風の結晶 ~風の旅人エッセイ集~

~ バイクツーリングやレースについてのエッセイ ~

§8、日本のへそ(真ん中)

日本の四隅について調べていると、今度は日本の真ん中ってどこだろうと気になり始めました。そもそも日本の真ん中といった概念はあるのだろうか。日本の中心といえば、誰がなんと言おうと東京だよな。となると日本橋とか皇居?いや政治は永田町で、行政は霞ヶ関で、経済が兜町ってか。それでは当たり前すぎて面白い旅のネタになりません。

そういえば青森で日本中央の碑というものを見たし、岐阜では日本の真ん中街道っていうのを走ったぞ。明石市の標準子午線というのもありかな。その線で調べてみよう。最初は日本の四端と真ん中というタイトルで作ろうかなといった軽い気持ちだったのですが、調べてみると四端に負けず劣らず日本の真ん中というのも厄介な代物だという事に気が付きました。調べれば調べるほど出てくる出てくる。もっともらしいものやら、胡散臭いこじ付けまで、緯度や経度で正確に決められてしまう端よりも、色々な定義で自由に日本国内を移動してしまう真ん中のほうが厄介なのかもしれません。

なんだか騙されていると感じつつも、色々とピックアップしてみると立派に1ページが出来上がってしまいました。とりあえず四端と違って比較的訪れやすい場所にあるので(真ん中だけに?)、お出かけのついでに寄る事ができるのがせめてもの救いでしょうか。

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日本の真ん中マップ

・日本のへそ 兵庫県西脇市

何から載せようかと迷ったのですが、やはり四端の延長という事で、まず緯度や経度の観点から考察していくと、この西脇市が浮かび上がってきました。西脇市は昭和52年に「日本のへそ」を宣言し、平成元年から「日本のへそです大作戦」を展開し、「日本のへそ公園」やら「日本のへそ公園駅」、「日本のへそモニュメント」をつくったり、「日本のへそ西脇子午線マラソン大会」を開催したりとアピールの仕方が強烈です。

なぜにこれほどまでに強烈にアピールするのか、いや、正確な定義のない日本の中心を自信満々にアピールできるのかというと、この町を東経135度線と北緯35度線が交わっているからです。東経135度線は言わずと知れた標準子午線。そして北緯35度線は有効的な日本の端である北端の宗谷岬(北緯45度31分)と南端の波照間島(北緯24度02分)の中間点。だからこの二つの線が交わるこの町が日本の中心だと主張しているわけです。

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ちなみに「日本のへそ公園」には、「緯経度交差点標柱」が建てられています。オリジナルは大正12年に旧陸軍参謀本部陸地測量部の計測に基づき建立されたとか。だからへその起源は大正時代にまでさかのぼるほど古いことになります。

その他、経緯度をテーマとした西脇経緯度地球科学館「テラ・ドーム」があります。ここには大型反射望遠鏡を備える天文台が備え付けられていて、科学を楽しめる場として市民に開かれています。そして平成6年にはGPSでちゃんと測ったらへその位置が違うぞって事で(多分、新しい国際規格の緯度経度のことでは?)、GPSで測った位置に日本のへそモニュメントをフランス人設計者のデザインによって建てたという徹底ぶり。

ここまでされると、ここが日本の真ん中だと認めたくもなってきます。しかし、関西ではどうか分かりませんが、標準子午線上にある明石天文台ならいざ知らず、関東での日本のへそ西脇市の知名度はほとんどないのが実情ではないでしょうか。

< 西脇市観光協会のHP >

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・日本のへそ 群馬県渋川市

渋川駅前の写真
駅前のへそのモニュメント
へそ地蔵とへそ石の写真
へそ地蔵とへそ石

西脇市が西の日本のへそ代表なら、東の代表は群馬県の伊香保温泉地で有名な渋川ってところでしょうか。その「へそ」たる主張は、日本の四端で書いた本土という概念で、北の宗谷岬、南の佐多岬円周上の点と考えると、日本の中心は群馬県の渋川になるようです。つまり渋川市を中心に円を描くと、日本列島がすっぽりと収まるというわけです。という事で、昭和59年には「日本のへそ」にちなんで「第1回渋川へそ祭り」を実施し、「へそのまち宣言」を行いました。

が、しかし、この理論から言うと、宗谷岬と佐多岬とが等距離にある場所ならどこでも「へそ」になれるわけで、関東最東端の地である銚子市も我こそは「へそ」なりと主張していたとか・・・今では日本一早い初日の出の町として売り込んでいますが・・・。自分で円を描いてみるとよく分かるのですが、要は渋川と銚子と結んだ線上付近ならどこでもいいのです。例え能登半島の先端でも。って能登半島も中心だと主張していたりします。

しかし「へそ祭り」をやってしまうだけの「へそ」たる自信が渋川市にはありました。もちろん、渋川といえば有名な伊香保温泉のお膝元。温泉地の活性化を含めての客寄せもあったのでしょうが、ここにはなんと「臍石(へそいし)」というものがあったのです。備え付けの解説によると、平安時代に坂上田村麻呂が、東北遠征に行った帰りに渋川に立ち寄り、この石を見つけて、「東北と都(京都)のまん中だ。ここが国のへそだ。」と言ったとか、言わないとか。

その横には「日本の臍(へそ)中心標」と、日本のまんなか「臍(へそ)地蔵」というのもあります。この地蔵様は一風変っていて、とても大きな臍をしています(臍地蔵だから当たり前か・・・)。それに触ればご利益があるとか、ないとか・・・。

