風の足跡 ~風の旅人旅行記集~

進め若者! 突撃タイ旅行記

~ 第6章 スィー・サッチャナーライ ~

*** 第6章 スィー・サッチャナーライの目次 ***

~~~ §1、タイで交通違反!? ~~~

<1996年9月9日>

今日も後輩に起こされて目が覚めました。時計を見ると8時を回っていました。昨日は夜8時頃には寝ていたので、12時間は寝たことになります。なかなかよく寝たもんだ。そう思う割にはまだ眠さが取れていませんでした。やっぱり疲れているのかな。それにしてもこいつらと一緒にいたら、日本に帰るまでこの生活が続くかもしれない。そう考えると、日本では温厚な後輩達もこの時ばかりは悪魔のように思えてきました。いやいや、ちゃんと起こしてくれる天使だ。慌てて起き、出発の準備に取り掛かりました。今日の予定は、まずバイクを返しに行き、そしてスィー・サッチャナラーイ遺跡行きのバスに乗り、その遺跡を観光をした後はバスでカーペンペに向かい、そこで宿を取る予定となっています。ただ、カーペンペの町は持ってきたガイドブックに載っていませんでした。どこに安宿があるのかがわからなく、ちゃんと安宿に泊まれるだろうかというのが今日の不安要素です。だからなるべく早くスタートして、暗くなる前にいい宿を見つけたいところです。ということで、急いで出発の準備をして宿を後にしました。

走行中の後輩
走行中の後輩

まずはスクーターを返しに行かなければなりません。幸いな事にバスの発着場がバイク屋の近くなので、バイクを返すついでに荷物も運んでしまう事にしました。しかし一回で全てを運びきるのは無理でした。人間の他にバックパックがあるからです。とりあえず私が荷物を持った後輩を後ろに乗せて、第一便として出発しました。もう一人の後輩とスクーターは、残った荷物と宿の前で待機。そうすれば、荷物の番を絶えず誰かがしていることになります。重い荷物の為ふらふらしながらバイク屋の前に到着し、後輩と荷物を下ろして、すぐ宿に戻りました。後ろが軽くなり気分もいい。気持ち良く車の流れにのって走っていると、交差点の真中で交通整理をしているおまわりさんと目が合いました。その瞬間、こっちへ向かって笛を吹き、何か怒鳴ってきました。何だ?と思ったのですが、気にせずに通りすぎる事にしました。でも今のはどう考えても私に対してだったよな・・・。何か悪い事でもしたのかな?と不安になって周りを見ると、昨日は誰もヘルメットをかぶっていなかったのに、今日はみんな真面目にかぶっているではないか。かぶっていない不良は私だけだぞ・・・。って、一体どうなっているんだ。なんだかはめられた気分でした。とはいえ、ヘルメットなんて持っていないし・・・。とりあえず追ってこないみたいだし、そのまま後輩の待っている宿に向かいました。

宿に着くと後輩が首を長くして待っていました。みんなヘルメットをかぶっていて、かぶっていないのは私だけで、おまけにおまわりさんに捕まりそうになったと話すと、不安そうにしていました。誰だって海外に出てまで交通違反で捕まりたくはありません。捕まるのは日本だけで十分です。しかし現実問題としてないものはしょうがないし、スクーターを押していくのも大変です。ちょっと遠回りをして、先ほどのおまわりさんがいた交差点を迂回して行く事にしました。ノーヘルで捕まったら一体罰金はいくら取られるのだろう?物価が安いから200~300円程度なのだろうか?ノーヘルは日本だったら減点はなく罰金だけで済みます。海外なので免許書の減点はまずないだろうけど、案外パスポートに交通違反1などと書かれたりするのかな。それはそれで記念になりそうです。結局、ドキドキしながらも無事にバイク屋に到着しました。しかしこのおまわりさんに捕まりそうになった事が強烈に印象に残ってしまい、この時タイで行ったツーリングの一番の思い出になってしまいました。せっかくタイで走ったのに・・・。

無事にバイクを返した後は、バス停に向かいました。着いてみると、まだしばらくはバスは出発しないとの事。そういえば・・・懐具合が淋しいのを思い出しました。タイに着いた時に両替した1万円はそろそろ底を尽きようとしています。何やかんやと出費が多いもんな。射撃やらドリアンやらスクーターやら・・・一人旅とは違って結構贅沢に使っているような気がします。でもまあ旅は道連れ世は情け。1人旅とは財布の緩み具合も違っていて当然。使うところは使い、使わなくていいところは使わない。それなりにメリハリのついた出金になっているはず。とまあ、そんな事はどうでもいい。それよりも両替をしておこう。目の前にはちょうどガイドブックにタイで一番両替率が高いとされているタイ農民銀行がありました。両替率が高い事から結構混んでいるかもしれない。バスの時間があるので、混んでいたら諦めるか。そう思いながら入ってみると店内はがらがらでした。あれっ?まあいいか。「両替はやっていますか?」と聞くと、「この紙に記入してください」と紙を渡されました。そして書類を記入して窓口の人に渡すと、簡単に両替が終わりました。少し特をした気分になって、後輩のいるバス停に戻ると、ちょうどバスがやってきました。グッドタイミング。重いバックパックを背負って乗りこみました。そしてバスの中で暇だったので、空港での両替のレシートと今回の両替のレシートを比べてみました。空港でのレートは0.2259で今回は0.2264。やはりこっちのほうが高い。しかしどれくらい高いのだろうか?ちょっと計算してみると、千円当たりで0.5バーツ、日本円で約2円。という事は一万円当たりにしても20円しか違いません。やはりこんなもんか。しょせん観光客にとっては気分的なものでした。

