風の足跡 ~風の旅人旅行記集~

進め若者! 突撃タイ旅行記

~ 第11章 さらばタイ ~エピローグ~ ~

*** 第11章 さらばタイ ~エピローグ~の目次 ***

~~~ §1、最終日始まる ~~~

<1996年9月14日>

起きるともう9時でした。昨夜はゴーゴーバーなどに行くなど夜遊びをしたのでしょうがないといったところ。何にしても最終日の朝となってしまいました。今日はバンコクに戻るぐらいで、特にしなければならない用事はありません。ゆっくりと身支度を整え、朝食を食べにレストランに向かいました。朝食のバイキングは昨日とメニューが変わっていないうえに、昨日よりも時間が遅い事もあってか、えらく貧弱な内容でした。口に合いそうなものを適当に取ってテーブルに着きました。最後の朝食か。ふとため息が出ます。普段だと長く感じる10日間。しかしこの10日間は短かったな。走馬灯のようにバンコクでの事、様々な遺跡を巡ったことなどが思い出されました。でも昨日のゴーゴーバーが一番強烈だったかな。自然と会話の内容が昨夜のことになり、途中でお姉さんを横取りされた後輩はしょんぼりし始め、もう一人の後輩は目が生き生きとし始めました。見ていると対照的で面白い。

部屋に戻ると、荷物をまとめにかかりました。そして私は今まで一ヵ月半以上蓄えていた髭を剃る事にしました。口ひげ、あごひげと蓄えていたのですが、日本では必要ないもの。思い出と一緒にタイに置いていこう。ちょっとためらいもあったけど、えいっ。じょりじょり。うっ痛い!結構伸びているので、剃刀ではなかなか剃れません。おまけに無理に剃ろうとすると毛が挟まって痛いではないか。バリカンでもあれば・・・。そもそもこの前床屋に行った時に剃ってもらえばよかったではないか。ちょっと失敗。なるべく痛い思いをしないようにゆっくりと時間をかけて剃ることにしました。髭も伸ばすと剃るのが大変なんだな。そう実感しつつ、今までの人生で一番大変な髭剃りとなりました。そして剃り終わってみると、ずいぶんと口の周りがさっぱりしました。あごをしゃくるとつるつるなのが、とても奇妙な感じ。でもまあ、すぐに慣れるだろう。後輩にも「ずいぶんとさっぱりしましたね。顔が小さく見えますよ。」と言われ、ちょっと照れくさい。これで自分自身の準備は完了。後は荷造りか。荷物はそのまま日本へ帰れるようにきちんと詰め直しました。これで全ての準備は完了。まさに旅の最終日といった雰囲気でした。よしっ、最後の締めくくりといくか。いざ出発。ホテルを後にして、バスターミナルに向かいました。

昼過ぎ、我々を乗せたバスはバンコクに到着しました。後輩のフライトは夜の11時。夜までは時間があります。その間のんびり過ごそう。ただ一つ問題がありました。私のフライトは後輩と違う便で、出発が明朝の10時半でした。私だけバンコクにもう一泊しなければなりません。できる事なら一緒に帰りたいものですが、そうできないのが実際。カオサンの安宿にでも泊まろう。昨日まではそう思っていたのですが、今朝起きて気が変わりました。後輩を送って、そのまま空港で寝るのはどうだろう。ここ10日間、どっぷりと後輩たちと楽しんで旅行してしまったので、一人であれこれする気が全く起きません。今更カオサンに行くのも面倒だし、カオサンには旅行者がうじゃうじゃいます。楽しそうな旅行者を見ていると、きっと孤独にさいなまれ、そして眠れない一晩過ごす事になるにちがいありません。それだったら空港で一人で過ごす方が孤独を感じないはず。でも後輩を見送ってから12時間以上も時間がある事を考えると、ちょっと無謀のような気もしてきます。やっぱりカオサンに泊まるべきか・・・。さてどうしよう。空港に泊まるのと、安宿に泊まるのとを天秤にかけながらバンコクへ向かうバスの中でも迷っていました。そしてバンコクに着いた時点で、精神的に負担が少ないだろうと思う「空港に泊まる」方に決めました。となると、バンコクに着いて私の安宿を探す必要はなくなり、夕方まで荷物をどっかに預けるだけで事が済みます。空港までは列車で行くことにして、鉄道の駅に預けよう。それがいい。次の目的地はバンコク中央駅、フォアランポー駅となりました。

フォアランポー駅構内
フォアランポー駅構内

市バスに乗って、フォアランポー駅に到着しました。久しぶりだな。何度となくお世話になったので、ちょっと懐かしい気がします。ある程度勝手が分かっているのでずんずんと駅構内へ入っていくと、今日はバッジをつけた人に声をかけられました。「私は観光案内所のものです。どこまで行くのですか?」「駅の中に用事があるだけだよ」と答えると、「切符の予約はこっちです」と駅の外に連れ出そうとしてきました。なんなんだこのうさんくさいおっさんは。無視して進んでいくと、後ろから着いてきて、「切符を買うならこっちが早い。」「だから切符は要らないんだって」「大丈夫。インフォメーションはこっち。」「いらない!」と歩きながら押し問答が始まりました。構わず歩き続けていると構内の奥にあるインフォメーションカウンターが見えてきました。「あそこで聞くからいい。じゃ。」と振り切ろうとすると、「あれは違うインフォメーションだ。こっち、こっち」と相変わらずしつこい。でもインフォメーションのカウンターに近づくと、うさんくさいおっさんは去って行きました。なんなんだ。今のは。まあいいや。インフォメーションのカウンターのお兄さんに「荷物預けるところはどこですか?」と聞くと、ホームのほうを指差して教えてくれました。お礼を言い、教えられた所へ行くと、そこは荷物の倉庫みたいなところでした。ここで大丈夫だろうか。間違えて列車に詰まれるということはないだろうな。ちょっと心配になるような荷物預かり所でした。まあ信用するしかあるまい。他にいい選択肢もないし。三人の荷物を預けました。

これで身軽になった。さて何をしようか。今まで遺跡をお腹いっぱい見てきたので、バンコクにたくさんある寺見学をしようといった気分ではありませんでした。では何をしよう。・・・特にすることがない。駅のベンチに腰をかけ、ガイドブックを開きました。夕方にはパッポン通りの夜市に行くことにして、夕方まで何をしようかな。ぱらぱらとガイドブックを開いていると、「フォアランポー駅の偽係員にご注意!」といった見出しが目に入ってきました。読んでいくと、先ほど我々が体験したことと全く同じでした。そのまま偽係員についていくと高い切符を買わされたりするらしい。くわばら、くわばら。というか、そんな原始的な手に引っかかるのも間抜けな話だし、手口が全く変っていないのも笑ってしまいます。そう後輩に話すと、「そうですね」と言いながらも、少々顔が引きつっていました。旅慣れない後輩にとってはあまり人事ではなかったようです。