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その他にも、町中に「日本の真ん中」をアピールしたものが多かったりします。ちなみに「へそ祭り」とは、毎年7月に開催され、大きなへそをつけた格好をしたり、お腹に絵を描いた格好で踊りながらパレードをするといったようなもの。「へそ出せヨイヨイ」の掛け声で、お腹に絵を描いて踊る「はら踊り」が特にユニークだとか。なんやかんやいって市民の間でも渋川の夏祭りとして定着してしまい、渋川の夏の風物詩になっているようです。

機会があれば見に行ってみたいなと思うものの、おっさんのブヨブヨの腹はあまり見たくないような・・・。若い女性のばかりだったら何としてでも都合を付けて行くのにな。 そう考えると、むしろ同じ群馬でも大泉町のサンバカーニバルの方がいいかも・・・って話が脱線してしまっているし・・・。

< 渋川観光協会のHP >

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・日本の中央碑 青森県東北町

日本中央の碑1日本中央の碑1
日本中央の碑(展示の様子と拡大図)
高さ1.5m、幅0.7mの巨石 文字の彫りが非常に浅い

渋川の項で坂上田村麻呂がでてきたので、その関連で次の話を進めると、日本の中央と書かれた碑が建てられている(発掘された)場所があります。それはなんと青森県。なぜにこんな辺境の地が日本の中央と疑問に感じるでしょうが、日本という呼び名で定着したのは比較的新しかったりします。

記憶が正しければ確か豊臣秀吉が中国の民国との交易の際の書状に日本と書くようになってから日本という呼び名が定着したのではなかったでしょうか。それまでは「倭」「大和」といった呼び名を使っていたようです。そもそも「日本」というのは「日ノ本の国」という意味。中央の「大和」に対して東北の文化圏を「日本」と呼んでいたようです。

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その東北を平定するためにやってきたのが例の坂上田村麻呂。平安時代のことで、その時に朝廷の力を示すために刻んだと言われているのが、この碑ではないかと言われています。西行の歌に「つぼのいしぶみ」とちゃんと詠まれているし、9世紀の青森地方のに「都母(つぼ)」の名が記されているといった根拠もあります。

ただ根本的な問題として、坂上田村麻呂が本当に青森県まで来たのかは疑わしく、どうやら来なかったのではと言われていたりします。そう考えると、いんちきではないか!といった事になってしまうのですが、坂上田村麻呂が来なかったにしろ、彼の後継者はこの地を平定しに来ていることから、同じような経緯で建てられた可能性はあります。

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ちなみに縄文時代後期には日本の文化の中心は青森にあったと考えられています。嘘だ!と思う人も青森県内にある縄文遺跡の数々を見れば納得する事でしょう。その名残りで東北は代々勢力の強い豪族が支配していたとされています。例えば、平泉の藤原氏のように。

実際に訪れてみると、写真のように大した石碑ではありませんが、この石碑のためだけに展示館が建てられ、ぽつんと中央に石碑が展示してあります。入場料は無料。しかし一日何人の観光客が来るのだろうか・・・。いっその事、レプリカか「日本中央の石碑発掘記念碑」みたいな石碑を建てた小さな公園を造り、実物は県立博物館にでも展示したほうが良かったのではないだろうか。閑散とした展示室の中で思いました。ただ、「青森で日本の中央」といった不思議な組み合わせは話のネタ的には面白く、歴史的興味よりもそれを目当てに訪れるような人も多いようです。

< 青森県観光情報サイト >

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・日本中心の標 長野県辰野町

日本中心の標
日本中心の標
(*写真1点、辰野町のHPより)

日本中央の碑から、今度は「日本中心の標」です。似たような名前の碑ですが、こちらは全くといっていいほど無名の場所にあります。この碑の事を知った時に書かれていた説明書きには、「日本の中心の県はというと長野県で、その中心にあるから我こそは日本の中心だ」といっためちゃくちゃな理由が書かれていました。

調べてみると、その碑の場所は東経137度59分36秒、北緯36度00分47秒。諏訪湖の西に岡谷市があり、更に山を越えて西に小野という古い宿場町があります。その二つを結ぶ塩嶺王城(えんれいおうじょう)パークラインと呼ばれる道の途中に枝垂栗森林公園があり、そこから辰野駅方面へ下る王城枝垂栗林道の途中にこの標があります。この林道は閑散としたダートの道です。そしてこの標の近くには日本の屋根展望台と名づけられた展望台があり、南・北・中央アルプス、八ヶ岳連峰、松本平、諏訪盆地、伊那谷などの眺望を見ることができるようです。

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管理している辰野町のホームページをのぞいてみると、辰野町は東経138度線と北緯36度線が交わり、本州のほぼ中心に位置するこの位置に日本中心の標を建てた」とか。「本州=日本の中心」と考えれば多少納得できるものの、どうやら日本中心と書いてありながら、この碑は本州の中心を示しているようです。

それなら正確な位置に建てればいいものを・・・、何かこの場所でなければならない根拠があるのだろうか。それとも半分どうでも良かったのだろうか。確かアメリカの地図会社だったかの計算では日本の中心は諏訪湖の西側付近になっていたはず。その趣旨は日本列島が一点で支えられる場所といったものだったと思うのだが・・・もしかしたらその場所なのだろうか。

何にしても行ってみなければよく分かりません。行った人の話では、「林道はずっとダートだけど比較的フラットな道なので普通のバイクでも全然問題なく行けました。」とのこと。行ってみると、一番最初に読んだめちゃくちゃとも言える趣旨が本当だと実感する事になるのかもしれません。ただ、ダートはあまり好きではないので、本当に行くかどうかは微妙なところ・・・。

