風の足跡 ~風の旅人旅行記集~

進め若者! 突撃タイ旅行記

~ 第8章 クワイ河の鉄橋 ~

*** 第8章 クワイ河の鉄橋の目次 ***

~~~ §1、すがすがしい目覚め ~~~

<1996年9月11日>
泊まった部屋
泊まった部屋

人が起きる音で目が覚めました。一人部屋だったはずだが・・・目を開けると、ほのかな光が私を包んでいました。なんて幻想的なんだろう。ここはどこだ・・・あの世?いや、そうだカンチャナブリだったけ。辺りを見渡すと、窓のない部屋でしたが、竹で編んである壁の隙間から太陽の光が入ってきて室内がほのかに明るい状態でした。覗こうと思わなくても、隣の部屋が竹の隙間から見えました。欧米人の青年のようです。しばらくごそごそと荷物をいらっていましたが、その後リュックを背負って部屋を出ていきました。彼はどこへ旅立つのだろう?旅は順調なのだろうか?淋しくないのだろうか?まどろみながら思いました。私も人の事を心配する事が出来るぐらい余裕ができたのか。いや、今は後輩という旅の連れがいるからそう思えるだけなのだろう。そういえば今日は後輩が起こしに来ないな。後輩に起こされないなんて今回の旅で始めての快挙ではないか。よっ、起きるか。改めて周りを見渡すと、えらく粗末な部屋でした。こんな所で一晩過ごしたのか。ちょっとビックリしました。そして、熱帯雨林地帯独特の木や土などの自然の匂いが強烈にしている事に気が付きました。このせいで今日はすがすがしい目覚めなのだろうか。しばらくこの匂いを嗅ぎながらボーとまどろみました。なんだか気分が落ち着いてきます。しかしあまり深く吸い込むと、気を失なってしまいそうでした。

宿の敷地
宿の敷地

蚊帳から抜け出し、部屋の扉を空けて外に出ました。その瞬間私は動けなくなりました。こ、これは・・・昨日は夜の到着で辺りの景色はよく分かりませんでしたが、今私の目の前にある景色はまるでどっかのジャングルの部族の集落でした。敷地内は緑に囲まれて、しかも建物はみんなわらぶきの屋根。裸族の原住民が出てきてもおかしくありません。寝ている間に空間のひずみに迷い込んでしまったのでは・・・。自分がこんな所に泊まっているとは思っていなかったので、ひどく驚きました。そしてあたり一面草の香りと川の音に囲まれていました。もしかしてここは南国の楽園かも。恐る恐る歩き出し、後輩の部屋のある建物に向かいました。

部屋の扉を開けると、二人とも起きていました。第一声に「外の景色凄いよ」と言うと、後輩達はもう知っているらしく、「昨日は暗かったから分からなかったけど凄い所に泊まっていますよね。朝、外に出たらびびりましたよ。」と返ってきました。なんだ知っていたのか。ちょっとがっかりしました。「でもまぁ、今日は珍しく君達に起こされなかったよ。」と自慢げに言うと、後輩は先ほど私を起こしに出たものの、私の泊まっている場所がわからなかったので引き返してしまったらしい。ははは、やっぱり。何はともあれすがすがしいので、朝食でも食べに行こうと受付のある広間に向かいました。

宿の食堂で
宿の食堂で

受付に行くと、昨日のおばさんとその子供らしい女の子がいました。なかなか可愛い子です。「おはよう」と挨拶をして、食堂の席に付きました。昨日は暗くて川の音しか聞こえなかったのですが、明るいとすぐそばの川がよく見えました。ん!よくよく見ると、この建物は川に張り出して建っていました。それでよく川の音が聞こえるわけです。立地的に流れているのはクワイ河という事になります。これがあのクワイ河か。戦場にかける橋で有名な。改めて眺めてみましたが、茶色い水が流れていて、日本でいうなら降雨後の濁った川のようでした。それにしても空気がおいしい。周りを緑に囲まれているせいだろうか。食欲ももりもりとわいてきました。何を食べよう。メニューから朝食を選び、おばさんに頼みました。そういえば、まともに朝食を食べるのはバンコクの最終日以来でした。

朝食を食べながら、今日の予定を確認しました。カンチャナブリを自転車で周って、その後バスでバンコクへ向かう。う~ん。やっぱりしんどそうだ。暗にほのめかし、「今日は辛いぞ」と言いつつ、後輩の顔色を伺ってみましたが、やる気満々なのは変わりませんでした。観念するしかない。覚悟を決めた以上、早いとこ出発したほうがいい。バンコクに到着するのが夜になると、それこそ厄介です。都合のいい事に自転車はこの宿で借りる事ができるようでした。おばさんに「レンタル自転車は3台ありますか?」と聞くと、「もちろんあるよ」との事。自転車を借りる手続きをして、我々はすぐに準備に取りかかりました。