~~~ §2、最後のバンコク散策 ~~~

結局、タイの土産を買いたいという後輩のリクエストに応えて、昼間はショッピングなどをして過ごす事にしました。行き先は町の中心部。伊勢丹、そごう、タイ東急、サイアムセンターなどと、日系のデパートを中心に多くのショッピングセンターがあります。時間もあるし、一つずつ社会科見学といった感じで歩いて回ろう。早速駅を出て、バス停に向かいました。

繁華街のバス停
繁華街のバス停

駅前のバス停は結構混雑していました。しかし今日は身軽な身。落ち着いてガイドブックで調べた番号のバスに飛び乗りました。段々とバンコクのバスに乗りなれてきた感じがして楽しい。少しはバンコクっ子に近づけたかも。やはり旅は地元の人と同じ目線にならなければ面白くありません。そしてデパートが集まる繁華街で降りました。ここは大学が近くにあるせいか、若い女の子が多く、華やかな感じのところでした。歩く女の子の服装はほとんど日本と変わらなく、おしゃれです。「タイ人はきれいですね。」後輩がつぶやき、もう一人の後輩と私も無言で頷きました。これだけ可愛い女の子がたくさんいるなら、ここで暮らせたら幸せかな。ふと思ったりもしましたが、このむしむしする暑さと、大渋滞のため排気ガス臭い環境を考えると、ちょっと微妙かもしれないな。来年は就職活動をしなければならない身。バンコクで海外赴任などといった事も頭に浮かんだのですが、やはり現実的ではないなと思い直しました。