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< 追記 >

2008年10月、乗鞍岳に紅葉をみながら登山をした帰りにようやく訪れる機会がありました。果たして無事に着けるだろうか。心配なので付近の詳細な地図をプリントして行くことにしました。が、登山をした後であちこち寄っていたら最寄りの小野駅に着く頃には夕方になり、かなり薄暗くなってしまいました。急がなければ。国道153号から「しだれ栗森林公園」の案内板のある踏切を渡りました。なんか案内板も小さいし、踏切も小さいし、前途多難な予感が・・・。しかし踏切を渡ってからは道が二車線でしかも舗装も新しい。もしかしたら楽勝かも。ひたすら森林公園を目標に登っていきました。

しだれ栗森林公園
しだれ栗森林公園
日本中心の標へ続く道
日本中心の標へ続く道
ダート道の分岐にあった案内板の前で
ダート道の分岐にあった案内板の前で

しばらく登ると、「日本中心の標」という案内板がありました。何と親切な。案内板なんて絶対に出ていないと思っていたので驚きです。とはいえ急に出現したので、Uターンするためにその先にある「しだれ栗森林公園」まで行ってしまいました。この「しだれ栗森林公園」って・・・、薄暗くなっていたせいかなんか荒れた感じのする公園でした。

とりあえず写真を撮って、先ほどの案内板の場所へ戻り、細い道を入っていきました。案内板によると、ここから6キロちょっと。結構距離があるな。早くしないと真っ暗になってしまう。急ごう。と、細い道を進んでいったのですが、最初のカーブを曲がるとすぐにダートとなってしまいました。げ、もうダートかよ。ってことはこれから6キロも・・・。

迷ったものの、せっかく遙々来た事だし、この程度のダートなら私の腕でなんとかなるはず・・・と進んでいきました。しかし5分後。坂が急になり、道が曲がりくねっている上に轍がひどく大変。行けたとしても帰れるだろうか。下りのダートで、この道の悪さ、そして暗さ・・・。心配になりながらも更に進んで行くものの、1キロぐらい走って断念しました。

モトクロスや比較的ダートに強いアメリカンタイプならともかく、普通のバイクではちょっと厳しい。仮に転倒してしまったら明日まで誰も助けに来てくれないだろうな・・・。下手したらバイクの下敷きになったまま一晩過ごすのかよ・・・。そう考えると恐怖に感じてしまいました。

慎重にUターンして下りはじめました。下りの怖いこと。段々と手の握力がなくなり、バイクもオーバーヒートしそうな感じだったので、いったんバイクを止めて休憩。これはたまらない。暗くなったら危険だ。手の痛みが取れたらすぐに出発。

が、次にエンジンをかけようとすると、セルが回らない。げっ、バッテリーが上がっている・・・。そんな~。下りだから何とかなるな。エンジンを切ったままでなんとか舗装された道まで戻りました。もう疲労困憊。手も足も、神経もずたずた。おまけにバイクまで故障とは・・・こりゃ駄目だ。一応やれるところまでやったということで、「日本中心の標」まで6キロと書かれた案内板の前で写真を撮って納得することにしました。

エンジンは押しがけで始動して無事に帰宅できたものの、電気関係の部品(レギュレター)の故障でした。全くこんな時に壊れなくても・・・。辿り着けなかった上にほんと大変な思いをしてしまいました。

< 辰野町のHP >

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・日本列島の臍(へそ) 山梨県韮崎市

日本中心の標
幾つかの標や碑が並んでいる場所
日本中心の標
日本列島の臍の標
日本中心の標
畑の中にある日本列島の中心地

山梨県の韮崎市にある中心地です。昔調べたときは全くその存在が知られていませんでしたが、近年では知名度が少し上がり、「日本の中心地」とか、「日本のへそ」で検索すると引っかかるようになりました。が、やっぱり非常にマイナーな中心地である事には変わりなく、訪れるのに少々苦労します。

ここの中心地の碑は二カ所に設置されています。まず訪れやすい方は、県道607号線が南宮大神社の所で直角に曲がっているのですが、そこの神社側の部分に「日本列島の臍」の石碑に日本列島の中心地の案内板、そして地図と「日本のへそ→900m」の案内板が並んで置かれています。「日本のへそ→900m」とあるようにここが本当の中心地というわけではなく、わかりやすい場所という事でここに色々設置されているようです。

そしてその900m先の「日本のへそ」はちょっとわかりにくいところにあります。そのまま矢印の通りに607号を進むと、若宮八幡宮の所にまた矢印があり、細い道に入っていきます。そして道なりに進み、お寺の少し先の方で右に曲がって少し行った先にへその地があります。

といっても案内板だけが設置されていて、辺りは果樹園です。ちょうど崖の先端部なので、崖沿いに進むといった感じになりますし、写真にも写っていますがちょっと先に鉄塔もあるので、それを目指す感じで進めばたどり着けるかと思います。

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なぜこの地が「へそ」なのか。設置されている看板によると、日本列島の最北端(稚内市)と最南端(鹿児島の佐多岬)の2点を円で囲んだ中央が、日本の最東端(南鳥島)と最西端(与那国島)との中心の経度と交差する日本列島の中心地であり、地元ではこの地を日本列島のへそと呼んでいると書かれていました。

緯度で表すと北緯35度41分27秒、東経138度27分40秒になります。が、結構こじつけたなといった印象です。円で囲ったり、経度の真ん中だったりと南北と東西の基準がバラバラだし、基準の場所も北と南は本土の端、東西は国土の端とこれもバラバラ。ちょっと微妙かなといった感じでしょうか。それにしても案内板を設置しているのが、大草町ではなく、大草公民館って・・・。なんともローカルな感じの中心地かなと思ってしまいました。