~~~ §2、遺跡をサイクリング ~~~

乗る時に運転手に「スィ・サッチャナーライで降りたい」と伝えておいたので、のんびりと到着を待ちました。そして運転席から大声で声がかかり、バスはスピードを落としました。どうやら到着したようです。念のため降りる前にもう一度「スィ・サッチャナーライ?」と確認すると、「イエス」との事。運転手さんにお礼を言ってバスを降りました。が、降りた瞬間バスに戻ろうかというぐらい足元から熱気が立ちこめてきました。気温もそうですが、アスファルトの照り返しやバスのエンジンの熱が混ざって我々に襲いかかってきた感じです。うっ、灼熱地獄だな。何にしても今日も暑そうだ。

ここで降りたのは我々だけでした。そして私達が降りると、乗る人もいないのでバスはすぐに扉を閉め、排気ガスの混じった熱風を残して出発していきました。本当に暑いな今日は。改めて辺りを見ると、うっそうと木が茂っていてバス停の前には数件の店があるぐらいでした。特に何もないところだ。私達はバス停のすぐそばにある床屋と自転車の看板がかかっている店に入りました。ここで自転車を借りて遺跡を周ろう。スィ・サッチャナーライの遺跡はかなり広いので、徒歩ではそれこそ一日がかりとなってしまいます。それにしても床屋と自転車の看板の組み合わせとは・・・、なんともアンバランスでした。

床屋に入ると、店内はお客さんが一人いて店のおじさんは忙しそうにしていました。そして髪を切りながら我々の格好から判断して、「自転車かい?」と聞いてきました。「そうです」と答えると、店の客の応対の方が忙しようで、「そこの自転車を勝手に乗っていってくれ。荷物はそこの隅っこに置いていていいよ」と言ってきました。よそ者の我々に対しては適当といった感じ。まあいいや。実際、散髪をしている最中だしな。隅っこに無造作に並べられた自転車を引っ張り出してきて、隅っこに荷物を積み重ねました。そして、ちゃんと空気が入っているかなどの点検をしました。自転車はママチャリのかなり古い型ものでしたが、手入れは行き届いているようで、パッと見た感じ特に問題ないようでした。「じゃぁ、行ってくる」と店のおじさんに言い、遺跡へ向かって自転車をこぎ始めました。金も後払いでいいと適当でしたが、荷物を預けているので、結果として荷物を担保に取られているのと同じでした。