まずは日系のデパートよりもタイのデパートへ行こうという事になり、ロビンドンデパートに入りました。一番タイらしいデパートとの事で、何かタイらしい物が買えるかもしれないと期待していたのですが、中は閑散としていて、いまいちぱっとしませんでした。一部工事中のせいもあったかもしれませんが、なんだか寂れきっているといった感じでした。めぼしい物もなく、ぶらぶらと一回りして外に出ました。次はその近くにある東急デパートに入ってみました。こっちはファーストフード店の看板も掲げられ、見るからに賑やかでした。中に入ってもそれは同じで、ファッション関係の店が多いせいか、若い女の子が多く、とても華やかに感じました。ぶらぶらと歩き回ってはみると、日本食のチェーン店や、世界的に有名なブランド品なども出店していて、店内の様子は日本とさほど変わりがない感じでした。タイで日本の文化が流行っているのも納得だな。それにただ流行っているだけではなく、日本的な感じのする店内からは若者の日本文化への憧れといったようなものを感じました。まだまだタイでは日本ブームが続きそうだ。

パッポン通り
パッポン通り

夕方まで中心部でショッピングや食事を楽しみ、暗くなった頃、夜の町パッポンに向かいました。ガイドブックを読む限りではナイトマーケットあり、ゴーゴーバーありの歓楽街らしい。一体どんなところなんだ。パタヤの夜を想像しながら行ってみると、まぶしい限りのネオンと大勢の人、道を埋め尽くすばかりの露店が我々を迎えてくれました。通り一つがそういった状態で、規模もパタヤの比ではありませんでした。これは凄い。なんて華やかで、賑やかな場所なんだろう。想像していた様子とあまりにもかけ離れていたので、見ただけで圧倒されてしまいました。これはなかなか楽しそうな場所だ。しかし何も考えずにぶらぶらと歩いてしまうと迷子になりそうだ。この帰国直前に迷子にでもなってしまったら、それこそ一大事。飛行機に乗れないといった事になるかもしれません。歩き出す前に、「荷物をすられないように気をつけなよ。特にパスポートと航空券。万が一はぐれてしまったらこのケンタッキーの前で集まろう。」と、もしもの時のことを確認しました。

パッポンの夜店で
パッポンの夜店で

それにしてもすごい人だ。おまけに露店と露店の間の通路が狭いので、非常に歩きにくい。迷子にならないようにするだけで疲れてしまいそうです。後輩を気にしつつ、露店を物色してみると、やはりここでもバッタものが多い。こんだけ堂々とバッタものを売っている国も珍しいというか、正規の品物を作っている人が文句の一つぐらいをいいたくなるような光景でした。おそらく売っている人は全くといってほど罪の意識がないに違いありません。まずはそのあたりから改善しないとこういった事は続けられるのでしょう。でもこれだけバッタ物があると、面白いからとか、話の種になるからと買いたくなってくるものです。服などは明らかに偽物と分かるような代物ばかりですが、ライターなどはお手ごろ。面白いから買おうかなと思ったのですが、やはり買うのはやめました。安くても恐らくに2、3回使用したら飽きてしまったり、或いは壊れてゴミ箱行きになってしまうに違いありません。それにあまり日本で使わないものを買うよりも、タイらしいお土産を買った方がタイに来た記念になるはずです。置物や壁飾りなどを幾つか買うことにしました。もちろん定価があってないような国。後輩と三人がかりで、いくつ買うから幾らにしてくれと値切り始めると、これが意外に効果的でかなり安く買えました。多分・・・。