~~~ §2、クワイ河の鉄橋へ ~~~

部屋に戻り、バックパックに荷物を積めて、受付に向かいました。恐らくチェックアウト時間までに戻ってこれそうにないので、おばさんに「荷物を預かってください」とお願いして、チェックアウトしました。そして宿の娘の案内で用意されている自転車のところへ行きました。豪華なマウンテンバイクを期待していたわけではないのですが、想像以上に置いてあった自転車はおんぼろでした。ギアも付いていなければ、あちこち錆びています。途中でパンクしたり、故障しなければいいが・・・。まあ走ればいいか。まずは戦場にかける橋で有名なクワイ河の鉄橋に向かうことにして、我々はペダルをこぎ始めました。ペダルをこぐ度にシャカシャカ音がするのは愛嬌ということにしておこう。

クワイ河の鉄橋1
クワイ河の鉄橋
クワイ河の鉄橋2
鉄橋の上で

普通の住宅街を抜け、辺りに土産物屋が多くなると、クワイ河の鉄橋に到着しました。宿から10分程度の道中でした。橋の周辺は公園となっていて、博物館などもありましたが、まずは鉄橋から見よう。自転車をその辺に停めて、鉄橋に向かいました。鉄橋は鉄道専用で線路が一本通っているだけでした。造りも鉄筋の骨組みだけで簡素なものです。これがクワイ河の鉄橋か。戦場にかける橋か。実は名前は知っているものの、クワイ河の鉄橋がどういう橋なのかあまりよく知りませんでした。確か第二次大戦の・・・それにしては随分と新しい。近年造り替えたものに違いありません。

驚いたことに、線路の真中には木が敷いてあり、地元の人はその上を歩いて鉄橋を渡っていました。鉄道の橋が歩行者用の橋になっているではないか。日本では考えられない事です。さすがはタイだ。それに板を敷くとは賢いな。これなら枕木をまたいで歩くなどといった恐ろしい事をしないで済みます。感心して見ていると、向こうから自転車を押して渡ってくる人もいました。東京に暮らす身としてはなんとも不思議な光景です。線路の上を自転車を押して歩くなんて・・・まして鉄橋の上を。それにしても列車は来ないのだろうか。列車が来たらどうするのだろうか。鉄道会社の人に怒られないのだろうか。色々と疑問がよぎりましたが、そんな気配は全くありませんでした。よし、我々もスタンドバイミーみたいに鉄橋を渡ってみようではないか。鉄橋の上を歩くなんて、なんて冒険心をくすぐる行為なんだろう。まるで少年時代に戻った気分です。後輩も同じように考えていたらしく、子供のように目がきらきらと輝いていました。