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・日本のど真ん中 栃木県佐野市 (旧名:田沼町)

道の駅での写真道の駅のモニュメントの写真
道の駅「どまんなか たぬま」と水の翼のモミュメント

簡単に書くと(難しく書くと長い数式になるみたい)、日本列島の北端と南端、それに日本海側と太平洋側の各地点から等距離に位置するから我こそは日本のど真ん中だと宣言した町があります。栃木県にある田沼町です。地図で探してみると、佐野厄除け大師や佐野ラーメンで有名な佐野市のちょっと上の辺り。この付近は何度も走っているけど、ちっとも気が付かなかった・・・。機会があったら寄ってみるかという事で、茨城にツーリングに行った帰りにかなり大回りになる事を覚悟して行ってみました。

が、思いの他手間取り、到着する頃には既に暗くなりつつありました。とりあえず道の駅で一休み。と、この道の駅の名が凄い。「どまんなか たぬま」。しかも結構でかい。これは期待できるかもと建物の内部を散策するものの、中は物産展や地域交流の施設だけ。唯一見つけた真ん中らしいのは「水の翼」と題がつけられたモニュメントでした。

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解説を読むと、日本の中心と水の町を表しているとか。一応写真を撮ったものの、もう真っ暗になる寸前でちゃんと写りそうにない。それよりも日本の中央とか、日本のど真ん中とか書かれている碑はないの・・・?施設内を探し、案内板を調べまくっても見つかりませんでした。まあいいか、暗くなってしまったし。また機会があったら来よう。日光にも比較的近いしと、その日は退散しました。

後日調べてみると、この道の駅から作原方面に20kmぐらいいった山の中に蓬山ログビレッジがあり、そこに「日本列島中心の地」と刻まれた石碑があったようです。その横には面白石(おもっちろいし)と言われる岩があり、なぜ面白石かというと、表面に白い石が付いているから・・・。そしてそこから少し山の中にはいった東経139度30分21秒北緯36度30分54秒の地点に日本列島の中心点があるとか。

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そのうち再訪問してみようかと思っていますが、現在田沼町は佐野市に合併してしまい、いまいち真ん中だ~といった盛り上がりがないような気がします。佐野市がそういう茶番には興味がないのかもしれませんし、住民も佐野市と合併した事によって地域活性化といった概念が消え、真ん中であることに興味がなくなってしまったのかもしれません。道の駅「どまんなか たぬま」にしても真ん中だといった主張は名前だけだったし。ちょっと行くのに気が重い・・・。

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<追記>

張り切って行ってきました。というのは嘘で、紅葉時分に日光へツーリングに行く機会があったので、ついでに行ってきました。他の仲間と一緒だったので、さりげなく面白い場所があるぞ誘ってみるものの、誰も行きたがる人がいなく、更には巨石マニアとしての切り札名草の巨石群(天然記念物)や出流原弁天池湧水(名水100選)を付け加えたのですが、反応は一緒。仕方なく昼食後一人で日光を降りました。って、なんでこんな事しなければならないんだ。と自棄気味。まるで真ん中探しのバツゲームみたいかも・・・。

で、ひたすら田舎道を走り続けました。国道293号から県道16号か66号を北上し、そのうち県道201号になりひたすら作原方面へ。蓬山ログビレッジは大きな施設のようで途中途中に後何キロと表示が出ているので迷うことはありませんでした。ちなみに国道293号の交差点からは18キロでした。

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日本列島中心の地の碑の写真
日本列島中心の地の碑
右側が面白石

到着してみると、大きな公園のような施設で、ログハウスやアスレチックのような遊具がたくさんあり、レストランや売店などもありました。予想では小さな施設で他に人なんかいないんだろうなと思っていたのでちょっとびっくりしました。

お目当ての碑は目立つ場所にドンと建っていました。これがでかいし、おまけに紅葉時分だったので美しい。真ん中の碑が様になっているではないかと感激してしまいました。その横には噂の面白石がありましたが、抱腹絶倒とはいかず・・・ふ~んといったところ。そもそもなんで面白石がここにあるのと思ったら日本の真ん中の場所の近くにあったとか。

ん、真ん中近くにあったって・・・、そうだ、ここから更に山の中に入った場所に真ん中地点があったんだっけ。やっぱりそっちも行っておかなければならないのか。しぶしぶ向かうものの、途中に案内板もなく、迷子。しばらくさまようものの、もう日が暮れるし、真ん中の碑はとりあえず見たことだしと諦めることにしました。

面白石の表面の写真
面白石の表面
蓬山ログビレッジの敷地内の写真
蓬山ログビレッジの敷地内
面白石まんじゅうののぼりの写真
日本列島のどまん中
面白石まんじゅうって・・・
真ん中時計の写真
これは真ん中時計?
真ん中だけにやじろべいなのかな

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・日本列島ここが中心の碑 能登半島禄剛崎(ろっこうざき) 石川県珠洲市

禄剛崎の写真
禄剛崎と荒れる日本海

マイナーだし、ちょっと真ん中とずれているので、載せようか、どうしようか迷ったのですが、能登に住む友人の為に地域活性化になる事を願って載せました。国土地理院は日本の東西と南北端点を基に、「日本の重心」(重さのバランスが取れる場所)を東経137度42分33秒、北緯37度31分03秒と計算しました。その地点を地図で調べると、見事に能登半島と佐渡島の間の日本海上になります。支える陸地がなければバランスの取りようがないではないか!と考えたのかどうか分かりませんが、一番近い陸地である能登半島の先端の禄剛崎に「日本列島ここが中心」という碑を建ててしまったとか。

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しかし、一方では「最果ての地狼煙町」として売り込んでいたりします。能登半島の最果ての地に来たのにいきなり日本の中心のモミュメントがあるというのは・・・、何も知らない人は面食らう事でしょう。その辺のアンバランスさが面白いとは思いますが、以前銚子市が真ん中を宣言し、今では日本一の初日の出である事をアピールしているように、どちらかにしたほうがいいような気もします。

ちなみにモミュメントにはこの岬を中心とした円がすっぽりと日本列島を囲っている図が載っていますが、これは先に書いた銚子や渋川と同じ事。銚子と渋川と禄剛崎が同一線上にあるためです。という事で、ぜひ最果ての地と真ん中の地を一度に訪れる事のできる禄剛崎を訪れ、地元の珠洲市で豪華な食事をしたり、お土産を沢山買うなどして地域に貢献してあげてください。そうすれば自然と友人の懐も・・・?