第一関門のつり橋
第一関門のつり橋

走り出してすぐ第一関門が待ち構えていました。目の前を川が流れていて、そこには一本のつり橋がかかっているだけでした。左右を見渡しても迂回路が見当たらない。という事は、これを渡らなければならないのか。恐らくちょっと上流か下流に行けば車が通れるほどの橋があるはずだが・・・どうしよう。後輩と「この橋は自転車に乗って渡って大丈夫なのか?やっぱり押して渡るべきなのか?」などとたじろいでいると、対岸から郵便配達のスクーターが橋を渡ってきました。理論的に言ってスクーターが大丈夫なら自転車だったら何も問題はないはず。いざ我々も。恐る恐るペダルをこぎ始めました。最初の10mは緊張しましたが、慣れればどうって事はありません。崖の上に橋がかかっているわけでもないから、最悪の事態が起きても笑い話で済むだろう。って、落ちたら落ちたでやっぱり最悪だ。平均台の上を走っているかのようにバランスをとりながら慎重にペダルをこぎました。それにしても、よくこんな橋をスクーターで走れるよな・・・。郵便配達のプロだな。橋を渡り終えて思ってしまいました。

スィー・サッチャナーライ遺跡1
スィー・サッチャナーライ遺跡2
スィー・サッチャナーライ遺跡3
スィー・サッチャナーライ遺跡

橋を渡ると大きな近代的な寺院がありました。先ほどの郵便配達の人はここに届け物をしたに違いありません。遺跡の入り口にあることから、この寺院がこの遺跡の管理をしているのだろうか。この遺跡は入場無料。しかし、いきなりお坊さんがわんさか出てきて「寄付を~」と迫ってくる事もありえる。なんか変な妄想が頭を過ぎり、さっさとその横を通りすぎました。そしていざ遺跡内に入ってみると、ここスィ・サッチャナーライの遺跡も今まで訪れた遺跡と同じで、敷地内は見事なぐらい綺麗に整備されていました。芝はきれいに刈られていて、ゴミも落ちていません。一体誰が入場料無料のマイナーな遺跡をこんなに綺麗にしているのだろう。托鉢をしているお坊さんか?それとも一般市民のボランティア?はたまた役場の人?ちょっと疑問に思いました。

しばらく行くと、最初の遺跡に到着しました。「ほ~」と言いながら眺めるものの、だいぶんタイの遺跡にも目が慣れてきてしまったようで、新鮮味が薄らいでいました。今までとあまり変わらないな。率直な感想でしたが、暗黙の了解という事でお互い口にはしませんでした。口にしてしまうと、遺跡を苦労して周るのが馬鹿馬鹿しくなってしまうからです。実際、系統や年代が同じ遺跡なので、似ていて当然です。こうなれば開き直るしかない。童心に返ったつもりで、遺跡に駈け上がったり、面白いポーズで写真を撮ったりと遺跡と触れ合いました。こう書くと聞こえはいいのですが、遺跡の事に付いては何も分かっていないので、言うなればアスレチックで遊んでいる子供と同じレベルなのです。最初のうちは昨日同様にアスレチック気分だとはしゃいでいましたが、次第に一つの遺跡に滞在する時間が短くなっていきました。やはり素人の目にはどれも同じ遺跡に見えてしまうものです。

遺跡内をサイクリング
遺跡内をサイクリング

ここの遺跡はアユタヤの遺跡のようにとんがり帽子の仏塔が多いようでした。しかしながらアユタヤよりも建物に派手さはなく、シンプルそのもの。おかげで登るのも見るのもすぐ飽きてしまいました。それに、この暑さの中観光する人もいないのか、はたまたマイナーすぎる遺跡なのか、他の観光客や管理人に遭遇することは一度もありませんでした。なんとも張り合いがない。ただあるのは、だだっ広い遺跡を独占しているという優越感だけでした。そんな優越感を感じながら自転車をひたすらこぐのですが、昨日のスクーターと違い、自力でこぐ自転車は暑い事この上ありません。平坦な場所に遺跡があるのが救いでしたが、こぐ度に汗か滴り落ちてきました。これが坂道だらけだったら、遺跡見学どころではなかったはず。しかし、よく考えれば自転車に乗るのは何年ぶりだろう。ここ何年か乗った記憶がありません。いつもバイクに乗って移動していたので、自転車なんて乗る必要がありませんでした。それにしても自転車というものはこんなに乗りにくい乗り物だったけ?昔はもっとすいすいと進んでいたイメージがあったのだが・・・。バランス感覚が悪くなっているのかも。いや、単に運動不足なのかな。