クワイ河の鉄橋3
鉄橋の待避所で

他に観光客がいないのが気になりましたが、我々も鉄橋を渡ってみる事にしました。やはり列車が来たらどうしようとか、線路の上を歩いていいのだろうかと、勝手が分からないので内心びくびくしながら歩き始めました。しかし全く列車が来る気配は全くありませんでした。本当にこの線路は使われているのだろうか。線路は錆びていないので列車は通っていると思うのだが・・・きっと一時間に一本とかめったに通らないに違いありません。それに地元の人も堂々と通っていることから、多分怒られる事もないはず。歩き始めると度胸が据わってきました。ずんずんと真中めがけて進んでいきます。「映画スタンドバイミーみたいに、橋の上で列車に追いかけられたらかっこいいっすね」と後輩が言い出しましたが、ここではちゃんと退避する場所が所々に設けられていました。例え列車が来てもそこに行けばいい。なんと便利な造りをしているのだろう・・・という事は、歩く事が前提で作られているのか。観光を兼ねて・・・。そう考えるとちょっと面白味がなくなってきました。でもまあいいか。我々は童心に戻りながら写真を何枚か撮り、スタンドバイミー気分を終わらせました。

博物館の錆びた機関車
博物館の錆びた機関車

鉄橋の次はすぐ横に建てられている博物館と慰霊塔に向かいました。博物館の入り口には当時走っていたと思われる蒸気機関車が置いてありました。今ではすっかり錆びきって赤茶色をしていましたが、元は何色だったのだろうか。さすがにもう走りそうな気配はありません。特に注意書きがないので機関室に上ってみる事にしました。運転席に入ってもメーター類は外されていて、特に興味をひくものはありませんでした。ただ、全体的にさびまくっている機関車でしたが、手すりの部分だけは多くの人が触るせいで、そこだけが本来の輝く鉄の光を発していたのが印象的でした。機関車と写真を撮った後は、博物館の方にも入ってみたのですが、1階には鉄橋に関するものが展示してあり、2階にはタイの少数民族の衣装などが展示してありました。この2つがどう結びつくのだろうかとちょっと疑問を感じたように、なんだか中途半端な展示内容でいまいち面白くありませんでした。ここも特に目をひくものがなかったので、ささっと館内を一回りして外に出ました。

