風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ 異文化や歴史についてのエッセイ ~

§8、ミイラのちょっと残酷な話

ミイラの写真

エジプトの特徴的なものとしてピラミッドの次に思い浮かべるのはミイラではないでしょうか。ミイラ、ミイラと言いながらも、それが実は三千年以上も前に生きていた人間の保存された肉体というか、人間のはく製というか、燻製だと気づいていますか?そして、その実態について皆さんはどれだけ知っていますか?また、ミイラに関する話をどれだけ聞いたことがあるでしょうか?

やはりエジプトを語る上でミイラは必需品。もちろんミイラが有名なのはエジプトだけではありませんが、ここではエジプトのミイラにまつわる幾つかの話をしていきます。

まず最初に、なぜミイラを作ったのか。それは古代エジプト人にとっては、来世における生の最大の保証は死後の遺体の保存であり、人が来世も生き続けていくには死体が生前と同じような状態で永遠に保存されなければならないと堅く信じていたからです。その為に現世の肉体が墓の中でできる限り命ある状態に似せて保存しておきたかったのです。

とはいえ、そのまま埋めては肉体が腐敗してしまいます。世界的に見ると、シベリアで何万年前のマンモスの氷塊が発見されたように氷河や高山などで冷凍保存されたもの、ヨーロッパの泥炭で見つかったもの、乾燥した砂漠の土の中から出てきたものなどと、ある条件を満たした場合では自然的にミイラとなって後世に肉体が残りますが、これは特殊な例であって普通に土に埋めれば細菌や昆虫などによって肉体は分解されてしまいます。それを防ぐにはどうしたらいいだろうかと人為的にミイラにする方法が研究され、エジプトのミイラを象徴するような包帯のぐるぐる巻きのミイラがあみだされていったのです。

その作り方は簡単に書くと・・・(詳しく書くと気持ち悪いので)、まず死体を洗ってきれいにして、脳髄の摘出。顔の形を崩させない為に鼻からの作業だったらしいです。その次は、内臓の摘出。取り出した内臓は壷に入れられ、防腐処理をして、埋葬の時横に置かれました。その後、切った部分を縫い合わせて、太陽と天然炭酸ソーダで何日も乾燥させ、表面はしなやかな皮膚を保つために軟膏やら油、樹脂を塗ったそうです。

その後、のり代わりの松脂をしみこませた包帯を巻きつけていきます。死者の包帯巻きは、彼らの宗教に深く根ざした慣習であったようで、正式なものは140mもの長さがあったそうです。そして幾つかの宗教儀式を経て完成するのが、だいたい70日後だったとされています。初期のミイラは手順がお粗末だった為、現在完全な形で残っているものは少ないようです。色々と試行錯誤しながらミイラを作る技術も年を経るごとに熟成されていきました。

逆に何時ミイラは作られなくなったのでしょうか?その転機は今から2000年前に訪れました。ローマ帝国に占領されていたエジプトでは徐々にキリスト教に改宗しました。その後、イスラム勢力下に置かれ、イスラム教に改宗して、現在に至っています。これらの宗教では現世の肉体が来世で必要だと考えていません。これらの宗教がエジプト全体に完全に浸透してからは、ミイラが作られる事はありませんでした。

子供のミイラの写真

さて、古代エジプトでは一体どれだけのミイラが作られたのでしょうか?残念ながら、その正確な数は分かっていません。華やかな王族、貴族のミイラから、庶民のミイラまで数多くあり、その数は計り知れません。恐らく天文学的な数字になるのではないかと思います。しかしながら、現存するミイラの数は多くありません。土に返っていったものや、未だ未発掘のものが大半だと思いますが、特に貴族などの上位階級のミイラは数が少ないです。副葬品目当ての墓泥棒によって荒らされたからです。

貴族のミイラにはブレスレッドや首飾りなどの高価な装飾品が付けてあることが多いので、それを狙って墓に盗み入り、ミイラの布を引き裂き、そのまま放置されることが多かったようです。せっかく防腐処理したというのにこのようなミイラはすぐに腐敗してしまい、棺のみが残って肉体の形が残っていません。なんとも可哀想というか、気の毒です。このようなミイラにまつわる残酷話が色々とあったので、幾つか書いてみました。

