風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~
旅の雑学のエッセイ

トルコ人ってどんな人種?

東西文明の交差路と呼ばれるトルコ。一般的な日本人にとっては、名前ぐらいは知っているけど、はるか西方のイスラム圏にある未知の国といった感じでしょうか。

以前では・・・、といっても昭和の話ですが、トルコ風呂(ソープランドのような風俗の意味)とか、オスマントルコの国といったイメージしかなかったのですが、2002年のワールドカップの対戦をきっかけに、旅行番組や紀行番組などで紹介され、日本人もトルコについて知る機会が多くなりました。

テレビなどを見ると、「トルコ人は日本人によく似ている」、「トルコ人は親日派だ」、「トルコ人は日本人よりも親切だ」といったように紹介されています。トルコに関する番組をご覧になった方や、トルコに興味を持った方なら似たような事を耳に挟んだ事があるのではないでしょうか。

私自身もトルコを旅してきて、このような言葉もまんざら嘘ではないなと思いましたが、その根拠は一体なんでしょう?私自身の体験と調べた事を元にトルコ人について書いてみました。

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1、トルコ人の起源

イスタンブールなどの大都市を歩くと、様々な顔立ちの人を見かけます。その顔立ちは、日本人にどことなく似たような人から白人と区別の付かない人まで多種多様。さすがは東西文明の十字路と言われる国だなと感心してしまいます。

実際にトルコで見かける人の容姿は、ユーラシア大陸の全てを網羅していると言っても過言ではありません。そうなってくると一体どの顔が本来のトルコ人の顔なのだろうか?といった疑問がわいてきます。

トルコ人は中央アジアの遊牧民族が起源と言われているから、モンゴル人っぽい顔立ちが本来の姿なのだろうか。それにしてはそういう顔立ちの人は少なすぎます。どちらかというとアラブっぽい顔立ちをした人が多いようです。

日本ではサッカーの試合でお隣の国のイランやイラク、シリアなどと対戦する機会があり、アラブというとそういった国々の顔立ちがイメージしやすいかと思います。私の中ではイランなどとは少し違った印象で、イランなどは意外と顔の彫り深く、角ばった感じがますが、トルコ人の場合は幾分丸っこい感じがします。

もちろん東の国境沿いにいくとそういった顔立ちも多いし、北東部ではロシア系やアルメニア系の顔立ちも見かけます。西のエーゲ海岸になるとギリシャ人ぽい顔立ちも多いし、ヨーロッパ大陸側のブルガリア国境付近ではスラブ系の顔立ちも見かけます。

全体的にはギリシャとイランが混じった感じ、って地理的にそのまんまなのですが、極端に彫が深くなく、全体的に丸っこく感じるのが私の中のトルコ人です。とはいえ、なんとなくこれがトルコ人らしい顔かなと思うだけで、なかなかこの人が典型的なトルコ人の顔立ちだといった事は判断できませんでした。

それは日本に帰って調べてみると、東洋と西欧の境目にある地理的要因だけではなく、歴史的要因が絡んでいる事がわかりました。

イスタンブールの町の写真
イスタンブールの町

重厚な建物が多く、歩くのが楽しい町です。

まずはトルコ人の概念について歴史的側面からみてみると、トルコの国が位置するアナトリア半島は、古代ギリシャ語のアナドレ(東方)に由来します。トルコ族がやってくる前にはビザンチン帝国やローマ帝国、ヒッタイトなどの大帝国がこの地を支配していました。

トルコ人が登場するのは8世紀頃。日本では平安京に遷都され、世界ではイスラム教が興った時代です。8~10世紀にかけてトルコ民族はアラブとビザンチンの戦いの傭兵部隊として少しずつアナトリア半島に入り込んでいきました。

そのうちユーラシア内部のステップ地帯から、指導者に伴わた部族が次々にやってきて足がかりを作り始め、11世紀末にはセルジュークトルコとして国を興すまでになりました。

オスマンスタイルの演奏の写真
オスマンスタイルの演奏

トプカプ宮殿でトルコ行進曲などといった
軍隊の行進曲が演奏されていました。

その後は、オスマントルコが続き、騎馬系遊牧民のトルコ族がローマ人やギリシャ人などのヨーロッパ系の人種を追い出し、アナトリア半島を完全に支配しました。そして、徐々にアジア的なトルコ文化が浸透し、それまでのヨーロッパ的なローマの流れを組む文化を上書きしていきました。