平和の像
平和の像

そして敷地の奥に進むと、綺麗に整備されたコンクリートの広場の真中に変った像が立っていました。戦争慰霊碑との事らしい。その像は両手を高々と上げ、人差し指は空に向けています。何のポーズだろうか。それよりも目をひいたのがその容姿でした。腹はぷっくりと出ていて、頭はつるつる。この容姿はどこかで見た事があるぞ。何だろうと考えると、七福神の大黒様によく似ている感じです。平和というのはこのような心落ち着く像が一番ふさわしいと考えたのだろうか。しかし、1歩間違えると平和ボケした太ったおっさんにも見えなくありません。長崎の平和公園にある像は青年だし、広島の平和公園は千羽鶴の少女の像が有名です。そう考えると平和を象徴した像は千差万別です。人それぞれ平和というものの考え方が違うように、平和の像も違っていて当然の事。何が一番平和と考えるかはその人や民俗の体験次第なのだろうな・・・などと思ってしまいました。

~~~ §3、2つの共同墓地 ~~~

平和の像を後にして、再び宿のほうへ戻りました。見るべきものが宿を挟んで北と南に点在しているから行ったり来たりしなければならなく大変です。相変わらず自転車はこぐとペダルが何かにあたっているようで、シャカシャカ音がしていました。ボロ自転車め。気にせず、えっちらこっちらとペダルをこぎ続けました。タイで自転車に乗るのはこれで2回目。前回は舗装されていない遺跡の中の道を自転車で回ったのですが、今回はちゃんと舗装された道。それを考えると走るのも楽でした。すいすいと進み、あっという間に次の目的地の連合軍共同墓地に着きました。ガイドブックには橋を造る時に亡くなった捕虜や現地の人が眠っているとの事です。自転車に備え付けの鍵をかけて敷地内に入りました。

連合軍共同墓地
連合軍共同墓地

広い敷地内は整然という言葉がまさにふさわしい場所でした。芝は綺麗に刈られ、墓石は等間隔に並び、何もかもが整然と整備されています。遺跡も綺麗に整備されていた事を考えると、タイ人というのは日本人以上に几帳面な性格をしているのかもしれない。何にしてもこれだけの墓石が並んでいる光景に唖然としてしまい、しばらく入り口に突っ立ったままでした。墓地に来たものの、さてどうするか。って、そもそも何をすればいいのだ。この広い敷地を一周する気にもなれませんでした。同じような墓石が並んでいるだけだし、墓というものを眺めても面白くありません。自分がこの下に眠っているんだったら、敵の子孫である訳の分からん日本人が来てワーワー騒いでもらっても困るだろう。何よりも幾人の人が墓の前で手を合わせているので静粛にしていなければ。我々は邪魔にならないように写真を1枚撮って撤収する事にしました。

次の目的地はクワイ川を挟んで対岸にあるチュンカイ共同墓地とカオポーン洞窟にしました。対岸に渡るにはかなりの距離を南下しないと橋はかかっていません。渡し舟を使って対岸に渡るのが一番早く、地元の人にも一般的な方法みたいでした。大通りを更に南下し、途中からは住宅街を抜け、渡し舟の発着場にたどり着きました。ちゃんとした桟橋があると思っていたのですが、船乗り場は河原に板などを敷いただけのものでした。ちょうど対岸からこちらへ向かって船がやって来るところでした。本当ここに船が停まるのだろうか。ちょっと不安でした。

渡し舟の上で
渡し舟の上で

船は段々大きくなり接岸しました。と言うよりは、こっちの岸にのりあげたといった感じでした。なんとまあいい加減な運転です。座礁しないのが不思議なぐらい。船が停船すると、まずは船から車が下りてきました。そして次に徒歩や自転車、バイクの人が降りてきました。全員降りると係りの人が乗れと合図し、まずは軽トラックが乗船しました。次に何人かの地元の人々が乗り、我々もその後に従いました。岸と船の間は木の板を置いただけといった簡素なものでした。おまけに幅が狭いので自転車を引きながらだと、うっかりしていたら泥だらけの川岸に落ちてしまいそうです。ここで靴が泥だらけになってしまったら・・・、ちょっと悲劇です。恐る恐る自転車をひきながら乗船しました。我々が乗るといざ出航。黙々と煙突から煙を出して動き始めました。この渡し舟は船というよりは、大きな鉄の板といった感じでした。それがそのまま平行移動しているといった感じなので、乗っているとなんとも不思議な感覚です。でも渡し舟自体は、世界共通で生活感が漂うというか、その土地をよく表しているというか、なかなかいい雰囲気を感させてくれました。おかげで短かい乗船時間でしたが、なかなか楽しい船旅でした。

チュンカイ共同墓地
チュンカイ共同墓地

同じようにいいかげんな接岸で対岸に到着しました。多少ショックがあるので、慣れないとちょっとバランスを崩しそうになります。そして船から降りると、再び自転車のペダルをこぎ始めました。こっち側の岸にはあまり人が住んでいないようで、辺りには畑とうっそうと茂った森ぐらいしかありませんでした。でも道はちゃんと舗装されていて、その道を進んで行きました。人通りは全くなく、誰にも出会う事なく10分ぐらいこぐと、チュンカイ共同墓地に着きました。墓地にはあまり興味がないけど、カオポーン洞窟へ行く途中になるので、休憩がてら寄ってみる事にしました。

自転車を止めてゲートから入場しました。なかなか綺麗な門でした。それをくぐると、辺り一面芝生が敷き詰められた墓地がそこにありました。先ほど見た連合軍共同墓地と造りがそっくりで、ここも整然と整えられていました。よくもまあここまできれいに・・・感嘆してしまいます。でもやはり墓地は墓地。整然さには興味を持ちますが、墓地には興味がもてません。この暑い中お祈りをしている人もいるし、長居をする場所でもないので、すぐに撤収する事にしました。こういった墓地はあまり興味本位の観光客が来るべき場所ではなかったようです。自転車の所に戻り、カオポーン洞窟に向けてペダルをこぎ始めました。