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・人口の重心 日本のまん真ん中 岐阜県美並(みなみ)、武儀(むぎ)

今までのは緯度や経度、面積など日本列島の形で中心を決めていたのですが、この中心はちょっと変っていて、人口のバランスでの真ん中です。なんのこっちゃという人の為に簡単に書くと、一人の重さを60kgとして1000人住んでいる村だと60トン、10万人住んでいる町なら6000トンがその役場にかかるとして、その重さを計算していくと、重さのバランスが取れるのがこの岐阜県の美並村であり、人口重心地というわけです。

しかしその計算は5年ごとに行われる国勢調査に基づいているので、5年ごとに変ってきます。首都圏の人口が増え続ければ当然重心点が東に移動していくわけで、過去四回は美並村をさ迷っていたのですが、21世紀に入ると東隣りにある武儀町に移ってしまいました。

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日本のまん真ん中センター
日本のまん真ん中センター
(写真1点、美並村のHPより)

ここまでは普通の話なのですが、あまり笑えない話を書くと、この美並村、我こそは日本のまん真ん中だと平成9年に日本の真ん中センターといった施設を建ててしまいました。施設内には人口重心地の仕組みやら人口に関することなどが展示してあります。

ここまでもまだ許せる話ですが、ここからが本題。この施設は美並村が言うには「日本の人口重心地として地域の情報を発信するために造られました。建物自体が世界最大級の日時計になっています。」との事。

これがまた必要以上に立派な建物で、総工事費も莫大なもの。しかし人口重心は別の町へ移り、入場者は少ないし、色々なオブジェも壊れたまま。維持管理するだけでも年間うん千万円というからビックリ。しかも世界最大級の日時計といっても辺りは山ばかりで、あまり意味をなさない代物。

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更には次回の重心点が別の町に移る事が予測できていた平成9年の完成というから、何考えてんのと納税者の怒りが爆発中。小さな資料館とか、道の駅に付随する程度のものにしておけばよかったのです。という事で、近年は日本の真ん中というよりも税金の無駄遣いの中心地?という汚名で脚光を浴び始めています。

こういった呆れた施設もそうですが、岐阜から郡上八幡、白川郷に抜ける国道156号線は別名日本のまん真ん中街道(昔はただの真ん中街道だったような気がするのですが・・・気のせいかな)。走っていると、「日本のまん真ん中街道」という看板やら、「日本のまん真ん中の駅」だの「日本のまん真ん中温泉」だの「日本のまん真ん中の里」「日本のまん真ん中センター」といった真ん中づくしの看板があちこちに建てられています。

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ここまでやるかといった感じで、正直言ってうっとおしく感じます。そしてそういった看板に混じり、日本の首都を東濃へ!などといった看板もちらほらと。なんてことはありません。政治的に考えると、日本の真ん中だから首都の移転はここでといったアピールなのでしょうが・・・そもそも首都移転計画はいずこへ。それ自体が税金の無駄遣いと思えるのですが・・・。今後、日本の中心というよりも、国と地方とが協力して築き上げた税金の無駄遣いの象徴(真ん中)として有名な場所になっていくのかもしれません。

ちなみに現在の重心の中心地は武儀町の山の中にあります。行った人の話を読むと、かなり大変な場所にあるようです。そこにあるモミュメントは鉄の塊というか、重りのようです。人口重心だけに重さを表しているのでしょうか。美並村と比べるとシンプルかつ明快に感じることでしょう。

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・日本国 道路元標(国道の中心) 東京日本橋

日本橋の写真
日本橋

日本の中心はどこ?と単純に尋ねると京都といった意見もあるかと思いますが、ほとんどの人が首都の東京と答えるのではないでしょうか。紛れもなく日本の文化、経済、政治の中心地であり、世界に名だたる町である事は確かです。だから東京が日本の中心だといった趣旨では旅のネタになりません。ここで取り上げるのは東京は東京でも道路の中心です。

日本中を走っている道路の中心はどこだろう?疑問にするまでもなく日本橋です。古い諺に「全ての道はローマに通ず」といったものがありますが、日本の場合は全ての道は東京、そして日本橋に通じているといっても過言ではないのでしょうか。国道1、4、6号線を中心に波状に幹線道路が通じている場所。それが日本橋です。

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しかし現在の道路事情では、東京の東西を行き来するのに日本橋を通ることはありません。いわば旧道っぽい存在で、東京に住んでいても意図しなければ通ることのない橋となっています。東京に住んでいる私でもある意味とても新鮮な場所でした。

しかし、私の知っている日本橋は浮世絵のもの・・・。当然の事ながら現在の日本橋とはあまりにかけ離れていました。頭上を首都高速が走り、橋がそこにあることすら気が付かないような橋となっています。これが日本の中心と詠われた日本橋・・・風流さもまるで感じられないではないか。浮世絵の世界はどこへやら。安藤広重もビックリといったところでしょうか。ちなみに橋に掲げられている日本橋の文字は最後の将軍であった慶喜候の筆によるものだとか。