あまりの暑さにいつの間にか後輩達は上半身裸になっていました。まあ町中でないからいいか。私はイスラム圏の習慣が抜けきらないので、少々抵抗がありました。インド・イスラム圏の男の人は普段から襟付きの服を着ています。貧しい人でも小汚いけれどもちゃんと襟付きを着ていました。それを見てから私は旅行ではマナーとして襟付きを着るようになってしまいました。というのも突然モスクの見学をしたり、他人の家にお邪魔したりする時に困るからです。暑くても湿度の低い地方ではそれでもよかったのですが、ここみたいに湿度が高く、しかも炎天下の中、汗だくになって自転車をこいでいる時にそんな事は言っていられません。どうせ見ている人はいないし。我慢できなくなってシャツ一枚になりました。

高台から見た遺跡
高台から見た遺跡

一番最後に高い所にある遺跡を見に行きました。階段の下に自転車を止めて、長い階段を登りました。自転車で疲れているのに、更に部活の筋トレのような長い階段を登らなければならないなんて・・・汗が吹き出てきました。後輩に筋トレを兼ねて私を背負って登ってくれと言ってみれば、「無理っすよ」との事。そりゃそうだな。滴り落ちる汗と格闘しながらなんとか上まで登ってみると、この遺跡全体を見渡せ、なかなか眺めがよくて感激。その景色は緑一色。所々遺跡の塔が竹の子のように樹海の中から飛び出ていました。なんかえらいところへやってきてしまったんだな。きっとここの遺跡が発見された時も恐らく同じような景色だったのだろうな。なんだかタイムスリップしたような気分でした。しかし、この遺跡が建てられた時はどうだったのだろうか?こんなに木が生えてはいなかったのでは?辺り一面町があったのかも?ぼーと眺めながら、色々と想像していました。