~~~ §4、カオポーン洞窟 ~~~

共同墓地を越えると、周りの景色は今までよりも緑が濃くなってきました。それに伴い熱帯独特の匂いも濃くなってきました。まさに熱帯のジャングルといった感じです。さらに蒸し暑く感じ、汗が噴出してきました。暑い。気が付くと、後輩達は既に上半身裸になっていました。まったく。暑いからしょうがないとはいえ、マナーもへったくれもありません。更には平坦だった道が徐々に上り坂になってきました。段々足の方もしんどくなってきました。しかし後輩には負けたくない。先頭を走っているので降りて押すなんて事をしたらみっともない。う~、しんどい。頑張ってこぎ続けていると、前方に寺が見えてきました。目的地はあれに違いない。もう一息だ。気を抜いた瞬間、横を一気に後輩が抜いていきました。もう一人の後輩もそれに続いてスパート。よしっ、私も・・・。あれ~、ついていけない・・・。まんまと置いて行かれてしまいました。

カオポーン洞窟の寺
カオポーン洞窟の寺

寺の敷地内に入り自転車を停めました。カオポーン洞窟はこの寺の敷地内にあるようです。ここの寺もなかなか立派そうですが、まずは洞窟に行こう。ガイドブックの解説になかなか面白そうな事が書いてあったからです。案内板に従い、敷地の隅にある入り口らしき小屋に向かいました。ここが入場口か。中に入ると誰もいません。休憩でもしているのだろうか。いや、小屋の中には賽銭箱みたいな箱が置いてあり、英語で「入場の際には20B程度の寄付を入れてください」と書いてありました。これは入場料ってやつなのか。それとも単なる寄付なのか。ちょっと解釈に困る代物でした。それにしてもあまりにも無防備だ。持っていこうと思えば賽銭箱からお金を持っていけそうです。辺りを見渡しても防犯カメラらしきものはありません。それに払わなくても何の問題もなさそうです。払わずに中に入ろうかと一瞬思ったのですが、後輩の手前あまりみっともない事をするのもよくありません。旅は楽しく、気分よく。と言う事で、お金を入れようとしたのですが、細かいお金がありませんでした。どう見てもお釣りは出てこないよな。ひっくり返して中からお釣りを取るか。それこそ罰当たりだな。なんとか3人で小銭をかき集めると約50Bありました。これでいいか。相場より少し安いのは学生料金という事で仏様も勘弁してくれるだろう。

カオポーン洞窟内1
カオポーン洞窟内2
カオポーン洞窟内3
カオポーン洞窟内で

小屋から洞窟の入り口の岩穴に入りました。いよいよ洞窟探検の開始です。洞窟の中に入ると、今までの灼熱地獄と打って変わって、ひんやりした空気に包まれました。火照った体には涼しくて気持ちいい。それに内部は照明が所々ついているものの、薄暗く、なかなかの探検気分でした。クワイ川の鉄橋のスタンドバイミー気分から始まって、おんぼろの渡し舟に、ジャングルのような道のサイクリング、そして洞窟探検とまるでトムソーヤになった気分です。童心に戻れるような旅ができて、今日は本当に楽しい。カンチャナブリ全体が我々にとってアスレチックに思えてきました。

わくわくしながら奥に進んでいくと、ある程度の間隔を置いて通路の脇に仏像が安置してありました。この洞窟は単なる洞窟ではなく、神様の宿る洞窟のようです。しかし率直な感想としては、安っぽい照明に照らされている仏像が暗闇に不気味に浮かび上がっていて、まるでお化け屋敷を歩いている感じでした。3人だから怖くはないのですが、一人で来たならちょっと怖かったかもしれません。しばらく歩くと、また仏像が置いてありました。仏像の大きさも様々で、先ほどのは等身大の大きさがありましたが、今度のはさほど大きくありませんでした。このぐらいの大きさだったら持っていこうと思えば担いで持って行けそうです。こんなに無造作に置かれていていいのだろうか。ここの寺は無用心すぎるぞ。日本だったら間違いなく監視カメラなり、柵が設けられているはずです。しかし、これが本来あるべき姿なんだろうな。ここで暮らす人々にしてみれば、防犯システムが発展しているわが国や先進国のあり方の方が疑問に思うかもしれません。何時までもこの状態が続けられればいいなと思いました。