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<残酷話1>

19世紀、ロンドンでミイラの解包や解体が流行のショウになっていました。主催者は医者や、学者、興行者などで、毎回チケットが取れないほど大盛況だったようです。ぐるぐるに包帯が巻かれた状態で台に載せられ、そこで初めて解包が行われます。その為、中が腐ってめちゃくちゃだったり、程度よく残っていたり、包帯と体が一体化して化石のようになってしまい、解包が行えなかったりと、色々なハプニングが起きたようです。

開けてビックリ、何が出てくるのかお楽しみといった感じなのでしょう。怖いもの見たさの人間の本質をうまくついていたようです。中には解包しようとしたら怒って立ち上がるミイラもあったりして・・・。恐らくミイラ男なんて言う話はこの時代に生み出されたのでしょうね。

<残酷話2>

13世紀~17世紀までミイラをすり潰した粉が万能薬としてヨーロッパで売られていました。嘘みたいで気持ち悪い話ですが、実際にほとんどの薬局に常備薬として置いてあるほどメジャーな薬だったようです。日本でも戦時中、死んだ人の骨をすり潰して飲んでいた事を考えれば、仰天するような話ではないのかもしれません。何故にミイラが薬になってしまったのかというと、この時代の人々は瀝青(アスファルト)が万能薬だと考え、ミイラの製造過程にこの瀝青が使われている事を知り、ミイラをすり潰して飲めば効果があると信じていたようです。

さてその効能の程はというと、古代エジプトでは瀝青は高価なものだったので、一部の上流階級の人にしか使われていなく、一般の人のミイラは松脂を代用していた為、薬としての効能はなかったようです。仮に瀝青をふんだんに使ったミイラだったとしても、その効能は怪しいものです。もしかしたら3千年もの期間熟成された分、どんな病気もたちまち治ってしまうかもしれませんが・・・。

何にしても、ミイラ製造業者まで現れ、ペストなどで死んだ身寄りの無い遺体を集め、天日干しにして、それらしくして出荷する始末。それこそミイラにとりつかれてしまい、ペストの大流行を引き起こしてしまったそうです。

<残酷話3>

ヨーロッパの画家達はミイラをすり潰した粉には魔力がこもっていると信じ、絵の具に混ぜると、乾燥した後で絵にひびが入らないと信じていました。また茶色の絵の具を作るのにも使われたそうです。厳密には茶色の中でもミイラ色とも言うのでしょうか。博物館に展示してある絵にもミイラの魂が宿っているかも?

<残酷話4>

ビックリすることにエジプトではミイラを燃料にする事が多かったようです。松脂や瀝青が染み込んでいるミイラは格好の石炭代わりになってしまいました。蒸気機関車の燃料として使われたり、工場の燃料に使われたという記録が残っていたり、一般家庭でもミイラの包帯を燃やして料理などを作っていたという記録もあります。

ある蒸気機関車の運転手の話、「このミイラは燃えが悪い。貴族のミイラをもってこい。」貴族のミイラにはふんだんに松脂や瀝青が使用されていて、燃えがいいからです。あまり、笑えない話ですね・・・。

<残酷話5>

中には一体につき140mもあるミイラの包帯をうまく使えないかと考える人もいて、包帯の布を再利用して紙を作った会社があります。19世紀の後半アメリカの紙製造会社がその為に大量にミイラを輸入した記録が残っています。しかし、包帯には松脂等のしみが多くあり、漂白してもなかなか白くなりません。

結局、高級紙としての製造はあきらめ、褐色の包み紙にしてしまいました。その紙に肉やチーズなどを包んで売っていたから、気持ち悪いといったら・・・。まさに知らぬが仏、いや知らぬがミイラとでも言うのでしょうか。その内ペストが流行り、原因を調べるとミイラから作られたこの紙にたどり着いたとの事。

<残酷話6>

日本ではあまり多くないのですが、ヨーロッパ(狩猟民族に多いと思われる)では部屋に鹿などの動物の首やら鳥のはく製を飾る習慣があります。自分がしとめた獲物といった感じなのでしょうか。それと同様に19世紀のヨーロッパではミイラの首を部屋に飾る人もいたそうです。当時は手軽にミイラを購入できたので、エジプトのお土産に最適?だったとか。