しばらく余韻に浸っていましたが、遺跡巡りにも飽きてきたので、バス停に戻る事にしました。緑の多い遺跡を抜け、行きにビビリながら通ったつり橋を渡り、自転車を借りた床屋に戻りました。帰ったよといった感じで床屋に入ると、別の客が散髪をしていました。どう見ても普段は閑古鳥が鳴いていそうな小さな床屋にみえるのだが・・・。今日は床屋日和なのだろうか。それともタイ人は散髪が大好きな人種なのだろうか。ちょっと疑問に感じつつも相変わらず忙しそうにしているので、さっさとお金を払い、荷物を持って床屋を後にしました。

~~~ §3、バス停の人々 ~~~

バス停に戻ってきました。相変わらず人の往来もなく静かなところでした。荷物をベンチに置き、汗を拭いました。あ~喉が渇いた。炎天下の中、自転車をこいでいたので喉が乾き、お腹も空いていました。まずは雑貨屋で飲み物を調達。ただいつバスが来るのか分からないので、完全にゆっくりはしていられません。路上を気にしながら、バス停の前にある屋台でちまきみたいなものを買い、バスがいつ来てもいいように食べながら待つ事にしました。もしバスが来てもバスの中で食べればいい事だし。

しばらく待つと、やっとバスがやって来ました。乗る準備をしなければと立ち上がり、おもむろにバックパックを背負っていると、無情にもバスは我々の前を猛スピードで通過していきました。ここに停まらないバスだったのだろうか。特急便ってやつなのかも。まあいいや。気にせずに次のバスを待つと、次ぎ来たバスも同じように我々に熱風と埃を浴びせて通過していきました。またもや特急便?そんなはずは・・・どう見ても今のはおんぼろバスだったぞ。もしかして日本みたいにバス停に座っているだけではバスは停まってくれないのでは。ヒッチハイクみたいにバスを自分達で停めなければならないのでは。きっとそうだ。今度は後輩と示し合わせて、一人見張りに立たせてバスが来たら停めるようにしました。何でバスを乗るのにこんなに苦労しなけりゃならんのだ。我々は客だぞ。そう愚痴をこぼしたくもなりますが、それは日本的価値観でしかないようです。

そして待つ事5分。「バスが来た」との後輩の声に、私ともう一人の後輩はバス停の椅子から飛び出し、バスを停めにかかりました。バスはえらい急ブレーキで何とか停まりました。ここのバス停に停まる事など予定にしていないような感じでした。我々もバックパックを背負って入り口まで行き、目的地の「カーペンペ」と聞くと、運転手は迷惑そうに首を横に振りました。どうやらこのバスは我々が行きたい目的地に行かないみたいだ。そして、バスはすぐドアを閉め走り出していきました。行き先表示がタイ語で書かれているのでどのバスがカーペンペに行くのか分かりません。このままでは全てのバスを今のようにして停めないと乗るバスがわからないではないか。ぞっとしてきました。

バス停で途方にくれていると、先ほどちまきを買った屋台のおばさんが我々の所へやってきました。英語はしゃべれないようでしたが、「どこへ行くの?」という表情をしていたので、「カーペンペに行きたい。」と持っているガイドブックの地図と、タイ文字で書かれているカーペンペの文字を指差しながら伝えました。今はこのおばさんが頼りでした。すると、ちゃんと意思が通じたようで、おばさんはうなずきながら時計を見て、30分後を指差しました。おばさんのジェスチャーから判断すると、さっき来たばかりなので、後30分はこないといった感じでした。そうか、さっき通ったバスの中にお目当てのバスがあったのか。まあしょうがない。ちゃんとした昼飯にするか。バス停のベンチに背負っていたバックパックを置いて、再びおばさんの屋台を物色し始めました。

座っている間、何台かバスが通過していきました。ちょっと心配ですが、ここはおばさんに任せるしかありません。20分ぐらい経ち、再びバスが何台か通過して行きました。一応心配になって、おばさんの方を見るとこのバスは違うと首を横に振りました。まあここで店番をしている人が間違えるはずがない。変に心配するのは失礼というものだろう。それにしても、さっきからここで降りる人もいなければ、乗る人もいません。バスがこのバス停を猛スピードで駈け抜けるのも納得できました。

30分ぐらい経った時、おばさんがそろそろだよと教えてくれました。道路脇に立ち、いつでもバスを停められる状態にしました。そしてバスがやってきました。来たぞ。停めようとおばさんの方を見ると、首を横に振っています。違うようだ。バスは我々を見て一瞬停まろうとしましたが、乗りそうにもないことが分かるとスピードを上げて通過して行きました。二台目もやはり違いました。この頃になると、我々の周りにはギャラリーが増えていました。雑貨屋のおばさんや近くの子供たち、通り掛りのおじさんとわいわいガヤガヤ賑やかで頼もしい限りでした。そして三台目が来たとき、みんながあれだと騒ぎました。子供達に混じって我々もバスに手を振り停まるように合図しました。きっとバスの運転手はこの集団は異様に見えたに違いありません。

屋台のおばさん達に見送られ我々は無事にバスに乗ることができました。乗る前に手を振りお別れをしました。さっき知り合ったばかりなのに、なんだかものすごく淋しい気分でした。もう会うこともないだろうけど、この思い出は忘れはしないぞ。我々が乗り込むと、すぐにバスは走り出しました。スピードを上げてスィ・サッチャナーライの遺跡からどんどん遠ざかって行きます。後ろを見ると子供達がまだ手を振ってくれていました。私達も手を振り返しました。たかがバスに乗るだけの行為でしたが、その些細な事に感動というものはあるんだなと実感しました。やっぱり旅はいい。涙が出そうなぐらいに感動しました。

バスはタイの田舎道を走り続けました。車内は我々の他には数人の人が乗っているだけ。こんなにもがらがらで大丈夫なんだろうか。採算が合わないのではなどと気になってしまうのですが、しょせん観光客にはどうでもいいこと。疲れた体を休める事にしました。シートに深く座り直し、ふと天井を見ると、ものすごく派手な色に塗られている事に気がつきました。タイのバスの天井は面白い色をしているぞ。後輩に教えると、「何でですか?」と聞かれてしまった。「う、それは・・・何でだろう?」 これも文化なのだろうか。そう言えばインドやパキスタンでもこのような色をしていたような。天井を神がいるところとして大事にしているのだろうか?それとも単に好きでやっているのだろうか?色々と思い浮かんできましたが、よく分かりません。「分からない」と後輩に伝え、今度こそ体を休める事にしました。