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日本橋の元標広場での写真
元標広場にて

この日本橋には小さな公園が幾つか作られています。それぞれに何かしらのモミュメントがあるのですが、そのうちの一つは元標広場と名づけられていて(決して広くないけど・・・)、国道の元標(複製)が埋め込まれています。その脇には主要都市までの里程標が石に彫られていました。青森まで736粁、下関まで1076粁といった感じです。この数字を見てその距離を実感できるような人、または日本全国をツーリングする者にとっては、ここ日本橋こそ日本の真ん中、もしくは始まりと感じるかもしれません。

例えば、ひたすら国道1号線を走って京都に向かったりした経験がある人なら、この場所に立つ事で何かしらの感動を味わえるのではないでしょうか。という事で、近くに停めていたバイクをよっこらしょと運んで、元標広場の前で写真を撮りました。比較的早い時間だったものの、何事かといった視線を浴びつつ(ちょっと恥ずかしかった)、これで日本の真ん中というか、日本の道路の原点を制覇したぞと一人で満足していたのでした。

しかし、元標をよくみると、(複製)と記されているではないか。なぜに複製?本物はどこだろう。博物館にでも展示されているのだろうか。いやいや、道路の真ん中、橋の中央に目立たないように埋め込まれていました。うっかり見落とすところでした。交通量の少ない時間でよかったと、てこてこと道路の真ん中に行き、カシャッと本物をカメラに押さえておきました。今度こそ満足して撤収しました。

日本橋の写真
日本橋
里程標の写真
里程標
道路元標複製の写真
日本国 道路元標複製
道路元標の写真
本物

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・明石天文台と標準子午線(時間の中心) 兵庫県明石市

「東京以外で日本の中心を挙げるとしたらどこ?」といった質問をすると、必ず何人の人かは明石天文台。もしくは明石市と答えるのではないでしょうか。明石天文台というのは周知のとおり日本標準時を決めた場所ですが、この標準時の権力というか、影響力は思いの他絶大で、私も素直だった小学生の頃などここが日本の中心だと感覚的に思い込んでいました。

「日本の時間の中心=日本の真ん中」「日本の真ん中だから日本の時計全てがここの時間に合わせるんだ」といった単純な発想でしょうか。私の幼き思い込みはどうであれ、東経135度線上にある明石天文台が時間的に見れば日本の中心となるはずです。

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しかし実際のところ135度線は明石天文台の真上を通過しているわけではなく、200mぐらいずれているとか・・・まるでエクアドルの赤道モニュメントみたい。この日本一有名な天文台と一緒に写真を撮るのもよし、また国道二号線にも子午線の案内板がありました。今子午線の真上に立っているぞ。といった写真を撮りたいなと思っているのですが、この案内板は走っているといきなり現れるし、あの辺りは結構混んでいるので、なかなか撮る機会がありません。次回こそは天文台も含めて、ちゃんと写真に収めてこようと思っています。

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・地図と標高の中心(水準原点と経緯度原点) 東京都

日本水準原点標庫の写真
日本水準原点標庫の扁額の写真
日本水準原点標庫

あまり実感のない中心ですが、比較的身近にあったので話の種に行ってみる事にしました。まずは日本水準原点。これは国会議事堂前の憲政公園にあります。場所が場所だし、名前がとげとげしいので、一体どんな公園だろうと期待しつつ訪れたのですが、いたって普通の公園でした。要は憲政記念館という、国会の組織や運営、憲政の歴史や憲政功労者に関係のある資料を展示している博物館に付随した公園というだけの事です。

一体どんな点だろう?と公園に入ると、いきなりローマ遺跡のような建物を発見。何じゃこれ。しかもチャリダーの人が自慢げに写真を撮っているし。まさかこれが・・・近寄ってみると、これがまさに日本水準原点標庫であり、この中に水準点があると案内板に書いてありました。何も知らずに訪れたのでビックリ。ただの点だけがあるとばかりに思っていたのに・・・(ものすごく単純に考えていた私でした)。

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さて、この中にある水準原点とは一体どんな形をしているのだろうか?ふつふつと疑問がわいてきたのですが、建物を一周しても入り口はないし、中を覗く事もできませんでした。それにしても何だってローマ神殿のミニチュアのような建物なんだ。中を見れない分この得体の知れないローマ建築で我慢してくださいという事なのだろうか。備え付けの説明書きには理由は書いてありませんでしたが、東京都の指定文化財に指定されていて、最後に「明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。」と締めくくってありました。

これってなんか変?どうみても古代建築のレプリカではないか。洋風は合っているかもしれないけど・・・。そしてさりげなく建物上部には菊の紋章と「大日本帝国」なんて彫刻がしてありました。今時珍しい。その事のほうが貴重な気がしました。

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この水準原点には日曜日の朝に訪れたのですが、自転車の人やら、観光客やらと、なぜか人が多くてビックリ。そんなに水準原点って有名なのだろうか?てっきりマイナーで誰もいない場所だとばかりに思っていたのに・・・。

実は隠れた人気スポットだったとか?それともたまたまだったのかな?ちょっと疑問に感じつつも、聞こえてくる会話は「ここが日本の中心なんだ。」「違うよ。水準点の中心だよ。」「水準点って何?」といったものでした。確かに国会議事堂が目の前にあり、そのまん前に○○点ってなものがあればここが日本の中心だと勘違いしてしまう気持ちは分からないでもないのですが、結局のところよく分からないけど来ちゃった人が多いようでした。