どんどん奥に進んで行きました。意外に奥行きがある洞窟で、なかなか出口に辿り着きません。そもそもこのまま進むと一体どこに出るのだろう。ちょっと心配になってきました。あまりにも入り口から離れた場所に着くのも面倒だし、この先で行き止まりになっていて、入口に戻らなければならないのなら、ここいらで引き返した方がいい。入り口の注意書きみたいなものをちゃんと読めばよかった。とりあえずはまだ照明のついた道があるから前に進むか。結論が出ないので、惰性でそのまま奥へ進んで行きました。

更に奥に進みました。段々と体温が下がってきて、少し肌寒く感じるようになりました。天然クーラーの効き過ぎです。やはり引き返したほうが・・・と思っていると、今までにないような急な坂に差しかかりました。この先は出口かも。その坂を登りきると、向こうの方に光が差しているのを発見。あれは出口に違いない。やっと出口だ。少し早足に光の中へ向かって進みました。

出口を出るとまぶしい太陽の光が待っていました。うっ、まぶしい。目が開けられない。目が明るさに慣れるまでしばらくかかりました。目が慣れて辺りを見渡すと、うっそうとした森の中でした。一体ここはどこだろう。全く見たことのない風景でした。おまけに寺も見当たりません。とりあえず一本道の歩道があったので、その方向へ進んで行く事にしました。

林の中に作られた歩道を進んで行きました。このままで大丈夫だろうか。後輩もどこへ出るのか心配らしく「どこへ向かっているのですか?」と聞いてきましたが、私が知るはずもありません。先の見えない歩みは足が重いものです。しばらく歩くと屋根付きの休憩所があり、我々は迷わずそっちへ向かいました。まずは一服。ボーとしていると周囲から鳴り響く蝉の鳴き声が脳天に響いてきました。なんとやかましい。タイの蝉は遠慮というものを知らないのか。あまりにも喧しく、これでは休憩どころではありません。一服した後、すぐにこの場を去る事にしました。

しばらく行くと厠があり、寺が見えてきました。ここはさっきの寺の裏側のようです。なんとか寺に戻れてよかった。かなりの距離を歩いたように思ったのは、きっと洞窟が寺の敷地をぐるっと一周していたからなのかな。さて、この寺もなかなかのものだ。寺の写真でも撮っておこうとカメラをリュックから出そうとすると、・・・ない。ないぞ!なぜだ。洞窟内ではあったはずなのに。その後洞窟を出て・・・さっきの休憩所で・・・一服した時に・・・あっ、あの時に椅子の上に置き忘れてしまったようです。こりゃいかん。慌てて取りに戻らなければなりませんでした。これもうるさいタイの蝉のせいだ。あの喧しさは溜まらなかったもんな。って、後輩の手前、自分の不注意を蝉のせいにしておきました。