パッポン通りの真中は屋台で埋め尽くされていましたが、通りに面した建物はゴーゴーバーや風俗関係に類似した店が多く並んでいました。大音量の音楽が店から聞こえてくると、昨日のゴーゴーバーの光景がよみがえってきます。中では同じ様な事が行われているんだろうな。大体の店は厳重な扉によって閉められていましたが、中には扉を開けっ放しにしている店もありました。中をのぞいてみると、沢山の水着のお姉さんがピンク色のネオンの中、舞台の上で踊っていました。この店ではずっと水着のままで踊っているのだろうか。それともストリップになったらドアが閉められるのだろうか。よく分かりませんが、いくらタイでも扉を開けっ放しにしてのストリップはご法度に違いありません。でも扉が開いていればその分入りやすい事も間違いありません。それにしてもいい眺めだ。ぼーと眺めていると昨夜の記憶がよみがえってきます。ふと横を見ると、西欧人のおばさんたちも興味津々といった感じで扉の中をのぞいていました。やはりタイといえばゴーゴーバー。これはある意味タイの名物文化といっても過言ではないかもしれません。となると、伝統舞踏を見に行くのも、ゴーゴーバーに行くのも同じことでは・・・。これだけ世界的に有名なら・・・そのうちベリーダンスやサンバとかに混じって、タイのゴーゴーダンスなんて言われるようになるのかもしれないな。ふと思ってしまいました。

後輩が昨日の楽しかった事を思いだして行きたそうな表情をしていましたが、残念ながら飛行機の時間が迫っているので、今から入るのは現実的ではありません。しめしめ。これも後輩を悪の道へ引き込まない為の私の作戦。タイに着いた最初の日に連れて行っていたら、旅がバンコクで始まり、そのままバンコクから抜けださせずに終わってしまうなんて事になってしまったかも・・・。

タニヤ通り
タニヤ通り
タニヤ通りの客引き
タニヤ通りの客引き

パッポン通りを抜けて一度大通りに出た後、今度はパッポン通りと平行しているタニヤ通りへと足を運んでみました。ガイドブックによると日本人専用の歓楽街らしい。一体どんなところなんだ。全く想像がつきませんでしたが、かなり興味がありました。そして行ってみてびっくり。この通りの看板の大半が日本語で書かれていました。「スナックさくら」に「クラブ天使」・・・なんじゃこれは。日本のまんまではないか。そういえばテレビで、会社の社員旅行にフィリピンやタイでの買春ツアーを行っている会社があると問題になっていたのを思い出しました。この通りはそういった人の為の通りなのだろうか。それともバンコク在住の人の通り?どっちにしても歩いていてあまりいい気がしません。というか、恥ずかしくなってきました。後輩がぼそっと「なんか嫌な感じですね。」と、つぶやきました。私も「そうだね。」と頷いていると、ちょうどタイミング悪く、若い男の客引きが寄ってきて、日本語で「社長、安いよ。きれいな子そろってるよ」と言ってきました。我々を日本語の看板に引かれてやってきた観光客だと思ったに違いありません。相手にもしたくない気分でした。ここは日本語が分からない振りをしよう。客引きを無視して歩きました。昨夜ゴーゴーバーに行っておきながらこだわりを持つのも変ですが、ここで遊んでいる人と同じように思われたくありませんでした。