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伊能忠敬記念館にある一等水準点の写真
佐原にある地図の先駆者
伊能忠敬記念館にある一等水準点
野麦峠の一等水準点の写真
野麦峠の一等水準点

では「水準点とは何?」という人の為に水準点に付いて簡単に書くと、水準点とは海面からの高さを記した点です。何に使うかというと、高さの測量を行うときの基準にするもので、全国の主な国道または県道等に沿って約2kmごとに設置されています。その数は全国でおよそ2万余り。その親玉がこの得体の知れない建物の中にあるというわけです。測量に関わる人以外はあまり関係ないものですが、一等水準点と呼ばれるものなどは古風な石で作られているため、それなりに画像収集マニアがいたりします。興味あれば検索してみてください。

で、この親玉である水準原点の役割はというと、日本全国に水準点を設置するにも地上のどこかに高さの基準になる点が必要となります。その基準となっているのがこの水準原点です。ここの高さは24.4140mで、東京湾平均海面を基準にしています。そもそも明治24年に日本水準原点がつくられた時には24.5mだったようですが、その後関東大震災による地殻変動で少し地盤が沈下したようです。ちなみに我が国で最も高さが低い一等水準点は青函トンネル内の標高-256.5674mで、最高点は、野麦峠の標高1,672.47mです。

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経緯度原点の写真
経緯度原点の写真
経緯度原点の写真
日本経緯度原点の標と原点の拡大図

もう一つ東京にある地図に関する中心が、日本経緯度原点です。日本経緯度原点とは、日本の地理学的経緯度を決めるための基準となる点であり、測地座標の原点です。といってもピンとこないので、平たく書くと、この点を中心にして座標を計算して日本地図が作られたと考えれば分かりやすいと思います。で、どこにあるかというと、東京タワーのお膝元の飯倉交差点を六本木方面に登っていくと、ロシア大使館があり、その横の路地を入ったところにアメリカンクラブがあり(なぜにロシア大使館と隣り合わせ?アメリカの陰謀を感じざるを得ない配置だったりします)、どんづまりの奥に合同庁舎があります。

そして右手の一角に小さな公園っぽい広場があり、そこが日本経緯度原点です。はっきりいって分かりにくいです。というより、勝手に入っていいのだろうかといった場所にあります(多分勝手に入っていいはず・・・)。しかもロシア大使館がすぐそばなので、警備の警官の多い事。バイクをどこに停めようか。まずそこから悩んでしまいました。

ではなぜにこんないわくのありそうな地に原点があるのかというと、そもそもここは明治7年に海軍の観象台と利用され始め、明治21年には帝国大学付属の東京天文台となりました。そして明治25年に天文観測用の機械である子午環が設置されていた場所を経緯度原点と定めました。

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しかしながら大正12年の関東大震災の時に子午環は崩壊。それにガス灯の普及で都心の空も明るくなり、天体観測に支障をきたし始めていましたこれはいい機会だ?と思ったようで天文台は三鷹に引越していきました。で、残された子午環跡というか、経緯度原点に定められた地点は地図製作においてとても重要な地点なので、国土地理院が引き継ぎました。そして金属標を埋め込んで経緯度原点とし、その後も地図の製作などに活躍したそうです。

現在も使用されているようですが、GPS時代というか、宇宙観測が主流になった現在、国際的な共通規格である世界観測系という測量法が用いられているので、あまりこの原点も活躍していないようです。実際、大正7年の測量では、東経139度44分40秒5020、北緯35度39分17秒5148だったのが、平成13年には東経139度44分28秒8759、北緯35度39分29秒1572に変更されています。

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< 地方版の真ん中 >

日本の中央以外にも色々と中央と名が付く場所がありました。県の中央などといった細かいところまで挙げると切りがないので、それなりに有名な地方版中央をピックアップしてみました。

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・本州中央の地 長野県松本市浅間温泉

本州の中心というのが長野県の松本市のちょっと北にある浅間温泉にあります(噴火で有名な浅間山とは全く違う場所です)。「日本中央の碑」として紹介した辰野町も同じ長野県で、松本のおよそ30km南に位置しています。こちらも中心に関しては辰野町とほぼ同じような理論のようで、本州の中心は長野県で、長野県の中心が松本・・・同じ県内で争わなくてもいいのではと思ってしまうのですが、一応こっちの碑には「本州中央の地」と書かれています。しかも碑が建っているのは薬師堂の前とさっぱり意味不明。

では実際の長野県の中心はどこなのでしょう。一応目安として国土地理院の計算による県の重心は、東経138度02分38秒と北緯36度07分48秒が交わる場所です。その地点を捜してみると岡谷市の北にある高ボッチ山山頂付近になります。辰野町の日本中心の碑からは直線距離で約14km北東方向にずれ、浅間温泉からは南東に15kmずれています。やはりどっちもどっちといった感じではないでしょうか。それよりも高ボッチ山を日本の中心の山として積極的にアピールしたほうがいいのでは・・・。

< 浅間温泉のHP >

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・北海道のへそ 富良野市

富良野といえば「北の国から」のロケ地で有名な町。ラベンダーが咲き乱れ、さだまさし氏の「北の国から」のテーマ曲がら~ら~ららら♪と流れてくるような場所です。ここが北海道の真ん中、へそとなるようです。確かに北海道を地図で見ると富良野が真ん中のような気がします。一応、富良野小学校の校庭に「北海道の中心標」があり、北海道のへそである富良野に来たといった証明書も富良野物産センターへ行けば、無料で発行してもらえるそうです。話のネタとしては面白いかもしれません。