アジア的風景
アジア的風景

無事にカメラを手に入れた後、本殿の辺りを散策しました。一般的なタイの寺でしたが、なかなか立派な建物です。奥のほうには色々と仏像が置いてありました。それをたどってもっと奥の方へ行くと、馬鹿でかい仏像が安置してある堂がありました。仏像は新しく、コンクリートでできていて、しかもおもちゃのような色付けがしてありました。なんじゃこりゃ。日本人的感覚からするとありがたみがないというか、ユニークな仏像に思えてしまいます。これもタイの文化なのだろうか。凄いセンスをしている気もしますが、きっと価値観の違いなのでしょう。それよりも辺りの風景が素晴らしく、そっちのほうに心を奪われていました。泥色に濁った川と緑の濃い低い山々。私の中では、これぞまさしくアジアといった風景です。今自分は異国に来ているんだ。そう実感できる瞬間は本当に旅行していて楽しいものです。異国情緒あふれる景色を目に焼き付けて、この場を去る事にしました。

~~~ §5、様々な思いを胸に ~~~

洞窟からの帰り道は下り坂なので楽ちんでした。そんなに体力を使うことなく、あっという間に川辺に着きました。そして、再び渡し舟に乗って対岸へ渡り、カンチャナブリ観光の総決算として、桟橋の近くにあるJEATH博物館へ向かいました。ここは2次大戦中、クワイ河の鉄橋を建設した経緯や、その時の鉄道敷設の様子を展示してある博物館との事です。予備知識としてはそれぐらいで、カンチャナブリでは有名な博物館らしいから行ってみるかといった感じでした。入り口近くまで行くと、ずらっと露店が並んでいました。結構観光客が多いようです。入り口にある自転車置き場に自転車を停めて、入場チケットを購入しました。するとチケットとともに何やら紙を一枚くれました。何だろうと目を通すと、日本語で博物館の由来やらクワイ河の鉄橋の歴史やらが書いてありました。勉強不足の我々は映画の「戦場に架ける橋」といった名前ぐらいしか知りませんでした。何か日本軍がひどいことをやった事はうすうす感じていたのですが、一体何をやったのかなどといった事はさっぱりでした。ふむふむと読んでいくと、初めて知る事実ばかりです。これは本当の事だろうか。それとも大袈裟に書いてあるだけだろうか。心の中で葛藤しているのが分かりました。

博物館の爆弾
博物館の爆弾

入り口を入ってすぐのところには爆弾の残骸が並べて置いてありました。後輩がふざけてそれを持ち上げ、「写真を撮りましょうよ。」と言ってきました。いつもの私なら真っ先にやっていたかもしれません。しかし今はさっきの文章を読んだ後なので、ちょっと気が沈んでいて、あまりはしゃぐような気分になれませんでした。それにここで日本人がはしゃぐと余計な感情を逆撫でしてしまいそうな気がしたからです。適当に写真を撮って博物館の入り口に向かいました。

たいてい博物館といえば立派な建物でできているものですが、ここの建物はまるでプレハブでした。大事に保存しなければならないものがないということだろうか。簡素な扉を開けて中に入りました。中に入ると、薄暗く、じとっとした湿った感じがしました。なんか陰湿な湿った空気が漂っている感じです。順路を進んでいくと、パネルやら当時の遺品などが展示してありました。パネルを見ていくと、当時の橋作りがいかに困難を極めたのかを物語っていました。また捕虜の扱いのひどさも克明に記されていました。更にショックだったのが、あまりにも死者が多く出た為、先ほどのクワイ河を通る鉄道はデストレインという別名で呼ばれていたそうです。その象徴がクワイ河の鉄橋。戦場にかける橋だったというわけです。戦場にかける橋とはなんて響きがいいんだなどと言っている場合ではなかったようです。日本人としてはなかなか耳の痛い博物館でした。原爆資料館などは被害者意識として戦争はよくないんだと考える事ができるのですが、ここでは逆の立場の加害者です。戦争と言うものに対して加害者的立場になって物事を考えなければならないのは、海外ならではの事だと感じました。

一通り周って建物の外に出ました。爽快感からは程遠いムヤムヤした気持ちが心を占めていました。それは「すまない」といった偽善的感情ではなく、今まで生きてきた中で戦争に関してまともに加害者意識を持った事がなかった事からくる「戸惑い」でした。後輩の顔を伺うと、どっちつかずといった感じで、どう思っているのかは分かりませんでした。とりあえず忘れよう。今は旅の途中だし、そもそも大昔に起きてしまったことです。今の我々がこのことについてどうこうできる立場にもありません。あまり長居をしている場所でもないので、早々に立ち去ることにしました。