通りを抜けてから、思わず「来なければよかったな。」とため息混じりに言うと、後輩も「そうですね。」と頷きました。なんだか日本社会の嫌な一面を見たといった感じで、ちょっと気分が沈んでしまいました。でももしかしたら10年後、20年後、私もこういう所へ来るような人間になっているのかもしれない。いや、そういうおっさんになってはいけないぞ。心に誓いながらも、そうならない確信も持てません。10年後、20年後、一体自分はどうなっているんだろう。こんな変な所で自分の未来を考えると暗くなってくるというものです。まもなく帰国。帰国の先には日常という現実が待っています。そのせいか妙に考え方が現実的になり始めていました。とりあえず自分の将来なんていうものは日本に帰ってから、現実の中で決めればいい事。今を生きなければ。ちょっと複雑な心境になりつつも、元気を取り戻し、歩き始めました。そして頃合を見計らって、バンコクの町に別れを告げて空港へ向かいました。

~~~ §3、空港での一夜 ~~~

フォアランポーの駅で預けた荷物を受け取り、鉄道に乗ってバンコク国際空港に到着しました。この空港に降り立ってから、もう10日間も経ったんだな。後輩との待ち合わせがうまくいかなくて苦労した10日前のことが懐かしく思えました。心配性の後輩の為に少し時間にゆとりをもってやってきたので、搭乗時間までまだ少し時間がありました。ゆっくりと待つか。ベンチに腰掛けて待つことにしました。そして出発の二時間前、ようやく航空券の発券手続きが始まりました。ここで待ってるからと私はベンチでゆっくりとしていると、後輩が慌てて戻ってきました。空港使用料というものを払わなければならないそうだ。しかも手持ちがないとのこと。確か日本で航空券を買った時、タイの空港使用税は含まれていると聞いたのだが・・・。旅行会社の人の間違いか。それともぼられたか。とりあえずどっちでもいい。とにかくお金を工面しなければ飛行機に乗れません。後輩と両替所に行き、今更ながら両替を行ったのでした。最後の最後までどたばたしてしまったタイ旅行でした。

後輩が手続きを終えると、またしばらく時間ができました。空港を少しうろつきながら、コンビニでタイのインスタント麺やお菓子などを買ったりして、最期の一時を過ごしました。そして飛行機の出発1時間前に後輩達は出国審査を受ける為に出国ゲートに向かいました。いよいよお別れだ。帰国してすぐ会えるとはいえ、やはり別れというものは感慨深いものがあります。異国ゆえの情緒もスパイスとして混じっているのかもしれません。なんかしんみりとしてしまいました。「じゃ、気をつけてね。飛行機に乗り間違えるなよ。」「そちらこそ気をつけて帰ってください。」 別れの挨拶を終えると、後輩達は手を振りながらゲートの中へ消えていきました。やっぱり一人で見送る側は辛いな。手を振り返しながら思いました。

後輩を見送ると、後には一人取り残された自分がいました。予め分かっていたものの、急に孤独になると心に空白ができて、何とも寂しく感じるものです。さてどうするか。私のフライトまで後12時間もあります。その間話し相手もいなければ、特にすることもありません。どう過そうかな。空港のベンチでボーとしていれば時は過ぎてくれるだろうと安易に考えていたのですが、しばらくすると自分がとんでもなく大変な事をしようとしているのに気が付きました。なかなか時が進まないではないか・・・。もう一時間ぐらいたったろうと思い時計を見ると、まだ20分ぐらいしか経っていなかったり、もう10分経っただろうと思っても、2分しか経っていなかったりと、時計を見る度にいらいらしてきます。何でこんなに時間が進むのが遅いのだ。気晴らしに散歩でも行こうと思っても、重い荷物があるから面倒臭い。時が進まないことにいらいらしながらも、本を読んだり日記を書いたりと2時間耐えました。

あ~腰が痛い。もう限界だ。出発までまだ10時間もあるではないか。終わりの見えない退屈と体の痛さに耐え切れず、別の策を思い巡らせました。そうだ。空港の中にあるホテルに泊まろうではないか。お金ならまだそれなりに残ってるし。それがいい。わざわざしんどい思いをして過すよりも、お金を払ってゆっくりと過したほうがいいではないか。妥協してお金で退屈と快適さを買う事にしました。でも一体いくらかかるのだろうか。確か空港にあるホテルは結構高そうなホテルだったはず。5、6千円なら許容範囲内だが、この際、退屈地獄から抜け出せるならもっと出してもいいかな。一度思い付いたら無性にホテルに泊まりたくなってきました。ではすぐに行動開始。バックパックを背負い、鉄道駅との連絡通路のところにあるホテルに行ってみました。しかし入った入り口が裏口だったのか、いきなり迷子になってしまいました。フロントはどこなんだ。さまよっていると、あれれれ?どうなってるんだ。いきなり客室らしき階に着いてしまいました。こりゃいかん。慌てて外に出ると、もういいやとホテルに泊ることを諦めました。現在やる気がまったくない状態。ホテルに泊まるのも面倒になってきました。一体どうするか。時計を見ると、まだ深夜12時半でした。