国家を興したとはいえ、トルコ民族はアナトリア半島では少数派でした。そのトルコ民族が国家を形成するにあたって行ったのは民族同化でした。従属関係にある異質民族、征服した民族をまとめる為に、生活習慣や価値観をイスラム教やイスラム文化に融合させ、それを守る事で同じ民族として扱いました。

血統的には違っていても、特定の支配地域に暮らし、政治的な違いがあるなしにかかわらず、共通の言語を使用し、共通の生活様式と風習、文化を持ち、ムスリム(イスラム教徒)としての集団感情から逸脱しない種類の人々をアナトリア半島のトルコ人と定義したのです。

強力な権力を持ち、広大な支配地域を誇ったオスマントルコ帝国時代には、他民族との混血がどんどん進んでいきました。その結果、混血が繰り返され、現在トルコに暮らす人々の体内には本来の中央アジア人であったトルコ族の血はほとんど流れなくなってしまいました。

それで中央アジアやモンゴルっぽいような顔立ちの人をほとんど見る事がなく、土着っぽいアラブ人顔の人々が多いのです。それと共に広大な支配地域での混血が進んだので、トルコでは色々な顔立ちの人々を見かけるのです。

ビレジッキの家族の写真
ビレジッキの家族

お茶を飲んでいきなさいと招待されました。

2、親日派のトルコ人

トルコ人は親日派が多いとよく聞きます。ガイドブックにもそう書かれ、トルコをテーマにしたテレビ番組でもそう紹介される事が多いです。しかし、日本人がトルコ人に親近感を抱いているかというとそうでもないし、あまりトルコについて知らないのが実際のところです。

歴史的に見ても、トルコと日本が何かしたというような事は少なくとも一般的な授業では学校では習わないはずです。近年でも経済共同体とか、軍事同盟といったような強力なパートナーシップを結んでいるわけでもなく、あまり接点がないというのが実際です。では一体なぜトルコ人は親日派が多いのでしょう。

トルコ人が親日的な根源は、一つに同じような歴史的境遇を持っている事にあります。日本は明治時代に江戸時代の徳川封建制や鎖国から抜け出そうと、「文明開化」の名の下で日本の伝統的文化を犠牲にして、近代化を推し進めました。第一次大戦での敗戦後、トルコの建国の父アタテュルクも同じように政治からイスラム教を廃し、近代化を推し進めていきました。

その時に手本にしたのが日本で、その改革を実行した明治天皇を尊敬し、アタテュルクの寝室には明治天皇の肖像画が飾ってあったとか言われています。日本の江戸時代文化がトルコではイスラム文化や封建的なオスマントルコ帝国の支配体系にあたり、アタッチュルクの近代化はトルコ版文明開化とでも言うのでしょうか。

アタテュルク廟の写真
アタテュルク廟

トルコの建国の父アタテュルクが眠る廟です。

同じ敗戦国だというのもその根底にあるようです。トルコの大学生と話したときの話ですが、日本はどうして敗戦の後、こんなにまで経済が成長したのかを一番熱心に聞いてきました。トルコ人にとって、日本は文明開化のお手本であり、また経済発展のお手本国ともなっているようです。

その根底にはヨーロッパとの境にあるために生じる民族的コンプレックスも混ざっているように感じました。ヨーロッパと対等に張り合えるアジアの国。そういった尊敬と憧れを日本に抱いているのではないでしょうか。

また、歴史教科書的な過去の話になりますが、トルコは過去に何度もロシアと戦争をしています。日露戦争(1904年)の時も状況は同じで、当時では日露戦争でロシアを破った日本の事を尊敬、もしくは親しみを持っていたみたいです。これは随分と昔の話になりますが、もしかしたら学校で習ったりして心の根底にあるのかもしれません。

エルトゥールル号の慰霊碑の写真
エルトゥールル号の慰霊碑

和歌山県串本町の紀伊大島にあり、
周辺にはトルコ関係の店も並んでいます。

これも古い話ですが、1880年9月18日に和歌山県の串本町の沖合いでトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難し、乗組員656人中587人が帰らぬ人となる事件が起きました。懸命に救助にあたった串本町の人々のおかげで69人の命が救われたという話もあります。日本ではあまり一般的ではない事件ですが、トルコでは意外と知っている人が多かったりします。

事故のあった串本町の紀伊大島にはエルトゥールル号の慰霊碑が建てられていて、命日には慰霊祭が行われています。また周辺はトルコ関係の店が並ぶトルコ村となっていて、トルコ関係の行事も行われ、今でもトルコとの友好に力を入れています。