実際に飾られていた部屋の写真を見るとなんとも気持ち悪い限り。これを夜中に蝋燭で照らしたら、揺れる蝋燭の光で顔の表情がよみがえるかも。そしてしゃべりだしたりして・・・う、ぞっとする。日本でもさらし首という文化があったので、あまりヨーロッパ人がという言い方は適切ではありませんが、でも部屋に飾るのはちょっと悪趣味すぎる気が・・・。

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ミイラ博物館の写真

これらの事を考えると、ミイラが物として、いや単なるお土産物や石炭程度の価値観で扱われていると感じます。現在ではミイラも人権を与えられて、ミイラを勝手に持ち出すと、死体を持ち出したのと同じ事となり、国際法によって捕まってしまいます。事実上、一般の人が勝手に手に入れる事は難しくなりました。

面白い話では、1974年にラムセス2世のミイラの修復というか、医学的治療のためにフランスに送られることになりました。その時には国際法にのっとってパスポートが作られたそうです。職業の欄は王様だとか。年齢は?住所は???と、まあどうなのでしょう。

しかしながら未だ大英博物館などには、中世~近代に運ばれた沢山のミイラが保管されています。単に保管しているだけならぜひともエジプトの地に返して、地中深く埋めてあげてほしいものです。古代エジプト人にしても解体や薬の材料、無様な展示の為にミイラを作ったのではありません。死後、唯一絶対のものは自分の亡骸だけという思想を持っているからこそ、自分の体をミイラにして保存したのです。

だからミイラを壊したり、別の地へ運んだりするのは是非とも避けてもらいたいものです。最近ではそういった風潮が広がり、また科学の発展のおかげで包帯を開放せずにCTスキャンで中の状態がわかるようになった為、包帯を解かずに調べて、また墓に戻すといった調査方法も行われています。そもそも考古学や科学の仮面をかぶって、他人の墓を暴くこと自体、残酷な行為ですから。

エジプトを代表するエジプト考古学博物館には、ミイラが展示してある部屋があり、ツタンカーメンの黄金マスクとともに博物館の目玉となっています。ミイラ室は別料金を払わなければならなく、中に入ると古代エジプト史で輝かしい経歴を持つラムセス2世のミイラを中心に王妃や王族のミイラが並んでいます。

観光客としては歴史的に名が知られている王なので名も知らない王のミイラを見るよりもうれしいのですが、エジプト人はかつての自分たちの王、それも古代エジプトを象徴するような人物のミイラを曝けものにしてまで、外貨がほしいのでしょうか。これについてはエジプト国内でも激しく議論が交わされたようですが、結局押し切るような形で展示されることになってしまったようです。

まあ王様だった人ですから、現世ではいい思いをした事だろうし、死後に後世のエジプトの人々が幸せになるのなら、身を呈してミイラの標本のような境遇になるのもしょうがないのかな・・・。ちゃんとエジプト考古学の発展のために入館料が使われるのならそれもいいのかな・・・。ミイラ室でそんな思いに浸っていると、ミイラに対してふざけながら、嘲笑を浴びせている観光客がいました。

今は無様でグロテスクな格好をしているかもしれませんが、仮にもかつては王だった人です。さすがにそれはないだろとショックでした。それと同時にやっぱりミイラは人々の興味の対象や怖いもの見たさの対象物に過ぎないのかなと思ってしまいました。

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最後にミイラについての詩があったから紹介します。

キャンベル作「ミイラへ」
口をきき給え、おしの真似はもう沢山だ。
来給え、そして汝の舌によりその調べを聞かせてくれ。
ミイラよ、地上に足で立ち、
再び月光に照らされて、
やせた幽霊のようにも見えず、
魂の無い生物のようにも見えず、
しかし、汝には骨が、肉が、手足が、そう、顔がある。

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<異文化や歴史についてのエッセイ §8、ミイラのちょっと残酷な話 1999年12月初稿 - 2015年12月改訂>