とぼとぼと空港内へ戻ってきた私は、どこか静かな場所を捜しにかかりました。出発ロビーに到着ロビー、第一ターミナルに、第二ターミナル、色々と歩き回った結果、第一ターミナルと第二ターミナルの連絡通路の途中に絶好のスペースを見つけました。広い空間の隅には長椅子ベンチが沢山置いてあり、ここだったらベンチに横になっていても迷惑になるまい。それにこの時間に第一ターミナルと第二ターミナルを行き来する人はほとんどいないので、比較的静かです。しかしなんだってベンチが隅っこによけてあるのだろう。寝るなら隅っこでということだろうか。いいように解釈し、ベンチの足にチェーンでバックバックを縛り、ベンチの上にゴロンと横になりました。このまますぐ寝付いて、起きると朝7時だったら最高だろうな。そう願うものの、こんな所で簡単に寝れるほど私はずぶではありません。無理に寝ようとしても、周りが気になってしょうがありません。それでも寝ようと目をつむり続けていましたが、逆に目が覚えてきてしまいました。寝むれないぞ。今までの旅行中は後輩に迷惑をかけるぐらいさんざん寝まくっていたのに、どうして今日は寝れないのだ。なかなかジレンマに過ごしていましたが、ベンチが硬いので次第に体も痛くなってきてしまいました。寝袋でもあればよかったな。案外、貧乏旅の必需品かも。次に旅行に行く際には寝袋も検討しよう。次の旅行のことを考えるといよいよ目がさえてきました。そうだ。本でも読めば眠くなるかもしれない。鞄から文庫本を取り出したものの、ページを開いたとたん読む気がなくなり、本を閉じてしまいました。

ベンチに腰掛け、無気力状態でボーとしていると、一人の日本人が声をかけてきました。「こんばんは、明日の朝のフライトですか?」 「ええ、そうです。」 「私もですよ。」と会話が進んでいきました。退屈していただけに話し相手ができたのは非常にうれしい。話を聞くと、この旅行者は社会人で、一週間の休みを利用してラオスとタイを周ってきたそうだ。そして驚いたのが、24色の色鉛筆と画用紙を携えて旅行していることでした。画用紙に描かれた絵を見せてもらうと、ラオスの素朴な人や風景が描かれていました。なかなかうまいものだ。それに味があっていい。絵を描きながらの旅行か。自分のありきたりな旅行に比べて、ずっと魅力的な旅に思えました。でも私は絵が下手だから真似はできないな。他に何か違った特技を見つけて旅をしてみたいな。胸を張って言える自分だけのオリジナルの旅ができたら楽しそうだな。次の旅行に向けて新しい目標ができました。

朝方になると、他に2人の旅行者が加わり、小さな旅行者の集団となっていました。みんな7時半に出発する飛行機に乗る人たちで、私と同じ10時の飛行機に乗る人はいませんでした。常識的に考えると、朝早いから飛行場に泊まる人はいても、比較的遅めの10時の飛行機に乗る人がわざわざ飛行場に泊まるはずがありません。なんで空港に泊まっているの?お金がないとか・・・と質問され、後輩が・・・と何度も説明しなければなりませんでした。でもまあ、同じ便ではなくとも、こうやって退屈せずに時を過ごせたのだから私としては非常に助かりました。

しばらくすると、ベンチの横にあったビュッフェが開き、コーヒーを飲みながらテーブルを囲みました。そして他の人の旅の話を聞いていると、いかに自分の旅がありきたりで平凡な旅であったかを実感しました。世の中は広いな。そして色んな人がいるんだな。まだ私は海外旅行一年生。色々な旅に憧れますが、他人は他人。自分は自分。焦らず自分の旅を確立させていけばいいや。そう、まだ最初の一人旅も終わっていない。まずはこの旅をきちんと完結させなければ一人前の旅人になれません。残りわずかだが頑張ろう。最後の最後でやる気が出てきた感じです。このやる気を次の旅行に結びつけようではないか。きっと誰にも負けないような、そして誰からも憧れられるような旅人になるぞ。他の旅行者が出発していき、一人になった後も色々と旅について考え続けました。結局、面倒だと空港で過ごした一夜は色々な旅人と知り合うことで自分の為になったようです。最初はどうなる事やらと思っていたけど・・・、結局何とかなってしまうものなんだな。空港で知り合った旅行者たちを思い出しながら思いました。そしていつしか飛行機の出発の時間となり、色々と思い出の多いタイを出国し、日本への帰路に着いたのでした。