博物館の入り口で
博物館の入り口で

入り口まで戻ると、入場ゲートの案内板に上に「許そう。しかし忘れまい」と小さく記されていました。博物館を見た後では、ずっしりと心に沁みる言葉です。せっかく博物館に来たことだし、記念に写真を撮っていくか。この重みのある言葉が書かれた前がいい。そう思ってカメラを取り出すと、すかさず後輩が「みんなで一緒に撮りましょう。あっ、ちょうど人が出てきた。」と、博物館から出てきた欧米人の観光客に写真を撮ってくれと頼みに行きました。その瞬間私の脳に電流が走りました。頼まれたときの欧米人の顔が険しかったからです。止めようにも、後輩は全く気にもとめていない様子。もしかしたらここで捕虜になった人と同じ国籍かもしれない。私とて日本の原爆資料館の前でアメリカ人にシャッターを押してくれと頼まれればいい感じがしないはず。しかし頼まれたら嫌とは言い難いものだし、日本人という確証もなかったはずです。欧米人の人も、しぶしぶといった感じでシャッターを押してくれました。なんとも冷や汗をかいた瞬間でした。

宿のおばさんと娘と
宿のおばさんと娘と

博物館を後にして、ようやく宿に戻りました。暑い。汗で服がびっしょりです。とりあえず休憩だ。腹も減ったし。宿の食堂でちょっと遅い昼食を食べながら一休みすることにしました。まずはジュースだ。一気に飲み干すと汗が吹き出てきました。なんて暑いんだろう。川辺の食堂に座りながら休んでいると、段々体温が下がっていきました。なかなか涼しいではないか。タイではやはりこういう風通しのいい建物がふさわしい。水の上やら水辺に家が建てられているのはこういうことなのか。生活の知恵というやつを感じることができました。しばらく食事をしながら疲れた足を休めました。一度腰を落ち着かせると、動くのが面倒臭い。私的にはこのままここに泊まりたい気分でした。さりげなく後輩に「もう大分遅いよね。」などと伝えてみるものの、朝と同じで効果なし。これからバンコクに行く事を考えると、あまりのんびりとしてはいられない。よしっ、出発だ。直ちに出発の準備をしました。そして出発の際には宿のおばさんと、可愛い子供と一緒に記念写真を撮りました。

バスターミナルまではタクシーで行こうかと思っていたのですが、宿の前の細い路地に立っていてもタクシーは通りません。歩きながら拾ったほうがいいや。バスターミナルのほうへ向かって歩くと、大通りまで出てしまいました。ここからバスターミナルは目と鼻の先。結局バスターミナルまで歩いてしまいました。日は大分傾いたとはいえ、蒸し暑いのは変わりません。ターミナルに着いてみると、せっかく乾いた汗が再び噴き出していました。重い荷物を背負って長い距離を歩くものではないようで、特にバックパックを背負っていた背中がビシャビシャで気持ちが悪い状態でした。荷物をベンチに降ろし、切符売り場へ切符を買いに行くと、次に出発する便の切符をすんなり買えました。それに結構便数が出ていて、そんなに待たなくて済みました。

ベンチで出発まで待っていると、一人の日本人の女の子が声をかけてきました。「どの宿に行くのですか?」 もうあたりは薄暗くなりつつあり、声をかけてきた女の子はちょっと不安な面持ちをしていました。「いや、私たちはこれからバンコクに向かうんです。」と言うと、えらくがっかりとした表情をしました。こんな我々でも頼もしく見えるのだろうか。気の毒に思え、先ほどチェックアウトしたばかりの宿を紹介しました。宿は汚かったけどおばさんは親切だし、女の子一人でも大丈夫だろう。行き方を説明すると、「ありがとうございます」と女の子は去っていきました。もう1日早く知り合っていたならな。一緒に夕食でも・・・ヨコシマな事を考えていると、後輩が沈痛な面持ちでつぶやきました。「あんな女の子が一人で旅行しているなんて・・・凄いですね。俺なんか男なのに・・・見習わなければ。」 私には特に気にならなかった事でも、後輩にとってはかなりショッキングな事だったようです。一人で何かをしようとする気持ち。それが後輩の中に芽生えたのなら、頑張って連れてきたかいもあったものです。ここカンチャナブリでは色々と考えさせられることが多かったな。それは後輩とて同じことでした。我々は様々な思いを胸にカンチャナブリを後にして、バンコクに向かったのでした。

第8章 クワイ河の鉄橋  ー 完 ー

第9章 「再びバンコク、そしてパタヤへ」に続く

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<進め若者!突撃タイ旅行記 第8章 クワイ河の鉄橋 2002年4月初稿 - 2015年10月改訂>