~~~ §4、カーペンペの夜 ~~~

辺りが薄暗くなる頃、やっとカーペンペの町に着きました。あいにくとこの街の事は持ってきたガイドブックに載っていなく、勝手がまるでわかりません。安宿にしても自力で探さないといけないのです。とはいえ、もう夕方。明るければ歩き回る気にもなるのですが、当てもなく歩くにはちょっと厳しい時間でした。おまけに自転車で遺跡を回ったので、あまり積極的に歩こうといった気分ではありません。疲れたな。こういう時は裏技だ。客待ちをしているトゥクトゥクのお兄さんに、「ホテルはこの近くにあるかい?」と聞くと、「ない」と返ってきました。聞くと、どうやらこの町にはホテルが2軒しかないらしい。「じゃあ安いほうへ連れて行ってくれ」とトゥクトゥクのお兄さんに頼みました。

夕暮れの薄暗くなったカーペンペの町をトゥクトゥクは走り、なかなか立派なホテルの前で停まりました。何でこんな立派なところへ連れてきたんだ。かなり高そうだ。抗議のまなざしでトゥクトゥクのお兄さんを見ると、いたって笑顔でした。それもちゃんと仕事はしたぞっていう満足の顔。町に2軒しかないんだったらしょうがないのか。トゥクトゥクのお兄さんにお金を払い、別れの挨拶をし、我々は恐る恐るホテルに入って行きました。なかなか立派なフロントで料金を聞いてみると、私達の心配を裏腹に値段は一人当たり500円程度でした。冷房も付いて、この値段は安い。一応後輩に確認すると、全然問題ないですよと満足そうに頷いていました。そしてすぐに手続きをして部屋に向かうと、部屋もなかなか立派でした。私達は満足して、荷を下ろしました。「トゥクトゥクのお兄さんに感謝しなくてはね。」「でも町に2軒しか宿ないのは変じゃないですか?」と後輩が聞いてきました。それもそうだ。暗かったけどそこそこの大きさの町だったのは確かです。ふとトゥクトゥクのお兄さんとのやり取りを思い出しました。我々は何の気なく「ホテル」と言う単語を使ったのですが、タイでは安宿の事を「ゲストハウス」とも呼びます。もしかして私達が思っている以上に、この「ホテル」と「ゲストハウス」の言葉を厳密に区別しているのではないか。それでこういう立派な所へ連れてこられたのではないか。もしそうなら今回は当たりだったけど、これからは気を付けたほうがいいかもしれない。

部屋でから揚げをほおばる図
夕食の様子

部屋で落ち着いてから、夕食を食べに町へ繰り出しました。夜のカーペンペの町は結構活気がありました。通りに並ぶ飲食店はどこも客入りがよく、人々は明るく談笑しています。なんだか楽しそうだ。見ているこっちまで楽しくなってくるような町だねと後輩達と話しながら、夕食に最適な食堂を探しました。そして比較的客入りがよく、大きな食堂に入る事にしました。屋外に設置された席に着くと、注文に来た店のお兄さんにお薦めの品を聞いて、麺類とおかずを三品頼みました。一人だと一品しか食べることができないけど、3人いるとこういう時は都合がいい。さすがに店員が持ってきた水は飲むと大変な事になりそうなので、ジュースを頼む事にしました。店の人に何があるかと聞くと、コーク、スプライト、ストロベリーファンタ・・・なんだそれは!?怖いもの見たさで、そのストロベリーファンタを頼んでみました。そして店のお兄さんが持ってきたのは、ピンク色の液体が入ったビン。いかにも体に悪そうな色をしています。飲んでみると、かき氷のイチゴシロップに炭酸を入れたようなものでした。それに必要以上に甘ったるい。旅に出ると変わった飲み物に遭遇する事は多いのですが、たいてい首をひねるようなものばかりです。もちろんこの場合も例外ではありませんでした。