~~~ §4、エピローグ ~~~

約二ヶ月弱の旅を終えて、無事に日本に帰国しました。9月に入り日本は涼しくなっているだろうと期待していたのですが、今年は特に残暑が厳しいようで、タイや中東と全く変わらないぐらい暑い日が続きました。なんだ日本も暑いではないか。ただ帰国した翌日からは大学が始まり、いつもと変わらない日常が始まると、いつしか旅人から普通の自分に戻っていました。二ヶ月は思えば長く、色んなことがあったな。我ながら大冒険をしたという気分でした。周りに海外旅行をする人がいないので、友人からは変人と言われつつも、良く頑張ったという感嘆や祝福、そして多くの土産の催促を受けました。

帰国した次の日の夜、後輩から電話がかかってきました。どうしたんだい?何か問題でも起きたの?マラリアでも発病?ちょっと心配になって尋ねると、ぜひ親がお礼を言いたいと言っているので・・・との事。ん?どういう事だろう。ちょっと緊張気味に受話器に耳を当てると、「うちの息子を連れていってくれて本当にありがとうございました。」とお礼を言われました。「半分は私の方が連れられていましたから、お互い様ですよ。」と答えると、「いや、うちの息子は自分からこういうところへ行こうとしませんから。本当にいいきっかけを作ってくれました。」と返ってきました。そう言われると悪い気がしません。幸せというのは自分で作るものです。他人を幸せにするには幸せを与えるのではなく、幸せにするきっかけを与えるのが一番だと常々思っています。そういった意味ではいい事をしたのかもしれません。きっと今回の旅行は後輩の為になったに違いない。そう思うと先輩として連れて行った甲斐があったというものです。

しばらくすると写真が出来上がりました。私が日本から持って行ったカメラはエジプトで壊してしまい、タイで持っていたのはエジプトで購入したぼろいインスタントカメラでした。おかげで出来上がった写真の写りは最低でした。しかし写りが悪くても我々にとっては思い出深い写真には変わりありません。後輩たちと眺めていると、鮮やかに記憶がよみがえり、自然と笑みが漏れてきました。とりわけバンジージャンプを飛ぶ前に撮った写真には笑いました。こんなに顔が引きつっている自分を見たことがなかったからです。そういった思い出の詰まった写真を焼き増したり、アルバムに貼り付けたりすると今回の旅行が完全に終わった気がしました。思えば楽しい旅行だったな。かなり頑張って動き回ったからな。射撃はしたし、遺跡は沢山見たし、バンジーは飛んだし、ゴーゴーバーは行ったしと、一人ではここまで色んなことはできなかったに違いありません。そう考えると、後輩に感謝しなければいけないかな。旅は道連れ、世は情け。今後ともこの共有する思い出を大事にして、後輩たちと仲良くしていこうと思いました。

タイでの旅行のことを忘れつつある頃、後輩やらと友人らなどのバイク仲間と飲みに出かけました。飲みの席で盛り上がるのはやはりゴーゴーバーの話。お姉さんに逃げられた後輩はがめついと言われ、ストリップに荷担した私はしばらくエロおやじと呼ばれる羽目となってしまいました。やはり行かなければよかった・・・、ゴーゴーバー恐るべし。

第11章 さらばタイ ~エピローグ~  ー 完 ー

進め若者! 突撃タイ旅行記  ー 完 ー

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<進め若者!突撃タイ旅行記 第11章 さらばタイ ~エピローグ~ 1999年12月初稿 - 2015年10月改訂>