でも、北海道の真ん中だからっていう理由だけで富良野を訪れる人はいるのだろうか・・・。いや、、、いるんだろうな。観光よりも何よりも北海道の四端をとにかく制覇しようとするがむしゃらなライダーがいるはず。そういう人にとっては真ん中も訪れるべき場所なのでしょう。それなりの観光地だし、いいアピールの仕方だと感じました。ちなみに北海道の重心は東経142度49分26秒と北緯43度28分11秒が交わる点。富良野市は北緯43度09分24秒 ~ 43度24分05秒、東経142度16分17秒 ~ 142度40分40秒に位置しているので、重心でみると少しずれています。ではなぜに小学校の校庭に碑が建っているのでしょう。何かしらの理由があると思いますが、特に明記されていなかったので分かりません。

< 富良野観光協会のHP >

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・九州のへそ 熊本県山都町(蘇陽町)

なんか変った名前です。蘇陽町って防人で有名な九州だから租庸調のことなのかなと思ったのですが(漢字の変換で間違えたため)、昔は「町」なんて言葉は使っていないのだから関係ないはずです。いきなり脱線してしまったのですが話を戻すと、ここが九州版の真ん中です。わが町には何か全国的にピーアールするような事はないだろうかと商工会の人が知恵をひねり、北海道の富良野が北海道のへそとして売り出しているのを知り、九州のへそというネタを思いついたようです。

昭和57年ごろから町おこしの為に積極的に「九州のへそ」をアピールし始め、「へそのシンボル塔」やら「九州のへそ」と名が付く特産品を商標登録したりと、活動的に「へそ」ぶり?を発揮していたのですが、ここもまた栃木の田沼町と同じで市町村合併の波が押し寄せ、平成17年に山都町として再出発する事になりました。

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で、合併した後は、一応九州のへそを名乗っているものの、以前のような活気はなさそうな感じです。九州のへそのアピールは採算に合わなかったのだろうか?それともアピールしてもメリットがなかったのだろうか?ちょっと気になりますが、観光客としては九州の真ん中がどこであっても訪れる場所はお決まりのツアーコースであることには変わりありません。

ふと、九州の地図を見ていて思ったのが、私はこの旧蘇陽町のすぐ北にある阿蘇山、すぐ東にある高千穂、すぐ西にある通潤橋、南にある椎葉村と有名な観光地は全て訪れているのですが、この旧蘇陽町は一度も通っていなかったりします。まるで台風の目のような場所。私にとっては「九州のへそ」は「九州のブラックホール」なのかもしれないなと思ってしまいました。

< 山都町のHP >

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・四国のへそ 徳島県三好市(池田町)

四国のへそといえば、徳島県の池田町になるらしい。しかし、地図で場所を確認すると、???。なんか変。明らかに真ん中ではない場所に池田町がありました。なんでだ。普通に考えると、高知の土佐町辺りが真ん中になるはずなのに。これは面白い展開になったぞとばかりに調べてみると、色々と面白い事が分かってきました。

四国という独特の地形により繰り広げられる県民性のドラマといったところでしょうか。詳しく書くとそれだけでページが出来上がってしまいそうなので、簡単に書くと、四国は四方を海に囲まれ、三方が対岸との結びつきが強く、橋で結ばれています。東にある徳島県は和歌山や大阪と。北東にある香川県は北の岡山と。北西にある愛媛県は広島と。南の高知県は・・・太平洋・・・いや東京と。といったわけで経済の流れというか、力のベクトルが見事に拡散しています。となると、強い経済圏と手を結んでいる、もしくは近い場所が力関係では有利になります。

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となると、日本で二番目の商業圏である大阪に近い場所が力を持った文化圏といえます。そういった視線でみると、東高西低。この池田町辺りが四国の中心だといった視点も経済的に考えるとまんざら間違いではないかなと思えてきます。交通の要所であるというのも事実で、徳島から西に向かう場合、ここで南の高知、西の松山へと道が分かれます。それにしてもへそっこ公園にへそっこ大橋、そしてへそっこ祭りとなかなかのアピール振り。そして市町村合併で池田町を中心に三好市が誕生。さらにへそ振りを発揮するのかもしれません。

一方、地図で見る中心である土佐町はというと、あまり関心がないような、あるような・・・どうもはっきりしません。町長のインタビューでは、「土佐の魅力は四国の中心地(へそ)に位置し、伝統ある旧国名「土佐」を継承する山紫水明の町である事です。」また、「わが土佐町は、地図を四つ折りにすると、四国の中央(へそ)にあります。」とも言っています。が、住民はそんな事はどうでもいいといった感じ。県が違うし、今更アピールしてももめるだけで得をしないといったところではないでしょうか。それに四国のへそだからといって何が変るわけでもないような・・・。その他愛媛県の伊予三島市あたりも我々が四国のへそだと言っていたりして・・・。四国のへそは四国のまとまりのなさの象徴かもしれません。

色々とみてきましたが、どれもこれも決定打に欠けるといった感じではないでしょうか。そう考えると、どこが真ん中だといった事を議論するのもばかばかしいので、あくまでも話のネタとして割り切って考える方が利巧かと思います。それに、一時期は我こそは真ん中だといった議論が活発に繰り広げられていたようですが、今では真ん中熱も冷め切ってしまったようで、あまり話題に上らなくなってしまいました。

という事で、話のネタにどうぞといった感じで、お世辞にも全て回ってみてはとお勧めする事はできません。もし全ての真ん中を回った人がいれば恐らくよほどの暇人か、小ネタ好きな旅人なのでしょう。こうやって真ん中を取り上げている私も相当暇人ってことで・・・。

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<バイクツーリングやレースについてのエッセイ §8、日本のへそ(真ん中) 2006年12月初稿 - 2015年9月改訂>