食事が終わると、繁華街の店でビールを買って宿に向かいました。その途中、鳥の唐揚げの屋台を発見。「つまみにどうですか」と後輩が言うので、寄ってみる事にしました。これはおいしそうだと覗いて見ると、半分ぐらいは普段我々が目にしている形のから揚げでしたが、残りの半分は見たことのない形をしていました。なんだこれは。こ、これは・・・よく見ると鶏冠の形をしていたり、くちばしや足の爪の形をしていました。これも食べれるのか。普段我々がいかに贅沢に鶏肉を食べているか一目瞭然でした。好奇心旺盛な後輩が普通の鶏肉のほかに普段食べない部分を、あれをちょっとこれをちょっとと幾つか買っていました。

部屋でから揚げをほおばる図
部屋でから揚げをほおばる図

部屋に戻ってみると、部屋が異様に涼しくてビックリ。どうやら冷房を全開にしたまま出かけてしまったようです。まあいいか。涼しいに越したことはない。早速先ほど買った鳥のから揚げをつまみに、明日の予定を立てました。明日は当初の予定通り、午前中にカーペンペの遺跡を見学して、午後からカンチャナブリに移動するという事でみんな了解しました。ただ問題が一つあって、カーペンペからカンチャナブリまで直通のバスは出ているのだろうか。ガイドブックにもそのそうなルートでの移動は書いていませんでした。ちょっと心配ですが、道が続いていれば必ず行けるはず。今日だって何とかなったし。よしっ、行ってみせるぞ。旅に慣れてきたせいか、妙に自信がありました。その自信からか、ちょっとためらっていた鳥の爪のから揚げをつまんでみました。表面がカリカリしていて、カニや小海老のから揚げのような感じです。でも三本指の形を見てしまうと、いまいち食が進みません。しかも、温かいうちはまだ食べられたのですが、冷めるとえらく不味い。舌が肥えた人間には結構しんどい食材でした。更に極め付けが、ひときわ大きな塊が鳥の足の中に混じっていました。どう見ても形から鳥の頭ではないか・・・。見るからに気持ちのいいものではありません。いくら興味があったとはいえ、こんなものまで買わなくても・・・。やっぱりタイの人は食べているだよな。そのままかぶりつくわけにもいかなく、中を割ってみると脳みそが出てきました。まるでチーズのようだ。「食べれるんですかね。」と後輩が顔を引きつらせながら言いました。「そりゃ食べれるから売っているんだろ。でも誰が食べるんだ。」そう言うと、お互い譲るような視線で顔を見合わせていました。誰も名乗らないのなら、ここは公平にじゃんけんしかない。ちょっと真顔に戻り、じゃんけんをすると、後輩が負けました。バンコクでドリアンを最初に食べた後輩ですそして顔を引きつらせながら食べている後輩に感想を聞くと、「チーズのような・・・不味くないっすよ」 そう言われるとちょっと興味が湧いてきます。試しにちょっとだけ食べてみましたが、あまり味がしなく、お世辞にもおいしいと言えません。「どこがチーズだ。全然違うではないか。」 「そう言わないと、誰も食べないと思って・・・」確か同じようなせりふをドリアンのときにも言っていたような・・・。我々は同じような事ばかりやっているようだ。

それにしてもここのホテルは快適でした。クーラーは効いているし、バスタブも大きく、お湯もしっかりと出ました。昨日はシャワーを浴びる前にダウンしたし、一昨日は夜行だったので、今日は3日ぶりの風呂になります。汗ばむタイの気候。毎日でも風呂に入り、汗を落とさないとべたべたして気持ち悪い。よく3日間耐えたものだ。久しぶりに風呂に入ると、気分もリフレッシュ。後輩が持ってきた温泉の素なんて入れてみれば、ババンババンバンってなものです。気持ち良くベッドに入りました。もうタイでの旅行は折り返しを過ぎました。私にとってはなかなかしんどい旅だけど、帰国の事を考えると少し淋しく思いました。

第6章 スィー・サッチャナーライ  ー 完 ー

第7章 「カーペンペ遺跡」に続く

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<進め若者!突撃タイ旅行記 第6章 スィー・サッチャナーライ 1999年12月初稿 - 2015年10月改訂>