絨毯工場の写真
絨毯工場

トルコは絨毯の産地で、売り込みも激しいです。

最近の話では、アジアとヨーロッパを分けるボスポラス海峡に第二ボスポラス大橋を架けるのに日本が協力した事がよく知られていて、あれは日本が造ったものだといった親日感を持っている人も多いです。今では多くの橋が架かっているので、もう忘れられているかもしれませんが・・・。

また観光客相手に暮らすトルコ人に聞くと、日本人は信頼できるから好きだと言う人が多いです。彼らが言うには「日本人はフレンドリーだ。他の国の人はそうではない」との事です。その理由は、日本に帰った後にも手紙をくれたり、写真を送ってくれたりするからだそうです。

その一方、「交渉で断るのが下手だし、お金を持っているから好きだ。」と言いきる絨毯屋や、「日本の女はすぐ落とせるから好きだ。」と言う人もいました。これもまた正直な親日となるでしょうか。

色々と親日の理由を挙げる事ができますが、真の意味での親日かというとどうなのでしょう。個人的にはトルコを旅していたときよりも東南アジアを旅していたときの方が親日的な感じがしました。日本のことをよく知っているし、町には日本の文化が溢れているし、人々と話しても日本人と分かると日本の話題が次々と出てきて、明らかに態度が好意的になったりしました。

そういう点ではトルコには日本的なものはほとんどありませんし、一般のトルコ人が日本人のことをよく知っているわけでもありません。お互いよく知らないのに親日とか、親トルコといったレッテルを貼ってしまう事にはちょっと疑問に感じます。

国と国の距離を考えると、お互いあまり悪い印象がないというのが本当のところでしょうか。それにお互いすぐ隣にある国とは歴史的に仲が悪いので、親しいといった感情を持つ国に過敏に反応してしまう節があるのかもしれません。

私が経験的に言えるのは、もし実際にトルコを旅する際はトルコ人は親日だと思い込まない方がいいです。そういう思い込みから油断してだまされたり、ぼったくられたり、レイプされたり、色々と事件に巻き込まれる事があります。海外では日本と同じような行動をしていては駄目だといいますが、親日ということで油断してしまうことのないようにお気を付けください。特に観光地で「日本人はフレンドだ。」と声をかけてくるような輩にです。

オールド・ワンの子供達の写真
オールド・ワンの子供達

笑顔が素敵な子供たちでした。
東部では若干顔の彫りが深くなるような気がします。

3、クルド人について

現在のトルコに暮らす人種を多い順に分類すると、ダントツでトルコ人が多く、それ以外ではクルド人、アラビア人、ギリシャ人、アルメニア人、チェルケス人、ユダヤ人といった順番になります。クルド人以外はほんの少数派ですが、クルド人は人口に占める割合が3割と大きく、トルコを語る上で無視できない存在となっています。

クルド人とは日本でニュースなどで聞いた事があると思いますが、国を持たない民族としては世界最大の規模の民族です。トルコに限らず周辺のシリア、イラク、イランなどの国に暮らしていますが、国力、話題性、人口に占める割合などトルコがダントツでトップなので、クルド人=トルコといったイメージを持つ人も多いはずです。

そして日本で聞くクルド人のニュースは、独立だ!革命だ!といった過激な思想による爆破テロなどのネガティブな報道が多く、クルド人=悪者のイメージを持っている人も多いかもしれません。

最近では幾分理解が進んできたものの、私が若い頃にトルコに行くと言えば、クルド人には気をつけろよと言われるほどでした。クルド人としてもクルド人の独立国家を切望していますが、独立をしたくても国家を設置する土地がありません。勝手に人の国の領土で旗揚げなんてすればそれこそ内戦になってしまいます。

普通のクルド人はそういったことを望んでいるわけではなく、独立というのはあくまでも理想のようです。それに各国に分かれて暮らすクルド人が集まったとしても、既に価値観が異なっているので国としてまとまれるかというと疑問です。

マルディンの子ども達
マルディンの子ども達

歩いていると塀の上から呼び止められました。

実際にトルコに行ってみると、私の目にはクルド人とトルコ人の区別が付きませんでした。顔立ちも似ているし、インドのように宗教ごとに独特のサリーとかターバンを巻いているわけでもないし、文化や宗教感も大して変わりがないので、観光客には区別のしようがないといったところです。おまけにクルド人とトルコ人との混血も進んでいるようで、外観で判断するのはお手上げでした。

