ジョグジャのメトロホテルでの写真
ジョグジャのメトロホテルで

プール付きの安い屋上の部屋は最高の居心地でした。

<バリ島>

インドネシアが誇る世界的に有名な沈没地・・・じゃなくて観光地です。沈没している日本人やオーストラリア人が多い事で有名です。

地元の人の話では、国籍ごとに沈没する地域が偏っているそうで、日本人が多いのはウブドとクタビーチ。そこには現地のジゴロに引っかかって沈没する日本人女性が多いとか。なんでもデンパサールの領事館には多い日には5件の結婚届があり、それと同数の結婚詐欺届けや離婚届けがあるとか、ないとか。それぐらい女性の沈没者が多いので、必然的に男性の沈没者も多くなり、現地のジゴロと熾烈な争奪戦を演じ、病院行きになることもよくある話。ジゴロには派閥があり、生粋のバリ人よりもジャワ島からのジャワ人、スマトラ島のバタッ人の方が多く、バリ人よりも喧嘩っ早いとか。

中には現地の伝統芸能を学ぶためだと、1ヶ月、2ヶ月と滞在する人もいますが、ゴロゴロしていて特にすることがないからと学んでいる人も多く、結局は沈没の延長上でしかなかったりするようです。

<トバ湖>

スマトラ東北部の観光地で、きれいな湖の回りはリゾート地になっていて、しかもマレーシアの沈没地ペナン島からアクセスが簡単なことから、多くの外国人観光客が訪れています。ここは知る人ぞ知るドラックのパーティー会場。そういった関係で沈没している人が多い場所です。またそうでない人でも、バリ島での出稼ぎから帰ってきたジゴロも多く、それに引っかかっている日本人の女性も多いとか。

トバ湖の写真
トバ湖

湖の周囲にホテルやレストランが並んでいます。

<その他>

パガンダラン:ジャワ島南岸のビーチリゾート地です。かつては日本人も多く訪れて、沈没していたようですが、地震やらテロやら噴火やらと悪いイメージが多く流れ、最近ではここまで足を運ぶ人も少なくなり、欧米人の姿ばかりが目立ちます。現地のビーチボーイやらジゴロにとっては死活問題で、一体どうなっているんだ。何とかならんのかと何度か尋ねられたのですが、そう言われても困ってしまいます。

マナド:スラウェシ島北部の大都市。マナドといえばダイバーの憧れの地だそうです。そのため多くのダイビング目当ての観光客が訪れるようです。そして海の中の世界の美しさよりも、次から次へとやってくる女性ダイバー目当てで沈没する人が多いそうです。というか、エジプトのダハブなどの紅海沿岸にしても、タイの島々にしても、オーストラリアにしても、ダイビングをする場所はどこも同じような状況です。それなりに長く滞在しなければ海に潜れないし、ダイビングスポットの情報も必要なので、ひっかけやすいとか。

その他ではインドネシアの偏狭の島々では二週間に一本の船便しかなかったりします。だから1度下手に降りたら2週間沈没状態を味わわなければならないこともあります。これは沈没とは言わないと思いますが、こういう沈没まがいの体験をした人にも出会いました。

また、都市とかではなく、インドネシアの国自体としての沈没者は多かったりします。大半が欧米人で、長い人は1年、2年とインドネシアの出入国を繰り返して旅を続けていたり、はたまた沈没ばかり繰り返していたりします。日本人の場合は、やはりバリ島が多いですね。近年はビザのシステムが変わったので、沈没しにくくなったと思いますが、以前は出たり入ったりしたり、またはそういったことを代理業務する会社があって、バリ島で暮らすように沈没している人が多かったです。

8、ミャンマーのレポート (2000年12月)

ミャンマーでは沈没者と呼べるような人に会いませんでした。だらだらとしている人はいても、他の国でいう沈没者はいないようです。その理由は、陸路で自由に出入国ができなく、飛行機での出入国となってしまうのと、入国にあたって強制的に200$両替させられるのと、ビザの延長料金はかなり高く、手続きも面倒臭いからです。

ちょっと気に入ってゴロゴロしようにも、ビザの延長料金は高いし、一回国外に出てビザを取り直そうにも、飛行機代や強制両替が馬鹿になりません。それにミャンマーを旅行する旅行者は、行きと帰りの飛行機の日にちが決まっているので、計画的に動き回るような人が多く、たむろって沈没する仲間を見つけ難かったりします。

おまけに麻薬や売春もそう盛んではない(あるにはあるけど情報が少ない)ので、沈没する環境が全くといっていいほどない状態でした。他の国で沈没している人も、ここではちょっとだらだらしただけで、すぐに出国していました。

ヤンゴンの町並みの写真
ヤンゴンの町並み

昔は首都でしたが、今は一番大きな都市という肩書です。

<バガン>

バガン遺跡があり、ミャンマーで一番の観光地となっています。仏教遺跡としてはアンコールワットかバガンかと賞され、訪れる観光客は多いです。ここでは沈没者というより、のんびりと滞在している人に何人か出会いました。田舎町でありながら、ホテルやレストランが建ち並んでいるので、特に生活に不自由はしないし、遺跡自体も広大なので、一週間程度の長い滞在はそう珍しくないようでした。またリピーターも多く、ここだけにのんびりと滞在しに来る人も少なくないそうです。

バガン遺跡の写真
バガン遺跡

広大な範囲にパゴダが点在しています。

<その他>

インレー湖:バガンとは対をなすような観光地。こちらは自然が中心で、伝統的なインダー族の文化の息づく土地です。のんびりと時間を気にしないような滞在の仕方をしている人もいました。

ヤンゴン:かつてのミャンマーの首都。そして国際空港のある町なので、ミャンマーを訪れる旅行者が必ず立ち寄ります。動くのが嫌いな人はここで飛行機の出発日(安い航空券は週一便)までごろごろしていたりします。ここでは一般レートと闇レートがあり、その兼ね合いでパスポートの増補などが100円もしない値段で出来たりします。それと訪問国数を増やすために訪れる人も多いようです。

異文化体験エッセイ
アジアの沈没地あれこれ
風の旅人 (2020年3月改訂)

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