一緒じゃないか。そう思ったものの、当然のことながら当事者達には重要な事です。西部にいる時には特に意識をする事がなかったのですが、東部を旅行していると、よく俺はクルド人だと自己紹介してきました。君があの悪名高いクルド人か。一番最初に聞いた時は日本のニュースで植えつけられたイメージをそのまま頭に描いてしまいましたが、実際に話をしていくと、クルド人としてのプライドを持ち続けているだけで、一般の人はトルコ人もクルド人も大して変わらない事がわかりました。幾分クルド人のほうが人懐っこい印象を持ちましたが・・・。

逆に知り合いになったトルコ人にクルド人の事を聞いてみると、「クルド人は悪いやつではない。」「一部の過激派がテロを起こしているだけだ。」との意見が多いようでした。なんていうか、日本でおける在日外国人みたいなものでしょうか。悪い事件が続くと感情が悪くなり、何もないと話題にもならないし・・・。

日本人は村社会で育ち、理解できないものに対して、すぐに「よそ者だ」「うちとは関係ない」といった感じで決めつける傾向があります。そして悪いものに対しては、どこの国の人だからとか、何教だからとか、自分達とはかかわりのないレッテルを貼って、自分たちと区別しようとする傾向が強いように感じます。

私も色々な人種の人と話すようになってからそう感じるようになったのですが、クルド人だからとか、イスラム教だからとかは、単なる区分に過ぎません。人種や宗教、身分、性別など関係なく、悪いやつが悪いのです。

モスクの写真
モスク

モスク内部は美しい空間となっています。

4、宗教感

戦後、トルコが民主化の道を歩み始めた時、「国教をイスラム教にしない。」と憲法上で制定しました。いわゆる政教分離というものですが、イスラム教の世界では異例の出来事でした。中近東、北アフリカ一体にイスラム教を完全に浸透させたトルコが、一番最初にイスラム教を国教としないと宣言するのはちょっと無責任な感じもしますが、トルコ建国の父アタチュルクはトルコが西欧諸国に対抗する力をつけるためには、神をも恐れない政策が必要だと感じたに違いありません。

現在のトルコでは、統計上では99%がイスラム教を信仰しているとなっています。しかし私が訪れて感じたのは、日本人の大半が仏教(神道)を信仰しているのと同じで、親が信仰しているからとか、周りが信仰しているからなど、特に深い宗教心もなくイスラム教を信仰している人が多いということでした。特に若者と話しているとそう感じました。

町を歩く女性の写真
町を歩く女性

様々な色、そして柄があり、
ファッションとしても美しく感じます。

例えば、女の人の頭に巻くスカーフも都市部では宗教上の理由よりもファッション、もしくは習慣的というか、民族衣装といった感じでまとっている人も多く、西欧柄のスカーフを頭に巻いていたりと、古来からのトルコ文化と西欧の文化が融合をしている様子も見受けられます。

一番驚いたのが地中海岸やエーゲ海沿岸のビーチなどででトルコ人の女性が水着になっていたことです。周辺のイスラム教の国ではありえないのですが、これもヨーロッパからの観光客が大勢訪れる影響なのかもしれません。

アンタルヤのビーチの写真
アンタルヤのビーチ

ここはトルコの湘南といった感じです。
水着姿で泳ぐ女性も多いです。

この他、イスラム教の宗教上(厳密には宗派による)は禁止されている飲酒もそれなりに許容されていますし、赤線地帯もあります。恋愛に関しても比較的(同じ民族内では)自由に行われているみたいでした。

とりわけ若者などは俺は罰当たりだからといった感じで、あまり宗教上のご法度には気にしていないようでした。ヨーロッパなどから多くの観光客が訪れる国なので、宗教にしがらみのない人たちの行動を目にする事が多く、そういった影響を受けるのはしょうがないことなのかもしれません。

しかし欧米の価値観に憧れるトルコの若者にも宗教や神よりも怖いものがあり、親父の前ではタバコを吸えなかったり、宗教に反するような事ができないという人も多く、日本で言う地震、雷、火事、親父はトルコでは健在なんだなと感じました。

その一方、田舎というのは都会に比べてかたくなに風習を守る傾向にあります。東の地域の田舎を訪れると、熱心にイスラム教を信仰している地域も存在します。地域によっては女の人が全身真っ黒な服を着ていて、まるで魔女のように感じたりもします。目だけしか見えないから、慣れないとすれ違うだけで怖いものです。

知り合った若者から今からイスラム教の集会所に若者が集まって宗教について話すけど、お前もくるかと誘われることも何度かありました。さすがに観光客がいくのも場違いだなと遠慮させてもらいましたが、今でもイスラム教がしっかりと日常生活に根付いているんだなと感じる事も多かったです。

オスマンスタイルの子ども達
オスマンスタイルの子ども達

オスマンスタイルの正装をする子ども達。
七五三みたいなものでしょうか?

5、トルコ語について

トルコではトルコ語が使われています。イスラムとか、アラブの国といったイメージの強い人はミミズがはっているようなアラビア語を使っていると思っていたりしますが、トルコ語はラテン文字(アルファベッド)で表記されます。例えば、「こんにちは」は「Merhaba(メルハバ)」と表記されます。

トルコ系の民族である中央アジアなどのウイグル、カザフスタン、キルギス、とるくめ1924年に共和国として独立した後、1929年にアラビア文字を廃止し、アルファベット表記に変更されました。それ以前はウィグル文字

トルコ語と日本語は言語学的に似ていると言われています。それは主語、述語などの構文上の体系が似ているからです。英語や中国語などでは主語の後に述語がくるので、慣れないとしゃべるのに「私は」「食べる」「食事を」と主語、次が動詞・・・と頭の中で考えなければならなく、こんがらがってきます。そういった意味ではトルコ語はとっつきやすいかもしれません。ただ頭の中で外国語=主語+動詞と出来上がっている人にとっては、逆に混乱してしまうかもしれませんが・・・私です。

文法も似ていますが、発音もよく似ていると思います。英語では「a」は「ア」とか、「エ」とか、「オ」とか様々な発音をしますが、日本語をひらがなにすると、「は」と「へ」を除くと全て1通りの読み方しかありません。トルコ語も日本語と同じで、例外がほとんどなく表記された通りに読むことが出来ます。

それならば簡単にトルコ語が覚えられるのでは・・・、と思ったのですが、正直似ていても難しいです。特に動詞の活用は複雑すぎます。まるで日本語並み・・・ってやっぱり似ているんですね。ヨーロッパがいい例ですが、言葉が似ていれば文化も似てくるものです。日本とトルコが似ていると言われる一因に言葉的なこともあるのかもしれません。

スイカの産地
スイカの産地

トルコはアプリコットが有名ですが、
スイカなどの果物も多く生産しています。

6、トルコ料理

トルコ料理と聞いてあまりピンとこない人が多いと思いますが、古くは世界三大料理と言われていました。今でもそう言われているのかは知りませんが、残り二つは、フランス料理と中華料理です。

中華料理とフランス料理に関しては幾つかの特徴的な料理がすぐに頭に浮かぶ人が多いと思いますが、世界三大料理と名が付きながらもトルコ料理ってどんな料理があるの?という人がほとんどだと思います。日本ではほとんどなじみがありません。

トルコ料理の特徴としてはまずトマトを使うこと。大抵のトルコ料理は煮込み料理か焼き料理で、日本の醤油、インドのカレーのようにほとんどの料理がトマトベースだったり、トマトに絡めた料理です。私はトマトが苦手なのでほとんど食べていませんが、ロカンタ(食堂)に並ぶ料理を見る限りでは、あまり洗練されていない土着の地中海料理といった表現が的を得ているかもしれません。

少なくとも私のようにトマトが嫌いな人間には食の合わない国となり、トマトの入っていない料理を捜すのが大変です。

日本ではあまり馴染みのないトルコ料理ですが、最近ではちょくちょく話題になることがあります。まずお祭りやイベントで見かけるドネル・ケバブ。ケバブは羊の肉のバーベキューみたいなもので、回転(ドネル)しながら焼くので、ドネルケバブと言います。

焼いた肉と野菜をパンにはさんでファーストフード感覚で食べることができ、トルコ版のハンバーガーといった感じです。トルコでは町中でよく見かけ、専門店というより、食堂の店前で焼いていることが多いです。

ドンドゥルマ
ドンドゥルマ

伸びるアイスクリームです。

また一時期トルコの伸びるアイスクリーム、ドンドゥルマが流行りました。お餅のようによく伸びるユニークなアイスで、伝統的なものは羊の乳とサーレップという植物の根と砂糖を混ぜてよくかき回すことで独特の粘りを出します。手軽に海藻などでもつくれ、それが日本などで普及しました。伸びる触感も楽しめますが、実際にアイスを伸ばしてカップなどに入れてくれるパフォーマンスも楽しいです。

あとはトルコではよく紅茶(チャイ)を飲む習慣があります。一体トルコ人は一日に何杯チャイを飲むんだ!というぐらい本当によく飲んでいます。どこかにお邪魔して椅子に座ると、必ずチャイを入れた小さなチャイグラスが置かれます。トルコではチャイが人間と人間の潤滑剤の役割をしているといっても過言ではありません。チャイには四角い角砂糖が添えられているのが普通ですが、塵も積もればなんとやら。あまり砂糖を入れてがぶがぶと飲み過ぎると太ります。

ビレジッキの市場で
ビレジッキの市場で

歩いていたら声をかけられ、果物を分けてもらいました。

7、トルコ人の性格

今まで色んな国を旅してきて無愛想だなと感じる民族には出会ったことはありますが、不親切な民族には今のところ出会ったことはありません。よくトルコ人は親切だと聞きますが、どうなのでしょう。

トルコ人も確かに親切でしたが、他の民族よりも特別に親切かと言われると困ってしまいます。トルコのお隣の国ではシリアとブルガリアを訪れましたが、トルコ以上でも以下でもなかった気がします。なんて表現したらいいのかわかりませんが、普通に親切でした。

兵隊の見送り
兵隊の見送り

トルコには徴兵制があります。
兵隊に入る若者を大勢で見送ります。
泣いている人も多く、見ていると目頭が熱くなります。

親切というのはわざわざ他人のために手間をかけるような行為だと思います。例えば道を尋ね、口で説明するだけではなく、自分が行きたい方向と逆なのに目的地まで送ってくれるような行為が本当の親切だと思います。そういった経験はトルコで何度もありました。バイクを借りていてパンクした時に、わざわざトラクターに乗せて修理屋まで運んでもらった事や、お祭りなどの情報をわざわざ役所に電話して聞いてくれたことなどです。

かといって他の国に比べて多いかというと、そうでもありませんでした。それよりも日常的に何度もお茶をご馳走してもらったり、タバコをよく薦められたり、バス代を無料にしてもらったりした事は多く、とても印象に残っています。

もちろんそれはある程度物価水準が高いからできることで、それは親切というよりも、もてなし好きな性格といった区分になるのかなと思っています。ですから私の中でのトルコ人は、親切というよりも、もてなすのが好きな人種という認識になっています。

では日本人はどうでしょう。日本人は親切だと聞くこともあるし、逆に知らない人が道で困っていても進んで助けようとしなかったり、日本を旅した外国人からあまり親切とはではなかったと言われたことも何度かあります。どちらかというと見も知らない他人には関わらないといった閉鎖的な感情を持っているような気がします。言葉が出来なかったり、恥ずかしがり屋だという部分を差し引いても、目の前で困っている人を進んで助けないというのはやはり親切といった感じはしません。

その一方、何かの縁で知り合ったり、よく知ったお客さんにはもてなすのは好きだったりします。そう考えると、日本人も親切というよりはマナーは良かったり、もてなし好きといった感じではないでしょうか。そう考えるとトルコ人と似ている部分があるのかもしれません。そういった感覚的な部分、目に見えない人間関係の距離感でもトルコ人と波長が合い、お互い嫌な感情が生まれにくいのかなと思ったりします。

オイルレスリング
オイルレスリング

トルコといえば体に油を塗るオイルレスリング。
普通のレスリングも盛んです。

また、トルコ人は腕相撲やレスリングなど力比べが好きな人種です。レスリングはオリンピックでメダルを取るほど盛んで、トルコには伝統的な競技オイルレスリングが今でも行われています。そういったことを考えると、トルコ人の遠祖は中央アジアの遊牧民だったんだなと感じますし、日本の相撲や柔道に通じる部分があるように感じます。

その一方、他の中東の国とは違って空手などの格闘技にはあまり興味を示しませんでした。とにかく真っ向から力勝負というのがトルコ人の気質のようです。そのせいか滞在中何度かレスリングや腕相撲をやらされました。その感想はトルコ人は腕力があるということです。完敗とまではいかないものの、ほとんど負けました。トルコでは、性格はやさしくて、力持ちの男の人が理想の男性像らしいです。私はトルコではもてそうにない・・・。涙

旅の雑学のエッセイ
トルコ人ってどんな人種?
風の旅人 (2020年3月改訂)

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